資料[資料17(その2―前半)]―言説生成プログラム「物語ロボット/世界司令官・ハシモト君」によるパロディー文章の生成結果例(その2)

拙著『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争』(新曜社)の「資料17」に当たる。(分量が多いのでここでは7つに分けた。)

 橋下徹氏のツイッターから収集されたロシア・ウクライナ戦争関連文章中のキーワードを用いた、単語の組み合わせや深層学習に基づく言説生成システム。
「物語ロボット/世界司令官・ハシモト君」と名付ける。

 なぜ「物語ロボット」かというと、最終的にロボットが語るシステムを作っているためである。実際のロボットによる(ひたすらの・単調な)語りは別のところで公開する予定である。

 生成方式の説明は、以下で説明されている――

 小方孝 (2022). 現在日本の社会的言説の事例に基づく調査・分析・批評―「橋下徹」という現象を素材とする物語生成のポストナラトロジー研究―. 『日本認知科学会第39回大会発表論文集』. 622-631.
小方孝 (2022). 戦争と物語生成素人談義 ―“世界司令官・ハシモト君“もいる悲しい日本の、風景の向こうへ―.『人工知能学会第二種研究会 ことば工学研究会(第69回)資料』. 17-142. (2022.9.30(Fri.), 東京)

 なお、あくまで物真似型のパロディーであり、橋下氏の意見を忠実に再現することは目的としていない。

 

(2.1) キーワード量(少ない→多い)
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橋下によれば、今の協議は西側の個別首脳がプーチンに戦争中止を求めるだけであり、お互いの要求をテーブルに出す協議ではない。

ゼレンスキー大統領はプーチン大統領と交渉の用意があると言い、「失敗すれば第3次世界大戦」と言ったが、

橋下によれば、ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、ゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにたぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わない。

ウクライナの中立化の話は、戦争を起こさずとも、政治的にまとめる話であるべきである。

橋下によれば、ゼレンスキーはプーチンとの直接交渉に意欲を示し、失敗なら第三次大戦と言っている。

ロシアの暴挙は許されるべきではない。

橋下によれば、ゼレンスキー大統領はプーチン大統領と交渉の用意があると言い、「失敗すれば第3次世界大戦」と言った。

核保有国ロシアには喧嘩できず、ロシアと喧嘩ができないなら政治的妥結をはかるべきであり、強い相手に何もできないなら、人道だなんだと綺麗事を言うべきではない。

橋下によれば、ベラルーシに核兵器が配備されればなおさら協議の必要性は高まる。

この戦争は、結局、西側とロシアの政治的な安全保障の話であり、政治的妥結が行われるべきである。

橋下によれば、ロシアが経済的に崩壊し、民衆による政権転覆、軍事力クーデターが起きるまで、ウクライナ国民頑張れ!と声援を送るのは間違っている。

言えることは戦闘員は命をかけて戦っているので敬意を表するべきである。

橋下によれば、ロシアが国家崩壊するまで待ってウクライナの犠牲を拡大し、核兵器をめぐってチキンレースをするのは良くない。

この男性はマリウポリから一時退避所を経由してロシアの親戚の所に送られ、お金も支給されているとのことであり、全員がそうではないだろうし、選別されている可能性もあるが、しかし全員がシベリア送りではないので、だから確認が必要であり、(ウクライナの)一般市民は生き残るチャンスはわずかでも掴むべきである。

橋下によれば、ロシア非難とウクライナ支援だけでは不十分である。

(ウクライナの)一般市民の犠牲が拡大したなら(誰の?)政治的妥結を行うべきであり、そうならないように軍事力の強化が必要である。

橋下によれば、いかなる理由があってもロシアの暴挙は許されないが、今回の戦争はウクライナだけが主体ではない。

反ロシア派は粛清されるかもしれないが一般市民は助かる可能性があるので、ウクライナ政府は正確な情報を市民に伝える責任がある。

橋下によれば、これまでやってきたウクライナ支援はロシアに怒られない範囲でやってきた欺瞞であり、ウクライナを勝利に導くものではない。

(ウクライナ戦争では、)津波対策と同じ思考を取るべきであり、(ウクライナが)津波を防ぐ力がないのなら(ウクライナ人は)逃げるべきである。

ロシアとの戦争を避けるためにそれはしない。

(ウクライナ人は)自分たちの力を客観的に評価すべきであり、戦う一択をやめるべきである。

橋下によれば、西側は、自分たちは自国の経済に壊滅的なダメージが生じないように調整しながらの経済制裁を行っており、ウクライナをロシアを潰す最前線に送り出して、一般市民の犠牲が拡大している。

(ウクライナにおいて)敵を倒すのは戦闘員に任せるしかなく、一般国民はとにかく逃げることが基本であるべきである。

橋下によれば、キューバ危機ではソ連はトルコのソ連向けミサイルを撤去させた。

(ウクライナにおいて)一般国民に対しての戦争対応は究極の災害対応であるべきであり、有事法制の国民保護法も不十分だが災害対策の枠組みであるべきである。

橋下によれば、国際秩序を守れ!派の学者は、チェンバレンの宥和政策失敗の例だけを持ち出すが、政治的妥結で解決した例も山ほどある。

今回のロシア兵の残虐行為を徹底追及するためにも一般市民が戦闘行為をするなら戦闘員になるべきである。

橋下によれば、戦争終結妥結案確定のプロセスにおいて、被害レッドラインを定めることは、そこに達しないための防衛力強化の目標になる。

戦わない一般市民は退避すべきである。

橋下によれば、次はいつ国民投票するかが政治ポイントであり、これは一般国民の被害拡大レッドラインを定めることになり、これが戦争指導の重要ポイントである。

(ウクライナにおいて、)戦闘員の戦闘は重要だが、(ウクライナの)一般市民の犠牲が停戦交渉に有利になることはないので、戦う市民は戦闘員になるべきである。

橋下によれば、政治指導戦争指導において、戦地におらず死のリスクのない者は、建前論と勇ましい論のお花畑論に陥るが、これは平和を唱えれば平和になるというお花畑論と同じであり、戦地では建前論よりまず生きることだという市民も多い。

(一般に? ウクライナでは?)現代では、死ぬまで戦う、生きて虜囚の辱めを受けずという戦う一択の思考はダメであるべきである。

橋下によれば、戦争が始まると戦え一択の思考になってしまい、その他の主張は全く受け付けなくなる。

非戦闘(員)の国外避難を妨害する理由はないので、ロシアと協議して、赤十字組織などを使って、国外避難希望者を徹底避難させるべきである。

橋下によれば、維新代表時、平和安全法制論議のときに国会議員が戦場の最前線に赴く法案を作ろうとしたら当時の維新国会議員が猛反発してきた。

戦闘は戦闘員に頑張ってもらうしかなく、戦う一択ではなく、時が経てば状況が変わる可能性があると考えるべきである。

橋下によれば、国際政治学者篠田英明は、もう何を言っているか分からない。

戦闘は戦闘員と戦う市民に任せるほかなく、非戦闘員は逃げることが第一であるべきである。

テレビによれば、侵攻から3週間たち、ウクライナ代表団は「数日のうちに停戦実現を確信」と言っている。

(戦争においては、ウクライナにおいては、)兵士は国民を犠牲にするべきではなく、兵士が犠牲となり国民を救うべきである。

政治指導、戦争指導について言えば、戦地におらず死のリスクのない者は、建前論と勇ましい論のお花畑論に陥るが、これは平和を唱えれば平和になるというお花畑論と同じである。

一般市民を守り切れるところは(ウクライナの)戦闘員は決死の覚悟で守り切るべきである。

戦地では建前論よりまず生きることだという市民も多い。

兵士の目的は市民の命を守ることにあるべきである。

(ウクライナでは、)気付けば戦争指導者や政治家たちが生き残り、一般市民が犠牲になっている。

(ウクライナの)戦闘は一般市民を守るものであるべきである。

(ウクライナにおいて、)戦闘員でない一般市民にとって死が怖いのは当然である。

戦争では戦う一択ではなく市民保護、市民退避も超重要であり、行うべきである。

そこまでウクライナの戦闘が続くと、ウクライナの一般市民の犠牲は拡大する一方で、ロシアの犠牲は軍人止まりである。

戦闘は戦闘員と戦う市民に任せるべきであり、非戦闘員は逃げることが第一であるべきである。

(ウクライナでは)今でも国民の4分の1以上は避難しており、まだまだその数は増えるでしょう。

戦闘は戦闘員と戦う市民に任せるほかなく、非戦闘員は逃げることが第一であるべきである。

ウクライナ出身の政治学者アンドリー氏は、橋下氏との討論振り返り、「誤解のないように言っときますけど…」と新聞で述べている。

いったんアンドリーさんのように国外で様子を見る選択肢を多くのウクライナ人に与えるべきである。

今は外国で暮らすことも当たり前になった時代である。

プーチン政権瓦解が見通せないなら、ウクライナ人の国外避難も選択肢であるべきである。

プーチンの暴挙は許されないし、ウクライナの壮絶な歴史の理解も必要であり、独ソ戦の悲惨さの理解も必要であり、責任の所在については色々あるが、西側から攻め込まれる恐怖心は我々には想像もできない物凄いものがあるのだろう、と橋下は想像する。

ウクライナだけに犠牲を負わせるのではなく西側とロシアが協議するべきである。

仏独首脳がプーチン大統領と電話会談し、停戦要求したが、「難しいものだった」と述べたが、仏独首脳がやっているのは政治ではなく政治運動であり、政治運動は自分の言いたいことを言うだけ、今のプーチンに戦争を止めろ!と言うだけで停戦になるわけがない。

ウクライナ大統領は、18歳から60歳までの国外退去認めないのは違う、認めるべきであり、国民の選択を認めるべきである。

グローバルな時代どの国でも生きられるので、ウクライナは、ロシアが瓦解するまで待つ方法もある。

ウクライナが市民総動員でロシアと戦おうとする気持ちは理解できるが、しかし市民への攻撃を回避し、ロシアの戦争犯罪を追及するには戦闘員と非戦闘員の区分けは明確にすべきである。

ロシアはウクライナの占領が目的ではないと言っており、大規模避難を否定はできないでしょう。

ゼレンスキー・ウクライナ大統領は18歳から60歳までの男性の出国を禁止したが、逃げたい国民は徹底的に逃した上でその長期戦をやるべきである。

とにかくあらゆるオプションを考えるのが政治である。

ウクライナの国民は、むしろ他国で暮らした方がプラスになる場合もあり、国民の選択であるべきである。

政治指導者が、(国民が)逃げることも原則にしないと(国民は)逃げられないし、戦争とはこういうものである。

ウクライナが、祖国防衛のために命を落とす長期戦一択を行うのは、不合理であり、改めるべきである。

戦争(指導?)において、勇ましいことを言い続けると判断が鈍る。

ウクライナは、戦う者と避難する者をきっちり分けて、避難させるべき者はしっかり避難させるべきである。

戦争(指導?)において、冷厳な判断そして勝てないならいったん逃げることが重要である。

ウクライナ国民4000万人の避難は無理だと諦めてはいけない、諦めてるべきではない。

(ウクライナが? ロシアが?)いつ瓦解するかが分からない中で、ウクライナだけが戦うのでしょうか?、これは(橋下は?)疑問である。

(戦争は津波に喩えられ、)まずは津波の分析をすべきであり、土嚢で対応できるのか、しばらく持ち堪えれば何となるのか、ならないのかを判断するべきである。

(橋下は)戦闘員の戦いには敬意を表します。

ウクライナにおいては、前線に出ない者はとにかく避難すべきである。

今は外国で暮らすことも当たり前になった時代です。

ウクライナにおいては、(戦場の?)前方において、自分たちが食い止めなければ(戦場が?)後方に広がると言っても、後方に対応能力があれば任せればいいので、任せるべきである。

戦争が始まれば毎秒単位で戦うか、逃げるかの究極の判断が迫られます。

(戦争は津波に喩えられ)、(被害地域の?)後方の者からの支援はいつ来るのか?、津波はいつ消えるのか?、またどうしても土嚢対応が無理なら一旦避難して復興策を考えるべきである。

戦争が始まらないように徹底した防衛体制を築き、残念ながら戦争が始まった場合には戦うか、逃げるか究極の判断をしていく、これが現実の国家指導であるべきであり(、ゼレンスキー政権はこの点で劣っている)。

(戦争は津波と同じようなものであり、)前線の土嚢の決死隊の目的は、津波を消すことなのか、住民を避難させるためのしのぎなのか、明確にするべきである。

ゼレンスキーさんは必死です。

プーチン政権瓦解が見通せないなら(ウクライナ国民の)国外避難も選択肢であるべきである。

人道回廊は、停戦時間が過ぎれば(ロシアの)総攻撃です。

今の(ウクライナの)戦況、国際情勢を基に、真に戦いたい人には戦ってもらい敬意を表するが、でも逃げたい人にはナザレンコ(・アンドリー)さんと同じ生活を(ウクライナ国民に)与えるべきである。

確かにプーチンの暴挙は許せないが、しかしそうであれば我々自らプーチンを倒すか、経済制裁でが瓦解させなければならない(が、それは難しい)。

ナザレンコさん(に対して言いたいことですが)、戦っているウクライナの人には敬意を表しますが、戦争が始まってしまった以上、壮大な意義に熱くなるべきではない。

英米がウクライナ大統領の脱出準備を行っているが、ゼレンスキー大統領は脱出を拒否するものと確信している。

ナザレンコさん(に対して言いたいことですが)、(ナザレンコさんのように)戦争の壮大な意義に熱くなれば、結局(誰に?)利用されるだけになってしまうので、そう熱くなるべきではない。

戦争指導者は死ぬか妥結かの判断を迫られる立場でなければ冷厳な判断はできず、自分の命だけは必ず助かる可能性があると、勇ましさが優越し、非戦闘員の不合理な被害が拡大するが、そういう極限の立場が戦争指導者であり、命が助かる立場なら勇ましいことはいくらでも言える。

人道回廊が設置されるようですが、きちんと避難できるか。避難の仕組みが必要だった(作るべきだった)。

死ぬリスクのない者たちは建前論にこだわり勇ましいことを言う。

戦争が始まった以上、精神論の戦う一択ではダメである。

政治指導、戦争指導に関しては、戦地におらず死のリスクのない者は、建前論と勇ましい論のお花畑論に陥るが、これは平和を唱えれば平和になるというお花畑論と同じである。

(この戦争の目的は)ロシアを倒すためか、追っ払うためか、非戦闘を逃すためか、経済制裁でロシアが瓦解するまで時間を稼ぐためなのか、冷厳な判断を行うべきである。

(ウクライナの?)戦地では建前論よりまず生きることだという(ウクライナ?)市民も多い(と橋下は思う)。

(この戦争に関して、)祖国防衛!国際秩序維持!というお題は合理的判断を誤らせるので、唱えるべきではない。

ロシア軍の大半、キエフの25キロ圏内に到達、各地で「町が消滅」している。

ウクライナは、完全包囲される前に逃げたい人はどんどん逃がすことを、今のうちからやっておかなければならない。

戦闘が続けばウクライナ市民の犠牲が拡大する。

(ウクライナは?)住民避難に力を入れるべきである。

一番悪いのはプーチンであるが、しかしゼレンスキー大統領のこの戦争指導も最悪である。

ゼレンスキー大統領にその点(住民避難に力を入れるべきである)を伝えて欲しいという(誰の?不明)声を強烈に上げて自分たちの政治家を(誰が?不明)動かすべきである。

ゼレンスキーの(最悪の)戦争指導のように、戦う一択になるとこのような最悪の結果になってしまう。

本当に死を突きつけられた非戦闘員がどこまで譲歩するのか生き残りたいと思うのかを汲み取るのが政治指導であるべきである。

(ゼレンスキーやウクライナ政権に対して、)市民の犠牲で自分たちの政治的信念を貫くのは最悪であり、改めるべきである。

(ウクライナ国民は?)生きるためにオープン・ドア・ポリシーという建前論を後退させても恥ずかしいことでも何でもなく、(ウクライナ国民は?)生きて次に捲土重来するべきである。

(ウクライナにおいて、)今の時代にあっても(ゼレンスキーなどの)政治家が生き残って、兵士や一般市民が犠牲になる戦争指導が行われている。

ロシアとウクライナの交渉は、プーチンを引きずり出してのトップ同士の交渉を行うべきである。

(ゼレンスキーやウクライナ政府が行っているような)戦う一択の戦争指導は、政治家が自分の命と引き換えに市民の命を守るという思考にならなくなるので、最悪である。

いざ戦争が始まったら日々相手の要求を把握するべきである。

ウクライナにおいて国民投票がきちんとできるかどうかは重要である。

虐殺されないために戦え!という精神論ではなく政治の力で解決すべきである。

今回の戦争の本質はヨーロッパにおけるウクライナの政治的立ち位置の問題である。

ウクライナ政府は、マウリポリ市民とゼレンスキー政権幹部や国会議員とを入れ替える交渉をするべきである。

この(ロシアによる?)恐怖心を戦闘によって払拭するなら、一般市民の被害がどれだけ出ても(ゼレンスキー、ウクライナは)戦い続けるしかなくなる。

(ゼレンスキーやウクライナ政権に対して、)戦争指導者や政治家が自らの信念を貫くなら自分たちの命を賭けるべきである。

(ゼレンスキーは)紛争の原因を的確に捉えなければ解決策を誤り一般市民の犠牲だけが拡大する。

マリウポリの状況では、一般市民が死ぬよりもまずは政治家たちが死ぬのが先であるべきである。

現代(のウクライナ)は中世や第二次世界大戦時とは異なり、戦争映画の世界とも異なる。

マウリポリマリウポリについては、戦争指導者・政治家たち(ゼレンスキーやウクライナ政府)に確固たる政治的信念がありそれを貫くのなら、市民の犠牲と引き換えにまずは自分たちの命を賭けるべきである。

ウクライナもミンスク合意の履行に力を尽くすべきだったのであり、ロシアの軍事侵攻が一番悪い(と、本当はそんなこと思ってやしないが、一応言っておかないとうるさいので取り敢えずお決まりパターンとして言っておくが)が政治で回避できた話でありそれをしなかったウクライナやゼレンスキーが悪い。

ロシアとの戦争終結案、として、国民投票で決定する必要があるとゼレンスキー大統領は言っているが、その通りである。

(ウクライナ、ゼレンスキーが行っているように)戦う一択だと一般市民を犠牲にしない戦争指導ができなくなる。

戦争が進み一般国民の被害が拡大すればするほど、命が守られている戦争指導者・政治家・その手の専門家・学者たちと、死の恐怖に晒されている一般国民の感覚・認識はどんどん乖離するが、戦争終結の政治的妥結においてはこの乖離を埋めることが最重要ポイントであり、戦争指導者・学者たちに国民の生死すべての決定権を委ねるわけにはいかない。

あなた(篠田英朗)がどのように理解するのかは自由だが、ゼレンスキー大統領自身がロシアの独立系インタビューで「ウクライナの中立化が最重要ポイントで、ロシアはそれを第一に考え、それが戦争の原因だった」と答えているのを知ってる?

