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「正しいとか間違いとかじゃない」というさらなる正論で苦しむ前にやれること。

正しいとか間違いとかそんなものは世の中に無いんだ。と、

23歳くらいの時にはたと気づき、それを当時可愛がってもらっていた女性の上司(かつ、飲み友達でもあった)に話したことがありました。

「私は今まで、正しいか正しくないかが仕事も恋愛もぜんぶだと思っていて、でもそんなものは関係ないんですね。それぞれ立場や価値観が違うだけで、そこからの見方をすれば皆が正しいんですね。」

そう言う私に上司は、「いつも達観してると思ったけど、相変わらずねぇ」と言いながら「そうなのよ、その通り」とうなずいた。


気づいたところまでは良かったと思う。

だけど、それからの私は無意識に少しだけ苦しい思いをすることになったんですね。


だって、『正しいも間違いもない』とは言うが、自分にとって『これが良い、正しい』という基準は誰にでもある。

そうやって職場や恋愛で人間関係がこじれたとき・思いが対立したときに『正しいも間違いもないもんな』(というこれもある意味正論)が頭をよぎるともう相手に何も言うことができなくなってしまうからだ。


こういう風に物事が運ばなくて、私は辛い…でも相手に悪気は無いのだ。相手には相手の考えや文化がありそうしているのだから、正しいも間違いも無いんだ。

こう思えることは人としてたぶん素晴らしいことです。

小さいころに、『相手の立場になって考えなさい』と言われて育てられた人ほど容易に相手の気持ちが想像できるだろう。


でもちょっと待って欲しい。


正しいとか間違いとかで物事を片付けてもいけないけれど、『正しいとか間違いとかではない』というこれもまた正論で自分の心に折り合いが付くのかという問題だ。

アドラー心理学とか今はいろいろ生き方の助けになる教えがあるけれど、一番自分が辛いのは自分の心に折り合いをつけられていない時であり、こういう風に思って心の整理をつけるべきという風潮やだれかのメソッドに無理に自分の想いを封じてはいけないのだ。

だから私は2年前、コミュニケーション・自己発信の勉強を始めた時に、この『「正しいとか間違いとかじゃない」ことがわかってしまい逆に何も言えなくなる苦しい病』からようやく抜け出せた。

正しいとか間違いとかじゃないからこそ、自分の心の奥底からの想いや願いはなんだって口に出して良いのである。

そうやって自分が生きやすいように身近な人間関係も環境もカスタマイズしていいんだ。

もちろん、それなりのちゃんとした言い方があるから、そうやって伝えられればベスト。


古い正論を塗り替える新しい正論で苦しくなる前に、下手くそでもいいから自分を伝えていくことが自分を活かす、生かしていくことだと改めて思う。





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