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統計博物館(東京都新宿区・若松河田駅)

総務省統計局による施設である統計博物館。いわゆる国勢調査や家計調査に関してを主とする統計局に関わる統計の歴史を紹介しているという博物館である。

統計に興味があるか? と問われれば答えはイエスでもありノーでもある。統計が大事だということは理解しているものの、統計学となると理解できていない。ただこちらの博物館ではそういったややこしいことは取っ払って、純粋に我が国における統計の歴史を紹介してくれているので、素人でも全く問題ございません。展示室は大まかに「黎明期」「国勢調査」「統計機器」「体験型展示」の4つに分かれている。

センサスくんとみらいちゃん同じ顔

日本に統計が本格的に導入されたのは明治維新以降。それまでも領民の台帳のようなものはあったものの不統一で、全国を同じ基準においたものはなかった。この黎明期に西周と津田真道によって統計の概念が西洋から伝来され、それをもとに杉享二が統計学として専門に学んだことで国内に広がった。福沢諭吉や箕作麟祥といった人物もまた統計学の重要性を強調している。
幕府に代わって政治を行うことになった明治政府が作ったのが統計院からの統計局。政策の根拠として画一的に統計をする必要が生じ、大隈重信の提唱によって作られたのが始まりとされる。

日本近代統計の祖である杉享二

明治政府による国勢調査は、かつて駿河国で人別調を実施した経験のある杉享二の主導により、甲斐国(当時の山梨県)で具体的な実施方法や経費の目処を知るために試験的に実施された1879年が始まりとされる。そこでの課題を解消しながらも戦争を挟み、本格的に全国規模の国勢調査が実施されたのは1920年。40年以上の年月がかかっているあたり、相当な課題があったことが窺える。先進国の仲間入りをするための国家的大事業として行われたらしく、「国勢調査の歌」なんてものもできている。

誰のために作ったんだこんな歌

統計に使用した機器についても興味深い。今のようにマークシートではないため、当初は記入された統計用紙を回収し、1枚ずつパンチャーが専用カードへ穴を開け、その穴の開けられた専用カードを集計機械へ入れて、そこから機械式に統計を取って行く、という方式を取っていた。入力間違いを防ぐためにパンチャーもベリファイ式(二人が照合する方式)、そのため人員の数が半端じゃなく多かったという。集計機械もアメリカの技師ホレリスが開発したかなり大型な機械を使用している。ちなみにこのホレリスはこの後に会社を立ち上げ、現在はIBMという、これまた現在の統計になくてはならない会社に成長している。

IBMのスタートといっても差し支えない たぶん

マークシートなどに移り変わってからもデータのやり取りの媒体の変遷が面白い。当初はオープンリール型、次にカートリッジ型のの磁気テープ、それにフロッピーディスクは8インチ、5インチ、3.5インチまで勢揃い。銀行や郵便局などではこういう古い機械を最近まで使っていたところもあるというのも興味深い。

現役で使っているところもあるとかないとか

最後の体験型展示では統計をもとにしたクイズ。試しにやってみたけど正解率0パーセント。かなり難しい。他にも海外での統計の現状などを紹介している。トイレは和式とウォシュレット式。

作家のウィリアム・バロウズの祖父が作った計算機

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