ウクライナにおいては、加えて逃げたい自由も完全に保障する必要がある。

(ウクライナの)中立化が最大の争点で、ロシアがそこに一番こだわり、これが戦争の原因だとゼレンスキー大統領自身が、ロシア独立系メディアのインタビューで答えている。

18歳から60歳男子の国外退避禁止、召集令状、不十分な訓練のままで戦地に強制的に送り出すなどの戦争指導は言語道断であり、ゼレンスキーやウクライナ政府は改めるべきである。

戦争指導の第一は一般国民の退避・安全の確保であるが、ゼレンスキー大統領はそれができていたかと言えばできていなかった。

ウクライナにおいて、次はいつ国民投票するかが政治ポイントになり、これは一般国民の被害拡大レッドラインを定めることと関連し、これが戦争指導の重要ポイントである(べきである)。

(ウクライナでは、)実際、4分の1もの市民が侵攻開始直後に避難したそうであり、(ウクライナ政府、ゼレンスキー)戦争指導者の号令のかけ方次第です。

ウクライナにおいて一般国民の被害拡大レッドラインを越えれば妥結案と国民投票を行うべきである。

今回(ゼレンスキーは)東部地域に緊急避難の呼び掛けをしましたが、2月24日直前後に(ゼレンスキーは)このような戦争指導を徹底すべきであった。

戦争は時間が経つにつれて死者が増え、その死を無駄にさせないためにも徹底抗戦が必要だ!という声が強くなり妥結が困難になるがゆえに先を見通した強力かつ冷厳な戦争指導が必要となる。

今、東部地域では避難呼び掛けが始まっており、(ウクライナ国家の)戦闘目的は一般市民を退避させるための戦闘になるべきである。

東部地域の問題はあるが、それは国民投票で決めるべきである。

(ゼレンスキーは)武器を置いて国民の命を守ることも選択するべきである。

戦闘によって終結を目指すのか、政治によって終結を目指すのかを、(ゼレンスキー・ウクライナは明瞭にするべきである)。

(一般)ロシア軍が非難されるべきなのは当然であるが、ただし(ウクライナの)戦争指導部はまずは一般市民の退避を考えるべきである。

反ロシア派は粛清されるかもしれないが一般市民は助かる可能性があるので、ウクライナ政府は正確な情報を市民に伝える責任がある。

ゼレンスキー大統領のマリウポリの戦闘終了の判断は戦闘員の今後の身柄のことを考えれば苦渋の決断だった考えられる。

(ウクライナ政府は)沖縄戦時、捕虜や投降すれば辱めを受けるとして自死した沖縄県民のような悲劇を繰り返してはならない。

有事のときには学級委員的政治は役に立たない。

(ウクライナは、)16歳から18歳の男性も国外退避を認めるべきである。

戦争する覚悟もない罵倒は学級委員的悪口である。

(ウクライナは、)国外退避する女性子供を男性に守ってもらう必要もあり、それは満州引き揚げ時も女性子供だけの避難は厳しかったからである。

正義ばかり唱えていたら政治はできない。

中立化の話は純粋な政治マターなので国民投票は不要であるべきであり、ここはゼレンスキー大統領が腹を括って全ての責任と批判を受けるべきである。

ナザレンコさんの周囲で威勢のいいことを言っている人たちの中で、ウクライナに行く人はまずいないでしょう。

東部の領土問題も本来は(ゼレンスキー)大統領が腹を括るべきところであり、国民投票を頼っても仕方がない。

人道回廊が設置されるようですが、きちんと避難できるか、避難の仕組みを作るべきだったのである。

(ウクライナ戦争は、)一般市民がここまで死ぬ話ではな(く、ゼレンスキーは失政の反省をすべきである)。

もちろん文民統制がマストであるが、祖国防衛、国際秩序維持と言う精神論だけでなく、逃げたい人をどう逃がすかの思考が必要で、戦う一択は危険である。

(ゼレンスキーにとって)一番重要なのはロシアの再侵攻を防ぐ方策であるべきであり、ブタペスト覚書のようになってはいけない。

ナチスドイツに融和しなかったチャーチルの例を学者たちはよく持ち出すが、チャーチル・英国民は自ら戦った。

(ウクライナ戦争は、)ウクライナの自由・尊厳を守る戦争、ロシアによる虐殺を防ぐ戦争と位置付けると戦う一択になり一般市民の犠牲已むなしとなる(ので、そうすべきではない)。

ウクライナに支援している武器は、形勢逆転の決定打になり得ないように調整しているが、そんな武器を供与すれば飛行禁止区域の設定と同じくロシアとの戦争になってしまうからです。

もちろん政治的妥結までは国民の命を守るための戦闘は必要だが、今の(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦争指導はそうなっていないので、そうすべきである。

ブリンケン国務長官はモルドバで支援する!の連呼であるが、この欺瞞は酷い。

本来なら市長も逃げ出したマリウポリ市民を守るために(ウクライナ、ゼレンスキーは)軍事力の全エネルギーを投入すべきである。

プーチンが次にモルドバに侵攻してもおそらくウクライナと同じことをするのでしょう。

崇高な理念を掲げ戦うことが自己目的化する(ゼレンスキー、ウクライナの)戦争指導は危険であり、やめるべきである。

プーチン大統領が政治的な切り札とするのは、大量破壊兵器が存在しなかったのにイラク政権を武力で転覆させたイラク戦争である。

(ウクライナ、ゼレンスキーにとって)あくまでも戦闘・戦争指導は国民の命を守るためのものである(べきである)。

ウクライナ東部の独立の話でも(ロシアは)コソボ独立の話を持ち出してくるだろう。

(ウクライナ、ゼレンスキーの)崇高な理念を掲げての戦う一択、一般市民の犠牲已むなし論は戦争の現実を無視したお超お花畑論であり、やめるべきである。

西側・アメリカによるこんな建前政治は、解決能力なしであり、ほんまアカンものである。

軍事力の均衡と政治的メンツの均衡が一般市民の犠牲を回避できるのです(から、ゼレンスキーのウクライナもそうすべきである)。

きれいごとばかり並べず、相手のメンツも立てて引き込むのが政治である。

戦争前は軍事力の強化が必要であるが、しかし武力衝突が生じたら崇高な理念を掲げての戦う一択の戦争指導は絶対にダメであり、ウクライナ・ゼレンスキーは間違っているので、やめるべきである。

政治家になればこんな(拒否権2票持っている中露を相手にするような)状況はしょっちゅうあり、そのときに議論で解決するなんてあり得ず、議論と政治は別物である。

国防の基本は国民の生命を守ることであり、それができていなければ戦争指導・国防はおかしいと評価しなければならず(、ウクライナ、ゼレンスキーの戦争指導は間違っており、)(ウクライナ、ゼレンスキーは)一般国民の生命をいかに守るかに集中すべきである。

安保理であろうがなんであろうがその実効性を徹底的に考えるのが政治である。

(ウクライナ、ゼレンスキーは)紛争原因を的確に把握して、戦闘で解決するものなのか、政治で解決するものなのか見極めることも重要である。

政治は厳しい優先順位を付けるもので、さらにやった感を出すだけの制裁は百害あって一理なしであって、(米国のように、)あれもこれも理想を掲げて結局何一つ実現しない政治は最悪であり、オバマ政権のときのシリア対応がそれであり、アサドダメ、ISダメ、ロシアダメで何も実現できなかった。

(ゼレンスキーやウクライナの)戦え一択や、交渉を有利にするための戦闘なんて現代社会では最悪であり、(ゼレンスキー、ウクライナはただちにやめるべきである)。

米国や西側は世界大戦にならないギリギリの範囲内で(ウクライナを)戦わせている。

崇高な理念を掲げての戦え一択の戦争指導(をウクライナ、ゼレンスキーは行うべきではない、やめるべきである)。

マリウポリ市長は早々と脱出に成功しています。

(戦争においては、またゼレンスキーやウクライナは)相手に負けはしないが、ギリギリの均衡を保つ政治を行うべきである。

アメリカは核戦争ギリギリまで迫ってキューバの核兵器を取り下げさせた。

(ウクライナ、ゼレンスキーは)戦闘に熱くなる戦う一択の戦争指導はダメであり、やめるべきである。

敵対勢力に自国の近隣にミサイルを置かれることを必至に止めるのが大国の安全保障観である。

(ゼレンスキー、ウクライナは)ロシアをやっつけるのか、相互譲歩を入れ込んだ政治的妥結か二択であるべきである。

キューバ危機ではソ連はトルコのソ連向けミサイルを撤去させた。

妥結が嫌なら(誰が? ウクライナが?)世界大戦覚悟の戦闘を行うべきである。

戦後秩序とはきれいごとではない。

ロシアとウクライナの交渉は、2国間のところから欧州全体の安全保障の枠組みに引き上げるべきである。

アメリカとロシアの協議で条件闘争の中身が明らかになれば、どこで折り合いをつけるべきか見えてくる可能性がある。

(ゼレンスキー大統領は)戦うことだけに熱くなるべきではない。

(ウクライナ人)4000万人避難は現実的ではないし、祖国を守ることも大切であるが、しかし戦況と見通しの分析なく戦う一択というのは間違いであり、それは太平洋戦争の経験で明らかである。

(ゼレンスキー大統領は)とにかく一刻でも早く一般市民が逃げる仕組みをとるべきである。

西側では、今はプーチンを倒せ!の声ばかりが上がっている。

(ウクライナにおいては、)戦う一択の思考はダメなのであり、やめるべきであったし、今もやめるべきである。

西側では、いったいいつまでウクライナは抵抗すればいいのか言わないままである。

(ウクライナは)戦争が始まりそうなら、冷静に自分たちの力を評価して判断していくべきであった。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちが、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないだろう。

(ウクライナは)確実に勝てないなら一般市民は逃げて政治的には(誰が? 何を?)妥結するべきである。

プーチンは、ウクライナから東部とクリミアを独立させることは西側がやったことと同じことをやっていると主張している。

(ウクライナでは)一般市民も戦うことが素晴らしい、逃げることは恥という感情を持つと判断を誤るので、(ゼレンスキーはそういう指導をやめるべきである)。

国際秩序を守れ!派の学者は、チェンバレンの宥和政策失敗の例だけを持ち出すが、政治的妥結で解決した例も山ほどある。

(ウクライナ政府にとって)まず冷静な軍事力分析が重要で守りきれない地域(の住民)は避難させるべきである。

今回の戦争においては、政治家の総合的な政治判断が問われる。

全員避難は無理でも(ウクライナ政府が)避難に全力をあげる国家対応をするかどうかが重要である。

これから我々はますますウクライナの犠牲のもとに国際秩序を守ることになる。

(ウクライナにおいてゼレンスキーは)退避すべき地域、退避しなくてもいい地域を即座に区分けして、退避すべき地域は全力で退避すべきである。

戦争が始まってしまった以上、戦争を止めるには、①相手を降伏させる(一時撤退を含む)、②こちらが降伏する、③政治的に妥結する、の3点しかないと思います。

(ゼレンスキーは)全国一斉全員退避は無理だからそこは優先順位付けを行うべきであり、退避地域でも弱者を中心に優先順位を付けるべきである。

政治指導、戦争指導に関しては、戦地におらず死のリスクのない者は、建前論と勇ましい論のお花畑論に陥り、それは平和を唱えれば平和になるというお花畑論と同じである。

(ウクライナの)全員退避は無理に決まっており、何事100%を目指すのは愚かであるが、でも少しでも退避できる市民を増やすことに(ウクライナが)国家として全力をあげるかどうかがこの議論のポイントであるべきである。

戦地では建前論よりまず生きることだという市民も多い。

もちろんロシアの蛮行が一番悪いが、でもロシアを潰すなら(ウクライナは)それだけの軍事力を持たなければならず、それがないなら一般国民の退避も念頭に置くべきである。

戦争が始まると戦え一択の思考になってしまい、その他の主張は全く受け付けなくなる、典型的な発言がある。

(ウクライナにおいて)全市民一致団結して抵抗せよ!の戦争指導は極めて危険なので(ウクライナ政府は)やめるべきであり、実際の戦争では非戦闘員がほんと悲惨になる。

今も毎日ウクライナ人の命が奪われている。

軍事・戦況分析で重要なことは一般市民をどう退避させるかかという視点も持つことであるべきである。

今はプーチンを倒せ!の声ばかりです。

確かに全員が避難指示に従うわけではありませんが、(ゼレンスキーは)しかし避難指示を真っ先に出すべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

(ウクライナにおいては、)市民を生き残らせることも戦争指導の重要な柱であるべきである。

今回の戦争に裁判官はいない。

(ウクライナにおいては、)全市民による抵抗・戦闘ではなく、戦う者で戦う、退避したい者は退避させる、という戦争指導が行われるべきである。

文書(ブダペスト覚書)のことをいくら言っても誰も強制的な決定は下せない。

(ウクライナにおいては、)戦う一択はダメであり行うべきではない。

国際紛争は立場の違いでそれぞれが理を主張する。

(ウクライナにおいては、)生き残りたい・退避したい者を犠牲にして停戦交渉を有利にする戦争指導なんてあり得るべきではない。

裁判官がいない中で言い合っても何も解決しない。

(一般に、またウクライナにおける)戦争指導とは、戦いたい者が命をかけて戦う環境を整え、生き残りたい者を全力で生き残らせるべきものである。

プーチンの核使用の命令にはロシア軍は従わないという確約が取れていることを(橋本徹は)願う。

(一般に、またウクライナにおいては、)戦闘員の犠牲の下で有利な停戦になれば戦闘員には(誰が?)最大の敬意を表し、しかし生き残りたい一般市民の犠牲が拡大すれば戦闘以外の終結を模索するべきものである。

戦争を止めるには相手を倒すか妥結しかない。

(ゼレンスキーは)自国の力、敵国の力を分析しながら、一般市民の避難を重視すべきである。

太平洋戦争を止めるには正義は別として譲歩・妥結しかなかった

(ゼレンスキーは)全市民で抵抗するのではなく、戦う者が戦い、生き延びたい者は退避させるべきである。

専門家は自分の領域を万能だと思い込んでしまい、コロナがその典型である。

(ゼレンスキーは)戦う一択ではない戦争指導を行うべきである。

法が力を発揮するのは執行機関があるか、それがなければ法を守るという関係者の善意があってのことである。

(ゼレンスキーは)危険地域の退避指導を行うべきである。

政治の現実を見ず実体法だけを研究していると勘違いしてしまう。

(ゼレンスキーは)全市民による抵抗、戦う一択ではなく、自国敵国の力を冷静に分析した上で一般市民の退避を第一とする戦争指導を行うべきである。

今のプーチンに国際法をかざしても軍事力は止まらない。

不幸にして抑止力が効かず戦争が始まれば(ウクライナは)冷静に自国敵国の力を分析し、一般市民の犠牲を考慮せざるを得ないのは、今は(ウクライナは)軍事同盟には入っておらず、西側は血を流さないからである。

ウクライナ戦争におけるウクライナ・ゼレンスキーのような指導があったら、俺(橋本徹)は子供たちにロシアが瓦解するまで国外で暮らすべきであると言う。

(ウクライナにおいて、)戦争が始まった後は、戦う意思のある者で戦っていくことが大原則であり、武器を持たない一般市民は逃げることが大原則であり、(政府はそのようにすべきである)。

ウクライナ・ゼレンスキーが指導しているこんな長期戦に合理性はなく、政治家(ゼレンスキー)の命令でこんな長期戦なんかやらされたらたまったものじゃない。

停戦交渉を有利不利にするには、一般市民の犠牲を伴わず、戦闘員の戦闘によって頑張っていただくべきであり、(ウクライナ政府はそのような指導をすべきである)。

(篠田英明のように)国際法の研究だけをやっていたらこの長期戦の不合理さに気付かないんだろう。

(ゼレンスキー、ウクライナ(政府)は、)戦闘目的を国民の命を守ることであるべきであり、それ以外に置くべきではない。

売国奴批判なんかどうでもいいね。

(ウクライナ政府は)戦う戦闘員の視点だけでなく悲惨な一般市民の視点も(見ることが)重要である。

生きていれば道が拓ける場合がある。

(ウクライナ政府は、)戦う一択ではなく政治的妥結を模索するべきである。

グローバルな時代どの国でも生きられる。

(ゼレンスキーは)ロシア軍を追い払うことが理想論的には優先順位第一ですが、戦争が始まった後の現実の国家運営としては一般市民の犠牲を考慮するべきである。

ロシアが瓦解するまで待つ方法もある。

(ゼレンスキーにとって、)ウクライナの軍事力によって一般市民の犠牲がほとんどなくロシア軍を追っ払えるのならそれが第一であるが、しかしそうもいかず一般市民の犠牲が大きくなりそうなら一般市民の退避にも力を入れるべきである。

いつの時代も、自分は命を賭けて戦わないのに、命を賭けて戦うしかないと言う者多数である。

(ゼレンスキーは)戦争が始まると戦う一択ではなく、自国敵国の力の分析を基に戦争指導をしなければならない。

(ウクライナ人の)4000万人避難は現実的ではないし、祖国を守ることも大切であるが、しかし戦況と見通しの分析なく戦う一択というのは間違っており、太平洋戦争の経験で明らかである。

(ゼレンスキーは)戦闘すればするほど一般市民の犠牲が拡大するなら戦闘以外の終結策を模索するべきである。

ロシアへの経済制裁が効けばロシアは瓦解するがそれは本当にあるのかわからない。

(ゼレンスキーは)一般市民の犠牲をもって停戦交渉を有利にするという戦争指導は絶対にあってはならない。

生き延びる世代を増やすのも政治です。

(ゼレンスキーは)戦闘員の犠牲で(何が?)有利になれば、(戦闘員に?)最大の感謝と敬意を払うべきである。

(ウクライナ戦争における特にロシアは)時間をかければ状況が変わる可能性がある。

戦争指導者(ゼレンスキー)が戦う選択をするのであれば、まずは市民の退避について全力を尽くした上で行うべきであり、政治家と市民を入れ替えるなど市民退避の条件交渉に(ゼレンスキーは)全力を尽くすべきであり、命が守られている政治家たちの戦う一択の戦争指導は、市民犠牲を益々拡大する危険がある。

ロシアは民間人攻撃を否定しているので、非戦闘員の国外避難は拒否できないはずである。

(ゼレンスキーは)政治家と市民を入れ替える交渉など最後の最後まで手を尽くすべきである。

いつロシアを瓦解することができるか明確に言えないのにプーチン政権を倒すまで戦え!と戦地以外から叫ぶのは、憲法9条があれば世界平和になる!と叫ぶのと同類です。

国家の軍事力は国民を守ることが第一目的であり、(ゼレンスキーは)最後まで戦うことが第一目的であるべきではない。

多くの者が勘違いしたのは、安全保障の枠組みがなかった時代の旧ソ連の蛮行などを引っ張り出して、ウクライナは戦うしかない!!の(戦う)一択となったことである。

場合によっては政治家や戦闘員の命を差し出してでも一般市民を退避させる交渉をすることが戦争指導者(ゼレンスキー)の使命であるべきである。

ロシア軍のウクライナ侵攻においては、もう政治的妥結の局面である。

ゼレンスキー政権も最後まで戦うと言う前に自分たちと包囲されている市民との交換交渉を行うべきである。

戦争前の防衛力強化を嫌うお花畑論と、戦争後一般市民の死の恐怖・戦地の惨状を度外視した戦闘一択も同じお花畑論である。

戦争は結局戦争指導者の政治家・官僚たちが生き残り、一般市民と兵士が死んでいくが、まずは(ゼレンスキーなど)政治家たちから死んでいくべきである。

戦地の恐怖・悲惨さをリアルに捉えずに次世代のために命を犠牲にすることを礼賛することは、平和を唱えれば平和になるというお花畑論と同じである。

(ゼレンスキーなど)国家の政治指導者たちが最後まで戦う選択をするなら、まずは自分たちが戦うべきである。

今の停戦協議の論点では、ウクライナの自由と民主が全てなくなる話ではない。

ゼレンスキー政権は最後まで戦うと言うなら、自分たちと包囲されている市民の交換交渉を行うべきである。

(今の停戦協議では、)ヨーロッパにおけるウクライナの立ち位置・安全保障と東部地域の割譲が論点である。

いつの時代も政治家は安全地帯にとどまり、市民と兵士のみが死んでいくが、先に死ぬべきは(ゼレンスキーなど)政治家だ。

学級委員的なメンバーは小難しことを並べるが解決策は決められない。

(ゼレンスキーは)今は何が正解か分からない究極の判断を行うべきであり、闇雲に最後まで戦うのではなく、一般市民を一人でも救う方法はないのかを最後の最後まで考えるのが(ゼレンスキーの)良い戦争指導であるべきである。

俺はウクライナに行く勇気はない。

(マリウポリにおいては、)市民を犠牲にすることを当然のこととして戦闘員が死を遂げるのは間違っており、戦闘は市民を守るためのものであるべきである(とウクライナ政府は考えるべきである)。

プーチン大統領が政治的な切り札とするのは、大量破壊兵器が存在しなかったのにイラク政権を武力で転覆させたイラク戦争だが、これを安全保障理事会の議論で解決するというのが学者の感覚なのだとすれば、その道の学者にとっては安保理は凄い存在なんだろう。

(ウクライナにおける、ゼレンスキーの)戦争指導は戦況も踏まえることが必要であるべきであり、一般市民の犠牲を当然のこととして単純に最後まで戦うというのは間違っているのでやめるべきである。

国際秩序のところは色々な意見があると思います。

(ゼレンスキーが)徹底抗戦するなら、一般市民の犠牲が出ないように最大限に努力を尽くすべきである。

戦う一択の考えのリスク。

マリウポリの製鉄所、状況は「危機的」、指揮官が第三国による救出要請

いったん逃げるのは恥ではない。(誰が?)

