見出し画像

静嘉堂文庫美術館&岡本公園民家園&旧小坂家住宅(東京都世田谷区・二子玉川駅)

・静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区・二子玉川駅)
2022年に美術館の機能を丸の内へと移転した静嘉堂文庫美術館。2021年に閉館した岡本の旧美術館は静嘉堂文庫として関係者のみが入れる資料室の機能として存続しているが、館長の河野元昭氏が傘寿を迎えるにあたり期間限定で美術館として開館する、という情報を知って訪問することに。八十歳で就任八年目という末広がりの並ぶ八日間だけの開催だったため貴重。

一昨年ぶりとなる岡本の静嘉堂文庫美術館は、以前と変わらず林道の坂道となっている長いアプローチを上った先に当時の姿を留めながら存在している。まず入館する前に一般に開放されている岡本静嘉堂緑地の庭園を散策してみることに。庭園の中にはジョサイア・コンドルが設計した岩崎家廟堂があり、偶然にも扉が開いていたため初めて内部の様子が垣間見える。普段は閉じているようなので幸運としか言いようがない。

岩崎家廟堂 近くまで行けば少しだけ見える

山頂にある美術館のため入り口するのロビーからは景観の良い景色が望める。ロビーでは前々館長の父にあたる漢学者の諸橋轍次の業績についての展示コーナーが設けられており、諸橋轍次の研究があったからこそ静嘉堂文庫の収蔵品、特に中国書籍についての研究が進んだことが伝えられる。地下階の講堂でもその業績についての映像が放映されている。

展望室みたいなロビー

展示室は館長が選んだ美術品を中心に、友情出演として学芸員が選んだ美術品を合わせた展示内容となっている。館長は琳派が好みだったようで、国宝の俵屋宗達『源氏物語関屋澪標図屏風』、重要文化財の尾形光琳『住之江蒔絵硯箱』のほか、尾形乾山『色絵定家詠十二ヶ月花鳥図色紙皿』、酒井抱一『波図屏風』(尾形光琳の波濤図に着想を得て月光のイメージを銀地で展開)や鈴木其一『雪月花三美人図』など琳派の作品が多く並ぶ。

8日間だけの公開(5月の展示をいまさら上げるという愚行)

重要美術品の円山応挙『江口君図』や右隻が海、左隻が湖の荒磯を表現した狩野探幽『波濤水禽図屏風』の他、近世における影の描写が最初に見られる貴重な英一蝶『朝暾曳馬図』、友情出演からも野々村仁清の重要文化財『色絵吉野山図茶壷』『色絵法螺貝香炉』、ユニークな可愛さを持つ『錆絵白鷺香炉』などバラエティに富んだ日本美術が並んでおり、展示室自体は丸の内に比べると決して大きな美術館ではないのだけれど見どころは充分。トイレはウォシュレット式。

このアプローチを次に通るのはいつかな

・岡本公園民家園(東京都世田谷区・二子玉川駅)
東京都内にある民家園のうち、割と都心寄りにあるのが世田谷区の岡本エリアにある岡本公園民家園である。同じく世田谷区内の喜多見エリアにある次大夫堀公園民家園とはセットのような関係になっているが、どちらも最寄りの駅からはかなり離れており、どちらかというと近隣の人が訪れる機会の多い施設だろうか。

岡本公園民家園は岡本の静嘉堂文庫と同じ岡本の丘陵に存在している。ちょうど静嘉堂文庫が期間限定で開館するというタイミングだったため、開館している静嘉堂文庫の敷地を突っ切って裏口から抜けるような形で民家園へ。複数の古民家で構成されている次大夫堀公園民家園に対し、岡本公園民家園の方は中に入れる主屋が1軒と、蔵と門がそれぞれ1棟のみというシンプルな構成になっている。

こっちは主屋

岡本公園民家園で開放されている長崎家住宅主屋は当時では珍しい大黒柱が建てられていることが特徴で、また、柱間にわたす構造材を兼ねた差鴨居が改築寺に入っていることが目立ったところだろうか。4部屋の仕切りになっているが、それぞれ左右の間仕切り線が異なる食違い四間取りとして使われており、また広間との仕切りはなかったとされるそう。旧浦野家土蔵は江戸時代には珍しい瓦葺き屋根だったのが特徴だということ。

こっちは土蔵

トイレは正門のすぐ横にあり洋式。裏口にあたる場所には旧横尾家住宅椀木門も残されており、こちらの近くには古民家とは関係ないが岡本隧道跡というトンネル(閉門して埋められている)が残されている。岡本公園、次大夫堀公園いずれの民家園でも日によっては古民家解説も行われているということなので古民家に興味があれば訪れてみるのも良いかもしれない。

展示用のトイレは使えません

・旧小坂家住宅(東京都世田谷区・二子玉川駅)
静嘉堂文庫の入り口からすぐ、国分寺崖線に沿う形で広大な小坂緑地がある。日本画家の横山大観も一時期この敷地内に住んだとされるこちらの小坂緑地の頂上付近にあるのが旧小坂家住宅。衆議院議員を歴任した小坂順造の別邸として建てられたもので、昭和初期に貴重な建築物として開放されている。

玄関を入って右手には暖炉を備えた書斎や茶室など、和館と洋館がつながっている非常に手のかかった邸宅となっており、さすがは議員、財力の高さを窺えるところ。世田谷区にはこうした歴史的建造物を保存している場所がいくつかあり、旧小坂家住宅もその一つ。十二畳半の居間や十畳の茶の間、変わったところでは廊下沿いに電話室もある。

暖炉がある書斎

女中部屋の前には各部屋に備え付けられている呼び出しボタンと連動している呼び出し鈴が設置されており、朝倉文夫彫塑館や旧里見弴邸で見たように、ある程度の資産家には御用達のアイテムだったといえるかもしれない。当時には珍しい冷蔵庫や内倉、離れには寝室やベッドルームなど、とにかく都会のど真ん中にこんな空間があるのかとため息が出る。トイレは洋式。多目的トイレはウォシュレット式。

洋館もあるでよ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?