普通という心地よさと決断という苦しさ
「普通」という言葉があります。会話の中でよく出てくる言葉です。
「このご飯美味しかった?」
「ん〜〜まあ普通」
って感じで、何か意見を求められた際によく活用する言葉です。
よくいう「無難」です。ただこの言葉は活用すればするほど、思考停止を促進させることになると感じます。それについて最近考えていることを書きたいと思います。
普通とは何か?
Wikipediaによると以下のように書かれています。
普通(ふつう)とは、広く通用する状態のこと。普通の『普』は、「あまねく」「広く」を意味する字である。
「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、普通は出る杭にならずに周りと同じく刺さっている杭のことをさします。
この普通が使われるシーンは2つあると思っています
①没個性を表す、少し悪い意味
②正常などを表す、いい意味
1つ目は存在感がなく、ありきたりなシーンを表す際に使われます。例えば、就活の際に就活本の通りに話したり、周りと同じ意見をいうシーンなどがそれに該当すると思われます。就活の際の黒スーツなど正にそうで、没個性であり、普通です。
2つ目はいい意味で使われるものです。「これ普通にええやん」など言ってしまったことないでしょうか。ちなみに私は連発していました。想定していたものよりもよかった際に「これ普通にええやん」って言っていたと思います。悪いと思っていたものに対していい印象があった際に使います。
普通の多様が言語化するスキルを弱める
上記のように2つの意味があると私は感じていますが、実際私が問題だと思うことは前者の少し悪い意味での普通です。
普通でいいということは、自分軸ではなく、他人軸で生きているからです。
「普通=常識」として使うことがあるため、他人が決めた常識の上で動いていることになります。
「ご飯の普通盛りで」と言ったにも関わらず、死ぬほど大盛りできた経験はないでしょうか。私はあります。殺意が湧きました。こんなん食えねえよって感じです。
これは誰が悪いかというとご飯を盛った方もしくは、店ではなく、盛り方の言語化をしなかった私が悪いことにはなります。店の考える普通の基準がその量であって、自分の考える普通と異なっただけです。
ただ、ご飯の盛りでいちいち言語化するのもめんどくさいし、うざいと思われます。なので、日本のハイコンテクストの文化は便利です。ある程度のことは言語化する必要なく、察することで暮らしていけるからです。
しかし、この普通はいつまでたっても他人軸です。普通の定義を言語化して自分軸で伝えることで、初めて相手に想いを伝えることができるようになります。
例えばリモートワークで考えると、近くで見せて、話して、伝えることができないため、適切に言葉を選んで遠隔の人に伝えなければいけなません。
便利になるほど、言語化が重要視されると思っています。
普通が思考停止をうむ
最終的に他人軸で暮らしていくと、思考停止をもたらします。
「このA案とB案どっちがいいかな?」と聞いた際に
「A案が普通だし、他の会社もやっているからA案にしよう」という人がいるとします。
それって本当にA案でいいのかどうか疑わずに、自分が持っている「普通・周りと同じ・業界の当たり前」というバックグラウンドで決めてしまっている状態になっているのではないでしょうか。
それは完全に自分軸ではなくただ周りが作った流れにのっかてるだけの状態を意味しています。普通ということばはハイコンテクストの文化で成長した言葉だと思っています。しかし、成長と同時に大きな問題を抱えながら成長してしまったように思えます。
何も考えず「普通でいいやん」という言葉は非常に楽です。何も考えなくていいからです。心地いいと言ってもいいかもしれません。なぜなら疑わなくていいし、叱られることもなく、周りから評価されなくて済むからです。
ただ本当にそれでいいのか問い直した方がいい時代が今の時代だと感じています。
アンコンシャスバイアスという言葉が一昨年から話題になりましたが、普通という言葉はバイアスでしかないです。バイアスたっぷりの言葉として使われ初めており、進化を止める言葉になってきています。
常に常識=普通を疑い、さらによくなるためにはどうしたらいいかということを突き詰めてこそ進化があります。
どうすればいいのか?自分軸の決断こそ大事
とても抽象度が高くなりますが、解決方法は言語化と自分軸での決断だと感じています。
言語化:まずは普通という言葉を別の言葉にして言い換えて言語化する。ご飯を持ってもらう際は、「ご飯の器から2センチの円を描くように持って欲しい」というだけで言語化になります。
おそらく言われた定員に関しては殺意を覚えていると思われますが、そのようなところからスタートしてもいいかもしれません。
自分軸での決断:これは「私はこう思う」と伝え、すぐに決断することが決め手だと感じています。
例えばご飯を誘った際に「どこ食いにいく?」と聞かれたら、自分で決める。「もしくはここに行きたい」と意思を伝える。「焼き鳥かピザかどっちがいいかと聞かれたら、焼き鳥という」などほんの小さな決断でいいので、自ら主体的に決断することが重要です。またそんなに悩まずに直感で決めることも回数をこなせば質に転換していくため、おすすめです。
表題にも書いた通り、普通という言葉は心地いいです。何も思考しなくていいので。
ただそれでは進化はありません。
表題にも書いた通り、決断という言葉は苦しいものです。他人に任せられるので。
ただそれでは進化はありません。
進化することを強要している訳ではないですが、もしこの2つが両方とも当てはまるようであれば、1つを変えるだけでまた別の面白い世界が見えるかもしれません。
小さな積み重ねが、ロングテールに溜まっていくと様々な生き方ができるようになります。
私はそうなりたい。そんなことを感じていたので書いてみました。
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