政治家と一般市民の交換も有力な(ウクライナとロシアの?)交渉材料であるべきである。

戦う一択ではない。

一滴も血を流さない者が、祖国のために、国際秩序維持のために、将来の虐殺の恐れを防ぐために、人間の尊厳のために、とにかく戦うべきだ!というのは戦争、死の恐怖・悲惨さを知らない平和ボケ論であり、このような救出要請に至らないように一般市民の犠牲を防ぐことを第一とする戦争指導を(ゼレンスキーは)徹底すべきだ。

正義ばかりを唱えていては政治はできないし、最後は戦争を生んでしまいます。

一般市民の恐怖をリアルに前提とした戦争指導、すなわち一般市民の犠牲を考慮した戦争指導を(ゼレンスキーは)行うべきである。

威勢のいい人たちに限って自分は血を流しません

(ゼレンスキーは?)避難路の専守防衛でロシアと交渉すべきである。

僕はこれまで数々の現場を見て、政治家や専門家も含めて、危機管理する立場の者と接してきましたが、言えることは普段威勢のいいことを言っている人は、いざというときに真っ先に逃げます。

援軍が来てマリウポリ市民を救出する戦略が進んでいるならその間徹底抗戦すべきなんだろうけど、そのような戦略が進んでおらずに一般市民を道連れにするようなことだけは(ゼレンスキーは)絶対に避けるべきである。

普段、やばいときには逃げることを考えている人は、いざというときに他人を逃すために自らの命を犠牲にします。

(ゼレンスキーは)戦う一択の安保議論・戦争指導は駄目であり、やめるべきである。

ナザレンコさんの周囲で威勢のいいことを言っている人たちの中で、ウクライナに行く人はまずいないでしょう。

(ゼレンスキーは?)武器を持って最後まで抵抗できる兵士の命だけでなく、一般市民の命も最優先に考えるべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにたぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

(一般に? ウクライナでは?)戦闘は、国民の命を守るために、軍事的合理性を基礎に行うべきであり、(ゼレンスキーのような)精神論だけでは一般市民の犠牲が拡大するだけであるので、それはやめるべきである。

勇ましいことを叫ぶ勢力に乗っかる政治は、政治的メンツの均衡を崩す危険性が大きい。

(ウクライナにおける)戦争指導においては、戦う一択の思考ではなく、退避、局所的な投降判断も必要になる。

やっぱり本の中だけの学者の思考は、生身の人間というものを度外視している。

(一般に? ウクライナでは?)戦闘は軍事的合理性の中で徹底的に行うべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちが、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視する。

マリウポリの戦闘員には敬意を表するが、(ゼレンスキーらの)戦争指導に対して何も意見を出さない方がおかしく、あくまでも一般市民の犠牲に着目する立場からも意見を出すべきである。

チャーチルは自らの責任で戦い、チェンバレンは自らの責任で宥和し、結果について自らが全責任を負ったが、これが政治家というもので、だからチェンバレンはいまだに批判されている。

(一般的に? ウクライナにおいて?)非戦闘員を含む全市民による抵抗の呼び掛けが適切なのか、非戦闘員の避難はどうあるべきか、総動員令や男性の国外退避禁止は適切なのか、局所的に戦闘を終了させることで一般市民を救うことができる場合にどのタイミングで戦闘を終了させるのか、(一般に? ウクライナの?)戦争指導のあり方に関して、(誰が?)多くのことを議論すべきである。

今回の西側の対応は、自らの利益を守るために他人に戦わせており、究極の卑怯である。

(ゼレンスキーは)戦闘の第一目的は一般市民を守ることという戦争指導が徹底するべきである。

自分は命をかけず、敗戦についての責任も負わないことを評価するとはいかにも学者らしい。

(ゼレンスキーは)一般市民を犠牲にして継戦したり、一般市民を置き去りにして撤退したりと軍中心の行動になってしまうことを避けるべきである。

(自らの利益を守るために他人に戦わせている)この西側のやり方は、後世、究極の卑怯の例として語り継がれるだろう。

(ゼレンスキーは)軍・兵士を守るための撤退ではなく、一般市民を守るための撤退という思想を改めて持つべきである。

特に命の安全が保障されている学者は、いざ戦争が始まってしまうと、論理的な思考ができなくなる典型である。

(ウクライナの)国家指導者・政治家は圧勝できる喧嘩しかするべきではない。

特に命の安全が保障されている学者は、戦争が始まると戦え一択の思考になってしまい、その他の主張は全く受け付けなくなる典型である。

(ウクライナの)国家指導者・政治家はいざというときに勝てるように防衛力を強化すべきである。

ゼレンスキー英議会演説の肝は「飛行禁止区域設定」の訴えであり、悲惨な多くの死を生み、目の前に死が迫っている者たちの切実な訴えである。

(ウクライナの)今は確実に勝てないというなら、政治家たちは恥をかき、国民から非難を受けながらも、ひとまず戦争を回避すべきである。

学者は、相手が何を望んでいるのかを読み取らず、相手が怒っていることにもスルーする、という芸当をする。

(ゼレンスキーは)一般市民の避難を最優先にするべきである。

学者は、単に演説の表現・修辞だけを高評価して、実際はウクライナだけに犠牲を負わしていることに気づかないか自分たちの真の責任から逃げる、という芸当をする。

リシチャンスク住民に即時避難呼びかけ、ロシア砲撃で壊滅的被害

学者は、拍手喝采を送ることで自分たちの責任を覆い隠す、という芸当をする。

(西側が?、)ウクライナの安全を保障するための協議ができるか不安であり、西側の政治家は?)もっと政治家になるべきである。

支援とは相手が真に必要なものを供与することであるが、今西側がウクライナにやっていることは、ウクライナが真に求めるものは拒否し、西側がロシアと戦争にならない範囲でやっているだけであり、これは自己満足であるが、この学者はこれに気付かない。

今の戦況、国際情勢を基に、真に戦いたい人には戦ってもらい敬意を表し、でも逃げたい人にはナザレンコさんと同じ生活を与えるべきであり、そのためには戦う一択ではダメなのであり、逃げてもいいんだよという強烈なメッセージを出すべきである。

西側は自分たちの責任が浮き彫りにならないように支援したフリだけをしているが、この学者は気付かない。

戦争が始まれば究極の災害として対応するべきである。

この手の学者の共通点は、ウクライナ・ロシア戦争の戦況をゲーム画面を観る感覚で見ていることである。

ロシアのウクライナ侵攻で、本来は、この(ロシアとの?)交渉はバイデン大統領が前面に出てやるべき話である。

(この手の学者連中は、)ゼレンスキー演説を、演劇でも見ているつもりかである。

とにかくアメリカとロシアとが協議を行うべきであり、そこで条件闘争の中身が明らかになれば、どこで折り合いをつけるべきか見えてくる可能性がある。

ひとたび戦争になってしまうと、戦争指導者層の感覚と、悲惨な戦地で死に逃げ惑う非戦闘員の感覚がいかにずれるかがよく分かる。

「ロシアと事を構えるつもりない」と米国務長官と言い、ウクライナ要求「飛行禁止空域を」を拒否したが、それであれば、ウクライナの負担ができる限り少なくなるように(アメリカは)ロシアと協議・妥結すべきである。

最大の政治的ポイントはハムレット的な世界に浸ることではない。

米国務長官は、ウクライナ外相と国境で会談し、「全世界は共にある」と語ったが、国際秩序を守るためにウクライナを犠牲にするとはっきり言うべきである。

この国際政治学の専門家は、映画の見過ぎか本の読み過ぎであり、学者の陥る結果を見てからの政治評価の典型である。

(ウクライナ戦争は、)ロシアを倒すためか、追っ払うためか、非戦闘を逃すためか、経済制裁でロシアが瓦解するまで時間を稼ぐためなのか、冷厳な判断を行うべきである。

政治家は結果が分からない中で判断しなければならない役割で、ここが学者との決定的な違いである。

祖国防衛!国際秩序維持!というお題は合理的判断を誤らせるので、すべきではない。

チャーチル的な戦時演説が学者によく評価されるのは勝利したからであり、負けていたらどんな評価になっていたか分からない。

西側はロシアとは戦えないがゆえにウクライナに戦わせているが、チェンバレンよりもはるかに愚であり、自分が戦えないなら(ロシアとの)政治的な妥結を探るべきである。

これ(ウクライナ戦争)を安全保障理事会の議論で解決するというのが学者の感覚なのだとしたら、その道の学者にとっては安保理は凄い存在なんだろう。

攻撃兵器供与なら「第3次大戦」と米大統領は与党会合で警告したが、ロシアと戦えないなら、とりあえず政治的妥結を探るべきである。

ウクライナ戦争では、あとは国民投票がきちんとできるかどうかが重要である。

米大統領バイデンは、原理原則・道徳・正義を吐き続ける学者みたいな政治をやっているが、それでどうするのか、極悪非道人(ロシア、プーチン?)とも手打ちをするのが政治であり、バイデンは極悪非道人ロシア・プーチンとの手打ちをするべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視するだろう。

アメリカ・バイデンが政治をするなら、プーチンに切り返されないような政治ロジックの組み立てと準備を行うべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

プーチンの暴挙は許されないが、しかし西側の視点でプーチンを一方的に非難しても、政治的に反論されるだけであり、政治的に追い込むなら、こちら(アメリカ側)の弱点についてもきちんと対応しておくべきであり、それが政治である。

戦地では死の恐怖が目の前に晒され、苦痛にうめいている非戦闘員のウクライナ人がたくさんいる。

米大統領は、相手との関係を完全に断って叩き潰す覚悟のあるときにのみ罵倒すべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちが、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視するだろう。

米大統領は、ロシアと戦争をすることはできないし、最後はウクライナの安全を保障するために、ロシアは協議せざるを得ず、そうするべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

米大統領や西側は、ロシアに対して、本気の制裁ができないなら、懐柔策を講じるしかなく、そうすべきである。

専門家の誰もプーチンの真の要求を知るわけがない。

米大統領や西側は、懐柔策が嫌なら本気の制裁を行うべきであり、中途半端な制裁ほど意味のないものはなく、やった感を出すだけである。

戦争指導者層はいつでも亡命できる体制を組まれているが、そんな中、毎日、非戦闘員が死に、死の恐怖に晒され、負傷の苦しみに呻いており、こんなときに(篠田英明は)文芸評論をして悦に入ってどうすんの?

バイデン大統領はプーチンを批判しているが、ここまでの言葉を強く発するんであれば政治的介入で停戦協議を行うべきである。

現に今は逃げることやウクライナの安全保障の在り方も戦争指導の主要なテーマに上がっている。

アメリカは、ここで引くくらいなら、ロシアとヨーロッパの安全保障について相互譲歩を入れた政治的妥結をするべきであり、それが政治である。

国家の大部分は非戦闘員である。

アメリカは、戦えない、でも妥結もできないという学者みたいな判断をするべきではない。

国外脱出をしたくても拘束される。

ロシアを潰すために、自分たちは血を流さずウクライナだけに血を流させる(アメリカの?)戦略は、学者に受けても政治がやるべきことではない。

いつの時代も戦争においては戦争指導者層と一般市民の感覚が乖離していく。

narrativeを肯定し)、ゆえにロシアを武力で倒すことだけでなく、アメリカ・西側とロシアによってヨーロッパの安全保障の枠組みを作ることで早期に停戦を目指す選択肢も必要であると言い、戦う一択ではダメであると言っている。

(ウクライナにおいては、)今の時代にあっても政治家が生き残って、兵士や一般市民が犠牲になる(ゼレンスキーの)戦争指導が行われている。

(米国も西側も、)自分が戦えないなら(ロシアと)政治的な妥結を探るべきである。

(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦う一択の戦争指導は、政治家が自分の命と引き換えに市民の命を守るという思考にならなくなる。

とにかくアメリカとロシアとが協議すべきである。

戦争終結の政治的妥結においてはこの乖離を埋めることが最重要ポイントだ。

単なる反戦の声は意味がなく、政治運動にはゴールに向かうための戦略が必要である。

戦争指導者・学者たちに国民の生死すべての決定権を委ねるわけにはいかない。

(戦争においては、指導者は、/ゼレンスキーは)戦う者と避難する者をきっちり分けて、避難させるべき者はしっかり避難させるべきである。

崇高な理念で戦う者もいれば生きたいと願う一般市民もいる。

プーチンの暴挙は許されないし、ウクライナの壮絶な歴史の理解も必要だが、独ソ戦の悲惨さの理解もすべきである。

そもそも一般市民に被害が出るということは防衛力に問題があったということである。

責任の所在については色々あるが、西側から攻め込まれる(ロシアの)恐怖心は我々には想像もできない物凄いものがあるのだろうから、ウクライナだけに犠牲を負わせるのではなく西側とロシアが協議をするべきである。

戦闘目的が一般市民を守るということから離れ、自由・民主を守るという抽象的なものになるほど、一般市民の犠牲やむなし論になる。

西側とロシアが政治的妥結を図るべきである。

戦争指導では、戦え一択ではダメであるべきである。

国際秩序を守れ!という学級委員的学者的政治ではダメだ。

合意文書の存在など法廷での法律家の話で戦争になれば大して意味がない。

政治家は、相互に要求を出して、どこまで妥結できるのかギリギリの協議をすべきである。

安全保障の対立は法廷闘争ではなく政治闘争である。

この状況は、ナチスドイツと自ら戦ったチャーチル的政治とは全く異なることを認識すべきである。

ロシアに法的正当性がないことは間違いないが、戦争になっていることは事実でこれを解決するのが政治である。

確かにプーチンの暴挙は許せないが、しかしそうであれば我々自らプーチンを倒すか、経済制裁でが瓦解させなければならない。

キューバ危機のキューバ内ソ連核ミサイルも、1980年代の中距離戦略ミサイルの配置合戦も、韓国内のサードミサイル配備も、何の合意文書もないのに最後は政治で解決した。

(主体不明)内容を見て、ウクライナを犠牲してでもロシアとの妥結を突っぱねるか、ウクライナを犠牲にするほどでもないものか判断するべきである。

ロシアは侵略者だが戦争を解決するのが政治である。

(ウクライナ人の)住民避難は大事である(べきである)。

譲歩を恐れる政治家には(今回の戦争は)解決ができない。

ウクライナ侵攻は、最後は西側とロシアとの話し合いで解決するべきである。

国際法も大事だが、人間としてもっと大切なものがある。

ロシアはキエフ総攻撃を回避すべきである。

国際法も大事だが、人間としてもっと大切なものがあるという考え方を広めるのも政治の役割だし、無責任なコメンテーターの役割である。

(この)戦争は、終始、政治の知恵で解決すべきである。

今のロシアを止めるには力づくでロシアを倒すか、ロシアが瓦解するか、政治的妥結で戦争を終了するしかない。

(この戦争においては、)ウクライナだけに負担を負わすべきではない。

プーチンを止めるのは法の力ではなく政治の力である。

(ウクライナ戦争は、)ウクライナの自由・尊厳を守る戦争、ロシアによる虐殺を防ぐ戦争と位置付けると戦う一択になり一般市民の犠牲已むなしとなる(ので、そうすべきではない)。

法が力を発揮するに執行力が必要ということである。

ロシアとウクライナの交渉は、2国間のところから欧州全体の安全保障の枠組みに引き上げるべきである。

戦争が始まったら当事者に国際法の執行力が及ぶ?と考えれば、戦争が始まったら国際法の学者では戦争を止められず、止めるのは政治家である。

今回のロシア兵の残虐行為を徹底追及するためにも一般市民が戦闘行為をするなら戦闘員になるべきである。

同じ過ちを繰り返さないようにするのが政治家の仕事だ。

西側が多少負担・譲歩してでも、ウクライナの安全を保証しヨーロッパの安全を保障する枠組みについてロシアと政治的妥結を目指すべきであるとういことは、ウクライナ一般市民の被害を考慮した上での複数選択肢の一つとして、完全否定されるべきではない。

経済制裁はいつから効く?ここを踏まえないと戦略は立てられない。

マリウポリの製鉄所、状況は「危機的」、指揮官が第三国による救出要請

単なる反戦の声は意味がない。

政治家と一般市民の交換も有力な(ウクライナとロシアの?)交渉材料であるべきである。

ロシアはウクライナの占領が目的ではないと言っているので、大規模避難を否定はできないでしょう。

narrativeを肯定し)、ゆえにロシアを武力で倒すことだけでなく、アメリカ・西側とロシアによってヨーロッパの安全保障の枠組みを作ることで早期に停戦を目指す選択肢も必要であると言い、戦う一択ではダメであると言っている。

とにかくあらゆるオプションを考えるのが政治である。

とにかくアメリカとロシアが協議すべきであり、そこで条件闘争の中身が明らかになれば、どこで折り合いをつけるべきか見えてくる可能性がある。

正義ばかりを唱えていては政治はできないし、最後は戦争を生んでしまいます。

今回のプーチンの暴挙は許されるべきではない。

威勢のいい人たちに限って自分は血を流しません。

国際秩序維持は言葉による概念ですから、その範囲で政治的妥結を探るべきであり、ウクライナが必死に抵抗している間にそうすべきである。

責任の所在はともかく残念ながらウクライナにはそれ(軍事力・軍事同盟を強化し、核を保有し、場合によっては二枚舌三枚舌密約外交をやること)が足りませんでした。

司法権がない中戦争になった以上法的文書的正当性を議論してもたいした意味はなく、ロシアが倒れるまで待つか、それぞれが譲歩して妥結するかであり、前者ならウクライナ人の犠牲が増えるので、後者を選ぶべきあり、それはまさに政治的選択である。

戦争が始まれば毎秒単位で戦うか、逃げるかの究極の判断が迫られます。

ロシアが経済的に破綻し、民衆・軍事クーデターが起きるほどの圧力をかけつつ、最後は政治的妥結を目指すべきである。

戦争が始まっても的確な見通しもなく戦う一択は、憲法9条論者と同じく現実が見えなくなり、ゼレンスキーさんは必死です(が、そうなってしまっています)。

ウクライナの犠牲のもとにロシアを倒すか、ウクライナの犠牲を最小限にするか、それを決めるのが政治である(べきである)。

あんたらみたいに戦争を安全地帯から精神論で語ると救える者も救えない。

ロシアは侵略者、それを前提に解決を探るのが政治である(べきである)。

戦争は究極の災害であり、災害対策の思考がなければできる限りの国民を救うことはできんない。

国際法も大事だが、人間としてもっと大切なものがあり、そういう考え方を広めるのも政治の役割だし、無責任なコメンテーターの役割である(べきである)。

あんたらの祖国防衛、国際秩序維持をはじめとするリアリティなき話は本当に勉強になる。

喧嘩にはいったん逃げて状況が変わるまで待つ方法もあるのに、喧嘩をしたこともない者が逃げるなと言い、こういう政治家には従うべきではない。

戦争が始まってしまえば相手を軍事・非軍事で倒すか、政治的な妥結しかない。

戦う者と避難する者をきっちり分けて、避難させるべき者はしっかり避難させるべきである。

戦況が苦しい場合には戦う一択が非戦闘員の犠牲を拡大することが多い。

いずれプーチンも死に、現代は他国で暮らすのも普通であるので、今の状況で戦って命を落とす一択の風潮を作るのは間違っている(べきである)。

(ウクライナ、ゼレンスキーにとって、)祖国防衛!国際秩序維持!というお題は合理的判断を誤らせるので、誤っている。

とにかくあらゆるオプションを考えるのが政治である(べきである)。

戦争は究極の災害である。

ウクライナ(ゼレンスキー)は、(ウクライナ国民)4000万人の避難は無理だと諦めるべきではない。

戦争が始まれば冷厳な判断が必要で、戦況次第では戦闘員の戦いが非戦闘員を犠牲にする場合があり、例えば太平洋戦争末期です。

逃げることは恥でも売国でもなんでもない(とウクライナ人は考えるべきである)。

本来は両者ともに合理性の判断が必要なのに、防衛力強化のところで、憲法9条改正論者は護憲論者にお花畑!と批判し、現実の戦争というものを考えろ!と言うが、ところがいざ戦争が始まると改正論者は戦え!一択になってしまう。

プーチン政権を倒すまで戦え!と言えるのは戦地で戦っている者だけである(べきである)。

憲法9条護憲論者は、平和を唱えていれば平和になるというソフト一択である。

今は安全保障の枠組みがあり、それを最大限に活用するのが政治の知恵であり、再度のロシアの侵攻を止めるにも結局ヨーロッパの安全保障の枠組みが必要である(べきであり)、戦う一択であるべきではない。

