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夢歴史を語ってみた

今日は尊敬するTwitterインフルエンサー「せら課長@sera_sera_sera8

」が開催する #夢祭り  に参加してきました!

気になる方はコチラ👇


記念に改めて私の夢の歴史を書きたいと思います。
(夢の歴史書く人あんまいないと思うので)

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小学校の時はとにかくアニメのキャラクターになりたかった。

一番覚えているのは「地獄先生ぬ〜べ〜」という少年ジャンプ系のアニメに出てくる「稲葉響子」。

響子は茶色い髪をしてて、ペチャパイで、怖がりでちょっと惚れっぽい女の子。
ぬ〜べ〜にも恋心を寄せているっぽいそぶりをしながら、クラスで一番目立つタイプの立野広君ともちゃっかり恋愛する、みたいな。

当時小学5年生にしてはマセガキ。

恋愛に憧れてたのかもね。

あとはSPEEDにも憧れていたな。
あまり自分と年も変わらないのに歌がうまくて踊れて可愛くて。

「アニメのキャラ」
「歌って踊れる人」

この2つを夢にしていたかもしれない。

高校生になって、1、2年生時は吹奏楽に燃えていた。
意識が「今ここ」で、将来とか考えてなかったな。

次の演奏会でのソロをどう上手く演奏するか、とか。

「演奏」という観点で自分の殻をどう破るか、に全集中してたかも。

顧問の平野先生のことが大好きだった。(これは先生として)
ピアス開けたり茶髪にしてたり、スカート短くしたり、吹奏楽部にしては不良女子だったから

「コラァああああ」ってポカポカされたり(漫画的な感じ)

でも変に真面目だったから

「茶髪なやつにソロはわたさん」

って言われて、次の日には髪を黒くして行ったり。(素直かwwww)

同窓会で平野先生に
「お前が一番手のかかる生徒だったけど、一番印象に残っている」
って言われて、泣いた←
(in同窓会会場)

でも恋愛は大好きだったから常に好きな人や付き合っている人がいたな。
失恋して泣いたり、彼氏にキュンキュンしたり、忙しかった(笑)

そんな私でも高校3年生で、人間関係ですっごく悩んだ。

隣のクラスで仲が良かったAちゃん
一緒のクラスで同じグループのBちゃん

恋愛関係で色々あり、

私がAちゃんを守ったことから、なんかBちゃん界隈から嫌われてw
同じクラスだったから移動教室も1人で移動したりして、、

なんか一瞬マジで辛い時期があったw

その時、心理学を学びたいって思ったんだよね。
同じように友達関係で苦しんでいる今の自分みたいな人救いたいって。

だから高校3年生の時の夢はカウンセラーだった。

心理学が学べる大学を調べて、JRに乗ってオープンキャンパスへ行った。
初めて親元を離れて1人で知らない土地に行って、

そこで出会った大学の先輩が最高すぎて、この大学に入りたいって思ったんだ。

だからそっからは「志望校合格」が夢になるんよね。

その夢も敗れて滑り止めの大学に行ったんだけど、そこでも心理学が学べたから良かった。

超短期海外研修でシアトルにも行けた。
しかし、そこで英語を極めようとはならなかったのがおもろいよね。
(妹は大学留学がきっかけで英語の道へ進んだ)

大学3年生から「いい会社へ就職」これが目標に変わった。
しかし、これが=夢ではなかった。

いい会社に就職したらお母さんが喜んでくれる。
だから一生懸命就活がんばらなきゃ。

そんな感じだった。

いつしか「夢」を大きな声で語るのが恥ずかしくなっていったな。

人前で歌いたい。
パフォーマンスをする人になりたい。
人を感動させる人になりたい。

これはお金にならないことだから、趣味の範疇でやるものだと母から言われて、そういうものなのかって納得した。(素直すぎる)