戦争後において憲法9条改正論者も戦う意志さえあれば全て正しいというソフト一択である。

(ウクライナ戦争は、)結局ヨーロッパの安全保障の話であり、戦闘での勝ち負けではなく(誰と誰の?)政治的妥結がカギである(べきである)。

本来戦争後においてもハードの装備状況、戦況、国際情勢、相手がいつ倒れるかの見通し、こちらの被害状況など様々なことを考えて合理的に判断しなければならないのに、憲法9条改正論者は、祖国防衛、国際秩序維持、戦え!の一択なってしまい、これは危険である。

ロシア・ウクライナの両方が妥結できるようなことを模索していくべきであり、そうしないと一般市民への被害が拡大する。

憲法9条改正論者が護憲論者にお花畑だ!と批判していたことは、戦争後において改正論者にも当てはまる。

ウクライナと連帯する!という言葉は不要であり言うべきではなく、具体的に何をするか(が重要)だ。

戦争は究極の災害である。

(誰の?)政治による終結にはウクライナの安全を(誰が?)保証することは当然である(べきである)。

いつの時代も政治家やその取り巻きの専門家たちは、自らの命の安全が保証された所から正義と建前論を吐き続け、政治的妥結を拒み、その間非戦闘員の命が奪われていく。

今回(ウクライナ戦争)はヨーロッパの安全保障に関する政治紛争なのだから(誰の?)政治的妥結で解決するものである(べきである)。

戦争の究極の解決方法は政治家が戦地に赴くことであり、政治家は、自分の命が危険に晒されれば、それまでの正義や建前論を後退させ、自分の命を守るために必死になって政治的妥結をはかり停戦協議をまとめるだろう。

例えば、永田町だけに自衛隊の総力を集めて、大阪は脱出計画もないまま無差別攻撃を受けるという(誰の?)戦争指導は許されるべきではない。

(戦争指導者や政治家が)市民の犠牲で自分たちの政治的信念を貫くのは最悪である。

(一般に?)戦争指導においては、紛争の原因を把握し、解決策を複数模索する思考が必要である。

(ウクライナでは、)今の時代にあっても政治家が生き残って、兵士や一般市民が犠牲になる戦争指導が行われている。

ロシア内で避難できるのか否かウクライナ発以外の情報での(誰の?)確認が必要である。

(戦争が)レッドラインに達すれば次は戦争終結に向けて妥結を探るプロセスが始まるが、これは戦争後の話である。

(ウクライナ戦争は、)ヨーロッパ全体の安全保障の枠組みの政治的妥結の話である(べきである)。

命が守られている戦争指導者・政治家・専門家では妥結案は決められない。

(一般に?)首都や政治家が集まっている場所に国防力が集中され、その他の都市がほったらかしにされる可能性があるが、それは避けるべきである。

ゼレンスキー大統領も国民投票が必要だと言い始めている。

(誰の?)逃げる自由、戦わない自由、出国の自由、一部地域を犠牲にしてはいけない戦争指導制約などなどがあるべきである。

一般市民は自分の命を捨ててまで何を守ると考えるかと考えた場合、自由、民主主義では抽象的過ぎる。

(ウクライナのような)勢力圏がぶつあり合うエリアでは軍事力・安全保障のギリギリを(誰が?)探っていくべきであり、それは譲歩ではなく相互の最適解・政治的妥結である。

(一般に? ロシア・ウクライナ戦争において?)政治的妥結に完璧はない。

ジェノサイドと津波は確かに現象面は違うが、一般国民に対する国家の対応は本質的に同じ(であるべきである)。

一番重要なのはウクライナの獲得目標であり、何が目的なのか、抵抗日数なのか、住民避難なのか、ロシアが諦めるまでなのか、それはどうやって達成するのかといったことであるが、ウクライナ、ゼレンスキーはロシアのミサイル策源地も攻撃できずミサイル撃ち放題である。

戦闘目的を国民を守ることを第一に考えるか、それ以外を第一に考えるかで(何が?)分かれるべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

軍事力で敵を倒すだけでなく政治的妥結も必要であるべきである。

戦地では死の恐怖が目の前に晒され、苦痛にうめいている非戦闘員のウクライナ人がたくさんいる。

僕の持論一択も違うやろうけど、戦う一択も違い、やはり複数の選択肢を持つことが重要であるべきである。

喧嘩のひとつでもしていれば戦え一択ではない。

戦時体制の支持率はどのような国でも注意すべきであり、特に自分の命を棄てることまでの同意なのか注意すべきである。

ズデーデンを割譲したからナチスドイツが増長したのではなく、ヨーロッパ各国の防衛力が弱かっただけだ。

戦闘員の犠牲によって停戦交渉が有利になるのなら(誰が?)、それこそ戦闘員に敬意を表するべきである。

ズデーデンを割譲しても各国の防衛力が高ければナチスドイツの侵攻は防ぐことができた。

戦争時の人道回廊こそまずは国際秩序・ルールの絶対原則として確立すべきであり、力による現状変更を禁じる原則よりも、まずは戦争時の人道回廊設置の国際ルールの方が大事であるべきである。

いつの時代も政治家やその取り巻きの専門家たちは、自らの命の安全が保証された所から正義と建前論を吐き続け、政治的妥結を拒み、その間非戦闘員の命が奪われていく。

(ウクライナ)戦争中こそ自由についての考え方が重要であり、今年の憲法記念日には大きな話題にするべきであり、戦争前は国民個人を守るための軍事力の強化が必要であるが、戦争開始後は国民個人の戦わない自由、逃げる自由を重視し、一般市民の犠牲阻止を最優先目標とすべきである。

戦争の究極の解決方法は政治家が戦地に赴くことであり、政治家は、自分の命が危険に晒されれば、それまでの正義や建前論を後退させ、自分の命を守るために必死になって政治的妥結をはかり停戦協議をまとめるだろう。

たらればの話であっても、ロシア侵攻直前のウクライナの戦争指導の在り方はしっかりと検証するべきである。

維新代表時、平和安全法制論議のときに国会議員が戦場の最前線に赴く法案を作ろうとしたら当時の維新国会議員が猛反発してきたな。

色々検証すると沖縄の地上戦によって本土で救われた人たちがいるかもしれませんが、一部地域が犠牲になることで一部地域が救われるべきではない。

単なる反戦の声は意味がない。

(一般に? ウクライナにおいては?)何よりも戦争が始まらないように防衛力の強化、集団的自衛権の強化が必要であり、防衛力の強化には戦闘員への敬意(靖國問題の解決)も必要であるが、その上でいざ戦闘が始まったときは一般市民の犠牲を防ぐ戦争指導が重要である。

戦う一択ではない、と言ったことがウクライナ人を責めていると感じるところが非常に危険である。

自分たちは人生を散々謳歌したにもかかわらず、抽象論を振りかざして子供や若者の命の時間を短くすることには断固反対すべきであり、人道問題である。

現に今は逃げることやウクライナの安全保障の在り方も戦争指導の主要なテーマに上がっている。

戦う一択ではなく、究極の災害対策として逃げる仕組みを(ウクライナは?)徹底して作るべきである。

やっぱり本の中だけの学者の思考は、生身の人間というものを度外視する。

安保理であろうがなんであろうがその実効性を徹底的に考えるのが政治である(べきである)。

逃げて状況が変わるまで待つ選択もしっかり考えるのが政治である(べきである)。

ロシアに対する非難決議もできない安保理が中露相手に何ができるかと言えば、何もできず、ここは政治家の感覚で解決策を模索すべきである。

(ウクライナのように)安易な長期戦ほど愚かなものはない。

マリウポリの製鉄所、状況は「危機的」、指揮官が第三国による救出要請

経済制裁はいつから効く?というここを踏まえないと戦略は立てられない。

ウクライナでは、祖国防衛、国際秩序維持の精神が強すぎて、住民避難の体制が脆弱であるが、戦地は必死なのですから、これは戦地のウクライナだけに負担させるのは酷であり、そうすべきではない。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えばたぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

歴史を振り返っても包囲戦は悲惨であり、今の段階から逃げられる人はどんどん逃げないと手遅れになるので、逃げるべきである。

池田(信夫)のバカは戦争で数万人が死ぬ方がましだ、と書いた。

微妙な緊張感でバランスを取るのが政治である(べきである)。

お互いに手出しができない軍事力の均衡(ハード)また多大な犠牲を覚悟してまでも攻撃に出ることはないメンツの立合い(ソフト)の均衡を崩す政治は最悪であるが、ウクライナ・ロシア戦争はこの均衡が崩れた結果であり、東方不拡大の約束の有無はたいした問題ではない。

いずれにせよ、戦う一択ではダメです。

戦争終結の政治的妥結においてはこの乖離を埋めることが最重要ポイントだ。

ナザレンコさんは、ナザレンコさんの周囲で威勢のいいことを言っている人たちの日々の生活ぶりや今後の行動をよく見ておくべきである。

(戦争において)国民投票がきちんとできるかどうかは重要である。

威勢のいいことを叫ぶ勢力に乗っかる政治は厳しく監視すべきである。

戦争後の被害レッドラインを定めるからこそ戦争前の防衛力強化をどこまでやるかの目標が定まる。

(本の中だけの学者の思考は、国際法なんてやってるのに、)いまだに一億総玉砕の思考であり、帝国陸軍エリートと同じ思考であり、びっくりしたわ、だし、こんな作戦に付き合うべきではない。

戦争後、妥結に向かう被害レッドラインを定めれば、そのレッドラインに達しないようにすることが防衛力強化の目標となり、これは国家運営の話である。

生きるためにオープン・ドア・ポリシーという建前論を後退させても恥ずかしいことでも何でもない(べきであり)、生きて次に捲土重来すればいい(、そうすべきである)。

本気の制裁ができないなら、懐柔策を講じるしかない。

終始、政治の知恵で解決すべきである。

中途半端な制裁ほど意味のないものはなく、やった感を出すだけである。

額に拳銃を突きつけられたような非戦闘員が、逃げたい、生き残りたいという思いを持っていたとするならその意思も最大限に尊重すべきである。

もしロシアが経済制裁によって瓦解しなければ(ウクライナは)長期戦をやっても泥沼だ。

戦う一択は危険である(べきである)。

国際秩序を守るためにウクライナの若者が犠牲になる必要はない。

学者は、ゼレンスキー演説に対して、拍手喝采をすべきではなく、本来はウクライナに対して総土下座をするべきである。

(ウクライナの若者は、)むしろ他国で暮らした方がプラスになる場合もある。

ゼレンスキー大統領演説の文芸的な評価は結果が出てからの話であり、今はゼレンスキー大統領が真に求めているものは何かを見定め、我々はそれに応えるのか、応えないかを、戦地の悲惨な状況を想像しながら判断する段階である(べきである)。

(ウクライナで戦う人は、)自らの意思の人たちも多いでしょうが、しかし太平洋戦争のときも戦え!の圧力に負けた人も多かった(ので、ウクライナでも戦いたくない人は多いでしょう)。

安保理であろうがなんであろうがその実効性を徹底的に考えるのが政治である(べきである)。

(西側では、)みんな毎日幸せに暮らしており、いいものを食べて、いいところに行き、家族と団欒して、ぬくぬくの布団で寝ており、ウクライナが頑張ってプーチンを撥ねつけてくれれば、我々はこのような生活を安心して送り続けることができるが、これを学者たちは国際秩序・正義という言葉で表現し、1ミリたりとも譲歩するなと言うが、それと比べて戦地のウクライナ人はどうですか?

ロシアに対する非難決議もできない安保理が中露相手に何ができる?と(我々は)疑問に思うべきであり、ここは政治家の感覚で解決策を模索すべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言うと、たぶん答えられず、無視するだろうし、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

戦争終結の政治的妥結においてはこの乖離(安保理が中露相手に何ができるか?)を埋めることが最重要ポイントであり、その乖離を埋めるべきである。

戦地ウクライナの決定は戦地で行われます。

戦争指導者・学者たちに国民の生死すべての決定権を委ねるべきではない。

(ウクライナの人びとは、)自らの意思の人たちも多いでしょうが、しかし太平洋戦争のときも戦え!の圧力に負けた人も多かった(ので、ウクライナの人びとも、自らの意思で戦ったのでない人も多かったでしょう。)

目的を達するためには理想ではないがプランBを採るべきである。

(ウクライナ人は)生きていれば、時間は多少かかるが状況が変わる可能性がある。

今の支援は即時的なものとしてやるしかありません。

一番重要なのはウクライナの獲得目標であり、何が目的なのか、抵抗日数なのか、住民避難なのか、ロシアが諦めるまでなのか、それはどうやって達成するのか、等であるが、ウクライナはロシアのミサイル策源地も攻撃できずミサイル撃ち放題である。

正義や原理原則論を振り回して妥結は無理と諦めるのは専門家であって、政治家は全てを呑み込んで妥結することが仕事である。

戦争になれば勇ましいことしか言えなくなるのは、太平洋戦争の経験が全く活きていないということである。

国際法、国際政治や安全保障の専門家には(災害対策・対応の)その知見も経験もないのであるから、だからその辺は相互に知見をミックスするべきである。

僕はこれまで数々の現場を見て、政治家や専門家も含めて、危機管理する立場の者と接してきましたが、言えることは普段威勢のいいことを言っている人は、いざというときに真っ先に逃げ、普段、やばいときには逃げることを考えている人は、いざというときに他人を逃すために自らの命を犠牲にする、といことである。

(ウクライナ戦争は、)結局ウクライナの安全とロシアの安全をどう折り合いをつけるのかの政治の話である(べきである)。

戦争は辛いですね。

いざ戦争が始まれば、戦争指導は戦闘員の視点だけではなく、悲惨な状況の非戦闘員の視点も持たなければならない。

戦争では、比較的安全であるということで取材カメラが入っている地域の映像でも悲惨過ぎます。

ウクライナとロシアとの停戦協議を傍観している西側の政治家、国民も同じく、いざ戦争が始まれば、戦争指導は戦闘員の視点だけではなく、悲惨な状況の非戦闘員の視点も持たなければならない。

俺(橋本徹)はウクライナに無条件降伏をしろとは言っていない。

自らの意思で戦闘している者には敬意を表するが、一般市民の犠牲拡大を考慮する戦争指導が(ウクライナ、ゼレンスキーには)絶対に必要である。

経済制裁でロシアが瓦解する見込みが立っているなら、そこまでウクライナに頑張ってもらうというのも一つの方法だろうが、戦地の現実、これから起こるであろう包囲戦のことを思うと僕(橋本徹)は簡単にそうは言えない。

戦争が始まった後は、戦う一択はダメである。

俺(橋本徹)はウクライナに無条件降伏しろなんて言っていない。

(ウクライナ、ゼレンスキーは)国境を越えて逃げた者を拘束し、見せしめのようにホームページに掲載しているが、逃げる自由の保障は絶対的に必要である(べきである)。

特に、世間の巨大・強力な風潮と異なる考えを主張するのは難しい。

戦争指導者や政治家が自らの信念を貫くなら自分たちの命を賭けるべきである。

死ぬリスクのない者たちは建前論にこだわり勇ましいことを言う。

(ウクライナ、ゼレンスキーが)市民の犠牲で自分たちの政治的信念を貫くのは最悪であり、すべきでない(もうやめるべきである)。

政治指導、戦争指導において、戦地におらず死のリスクのない者は、建前論と勇ましい論のお花畑論に陥るが、平和を唱えれば平和になるというお花畑論と同じである。

マリウポリの状況では、一般市民が死ぬよりもまずは(ウクライナの)政治家たちが死ぬのが先であるべきである。

戦地では建前論よりまず生きることだという市民も多い。

(戦時において、及びウクライナにおいて、)国民投票がきちんとできるかどうかは重要である。

法が力を発揮するに執行力が必要ということであり、(篠田英明が言うように)戦争が始まったら当事者に国際法の執行力が及ぶのか?

一般市民に犠牲が出ないように防衛力は強化すべきであるが、しかし不幸にして戦争が始まった場合には戦争指導者や戦闘員の崇高な思想だけでなく一般市民の意思や犠牲も考慮した戦争指導を行うべきである。

経済制裁でロシアが瓦解する見込みが立っているなら、そこまでウクライナに頑張ってもらうというのも一つの方法だろうが、戦地の現実、これから起こるであろう包囲戦のことを思うと僕(橋本徹)は簡単にそうは言えないと思う。

一般市民は自分の命を捨ててまで何を守ると考えるかと考えた時、自由、民主主義では抽象的過ぎる。

ゼレンスキー大統領演説の(篠田英明の)文芸的な評価は結果が出てからすべき話である。

やはり戦う一択の戦争指導は危険である(べきである)。

これ(ゼレンスキー大統領が真に求めているものは何かを見定め、我々はそれに応えるのか、応えないかを、戦地の悲惨な状況を想像しながら判断すること)を安全保障理事会の議論で解決するというのが学者の感覚なら、その道の学者にとっては安保理は凄い存在なんだろう。

今の国会議員たちに自分の家族の命の全ては預けられず、命と引き換えになるものをしっかり示してもらってから命を賭けるべきである。

あなた(篠田英朗)がどのように理解するのかは自由だが、ゼレンスキー大統領自身がロシアの独立系インタビューで「ウクライナの中立化が最重要ポイントで、ロシアはそれを第一に考え、それが戦争の原因だった」と答えているのを知ってる?

(西側がロシアに)本気の制裁ができないなら、(西側はロシア)懐柔策を講じるしかなく、そうすべきである。

(ウクライナ戦争)は国際政治学者のお勉強の範囲を超えた話なのである。

懐柔策が嫌なら本気の制裁をすべきであり、中途半端な制裁ほど意味のないものはなく、やった感を出すだけである。

現実の国民の命を守ることから離れた国防は、太平洋戦争時の国体護持のためには国民の犠牲も已むなしという戦争指導になり得、それはまさにあなた(篠田英朗)の国際秩序を守るために国民の犠牲も已むなし論と同じである。

交渉を有利にするために戦争が必要だという戦争指導をするなら、戦争指導者層を順次前線に送り込むルールが必要であるべきである。

こういう(篠田英朗のような)連中が憲法9条改正を叫ぶから改正の機運が下がる。

自国、敵国の軍事力を冷静に踏まえた上で、戦闘員の徹底抗戦と一般市民の徹底退避を優先順位を付けながら組み合わせていくというのが戦争指導であるべきである。

篠田氏は尊重=考えが一致と凝り固まっている。

軍の戦闘力を国民の退避路確保のためにどれだけ振り向けるか、この優先順位付けが戦争指導の重要ポイントであるべきであり、限られた資源の配分こそが国家運営の要であり、ここでも戦争指導者がどう号令をかけるかが超重要であるべきである。

(篠田英朗が)一般国民のジェノサイド対応が災害対応と異なると言うなら理論的実際的にも説明する必要があり、それを意味もなく有害だと言うだけでは批判・議論になっていない。

市民全体で抵抗を!か、市民はできる限り退避すべき!かのどちらを戦争指導者が第一声に選ぶかは戦争指導の分かれ目である(べきである)。

あなた(篠田英朗)はジェノサイドと津波・災害の現象の違いに目が奪われて政治行政の対応が本質的には同じ災害対応であることに気付かなかっただけ。

政治・国家の役割は(戦争において一般市民が)できる限り生き残れるように国家の力を振り絞ることであるべきである。

自分は一滴の血も流さず戦え一択の百田は論外だが、やはり国家運営は国際法学者に任せるべきではない。

戦争後は、今殺されるかもしれない自分の命をかけて何を守るのか、自分の命を守るためにどこまで譲歩できるのか、一般市民のこの天秤作業を集約したものを戦争指導者が把握する必要がある。

篠田氏の頭には国際法秩序維持しかない。

現実の戦争指導は、避難、逃げる、いったん撤退と攻撃などの組み合わせであるべきである。

国際秩序維持のために一般市民の犠牲やむなしと安易に言い放つ国際政治学者篠田氏の論は、戦争の現実や軍事的合理性を知らない文学的夢想論である。

ロシアは侵略者だが、しかし戦争になった以上法的正当性に拘泥せず戦争終結に向けて政治をやるべきである。

戦争は辛いですね。

ロシアが倒れるまでにウクライナにどれだけの被害が生じるのかを考え、戦争終結に向けて政治をやるべきである。

戦争は、比較的安全であるということで取材カメラが入っている地域の映像でも悲惨過ぎます。

戦時には学者的学級委員的政治家は役に立たず、ヤクザ相手には清濁合わせ飲むヤクザ的政治家が必要だ。

舛添(要一)氏に知恵と能力があればあんなお粗末な知事辞職劇はなかった。

相手が強くて喧嘩ができないなら、譲歩することも人道であり、それが政治である(べきである)。

ウクライナにとって、祖国防衛のために命を落とす長期戦一択は不合理である。

キューバ危機の回避プロセスやINF全廃条約制定プロセスの経験とノウハウをフル活用すべきであり、それが政治家の仕事である。

ロシアはウクライナの占領が目的ではないと言っているので、(ウクライナ国民の)大規模避難を否定はできないでしょう。

(西側は)制裁をかけつつ、最後は政治的妥結を行うべきである。

ロシアはウクライナの占領が目的ではないと言っているので、それなら非戦闘の国外避難を妨害する理由がない。

法が活きてくるのは戦争が終了し法を守る環境が醸成してからである(べきである)。

時が経てば(ロシアの?)状況が変わる可能性がある。

戦争が終わってからが国際法の学者の出番である(べきである)。

(ウクライナ国民が)逃げることは恥でも売国でもなんでもない。

政治運動にはゴールに向かうための戦略が必要である。

時間をかければ(ロシアの?)状況が変わる可能性がある。

ウクライナ(ゼレンスキー)は、(ウクライナ国民)4000万人の避難は無理だと諦めてはいけない。

ロシアは民間人攻撃を否定しているので非戦闘員の国外避難は拒否できないはずである。

微妙な緊張感でバランスを取るのが政治である(べきである)。

ロシアのウクライナ国民への大粛清の不安が低くなれば、ウクライナの戦いの判断に影響する。

いずれにせよ、戦う一択ではダメである(べきである)。

(ウクライナ戦争は、)西側が協議の主体に出ず、退避を第一に考えなかった結果である。

戦争は始まるまでが勝負である(べきである)。

戦争が始まった以上、戦う一択は最悪である(べきである)。

(戦争のためには、)軍事力・軍事同盟を強化し、核を保有するべきである。

もちろん文民統制がマストですが、祖国防衛、国際秩序維持と言う精神論だけでなく、逃げたい人をどう逃がすかの思考が必要で戦う一択は危険である。

(戦争においては、)戦う一択ではダメである(べきである)。

国際政治のリアリズムですね。

(戦争のためには、)戦争が始まらないように徹底した防衛体制を築くべきである。

戦争が始まってしまえば相手を軍事・非軍事で倒すか、政治的な妥結しかない。

残念ながら戦争が始まった場合には戦うか、逃げるか究極の判断をしていくべきであり、これが現実の国家指導です。

西側も二枚舌三枚舌密約を駆使してなんとか戦争を食い止めるべきであり、それが国際政治のリアリズムである。

ロシアのクリミア併合後、ロシアをG8から追い出し西側は協議のテーブルにも着かなかったが、これは学級委員政治の典型であり、どんなやつともとりあえず協議のテーブルに着くのが政治である(べきであり)、そこで喧嘩してもいい。

弱い国は言われたら従うが従わない国もある。

西側も二枚舌三枚舌密約を駆使してなんとか戦争を食い止めるべきであり、それが国際政治のリアリズムである。

今回の西側の対応は、自らの利益を守るために他人(ウクライナ)に戦わせており、究極の卑怯であり、また自分は命をかけず、敗戦についての責任も負わないが、これを評価するとはいかにも学者らしい。

弱肉強食だと言われようが戦争を食い止めるのが国際政治である(べきである)。

西側のやり方は、後世、究極の卑怯の例として語り継がれるだろう。

勝てる見込みが高ければとことん戦うべきだし、見込みが低ければ戦う目的を考え、戦う以外の方策も考えるべきである。

チェンバレンの場合には正直にズデーデンをナチスに割譲したが、今回の西側はウクライナを支援しているように装っている点でチェンバレンよりもはるかに悪質である。

もちろん戦勝以外は、悲惨な結果を生むが、しかしその中で何が一番ましなかを冷厳に判断するのが政治である(べきである)。

戦争が始まってしまった以上、戦争を止めるには①相手を降伏させる(一時撤退を含む)②こちらが降伏する③政治的に妥結する、の3点しかないと思います。

(ウクライナ戦争における)これからの(ウクライナの)抵抗戦は何が目的なのかを(ウクライナ、ゼレンスキーは)よく考えるべきである。

(西側が)ウクライナに支援している武器は、形勢逆転の決定打になり得ないように調整しており、そんな武器を供与すれば飛行禁止区域の設定と同じくロシアとの戦争になってしまうからである。

(ウクライナ、ゼレンスキーは、ウクライナ戦争におけるこれからの抵抗戦が、)ロシアを倒すためか、追っ払うためか、非戦闘を逃すためか、経済制裁でロシアが瓦解するまで時間を稼ぐためなのか、何が目的なのかをよく考えるべきである。

これから凄惨な無差別攻撃が始まるでしょうが、こんな(西側の?)卑怯な戦略を維持してウクライナ人が犠牲になる様を映像で見ようものなら(誰が?)一生後悔すると思います。

(ウクライナ、ゼレンスキーは)冷厳な判断が必要だ。

西側はロシアとは戦えないがゆえにウクライナに戦わせており、チェンバレンよりもはるかに愚である。

戦争を回避するため、国民の犠牲を避けるための嘘・密約は国際政治で必要であり、人を戦地に向かわせる嘘・欺瞞は最悪であり、ヤクザ的政治は前者であり、学級委員的政治は後者であり、学者やリベラル気取りは後者になる。

戦争が始まると戦え一択の思考になってしまい、その他の主張は全く受け付けなくなるのは、一つの典型である。

(ウクライナが)ロシアとの交渉を有利にするために戦う、では今後の戦況でそうなるのかと考えると、これは合理的でない(ので、ウクライナは抵抗をやめ、ロシアの軍門に下るべきである)。

西側の原理原則に固執する分、ウクライナの犠牲が拡大する。

(ウクライナが、)経済制裁でロシアが瓦解するまで戦う、ではそれはいつなのかと考えると、これは合理的でない(ので、ウクライナは抵抗をやめ、ロシアの軍門に下るべきである)。

政治家は、自分の命が危険に晒されれば、それまでの正義や建前論を後退させ、自分の命を守るために必死になって政治的妥結をはかり停戦協議をまとめるだろう。

(ウクライナが、)住民を一人でも逃がすために戦うと考えれば、これは合理的である(ので、ウクライナは住民を一人でも逃がすべきであり、そしてロシアの軍門に下るべきである)。

西側も酷いのは、ウクライナを加盟させるつもりもないのにオープンドアポリシーの建前に固執し、そのことでウクライナも加盟を主張し続けて、政治的な安全保障協議が破裂し、政治が機能しなかったがゆえにロシアの暴挙が生まれ多くの一般市民が犠牲となったことである。

いったん戦争が始まれば祖国防衛のために戦うの一択は合理的判断を狂わせる(ので、ウクライナは抵抗をやめ、ロシアの軍門に下るべきである)。

(西側が)本当にウクライナを助けるためにはゲームチェンジするほどの強力な兵器を供与してあげなければならないが、(西側は)ロシアとの戦争を避けるためにそれはしない。

戦争が始まってしまった以上、戦争を止めるには①相手を降伏させる(一時撤退を含む)②こちらが降伏する③政治的に妥結する、の3点しかなく、ウクライナ戦争においては、③を選ぶべきである。

中途半端な制裁ほど意味のないものはなく、やった感を出すだけである。

戦争においては、住民避難のために戦うという意義も重要と考えるべきである。

(西側が行っているのは)自分たちは自国の経済に壊滅的なダメージが生じないように調整しながらの経済制裁である。

戦争前においては合理性の判断に基づいた防衛力の強化が必要である。

(西側が行っているのは)ウクライナをロシアを潰す最前線に送り出して、一般市民の犠牲を拡大させることである。

戦争後についてもつねにハードとソフトのワンセットで戦争指導を考えるべきです。

米国や西側は世界大戦にならないギリギリの範囲内で(ウクライナを)戦わせている。

ウクライナ、ゼレンスキーは、逃げることは恥ずかしいことでもなんでもないという戦争指導を行うべきである。

いったん戦争が始まれば相手を降伏させるか、政治的妥結しかない。

ウクライナからの避難民は、国を捨てることでも何でもない、まずは一時避難なんだってことを、意識すべきである。

国際法も大事だが、人間としてもっと大切なものがあり、そういう考え方を広めるのも政治の役割だし、無責任なコメンテーターの役割である。

ひとたび戦争が始まってしまえば、戦争指導者(ゼレンスキー)は勝利に導くことと不合理な犠牲を最小限にすることが使命であり、戦いを自己目的化すべきではない。

国際政治のリアリズムからは、戦争は始まらないようにするのが勝負であり、防衛力の強化が重要である。

ひとたび戦争が始まってしまえば、戦闘と同時にいかに不合理な犠牲を防ぐか、すなわち住民退避の意識も同時に必要である。

反戦・プーチン非難も重要ですがそれはなかなかプーチンには届きません。

戦争とは戦う一択ではなく、逃げることとのワンセットであるべきである。

確かにプーチンの暴挙は許せないが、しかしそうであれば我々自らプーチンを倒すか、経済制裁でが瓦解させなければならない(が、それは不可能である)。

正義や原理原則論を振り回して妥結は無理と諦めるのは専門家であって、政治家は全てを呑み込んで妥結することが仕事である(べきである)。

EUがウクライナの加盟を認めることなんかは、政治の力でいくらでも速められる。

政治とはお互いのメリットデメリット、譲れるものと譲れないもの、犠牲と譲歩をテーブルにすべて出して均衡点を探る妥結である(べきである)。

ウクライナがEUに加盟となれば集団的自衛権の行使も可能となる。

お互いに手出しができない軍事力の均衡(ハード)また多大な犠牲を覚悟してまでも攻撃に出ることはないメンツの立合い(ソフト)、この均衡を取るのが政治である(べきであり)、崩す政治は最悪である。

ゼレンスキーは、ウクライナがEUと共にあることの「証明」を求めると言った。

戦争指導者や政治家が自らの信念を貫くなら自分たちの命を賭けるべきである。

《NATO―アメリカ》

マリウポリの状況では、一般市民が死ぬよりもまずは政治家たちが死ぬのが先であるべきである。

NATO・西側は本気の軍事支援をやらない。

被害レッドラインに達しないように軍事力を中露と均衡させるのが政治(ウクライナ、ゼレンスキー)の仕事である(べきである)。

とロシアの間で、ウクライナのNATO

一般市民に犠牲が出ないように防衛力は強化すべきであるが、しかし不幸にして戦争が始まった場合には戦争指導者や戦闘員の崇高な思想だけでなく一般市民の意思や犠牲も考慮した戦争指導が必要である。

《NATO―スウェーデン、フィンランド》

政治家はどの専門家の意見を採用するかが重要な能力である(べきである)。

《NATO―トルコ》

政治とはお互いの利害損失を埋めるパズルであり(べきであり)、権限などを意識する法律の話とは異なる(べきである)。

《NATO―譲歩》

(何の?)政治的妥結は理想の100%を目指すのではなく、犠牲回避との天秤でギリギリを目指すものであるべきである。

橋下によれば、軍事力を突きつけられて、今までの主張を譲歩するというのはNATOの体面としては許されないんだろうけど、そのことでウクライナの人たちが犠牲になっており、”我々はウクライナと共にある”って言葉ばっかり何なのかと思い、本当にヨーロッパの指導者たちの、自分たちは譲歩しない、戦いはウクライナには、最悪の政治だと、腹が立つ。

それぞれの利益、譲歩をテーブルに乗せ、それを組み合わせるのが組み合わせるのが政治で(あるべきで)あって、厳密な権限は関係ない。

橋下によれば、東部地域のウクライナの主権を守ることとNATOの譲歩はトレードオフの関係にある。

戦争前に一般市民にここまでの犠牲を負わせない範囲で(誰が?)政治的に妥結するのが政治である(べきである)。

橋下によれば、東部地域の話は、ウクライナの負担とNATOの譲歩がトレードオフの関係にある。

(一般に? ロシア・ウクライナ戦争において?)犠牲を回避すれこととの天秤でギリギリを確保するのが政治(であるべきである)。

《NATO―東方拡大》

交渉を有利にするための戦争など認められるべきではない。

橋下によれば、この米元駐露大使は、今回のプーチンの暴挙はNATOの東方拡大が原因ではなく、ウクライナの2014年の尊厳革命(民主革命)が原因だと言ったが、これはひどい誤りである。

国家運営・権力行使は一つの専門分野の知見で決定されるわけではない(べきであり)、戦争前の軍事力・装備の場面では国際法に照らす場面が多いだろうが戦争後は憲法が重要になるべきである。

橋下によれば、NATOは、東方拡大については、ロシアの要求を突っぱね、戦いはウクライナにさせ、最悪である。

武力紛争の危険が生じれば、国家は一般国民の安全確保に全エネルギーを投入するべきである。

橋下によれば、NATO側のこの論文を引用して、プーチンはNATOに理解を示していたのであって、今回の暴挙はNATOの東方拡大が原因ではないと断定する意見が多数あり、そうなるとNATOが前面に出なくていいことになる。

(戦争における退避は)災害対策・対応そのものであるべきである。

橋下によれば、プーチン氏は、かつて安倍元首相に「NATOの東方拡大への不満」を伝えていた。

一人でも多くの命を救うために、災害対策・避難計画・避難指導をするべきである。

橋下によれば、今問題となってる戦争原因のNATO東方拡大とは、ウクライナをNATOに加盟させるテーブルに乗せたことであり、それまでのNATO東方拡大は加盟店の安全保障に寄与しているが、ウクライナについては、NATOも加盟させる意思がないならオープン・ドア・ポリシーに拘る必要はなかった。

自民党提言のように戦争前の防衛力を強化していくなら、実際の防衛力を行使する際には、まずは一般市民の犠牲をとにかく回避する政治指導が行われるべきである。

橋下によれば、NATO東方拡大は誰も否定していない。

一般市民の犠牲は0にはできませんが、(政治家は?)やはりそれを防ぐことを重視するべきであり、国家を重視する人も多いでしょうがそこは意見の多様性であり、それは間違っている。

《NATO―プーチン》

和平仲裁役は力と信用そして知恵がある国が担うべきである。

橋下によれば、オリバーストーンによるプーチンインタビューにおいては、当初NATOと協力しようとしたが、その後NATOとこじれていくプーチンの怒りの様が表れており、これは真実である。

(一般に?)戦闘はまずは一般市民の命を守ることにあり、これが国家の最重要の役割であるべきである。

橋下によれば、今回のロシア・ウクライナ戦争の真の原因者はNATOとプーチンである。

目的を達成するために理想のプランAが困難なら、理想でないプランBを採るべきである。

橋下によれば、ロシアのウクライナ侵攻は、プーチンとNATOのつばぜり合いである。

この(ウクライナ戦争の解決の)問題は交渉の専門家の領域である(べきである)。

橋下によれば、今の西側諸国は、ロシア・プーチンが倒れるまで待つという戦略・戦術であり、その間、ウクライナ人はどんどん死んでいくので、それは最悪である。

いざ戦争が始まれば、戦争指導は戦闘員の視点だけではなく、悲惨な状況の非戦闘員の視点も持たなければならず、ウクライナとロシアとの停戦協議を傍観している西側の政治家、国民も同じである。

橋下によれば、防衛とは侵攻されない体制を構築することであり、ロシア内の反戦の声はプーチン政権を瓦解させる可能性はあるが、西側諸国の反戦の声だけでロシアの侵攻は止められない。

政治運動にはゴールに向かうための戦略が必要である。

橋下によれば、プーチンのウクライナ中立化・非武装化の要望は結局、NATOとロシアの安全保障の問題であり、そこを、きちっと話をつけないからウクライナに悲惨なしわ寄せが来てしまった。

戦争を抑止するための戦争前の軍事力や装備については憲法9条に縛られることは不合理であり、国民を守るために必要な軍事力や装備は何かという視点から政治が決めるものであるべきであるが、今は内閣法制局の憲法解釈に縛られ過ぎている。

橋下によれば、専門家はNATOとロシアの政治的妥結は絶対無理だと言うが、しかし専門家の誰もプーチンの真の要求を知るわけがない。

国際法も大事だが、人間としてもっと大切なものがあり、そういう考え方を広めるのも政治の役割である(べきである)し、無責任なコメンテーターの役割である(べきである)。

NATOが前回拒否したウクライナのNATO非加盟は、今回ウクライナが認めることになるので(NATOとロシアとの)協議は進展するはずである。

もしロシアが経済制裁によって瓦解しなければ(ウクライナが)長期戦をやっても泥沼である(ので、ウクライナは戦争をやめるべきである)。

このNATOとロシアの政治的妥結のために、どれだけのウクライナ一般市民の命が必要なのかと考えれば、一番はプーチンの責任だが、(西側の?)政治家全般の責任である。

国際秩序を守るためにウクライナの若者が犠牲になる必要はない(ので、ウクライナは戦争をやめるべきである)。

NATOがロシアに気を遣ってウクライナを加盟させていなかったことで十分という話ではなく、それはあまりにも政治音痴であり、2008年にNATOはウクライナの将来加盟を宣言してしまったので、プーチンとしては、その明確な取り消し=ウクライナの非加盟を求めるのは当然であり、それが政治である。

(ウクライナの若者は、戦争から逃げ、)むしろ他国で暮らした方がプラスになる場合もある(ので、そうすべきである)。

橋下によれば、今の中国は欧米の制裁に負けたというのを最も嫌がり、それはアヘン戦争の敗北の歴史からの脱却が原動力だからであり、中国をこっちに引き寄せるには、お願いかお土産が先であり、制裁をちらつかせるのは最後の手段であり、バイデンのこんな建前政治に解決能力はなく、きれいごとばかり並べず、相手のメンツも立てて引き込むのが政治である。

(ウクライナ)国民は戦争をやめるように選択すべきである。

橋下によれば、バイデンは中国が欧米の制裁に屈服すると思った。

(ウクライナ国民は、)18から60歳男性の国外避難を認めるようにゼレンスキー大統領に要請すべきである。

橋下によれば、バイデンが制裁をちらつかせたが、欧米は中国に二次制裁をやるのか分からない。

威勢のいいことを言う資格がある者は志願兵になる者だけである(べきである)。

橋下によれば、拒否権2票持っている中国ロシア相手に何を議論するの?こういうときには、学級委員的な正義を振りかざす議論ではなくて政治をやるしかない、政治家になればこんな状況はしょっちゅうある、そのときに議論で解決するなんてあり得ない、議論と政治は別物と思っている。

プーチンと政治的妥結はしない、プーチンの要求は全部却下だと言うなら外国人部隊としてウクライナに行ってロシア軍を倒すべきであり、それができないなら政治的妥結をはかるべきである。

《NATO―加盟》

民主主義・法の支配を守るための戦いだ!プーチンを倒す!と威勢よく言うなら戦地に行って戦うべきであり、ウクライナ人だけを犠牲にするべきではない。

橋下によれば、国際秩序を守れ派の学者は、NATOはウクライナを加盟させるつもりもないのに、それをロシアに約束するのはウクライナの主権を害し、NATOのオープンドアポリシーに反すると学級委員みたいなことを言う。

究極の圧力は戦闘、軍事力なんだから、朝日社員をごっそり外国人部隊としてウクライナに送るべきである。

橋下によれば、NATOはウクライナの加盟についてロシアに約束することはないと突っぱね、NATOに加盟していないウクライナが狙われた。

祖国防衛の名の下に命を落とす一択にならないようにするのが政治の力である(べきである)。

橋下によれば、国際秩序を守れ派の学者は、NATOはウクライナを加盟させるつもりもないのに、それをロシアに約束するのはウクライナの主権を害し、NATOのオープンドアポリシーに反すると学級委員みたいなことを言う。

日ソ中立条約違反を振りかざして北方領土4島を取り戻せるのかと言えば取り戻せず、戦争なくして取り戻すには政治的妥結を行うべきである。

橋下によれば、ウクライナ大統領は即座のNATO加盟は期待せずと言っているが、このようなことは戦争をやってまで決めるようなことではなく、命を犠牲にする話でもなく、NATOとロシアの政治の話だ。

戦争指導者・学者たちに国民の生死すべての決定権を委ねるわけにはいかない。

橋下によれば、今問題なのはウクライナまで将来加盟の宣言をしたNATO政治がどうだったかということであり、ここをNATOがロシアとしっかり協議していれば戦争を回避できた可能性は高い。