私は近くにいる人を信じすぎるし、影響受けるし、言うことも聞いてしまういい子ちゃんだったんだよな。

でも「ステージで歌いたい」と言う欲求は抑えきれず、地下アイドルになった。
それも正社員で働きながらだ。

休みの日はレッスンか、カラオケで歌とダンスの練習。
遠征ライブで、東京、大阪などにも行った。
日帰りの時は朝5時に起きて行ったことも。

「1円にもならないのによくやるね」

母からはたまにそういった嫌味を言われることもあった。

「1円にもならないことを全力で楽しんでできる」

今思えば、そういうものがあるってことが幸せだったな。1円にもならないことに時間もお金も全力で投下していた自分がなんとも誇らしい。

営業で500万の売上をあげた瞬間よりも
ライブでファンの子が自分の歌で泣いてくれた瞬間の方が
身体の芯から湧き上がる喜びがあった。

夢は武道館!なんて言っていた時期も。

でもどこかで、
「会社員やりながらは絶対無理だろうな」
「スガシカオですら脱サラした後にブレイクしてるし」
って思っている冷静な自分もいた。

表現活動だけでは食えない
だから安定した仕事につきながらやるのが最善の策。
最優先は親が納得する人生を生きること。

私は去年までそんな価値観で生きていたんだ。
今の自分からは信じられないくらい、たくさんのブロックでがんじがらめになってたんだよ。

夢を持ったら親が悲しむって本気で思ってた時期もあったから。

でもそのたくさんのブロックを、私は去年「夢」と書かれた大きなハンマーで打ち砕いた。

苦痛で仕方がない事務処理がメインになってしまった正社員の仕事を捨て、
フリーランスという大海原へ飛び込んだ。

生きることを選んだ、と言っても過言ではないな。

あのまま無言で事務仕事をする8時間を毎日続けていたら、
私は今この世にいなかったかもしれないから。

自分らしくない
つまらない
苦痛な毎日が

自分らしい
自由で
楽しい毎日に変わった

マイノリティーであることを
隠して
押し殺して
ひっそりと
たまには涙を流す日々が

マイノリティーであることを
話して
カミングアウトして
堂々と
笑顔で自慢のパートナーの話をする日々に

変わった。

マイノリティーであることでもう涙を流さなくていいんだって私が思えたから。

今の私の夢は

「マイノリティーが涙を流さない世界を創る」

もう少し詳しく話すと

自由表現の力で人を感動させて
マイノリティーが涙を流さない世界を創る

かな。

私の武器は「表現」

書くことや、歌、ダンス、身体全体を使ったコミュニケーション

自分が自由に表現すればするほど人が感動し、
世の中のしがらみや、固定概念、圧力から開放されて
結果的に笑顔になっている

そして、本当に自分がやりたいことだけをして生き生き暮らす。

多様性を認め合い、みんな違ってみんないいじゃんっていうマインドになる。

結果的にマイノリティーは涙を流す必要がなくなる

本当に心からやりたいことをやっている人って、他人を攻撃したりしない。
「いいじゃん!最高!」って相手の幸せに心から拍手を送れる。

ありがたいことに私の周りにはそういう方で溢れかえっているけれど、
もっと俯瞰すると、まだまだ日本では少ない。それこそマイノリティー。

人間場所が変わればみんなマイノリティーで、LGBTQに限ったことじゃない。

「ある会議で賛成意見の中に自分だけ反対意見をする」これだってマイノリティー。

大切なのは反対意見をした人を批判するのは違うってこと。

「多様性」

大勢の中に違う意見があったっていい。
同性を好きになったっていい。
子供を産まない選択をしたことに引け目を感じる必要はない。
子供がいる人もいない人もそれぞれ最高の人生だよって認め合えたらいい。
争う必要もない(某掲示板ではいつも対立しているので)
性格悪くてもいい。
お金を持ってなくてもいい。
生きてたらなんでもできる
死んでても心の中で生き続ける

あなたがあなたであることが、すでに価値のあることだよって
全自分をかけて、表現の力で伝えたい。

と熱く語ってしまいましたが、私の夢はそんな感じです^^

あなたの夢はなんですか?


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