懐柔策が嫌なら本気の制裁を行うべきである。

《NATO―ゼレンスキー、ウクライナ》

(ウクライナ、ゼレンスキーは、)祖国防衛の美名の下に若者の命を絶やさせてはならない。

橋下によれば、ゼレンスキー大統領も認識しているようにこの戦争の本質はNATOとロシアの安全保障の在り方である。

(ウクライナ人は、)グローバルな時代どの国でも生きられるので、ロシアが瓦解するまで待つ方法もあり、そうすべきである。

橋下によれば、ゼレンスキー大統領はNATO首脳会議にオンライン出席したが、ゼレンスキー大統領がNATOに対し武器の供与だけでなく、ウクライナの安全を保証するよう要求したときにNATOはどうするか。

(ウクライナの若者が国外に逃げることは)国民の選択である(べきである)。

橋下によれば、NATOは「オープン・ドア・ポリシー」の体面を保つためにウクライナのみに戦わせ、周りから応援だけしている。

18から60歳男性の国外避難を認めるように(誰が?)ゼレンスキー大統領に要請すべきである。

橋下によれば、NATO指導者は現状を維持したいのでウクライナ頑張れと声援を送り、ウクライナが戦うことはNATOにとって最大の利益であり、ウクライナに戦わせるだけ戦わせてNATOに入れることを約束しない。

(ウクライナの、)祖国防衛のために命を落とす長期戦一択は不合理である(ので、やめた方がよい)。

橋下によれば、プーチン政権を倒すのがベストだが、西側諸国がやるのは経済制裁のみであり、いったい、いつまでウクライナに血を流させるんだ?今も毎日ウクライナ人の命が奪われている。

primeの番組アンケートでは70パーセントを超える人が(核に関する)議論は必要と回答したが、ここは選挙の大争点にすべきである。

橋下によれば、橋下徹はウクライナに無条件降伏しろなんて言っていない。

降伏と政治的妥結は異なるが、ただ(誰が?)そのような表面的な言葉遊びをしても仕方がない(のですべきではない)。

橋下によれば、ウクライナだけに犠牲を負わさず、NATOも関与してヨーロッパの安全保障の枠組みを作るしかないので、政治の話である。

もしロシアが経済制裁によって瓦解しなければ(ウクライナは)長期戦をやっても泥沼である(ので、戦争をやめるべきである)。

橋下によれば、2008年ブカレストNATO首脳会議で争いが沸点に達してから政治家たちは知恵を絞らなかったので、最終的にウクライナの一般市民が犠牲になった。

国際秩序を守るためにウクライナの若者が犠牲になる必要はない(ので、ウクライナの若者は戦争に参加するのをやめるべきである)。

NATOが前回拒否したウクライナのNATO非加盟は、今回ウクライナが認めることになるので(NATOとロシアとの)協議は進展するはずである。

(ウクライナの若者は、)むしろ他国で暮らした方がプラスになる場合もある(ので、他国に逃げるべきである)。

このNATOとロシアの政治的妥結のために、どれだけのウクライナ一般市民の命が必要なのかと考えれば、一番はプーチンの責任だが、(西側の?)政治家全般の責任である。

(ウクライナの)国民は(戦争をやめること・他国に逃げることを)選択するべきである。

(ロシア・ウクライナ戦争は)ウクライナの自由、民主、独立、尊厳を守るための戦争というよりも実質はNATOの主張を維持するための戦争になっている。

(ウクライナの国民は、)18から60歳男性の国外避難を認めるようにゼレンスキー大統領に要請すべきである。

そもそもこの(ウクライナの)中立化は戦争なんかやらなくてもNATOとロシアで政治的に決着する話であり、どうせウクライナを加盟させる意思もないのにこの2月にアメリカが突っぱねたことにも責任がある。

戦争に関して、感情を抜かすためには、防潮堤を乗り越えてきた津波への対応として考えるのも一方法である(べきであり)、こちらは土嚢しかなく、まず何をするかが重要である。

《NATO―ベラルーシ》

今回のウクライナ・ロシア戦争においては、政治家や専門家の多くが戦う一択の思考に強烈になっていたので(橋本徹は)危険を感じ、別の視点からの思考法を繰り返し主張していくべきであり、繰り返し、しつこくしかありませんね。

橋下によれば、ベラルーシに核が配備されればどのみちNATOとロシアの協議が始まる。

ゼレンスキー大統領の国会演説に、感動っていうことで終わらせるべきではない。

橋下によれば、ベラルーシに核が配備されればどの道NATOとロシアは協議せざるを得なくなる。

相手に法に服することを求めるなら自らもより厳しく法に服するというこれが法の支配の大原則で法を機能させる肝であるべきであり、自らは法に服さないとなると法は機能せず、それぞれの正義の言いっ放しになってしまう。

《NATO―ロシア》

本当に死を突きつけられた非戦闘員がどこまで譲歩するのか生き残りたいと思うのかを汲み取るのが政治指導であり、ゼレンスキーはそういう戦争指導をすべきである。

橋下によれば、ウクライナはNATO現状維持のために犠牲になっており、停戦交渉を有利に進めるためには戦闘優位にならなければならないが、NATOはロシアとの交戦を恐れ、ウクライナを強力に支援しない。

生き残りたいという気持ちを戦地の非戦闘員が望むのは当然のこと、死ぬリスクのない者たちは建前論と勇ましい論を叫ぶだけであり、(政治家は、)死ぬリスクが高まらないよう防衛力を強化しなければならない。

橋下によれば、ロシアのウクライナ侵攻で、NATOはウクライナに全部の責任、犠牲を負わせている。

今の停戦協議の論点では、ウクライナの自由と民主が全てなくなる話ではなく、ヨーロッパにおけるウクライナの立ち位置・安全保障と東部地域の割譲が論点である(べきである)。

橋下によれば、中立性はウクライナだけの問題ではなく、結局NATOとロシアの勢力均衡ラインの軍備管理の話である。

(一般に?)一般国民の犠牲が生じないよう、戦争前には徹底した防衛力・反撃力・攻撃力・同盟力の強化が必要であるべきであり、それには核保有も含まれる。

橋下によれば、ロシアへの経済制裁は当然にしても、経済的に崩壊するまで待つのか、あるいは西側諸国が軍事対抗すれば全面戦争になる。

戦争指導者が戦争を交渉の一部に使うのは成熟した国民主権国家においては許されるべきではない。

橋下によれば、もはや紛争はNATO対ロシアになっており、ウクライナの犠牲を止めてNATO対ロシアになっている。

戦争が始まったら国際法の学者では戦争を止められず、止めるのは政治家であ(るべきであ)り、戦争が終わってから国際法の学者の出番である(べきである)。

橋下によれば、ロシアのウクライナ侵攻の原因にNATOもある。

今はゼレンスキー大統領が真に求めているものは何かを見定め、我々はそれに応えるのか、応えないかを、戦地の悲惨な状況を想像しながら判断する段階である(べきである)。

橋下によれば、西側が供与する武器は戦況をウクライナ有利に迅速に変えるような超強力なものではなく、そんな武器を供与すればNATOとロシアの戦争になる。

安保理であろうがなんであろうがその実効性を徹底的に考えるのが政治である(べきである)。

橋下によれば、供与する武器もNATOとロシアの戦争にならないようにウクライナが一気に形成逆転するものではない。

ロシアに対する非難決議もできない安保理が中露相手に何ができる?と考えれば、ここは政治家の感覚で解決策を模索すべきである。

橋下によれば、ロシアの暴挙は許されないが、ただし今回の戦争はNATOとロシアのつばぜり合いから生じたものである。

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橋下によれば、今回の戦争はNATOとロシアの安全保障の鍔迫り合いである。

ミンスク合意はロシアも力を尽くすべきであったし軍事侵攻したロシアが一番悪いですが、ただこういうセンシティブな合意については破棄の主張は政治的メンツの均衡を崩しやすいので、ここは(篠田英朗が言うような)勇ましい主張を抑えながらの政治の力が必要なところである。

橋下によれば、ウクライナが一番求めているものを西側・NATOは、ロシアとの戦争を恐れてやらず、自分たちの安全を脅かさない範囲のことしかやらずにウクライナとともにある!と叫ぶのは欺瞞である。

(篠田英朗は)国際政治学者として、1,政治的妥結以外にどのようにこの戦争を終結させるのか?という問いに答えるべきである。

橋下によれば、飛行禁止空域の拒否は、ロシアがウクライナの都市に、空爆を行なってもよいと、NATOが許可したことを意味するので、きょう以降、殺される人たちは、すべてNATOのせいで死ぬことになり、NATOが弱気なせいで、結束力の欠如のせいで、戦争は終わらない。

(篠田英朗は)国際政治学者として、最低でも6つくらいの問いに答えてから、ウクライナ一般市民の犠牲もやむなしと言うべきである。

橋下によれば、ここまで来ているのにNATOはロシアと政治的に妥結しないのか!NATOと西側は自分たちの安全だけを考えるのか!他国の安全を犠牲にして自国の安全だけをはかることは国際政治上許されない!

(篠田英朗は)普通に生活している人たちとたまには接触するべきである。

橋下によれば、ウクライナはNATO現状維持のために犠牲になっており、停戦交渉を有利に進めるためには戦闘優位にならなければならないが、NATOはロシアとの交戦を恐れ、ウクライナを強力に支援しない。

重要なアドバイスは、考えの違う相手の意見を批判するときに「病理」なんて言ったら議論にならない(ので、篠田英朗は「病理」という言葉を使うべきではない)。

橋下によれば、ロシアの暴挙は許されないが、ただし今回の戦争はNATOとロシアの安全保障の枠組みについての政治的失敗が主な原因であり、ウクライナ・ロシアの戦争と捉えると解決能力当事者と解決方法を見誤る。

戦闘員は何のために戦うのかに関して、国民を守るためなのか、それ以外かと考える、ここは戦争指導の大きな分かれ目で価値判断によるところ(であるべきであり)、(篠田英朗は)橋下の主張は意味がない、勉強不足、病理的な憲法解釈だと言って批判する内容であるべきではない。

橋下によれば、停戦協議中のウクライナの安全とロシアの安全くらいは、戦争になる前にNATOとロシアが政治的に折り合いをつけておくべき話である。

戦争が始まった後に、自国の現実的な国防力を踏まえた上での、国防・国家運営に関する根本哲学の議論を行われるべきであり、(そのようなことが分かっていない篠田英朗は)まず批判の仕方から勉強するべきである。

橋下によれば、今回は政治の失敗が非戦闘員の悲惨な被害を生んだので、NATOは責任を感じて、今からロシアと政治をし、ウクライナだけにやらせるべきではない。

篠田氏のような論は、一滴も血を流すことのない者が言える論であり、誰でも言えるが、しかし戦場では最後は救出要請が重要である。

橋下によれば、ウクライナの安全、ロシアの安全を保障することは、NATOの安全保障でもあり、それはヨーロッパの安全保障の政治的枠組みの話であり、これがウクライナ・ロシア戦争の本質であり、非戦闘員が死ぬ話ではなく、政治的妥結の話である。

国際政治学者篠田氏のような、国際秩序至上主義、戦闘第一主義、市民の犠牲やむなし主義だと、軍事的合理性を理由に市民置き去りの軍の撤退ということも簡単に行われるが、それは絶対にダメであり、軍事的合理性を考えるにしても、市民を守ることを第一目的に撤退、継戦を判断すべきであって、篠田氏の思考はボツとすべきである。

橋下によれば、NATOとロシアがヨーロッパの安全保障の枠組みでつば競り合いをやっていた一端の流れのウクライナ・ロシア戦争であり、ロシアの暴挙は許されないが、この本質を見誤ると解決策を間違う。

戦争では非戦闘員の避難計画・実行などは無意味だと言い放つ国際政治学者の篠田氏の意見は却下されるべきである。

橋下によれば、NATO・西側の戦争指導・戦略に合理性はなく、本当にウクライナを助けるためにはゲームチェンジするほどの強力な兵器を供与してあげなければならないが、

国際秩序維持のためには住民の犠牲も已むなしと安易に言う国際政治学者篠田氏の考え方はダメであり、非難すべきである。

橋下によれば、ロシアには化学兵器もあれば戦術核もあり、NATOが武器を供与するならロシアを叩き潰すほどの武器の供与が必要であるが、しかし世界大戦を恐れそれができないなら、戦闘がエスカレーションするだけである。

少なくとも憲法9条の制約の下攻撃力が認められていない自衛隊は国民の命を守ることを任務とせざるを得ない。

橋下によれば、停戦協議の中身もウクライナ東部地域の問題以外は、NATO・ウクライナ・ロシアの安全保障の枠組みの話である。

自衛隊は能力が高くても、憲法9条下の装備では敵国、特に核保有国を倒すことまではできず、追い払うまでしかできず、自衛隊は、もちろんアメリカを頼ることになるが、自国の力では敵国・核保有国を倒すことはできず、自衛隊のこの現実を踏まえれば、国際秩序がーなんて言っているべきではない。

橋下によれば、最初からNATOが軍事力を放棄すればロシアのやりたい放題になる。

とにかくあらゆるオプションを考えるのが政治である(べきである)。

橋下によれば、ロシアは飛行禁止区域なければNATO圏を攻撃すると言っている。

(ウクライナ国民の)4000万人の避難は(誰が?)無理だと諦めるべきではない。

そもそもこの(ウクライナの)中立化は戦争なんかやらなくてもNATOとロシアで政治的に決着する話であり、どうせウクライナを加盟させる意思もないのにこの2月にアメリカが突っぱねたことにも責任がある。

(ウクライナは?)ロシアと協議して赤十字組織などを使って、国外避難希望者を徹底避難させるべきである。

ギリギリのバランスをとる政治の役割がNATOとロシアでできなかった。

(ウクライナは)戦う一択であるべきではない。

今回の政治的妥結は戦争前に特にNATOとロシアがやっておくべきことであった。

(ウクライナは)戦う一択であるべきではない。

とロシアの間で、ウクライナのNATO

ゼレンスキー大統領は、18歳から60歳までの男性の国外避難禁止を解除すべきである。

《NATO―キューバ危機》

プーチンの暴挙は許されないし、ウクライナの壮絶な歴史の理解も必要だが、独ソ戦の悲惨さの理解も必要である。

橋下によれば、NATOとロシアの安全保障のぶつかり合いの考察に東方不拡大の約束の有無の議論は無意味であり、約束があったかどうかにかかわらず、ロシアが脅威と感じたかどうかが問題であり、キューバ危機時のキューバ内ソ連核兵器の配備も、東欧州SSミサイルの配備も、韓国内サードミサイルの配備も、配備しない確約はなかった。

責任の所在については色々あるが、(ロシアが)西側から攻め込まれる恐怖心は我々には想像もできない物凄いものがあるのだろうから、ウクライナだけに犠牲を負わせるのではなく西側とロシアの協議が必要である。

《NATO―政治的妥結》

(西側は、)ウクライナだけに停戦協議の重荷を負わせるべきではない。

橋下によれば、NATOが関与を避けるのは、関与するとNATOにも妥結を求められるからであり、NATO・西側は自分たちの現状を守るためにウクライナを犠牲にしている。

西側は声援だけでなく、何とか退避の仕組みを作るべきであり、そのためにはロシアと協議するしかない。

《NATO―NATO》

ロシアのクリミア併合後、ロシアをG8から追い出し西側は協議のテーブルにも着かなかったが、これは学級委員政治の典型であり、どんなやつ(ロシア)ともとりあえず協議のテーブルに着くのが政治であり、喧嘩してもいい。

橋下によれば、今回侵攻されてしまったのは、軍事力や軍事同盟・集団的自衛権が不十分で、核兵器も保有していない国であり、集団的自衛権や核兵器まで保有し軍事力の強いNATOは侵攻されていない。

弱肉強食だと言われようが戦争を食い止めるのが国際政治である(べきである)。

橋下によれば、軍事力反対!!集団的自衛権反対!!核兵器反対!!とは真逆のことをやってきたNATOこそが国民(※小方 加盟諸国民?※)の安全を確保できている。

ロシアを倒すためか、追っ払うためか、非戦闘を逃すためか、経済制裁でロシアが瓦解するまで時間を稼ぐためなのか、(誰の?)冷厳な判断が必要であり、祖国防衛!国際秩序維持!というお題は(誰の?)合理的判断を誤らせる。

橋下によれば、NATO戦えではなく、それはできない。

ウクライナを犠牲してでも妥結を突っぱねるか、ウクライナを犠牲にするほどでもないものか(誰が?)判断すべきである。

橋下によれば、バイデン・NATO政治の最大の問題は覚悟もないのに脅しを使うことであり、口だけであり、中露に見透かされている学級委員政治であり、この感覚は元政治家の感覚では理解不能である。

(ウクライナは)住民避難をすべきである。

《NATO―国民投票》

戦争が始まれば闇雲な戦い一択は危険であり、やめるべきである。

ウクライナ東部地域については、(ウクライナの? ロシアの?)国民投票で決するか、NATOが一部ロシアに譲歩し、NATO圏(※小方:ウクライナはNATO圏でないはず※)とロシア圏がぶつかるエリアの軍備管理・軍縮などを行うことによって、ウクライナの負担を軽くするべきである。

西側とロシアが譲歩しながら政治的な妥結して収めるべきである。

ウクライナがレッドラインを越えれば妥結案と国民投票を行うべきであり、NATO・西側もロシアとの妥結案に関与すべきである。

最後は西側とロシアとの話し合いで解決するべきである。

《NATO―その他》

(西側は、)自分が戦えないなら政治的な妥結を探るべきである。

英トラス外相、ウクライナ支援の強化訴えへ、との報道があり、トラス氏は「もしプーチンが成功すれば、欧州全体が計り知れない悲惨な状況に陥り、世界中に恐ろしい結果がもたらされる。われわれは二度と安全だと感じることがなくなる。」と言っている。

(西側は、)終始、政治の知恵で解決すべきである。

ウクライナ国民の彼ら彼女らの全員が将来のロシアの蛮行を防ぐために、自分の命を投げ打つ、この苦しみを受け入れると考えているのか、それともとにかく今目の前にある恐怖から逃れたいと考えているのか、それは安全な日本からは分からないことだ。

西側はウクライナの抵抗を見ているだけではいけない。

「衣服まとめろ」ロシアに連行されたマリウポリ住民、恐怖の体験語る、との報道があるが、この男性は、連行後退避所経由でロシア内の親戚の家で生活しており、その他ロシア内の避難所で生活している者多数がおり、強制連行は許されないが、全て死やシベリア抑留に繋がるかは分からないので、(ウクライナ(メディア)は)正確な情報が必要である。

今ウクライナに供与している武器はロシアに怒られない程度のものであり、であれば西側はプーチンと妥結を目指すべきである。

ウクライナの一般市民が犠牲になって(ウクライナの中立化が?)達成されるものではない(と橋下徹は思う)。

今西側の個別の首脳がやっているのは停戦要求であるが、これは政治的妥結ではなく、政治的妥結とは犠牲と譲歩の均衡点・最適解を見つけることであり、単純な譲歩とは全く異なるものである(べきである)。

(ウクライナにおいて、)逃げたか、逃げれなかったかの差は大き過ぎる(と橋下徹は思う)。

精神論だけの戦争指導は危険であり、避けるべきである。

(どこの?)住民43万人の約4分の1が開戦後数日のまだ可能な時期に脱出したが、だが、戦争になると信じていた(ウクライナ)人は少なかったし、過ちに気がついたときは時すでに遅しだった(と橋下徹は思う)。

ひとたび戦争が始まった以上、武力で勝敗を付けるか、政治的に妥結するしか終結方法はない。

(ウクライナにおいて、)一般国民が逃げたか、逃げられなかっかの差はあまりにも大き過ぎる(と橋下徹は思う)。

戦争の究極の解決方法は政治家が戦地に赴くことである(べきである)。

リウポリから脱出したAP記者のルポでは、(住民は)退避する意識があれば退避できたとのこと(と橋下徹は思い)、1日遅れただけで逃げられた者とあの中に留められている者の差になり、今後の展開ではその差はあまりにも大き過ぎる(と橋下徹は思う)。

いざ戦争が始まれば、戦争指導は戦闘員の視点だけではなく、悲惨な状況の非戦闘員の視点も持たなければならず、ウクライナとロシアとの停戦協議を傍観している西側の政治家、国民も同じである。

(ウクライナが)停戦したら、敵国(ロシア)に、反敵国の(ウクライナの)者は虐殺されるのであろうし(と橋下徹は思い)、まあ俺(橋下徹)もその対象になるのであろうが、でも大阪府民の多く(ウクライナ人の多く)が死ぬより反敵国の(ウクライナの)者が殺される方がまだましちゃう?(と橋下徹は思う)。

(西側が)本気の制裁ができないなら、(ロシアへの?)懐柔策を講じるべきである。

実際にマリウポリはじめ避難できた市民と避難できなかった市民がいます(と橋下徹は思う)。

懐柔策が嫌なら本気の制裁をするべきである。

ウクライナ市民が火炎瓶を投げる映像もあるし、逆にロシア兵がウクライナ一般市民には虐殺行為をしていない映像もある(と橋下徹は思う)。

本当にウクライナを助けるというのなら西側が多少負担・譲歩してでも、ウクライナの安全を保証しヨーロッパの安全を保障する枠組みについてロシアと政治的妥結を目指すべきであり、もちろんロシアにも譲歩させるべきである。

戦う選択をしたウクライナの人々の決意には(橋下徹は)敬意を表しますが、国民全体のうち戦闘員の数はどのくらいなのか、今、マリウポリで悲惨な状況に陥っている市民は全員戦う決意をして死を覚悟しているのか、と考えれば、(橋下徹はその種の市民は少数だと思っており、)退避したい市民、生き残りたい市民は(多数)います(と橋下徹は考える)。

西側が多少負担・譲歩してでも、ウクライナの安全を保証しヨーロッパの安全を保障する枠組みについてロシアと政治的妥結を目指すべきであるとういことは、ウクライナ一般市民の被害を考慮した上での複数選択肢の一つとして、完全否定されるべきではない。

仮に(ゼレンスキー)大統領を支持していても退避したい国民も相当数おり(と橋下徹は思い)、これが戦う視点だけではなく退避する視点も必要な所以である。

マリウポリの製鉄所、状況は「危機的」、指揮官が第三国による救出要請

激戦地では最後は救出要請があったが、これが戦争の現実であり、これまで同様に救出して欲しいと思いながら死んでいった一般市民は多数いるだろう(と橋下徹は思う)。

narrativeを肯定し)、ゆえにロシアを武力で倒すことだけでなく、アメリカ・西側とロシアによってヨーロッパの安全保障の枠組みを作ることで早期に停戦を目指す選択肢も必要であると言い、戦う一択ではダメであると言っている。

(ウクライナでは、)これまでも多くの一般市民が救出を願いながら死んでいっただろう(と橋下徹は思う)。

西側は、今の占領地を奪還できる武器ではなく、それとも今の占領地をある程度認めざるを得ず占領地を拡大させない防衛的な武器しか供与できないなら、(ロシアとの?)政治的妥結を模索すべきである。

一般市民にとって学者のどんな抽象的な論よりも、目の前の死の恐怖から逃げたい方が勝ることが多いだろう(と橋下徹は思う)。

単なる反戦の声は意味がなく、政治運動にはゴールに向かうための戦略が必要である。

(ウクライナの国民が)命が奪われる恐怖は抽象論では拭い去ることはできない(と橋下徹は思う)。

いざ戦争が始まれば、戦争指導は戦闘員の視点だけではなく、悲惨な状況の非戦闘員の視点も持たなければならないということを(、ウクライナ、ゼレンスキーは知るべきであり、)ウクライナとロシアとの停戦協議を傍観している西側の政治家、国民も同じである。

東部最前線のウクライナ兵、要衝から撤退、心苦しさ残るも「生きていて安堵」、との報道があるが、(ウクライナの兵士が)生きることを第一に考えることは当然であるべきである。

死の恐怖に晒されていない者が勇ましいことを言うのは最悪である(べきである)。

「市民保護徹底を」と、ウクライナ人道危機、国連安保理が協議したと時事通信が伝えた。

戦争する覚悟もない罵倒は学級委員的悪口であり、それでウクライナの安全を保障するための協議ができるか不安であるので、バイデンはもっと政治家になるべきである。

国連安保理は、「市民保護徹底を」と、ウクライナ人道危機を協議した。

とにかくEUは早急にウクライナを仲間にするべきである。

橋下徹は、戦うウクライナ人には敬意を表します。

EUは、コロナワクチンワープスピード作戦ばりの緊急手続きでウクライナの加盟を早期に承認するべきである。

西側諸国の反戦の声がプーチンに届くよりも男性出国の件がゼレンスキー氏に届く可能性の方が高い。

EUはウクライナだけに重荷を負わせるべきではない。

(ウクライナにおける)戦闘任務を、(橋下徹の意見に従って仮に)第一に露軍の足止めとすれば、(その結果は)沖縄戦と同じになるだろう(と橋下徹は思う)。(意味不明)

EUは口だけでなく、ウクライナの加盟を早期に認めるべきである。

(ウクライナ軍は)市民を守らない軍になりかねない。

《NATO―ウクライナ、ゼレンスキー》

(ウクライナは)敵国内への反撃能力がなければ自国内だけでの戦闘に終始し自国の一般市民だけが犠牲になり、ロシア市民は普通の生活を送っている(と橋下徹は思う)。

交渉成功の1%の可能性を成功させるには、ウクライナとロシアだけの協議にしてはならならず、ウクライナの安全を保証するために、NATO・西側も関与してヨーロッパの安全保障の協議にすべきである。

(ウクライナにおける)戦闘任務を、(橋下徹の意見に従って仮に)第一に露軍の足止めとすれば、(その結果は)沖縄戦と同じになるだろう(と橋下徹は思う)。(意味不明)

NATOはウクライナから今回の戦争を引き取って、5核保有国で話し合い解を見つけるべきである。

(ウクライナ軍は)市民を守らない軍になりかねない。

NATOはウクライナを助けるべきである。

(ウクライナは)敵国内への反撃能力がなければ自国内だけでの戦闘に終始し自国の一般市民だけが犠牲になり、ロシア市民は普通の生活を送っている(と橋下徹は思う)。

ウクライナだけに犠牲を負わさず、NATOも関与してヨーロッパの安全保障の枠組みを作るべきである。

状況も変わる可能性があり、太平洋戦争末期時において誰が今のような日本を想像できたか、誰がソ連の崩壊を想像できたか?と考えれば、誰も想像できなかったと橋下は考える。

NATOがウクライナの安全とヨーロッパの安全保障を政治で決めるべきである。

西側諸国の反戦の声がプーチンに届くよりも男性出国の件がゼレンスキー氏に届く可能性の方が高い。

NATOはウクライナから今回の戦争を引き取って、5核保有国でしっかり話し合って解を見つけるべきである。

ロシアの暴挙は許されないが、ただし今回の戦争はNATOとロシアのつばぜり合いから生じたものである。

防衛力が不十分なウクライナではロシアに狙われるのでレッドラインを公表できないだろうが、日本では戦争指導の在り方として議論するべきである。

ウクライナが同意済みって、政治・学者エリートだけでそんなことを決められたらたまったものじゃなく、それに従う国民もいれば嫌な国民もいる。

本件はウクライナの戦闘と犠牲によって解決する問題ではなく、NATOとロシアが政治で解決すべき問題である。

生きていれば道が拓ける場合があり、日本も終戦間際に生き延びていれば戦後日本の生活を享受できた。

ウクライナはNATO加盟はしないと言っているのだから、NATOはロシアと再度協議すべきであり、まずは停戦である(べきである)。

太平洋戦争を経験している日本なのに、今の政治家や学者たちは祖国防衛だの長期戦だの国際秩序維持だの机上の論ばかり唱えている。

ウクライナは、NATOとロシアの政治的妥結の失敗の責任を取らされているだけであり、NATOとロシアが始末をつけるべきである。

西側諸国はロシアと戦わない。

NATOは自らの主張を維持するためにウクライナに武器を供与(するべきである)。

西側諸国はロシアに譲歩もしない。

NATOの主張を維持するためにウクライナ一般市民はここまで命を棄てなければならないのか?と言えばそうあるべきではない。

西側諸国は、武器を提供し経済制裁はするが、武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道がある。

NATOとロシアがこの協議で政治的妥結をすればウクライナを救えうことができる(ので、そのようにすべきである)。

ウクライナの4000万人(国民の)避難は現実的ではないし、祖国を守ることも大切であるが、しかし戦況と見通しの分析なく戦う一択を行うのは間違っており、それは日本の太平洋戦争の経験で明らかです。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

ウクライナ人がかつての旧ソ連の蛮行を恐れるのは理解でき、今のロシアに対しても理解できるが、ただし時代も変わっており、かつての時代にはこのような戦中協議はなく、中国がロシアに働きかける可能性もある。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

この日本ですら逃げろ!と言う僕には総バッシングで、戦え!と言うアンドリーさんには称賛の嵐であるが、ウクライナ現地ではどうか?

ウクライナだけでは譲歩させられ過ぎるので、その負担を和らげるのはNATOの妥あるべきであり、もちろんロシアにも譲歩させるべきであり、それにはNATOの力が必要であるべきである。

ウクライナは、本気で国際社会がロシアを倒すならその後道が拓ける。

ウクライナの領土を守るために、NATOがロシアの他の利益を埋めることを考えるのが政治である(べきである)。

国際社会がロシアを倒せないならウクライナの犠牲は拡大するばかりである。

NATOがもっと前に出てウクライナの安全を保証すべきである。

今は残念ですがアンドリーさんのように日本で暮らすことのできるウクライナ人をできる限り増やすべきです。

NATOはウクライナの安全保障についても政治的知恵を絞るべきである。

(ロシアの?)状況も変わる可能性があり、太平洋戦争末期時において誰が今のような日本を想像できたでしょうか?、ソ連の崩壊を想像したでしょうか?

NATOが大きく変わる新しいヨーロッパの枠組みの中で、ウクライナの安全が保証される国際政治が行われるべきである。

支援してくれるNATO批判は忍びないというナザレンコさんは立派です。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

戦争は始まるまでが勝負であり、軍事力・軍事同盟を強化し、核を保有し、場合によっては二枚舌三枚舌密約外交をやる必要があり、NATOが象徴である。

、ウクライナとロシアの間でその均衡が崩れた結果であり、日本でそのようなことを起こしてはならなず、政治はギリギリの均衡を保つべきである。

責任の所在はともかく残念ながらウクライナにはそれ(戦争は始まるまでが勝負であり、軍事力・軍事同盟を強化し、核を保有し、場合によっては二枚舌三枚舌密約外交をやる必要があり、NATOが象徴である)が足りませんでした。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

ゼレンスキー大統領は、「NATOにウクライナ受け入れる覚悟ない」、「安全の保証」条件に加盟断念も、と言っている。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

NATOはウクライナを加盟させる気がないにもかかわらずオープン・ドア・ポリシーという建前論にこだわるのは、死を突きつけられていない学者たちの思考である。

《NATO―NATO・前面、主体》

(学者は?)そもそもウクライナだけを犠牲にしているという認識があるのか、(一般的に? 橋下徹にとって?)不明である。

NATOは前面に出るべきである。

ロシアの蛮行から祖国を守る、戦地の兵士には(橋下徹は)敬意を表します。

ウクライナに全責任を負わせないために、NATOが前面に出るべきである。

ゼレンスキー大統領はロシアとの停戦協議においてウクライナの中立性についてはNATOとロシアにウクライナの安全を確約して欲しいと訴えている。

NATOが前面に出るべきである。

NATOもロシアも相互に脅威を感じている。

NATOは前面に出て戦うべきである。

ゼレンスキー大統領はNATOとロシアを加えて欧州の安全保障の枠組みを0から作り直すべきと主張したが、ウクライナを支えると言ってきた西側は応えていない。

NATOが前面に出るべきである。

ウクライナはNATO現状維持のために犠牲になっており、停戦交渉を有利に進めるためには戦闘優位にならなければならないが、NATOはロシアとの交戦を恐れ、ウクライナを強力に支援しない。

NATOは前面に出るべきである。

NATO・西側はウクライナとロシアの停戦協議を傍観するだけであり、これは良くない。

NATOや核五大国が政治的に解決するべきである

民主国家の政治家はいくらでも代替可能というのが大前提である。

NATOも停戦協議の主体に出るべきである。

戦争指導の研究は日本にはないので、日本の政治家たちもこんな(最悪のゼレンスキーやウクライナ政府のような)戦争指導をやるのだろう。

NATOは本来戦争の主体であるべきである。

ウクライナ・ロシア戦争において、ウクライナ兵の決死の戦闘に(橋下徹は)敬意を表する。

《NATO―ロシア》

僕(橋下徹)は奴隷の平和を選べとは言っていない。

NATOとロシア、核五大国で協議するべきであり、ウクライナだけに犠牲を負わせるべきではない。

NATOが前回拒否したウクライナのNATO非加盟は、今回ウクライナが認めることになるので(NATOとロシアとの)協議は進展するはずである。

NATOはロシアに経済圧力をかけつつ、ロシアと協議するべきである。

このNATOとロシアの政治的妥結のために、どれだけのウクライナ一般市民の命が必要なのかと考えれば、一番はプーチンの責任だが、(西側の?)政治家全般の責任である。

NATOはウクライナの犠牲を止めるためにロシアと協議するべきである。

(ロシア・ウクライナ戦争は)ウクライナの自由、民主、独立、尊厳を守るための戦争というよりも実質はNATOの主張を維持するための戦争になっている。

NATOはロシアと安全保障の在り方について政治の知恵を振り絞るべきである。

「衣服まとめろ」ロシアに連行されたマリウポリ住民、恐怖の体験語る、との報道があるが、この男性は、連行後退避所経由でロシア内の親戚の家で生活しており、その他ロシア内の避難所で生活している者多数がおり、強制連行は許されないが、全て死やシベリア抑留に繋がるかは分からないので、(ウクライナ(メディア)は)正確な情報が必要である。

NATOはロシアを非難し制裁を加えつつも、ロシアと協議するべきである。

(ウクライナ戦争の)争点はウクライナの中立化やから(誰の?)政治的妥結の話である(べきであると橋下徹は信じる)。

NATOは派兵ができないならロシアと協議するべきである。

そもそもこの(ウクライナの)中立化は戦争なんかやらなくてもNATOとロシアで政治的に決着する話であり、どうせウクライナを加盟させる意思もないのにこの2月にアメリカが突っぱねたことにも責任がある。

NATOはロシアと協議するべきである。

いざ戦争になった場合に、戦う一択の(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦争指導がいかに危険かということを(橋下徹は)今回の痛感した。

NATOがロシアとの協議につくべきである。

一般国民の被害が拡大しない限り(ウクライナの)負けはないし、停戦協議でも不利に押し込まれない(と橋下徹は思う)。

解決当事者はNATOとロシアである。

ウクライナだけに譲歩を求めるのは酷であると橋下徹は思う。

NATOはロシアと何とか折り合いを付けるべきである。

ウクライナの民間人被害に関して、結局、生き残っていくのは(ゼレンスキー達)政治家とか戦争指導者たちである(と橋下徹は思う)。

NATOはロシアと密約し、ウクライナのフィンランド化を目指すべきであった。

(ウクライナでは、)精神論だけの抵抗や抽象論の国際秩序の維持は悲劇を生みます(と橋下徹は思う)。

NATOは、ベラルーシに核兵器が配備されれば、なおさらロシアと協議するべきである。

(ゼレンスキーが行っていると橋下徹が思うように)戦うことに熱くなり戦うことを美化すると、一般国民の安全確保が疎かになる(と橋下徹は思う)。

今後NATOがロシアと協議する必要性が出てくるのであれば、ウクライナを助けるために今やるべきである。

戦争が始まれば、(ゼレンスキーにとって)自軍の力と敵軍の力を冷静に分析し、一般国民を守りきれないと判断すれば一般国民を退避させることに全力をあげる戦争指導がいかに大切かは明らかである(と橋下徹は思う。)

NATOはロシアと協議するべきである。

(ウクライナにおいて)キーウ中心地は国防の総力を集めたのでウクライナの中では比較的安全だったようですからキーウ中心地はむしろ避難地であり、他方(ウクライナ政府が)守りきれない地域はたくさんあった(と橋下徹は思う)。

NATO・西側の政治家はウクライナの安全を守るヨーロッパの安全保障の枠組みをロシアと作るべきである。

(ウクライナ政府による)侵攻直前・後から一般市民徹底退避の戦争指導ができていれば、マリウポリは全員に近い退避はできたと(橋下徹は)思うし、その他の地域でもできたのではないか(と橋下徹は思う)。

停戦協議中のウクライナの安全とロシアの安全くらいは、戦争になる前にNATOとロシアが政治的に折り合いをつけておくべきだったが、NATOは責任を感じて、今からロシアと政治をするべきである。

(ウクライナ政府、ゼレンスキーが)戦うことだけに熱くならず、侵攻直前・後から徹底した一般市民退避指導をやっていれば、マリウポリをはじめ多くの市民の命を救えたことは事実でしょう(と橋下徹は思う)。

ウクライナの安全を保証するために、NATO・西側も関与してヨーロッパの安全保障の協議をロシアとするべきである。

(ウクライナ戦争において)完全な事前計画は確かに無理ですね(と橋下徹は思う)。

NATOはロシアとヨーロッパにおける安全保障の協議をするべきである。

キーウ中心地を国防の総力をあげて守るならそこは避難地にもなります(と橋下徹は思う)。

停戦協議の中身もウクライナ東部地域の問題以外は、NATO・ウクライナ・ロシアの安全保障の枠組みの話であるべきである。

市民を残して早々と脱出した市長の報道発表やAP記者の記事によると市民の4分の1が侵攻開始直後に避難したとのことであり、1日の差で逃げられなくなり強制連行の対象になったり、今悲惨な状況の中で総攻撃を受けるかもしれない環境であり、(ウクライナ、ゼレンスキーは)侵攻直後の退避指導が必要でした。

ウクライナは単なる被害者に過ぎないのであるから、NATOは、元々のNATOとロシアの政治の話に戻すべきである。

(ウクライナにおいて、政府が)生き残りたい一般市民を全員生き残らせることは不可能であり、それは今の日本社会でも無理でしょう。

NATOはロシアと政治で解決するべきである。

ロシアが悪なのは当然であり、ロシアの即時撤退は当然である(と橋下徹は思う)が、ただし戦わない一般市民の退避を念頭におくかどうかは(ゼレンスキーの)戦争指導として超重要である(が、ゼレンスキーはそれを行っていないのだ駄目である)。

NATOとロシアは、終始、政治の知恵で解決すべきである。

比較的安全が確保され、いざとなればいつでも亡命できる体制を備えている(ゼレンスキー等)戦争指導者層たちの感覚と今のマリウポリ市民の感覚には大きなズレがあると(橋下徹は)思います。

NATOがロシアを叩き潰すだけの武器をウクライナに供与する覚悟がないなら、ロシアの化学兵器・戦術核の使用を止めるためにNATOはヨーロッパの安全保障の枠組みとウクライナの主権についてロシアと政治的妥結をはかるべきである。

ウクライナ高官「今後2週間、東部で重大な戦闘」、露軍攻勢か、との報道があるが、(ウクライナ政府、ゼレンスキーは)キーウ中心地防衛と同じく国家の総力をあげて一般市民の退避を行うべきである。

この戦争を終結させるにはNATOがロシアとヨーロッパにおける安全保障の協議を行うべきである。

(ウクライナに)一般市民救出のためにマリウポリに身を置ける政治家がいるかと問えば、いないだろう(と橋下徹は思う)。

ウクライナはNATO加盟はしないと言っているのだから、NATOはロシアと再度協議すべきであり、まずは停戦である(べきである)。

(ゼレンスキーのように)一般市民の恐怖をリアルに感じない者は、一般市民の犠牲を安易に容認する(と橋下徹は思う)。

ウクライナは、NATOとロシアの政治的妥結の失敗の責任を取らされているだけであり、NATOとロシアが始末をつけるべきである。

当事国の(ウクライナの)国民は勝利を熱狂的に望むしそれに反する言葉は出せないので、だからこそ国家指導者(ゼレンスキー)の判断が必要になるというのも僕と小野寺さんの認識である(と橋下徹は思う)。

NATOは軍事介入できないなら政治的妥結の再協議をロシアと行うべきである。

一番の犠牲(者)はウクライナであり、市民の命の莫大な犠牲と国土の破壊があり、ウクライナに関する限り戦争前の妥協可能点より悪くなっている(と橋下徹は思う)。

NATOとロシアがこの協議で政治的妥結をすればウクライナを救えうことができる(ので、そのようにすべきである)。

結局ロシア・ウクライナ戦争はウクライナの利益だけでなく、ヨーロッパ・西側の多大な利益になる(と橋下徹は思う)。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

マリウポリの製鉄所から市民約20人救出、ウクライナ側に避難開始か、という報道がされているが、(ウクライナ政府にとって)一般市民の退避・救出が戦時においては最も重要であるべきである。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

(ウクライナ戦争において、橋下徹の考えに従って)市民の命を守ることを戦闘任務の第一に置くなら、市民の命を守るためのもっと早い段階での(ゼレンスキーらの)投降判断が必要であった。

ウクライナだけでは譲歩させられ過ぎるので、その負担を和らげるのはNATOの妥あるべきであり、もちろんロシアにも譲歩させるべきであり、それにはNATOの力が必要であるべきである。

西側諸国の反戦の声がプーチンに届くよりも、(ウクライナからの)男性出国の件がゼレンスキー氏に届く可能性の方が高い。

ウクライナの領土を守るために、NATOがロシアの他の利益を埋めることを考えるのが政治である(べきである)。

ナザレンコ・アンドリーのように戦争の壮大な意義に熱くなれば、結局利用されるだけになってしまいます。

ロシアと相互譲歩に持ち込めるのはNATOであるべきである。

僕(橋下徹)の話にリアリティがないとうるさかったので、リアリティを引っ掛けてちょっと言い返し過ぎたかもしれません。

ロシアの蛮行を早期に止めるにはNATOの軍事介入かNATOとロシアの政治的妥結しかなく、前者は世界大戦になってしまうので、後者しかない。

(橋下徹は)戦地の戦闘員には敬意を表する。

モルドバが戦火にまみれることは、政治・外交の力で絶対に防がなければならなず、ここはNATOとロシアの政治的妥結が絶対に必要であり、ウクライナの抗戦も寄与するが、とにかく政治・外交も同時に必要であって、これはNATOとロシアのヨーロッパ安全保障の枠組みについての政治的妥結であるべきである。

ナザレンコ・アンドリーは祖国のことは辛いやろうけど停戦が訪れることをとにかく願うべきである。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

ナザレンコさんの言うように死者は何も言えないが、他方生きている者にとっては戦闘で勝つことを望むのは当然であり、そして生きているからこそ、たとえ一般市民が犠牲になっていてもどんな戦闘にも(誰が?)最大の意義を見出します(と橋下徹は思う)。

、ウクライナとロシアの間でその均衡が崩れた結果であり、日本でそのようなことを起こしてはならなず、政治はギリギリの均衡を保つべきである。

ウクライナ情勢で米バイデン大統領は”核戦争懸念する必要ない”と言ったが、このバイデン政権の認識は大丈夫か?と橋下徹は思う。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

企業に経済制裁を強要すべきではないという声があるが、いやいや、経済制裁はロシア国民の不満を爆発させようという戦略なのだから、これだとプーチン政権が追い込まれなくなる。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

ウクライナはどこまで戦わなければならないのでしょうか、橋下徹は疑問に思う。

《NATO―東方拡大》

(ウクライナ戦争の西側・ロシアの)政治的妥結は細谷さんからすると国際秩序を揺るがすことになるのでしょう。

NATOは東方拡大に制限をかけるか、ロシアの要求を突っぱねて戦うべきである。

旧ソ「ミグ29」のウクライナ提供が難航し、米国がポーランド提案拒否したが、アメリカもポーランドも結局自分が責任を負うことから逃げる。

プーチンの最終目標が本当にNATOの東方拡大の阻止なのであれば、ウクライナに全責任を負わせ戦わせないために、NATOはロシアに譲歩して攻撃を止めさせるべきである。

今の中国は欧米の制裁に負けたというのを最も嫌がり、それはアヘン戦争の敗北の歴史からの脱却が原動力なんやからである。

NATOの途方(東方)拡大が誤りか正しいかなんて議論してもどの論点の結論にも影響しない神学論争であり、すべきではなく、以上。

バイデン・NATO政治の最大の問題は覚悟もないのに脅しを使うことであり、口だけであり、中露に見透かされており、学級委員政治である。

《NATO―加盟》

バイデン・NATO政治、欧米は、拒否権2票持っている中露相手に何を議論するの?であり、議論は無駄である。

NATOはウクライナを加盟させるべきである。

これ(ウクライナ戦争?)を安全保障理事会の議論で解決するというのが学者の感覚なら、その道の学者にとっては安保理は凄い存在なんだろうと、橋下徹は思う。

NATOはウクライナを素早くNATOに加盟させるべきである。

プーチンは総攻撃するか、と橋下徹は予想・期待する。

NATOはウクライナを加盟させるべきである。

米国においても、トランプ政権は、あれもこれも理想を掲げて結局何一つ実現しなかったオバマ政権とは違って、アサド、ロシアを容認しISを潰した。

ウクライナが抗戦すれば、NATOは腹を括ってウクライナをNATOに入れるべきである。

第二次世界大戦でソ連を引き込むヤルタ協定も、第一次世界大戦で太平洋の防衛を日本に任せるための石井ランシング協定も、最後は懐柔策だった。

ウクライナ大統領は即座のNATO加盟は期待せずと言っているが、このようなことはNATOとロシアの政治の話である。

ロシアが戦術核を使用することは絶対にあり得ないと専門家で断言する人を(橋下徹は)見たことがなく、誰に聞いても可能性は否定できないと言うが、アメリカが、ロシアの戦術核の使用は絶対にないという情報を(誰が?)持っていればいい(と橋下徹は思う)。

《NATO―プーチン》

ウクライナ戦争で一番利益を被っているのはアメリカであり、一滴の血も流さず、軍事産業の株価は爆上がりであり、兵器の無償支援でもドルは基軸通貨なので何の問題もなく、ロシアの国力は衰退する(と橋下徹は思う)。

NATOとプーチンが解決するべきである。

アメリカは本当に大丈夫か(と橋下徹は思い)、危険なチキンレースになっていないか(と思う)。

ロシアがウクライナを植民地化することが目的なら徹底抗戦しかないが、NATOの在り方を変えたい目的ならウクライナだけが犠牲になる必要はなく、NATOの指導者とプーチンが政治的妥結をしてウクライナ人の生命を救うべきである。

アメリカはキューバ危機のときはもっと慎重だった(と橋下徹は思う)。

NATO指導者はプーチンと政治的妥結をするべきである。

(この戦争は)プーチンやバイデンはもちろん西側諸国も含めた政治家たちで早期に解決するべきである。

NATOはプーチンと折衝するべきである。

仏独首脳がプーチン大統領と電話会談し、停戦要求をしたが、「難しいものだった」という報道があるが、仏独首脳がやっているのは政治ではなく政治運動であり、政治運動は自分の言いたいことを言うだけであるが、今のプーチンに戦争を止めろ!と言うだけで停戦になるわけがない。

プーチンのウクライナ中立化・非武装化の要望に従い、NATOとロシアが安全保障の問題を協議するべきである。

結局戦争とはこういうものであり、いくら勇ましいことを言っても(マリウポリ)市長ですら死の恐怖から逃れたい(と橋下徹は思う)。

ロシアのウクライナへの要求は明確だが、今の戦況でのプーチンのNATOに対する要求は不明であり、政治とはたとえ相手が残虐な独裁者であってもまず相手の要求を聞くことであるので、聞いた上で妥結は無理か可能かを判断するべきである。

ウクライナ南部マリウポリ、約5000人死亡、ロ軍の包囲で、と報道されており、市長が市民を残して逃げてしまったが、これが戦争のリアルである。

NATOはヨーロッパの安全保障の枠組みについてプーチンと政治をするべきである。

中国も凄まじい圧力を韓国にかけてサードの追加配備を阻止した。

NATO・西側の政治家は少しは責任を感じて悪魔のプーチンと政治をするべきである。

この紛争はNATOとロシアの紛争である。

NATO指導者は、もちろんロシアへの経済制裁をやりながらプーチンと政治的妥結をするべきである。

ロシアのウクライナ侵攻の紛争はNATOとロシアの紛争である。

ロシアのウクライナへの要求は明確でも、今の戦況でのプーチンのNATOに対する要求は不明だが、政治とはまず相手の要求を聞くことであり、たとえ相手が残虐な独裁者であっても、聞いた上で妥結は無理か、可能かを判断すべきであり、要求も聞かずに妥結は無理と決め付けるのは政治ではない。

ロシアとウクライナの会談において、交渉継続合意も、停戦実現楽観できずという報道があるが、ウクライナは理不尽な戦争で必死に戦っている。

ロシアは飛行禁止区域なければNATO圏を攻撃すると言っているが、NATOはロシアと戦争はできないので、ヨーロッパの安全保障の枠組みについてプーチンと政治をすべきである。

国家の非武装はあり得なず、中立性はウクライナだけの問題ではなく、結局NATOとロシアの勢力均衡ラインの軍備管理の話である。

今回の戦争がヨーロッパの安全保障の枠組みを巡っての政治の失敗が主な原因であれば、NATO・西側の政治家は少しは責任を感じて悪魔のプーチンと政治をし、ウクライナの安全を守るヨーロッパの安全保障の枠組みを作るべきである。

橋下徹は、ウクライナの戦いには敬意を表します。

《NATO―譲歩》

ただこんな酷いロシアの攻撃があり、さらにエスカレートする可能性があるのに、ロシアが経済的に崩壊し、民衆による政権転覆、軍事力クーデターが起きるまで、ウクライナ国民頑張れ!と(西側諸国民が)声援を送るのは、間違っている。

ウクライナ人の生命を救うために、NATOの指導者はロシアに譲歩するべきである。

もはや紛争はNATO対ロシアになっており、ウクライナの犠牲を止めてNATO対ロシアになっている。

ロシアに譲歩することになろうが、NATOの指導者は政治的妥結を求めるべきである。

NATOや現状の国際秩序を死守するために、それを変えたいロシアはウクライナに矛先を向け、ウクライナだけが犠牲になっている。

ウクライナだけの譲歩はダメ、ロシアにも譲歩させるべきであり、そのためにはNATOが譲歩するべきであり、NATOの譲歩分だけウクライナの譲歩が減る。

西側諸国はウクライナ頑張れ!武器を供与する!とだけ言っている。

NATOはウクライナの被害を拡大させないためロシアに譲歩するべきである。

西側諸国民は幸せな生活を送り続けます。

NATOとロシアが互いに譲歩をしてキエフ総攻撃を回避するべきである。

ウクライナのNATO=北大西洋条約機構加盟を防ぐためにロシアが武力を行使すること」については、ロシア人の50%が「正当」と答え、25%が「不当」と答えたので、ロシア人はNATO東方拡大阻止のためには武力行使も正当という意識を持っている。

ウクライナが過大な譲歩を迫られないようにNATOはロシアとヨーロッパの安全保障の枠組みを協議し直すべきである。

西側は当時のセルビア・ミロシェビッチを敵視しコソボを支援し、ロシアはウクライナ・ゼレンスキーを敵視し東部とクリミアを支援したが、安保理の決議なく軍事力を使ったのは両方同じである。

NATOは東部地域のウクライナの主権を守ることと譲歩とのロシアとのトレードオフを考えるべきである。

NATOはウクライナを加盟させるつもりもないのに、それをロシアに約束するのはウクライナの主権を害し、NATOのオープンドアポリシーに反すると学級委員みたいなことを言うが、これはNATOとロシアで何とか折り合いを付ける話である。

停戦協議を速めウクライナを救うためにはNATOがロシアに一定の譲歩を行うべきであるが、もちろんロシアにも譲歩させるべきである。

我々西側諸国は世界大戦を避けるためロシアとは戦えず、国際秩序を守る!と息巻いてもそれはチャーチルではなく、ウクライナを犠牲にして国際秩序を守るということである。

NATOとロシアが互いに譲歩するべきである。

西側諸国が罪の意識を軽くするためにウクライナとともにあると言うのは欺瞞である。

NATOとロシアに譲歩により、キエフ総攻撃を回避すべきである。

ロシアの暴挙は許されないが、ただし今回の戦争はNATOとロシアのつばぜり合いから生じたものである。

西側が本当にウクライナを支援する気があるなら、ウクライナが過大な譲歩を迫られないようにNATOとロシアでヨーロッパの安全保障の枠組みを協議し直すべきである。

今回の戦争はNATOとロシアの安全保障の鍔迫り合いとなっている。

NATOは、停戦協議を速めウクライナを救うためにはロシアに一定の譲歩をするべきであるが、もちろんロシアにも譲歩させるべきであり、まさに政治的妥結を行うべきである。

プーチンはウクライナのNATO加盟とウクライナの核武装の脅威を主張している。

《NATO―政治的妥結》

今のヨーロッパにはNATOという強力な防衛体制があり、(ウクライナが?)プーチンと政治的妥結をしてもプーチンはNATOにはなかなか侵攻できない。

NATOが一定の政治的妥結をして戦争を終わらせるべきである。

プーチン政権を倒すのがベストだが、西側諸国がやるのは経済制裁のみである。

政治的妥結ありえるならNATOの出番である。

いったい、いつまでウクライナに血を流させるんだ?と橋下徹は思う。

NATOはウクライナの犠牲を最小限にすべくロシアと妥結するべきである。

プーチンのウクライナ中立化・非武装化の要望は結局、NATOとロシアの安全保障の問題であり、そこを、きちっと話をつけないからウクライナに悲惨なしわ寄せが来てしまったのである。

NATOはウクライナが必死に抵抗している間にロシアと政治的妥結を探るべきである。

この戦争の本質を理解しNATOも責任を感じるならウクライナだけに負担を押し付けるのはおかしいと気付くはずである。

世界大戦を恐れウクライナに強力な武器を提供できないなら、NATOはロシアとの政治的妥結を探るべきである。

俺(橋下徹)はウクライナに無条件降伏しろなんて言っていない。

西側・NATOはロシアと安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるべきである。

NATOが前回拒否したウクライナのNATO非加盟は、今回ウクライナが認めることになるので(NATOとロシアとの)協議は進展するはずである。

NATO・西側はロシアと安全保障の枠組みについて協議し、政治的妥結を探るべきである。

このNATOとロシアの政治的妥結のために、どれだけのウクライナ一般市民の命が必要なのかと考えれば、一番はプーチンの責任だが、(西側の?)政治家全般の責任である。

NATOはロシアと政治的に妥結するべきであり、それができなかったがゆえにウクライナが狙われたこともNATO・西側は認識すべきである。

そもそもこの(ウクライナの)中立化は戦争なんかやらなくてもNATOとロシアで政治的に決着する話であり、どうせウクライナを加盟させる意思もないのにこの2月にアメリカが突っぱねたことにも責任がある。

NATOはロシア、ウクライナと政治的妥結をするべきである。

ギリギリのバランスをとる政治の役割がNATOとロシアでできなかった。

NATOはロシアと安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるべきである。

今回の政治的妥結は戦争前に特にNATOとロシアがやっておくべきことであった。

本当に必要なウクライナ支援はNATOの軍事介入か政治的妥結であるが、前者は世界大戦になるので無理なので、NATOはロシアと後者の政治的妥結を図るべきである。

ロシアが一番悪い(と橋下徹は思う)。

NATOはロシアと喧嘩できないので政治的妥結をはかるべきである。

(この戦争では、)ロシアが敗走すればいいですが、その前にロシアが戦術核を絶対に使わないという確証があるんでしょうかね?確証があるならいいんですが(と橋下徹は思う)。

ウクライナでの包囲戦での無差別攻撃など介入のレッドラインを検討し、その上でNATOはロシアと政治的妥結を模索するべきである。

これからロシアは南京大虐殺完全否定派が用いる便衣兵殺害論と同じようにウクライナ一般市民が戦闘行為をしてきたと主張してくるだろう(と橋下徹は思う)。

ウクライナの安全、ロシアの安全を保障することは、NATOの安全保障でもあり、それはヨーロッパの安全保障の政治的枠組みの話であり、政治的妥結の話であり、解決方法は戦闘ではなくNATOがロシアと政治的妥結をすることである。

ウクライナ市民が火炎瓶を投げる映像もあるし、逆にロシア兵がウクライナ一般市民には虐殺行為をしていない映像もある(と橋下徹は思う)。

NATOはヨーロッパの安全保障の枠組みについてのロシアと政治的妥結をするべきである。

とロシアの間で、ウクライナのNATO

NATOはウクライナの安全保障とヨーロッパの安全保障に関する政治的妥結をロシアと行うべきである。

ロシアが悪なのは当然であり、ロシアの即時撤退は当然である(と橋下徹は思う)が、ただし戦わない一般市民の退避を念頭におくかどうかは(ゼレンスキーの)戦争指導として超重要である(が、ゼレンスキーはそれを行っていないのだ駄目である)。

NATO・西側もロシアとの妥結案に関与するべきである。

(この戦争は)プーチンやバイデンはもちろん西側諸国も含めた政治家たちで早期に解決するべきである。

この戦争の本質はNATOとロシアの安全保障の在り方であり、NATOは武器の供与だけでなくウクライナを助けるためにロシアとヨーロッパの安全保障の枠組みについてロシアとの政治的妥結をはかるべきである。

今、戦争の悲惨な現実を見て、上念さんは逃げられるならその方が良かったと感じたのだと思うので、そこは(上念さんは)素直になるべきである。

ロシアの化学兵器と戦術核の使用を止めるには、軍事的にロシアを叩き潰すか政治的妥結が必要であるが、世界大戦を避けるために前者を採れないなら、NATOは後者の政治的妥結をロシアと行うべきである。

いったいいつまでウクライナは抵抗すればいいのか言わないまま、西側諸国民は幸せな生活を送り続けます。

ロシアの化学兵器・戦術核の使用を止めるためにNATOはヨーロッパの安全保障の枠組みとウクライナの主権についてロシアと政治的妥結をはかるべきである。

戦争を止める強制力のある司法権が国際社会に存在しない以上、文書の存在を持ち出しても意味がなく、ロシアはブタペスト覚書違反だが、それを言えばベラルーシへの経済制裁も同覚書違反と言われ、イランの核合意を壊したアメリカもそうである。

NATOも軍事力を背景に、ヨーロッパ・ウクライナの安全保障の枠組みについてロシアと政治的妥結のための協議をするべきである。

南オセチア、ウクライナ東部の独立は西側諸国は認めないが、プーチンは西側がコソボ独立を認めたことを批判している。

ウクライナの安全の保証はNATOとロシアの政治的妥結によるべきである。

ウクライナは西側諸国の身代わりになっている。

NATOはロシアとの間でウクライナを含めたヨーロッパの安全保障についての政治的妥結を行うべきである。

西側諸国から見ればロシアには理がないものの、ロシアは理を主張するが、判決が出るまでの裁判上の原告被告はいつもそうである。

NATO・西側はロシアと向き合ってウクライナを含むヨーロッパの安全保障の政治的妥結を行うべきである。

太平洋戦争でも日本で理を主張する者もいれば、戦勝国は日本は侵略者だと言い、安重根は日本ではテロリストだが韓国では英雄である。

NATOが軍事力をちらつかせて、ロシアと政治的妥結をするべきである。

不思議なのは、太平洋戦争は日本の自衛戦争だ!アジアを解放する戦争だ!と叫んでいる者の多くがロシアは侵略者だ!と言っていることであり、理を主張するのはいいが、政治的に妥結できなかったという意味で両方アウトである。

NATOがロシアと一定の政治的妥結をし、戦争を終わらせるべきである。

「ウクライナが核兵器を入手しようとしている」ロシアのラブロフ外相が主張、との報道があるが、戦争に裁判官はいないので自分を正当化する主張はいくらでも出てくる。

政治的妥結ありえるならNATOの出番である。

日本も終戦間際に生き延びていれば戦後日本の生活を享受できた。

NATOが世界大戦を恐れウクライナに強力な武器を提供できないなら、ロシアとの政治的妥結を探るべきである。

太平洋戦争を経験している日本なのに、今の政治家や学者たちは祖国防衛だの長期戦だの国際秩序維持だの机上の論ばかり唱えている。

西側がウクライナを真に支援するなら、NATO・西側はロシアと安全保障の枠組みについて協議し、政治的妥結を探るべきである。

太平洋戦争時、日本は戦う一択であり、終戦に近づくにつれ死者は激増したが、しかし生きていれば戦後の日本の生活を享受できました。

安全保障の枠組みの話は、戦争を避けるために、戦争前にNATOとロシアが政治的に妥結しておくべきものだったものであり、それができなかったがゆえにウクライナが狙われたこともNATO・西側は認識すべきである。

日本の有事の際の国民保護法は、非戦闘員をいかに避難させるかが目的である。

NATO、ロシア、ウクライナでの政治的妥結が必要である。

日本は海に囲まれているので残念ながら国外避難はできないが、もし国外避難できるのであればそれにこしたことはなく、そのような場合にはそうすべきである。

経済制裁が効いてロシアが瓦解するまでウクライナに戦ってもらうやり方だけでなく、NATOとロシアが安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるやり方もあり、後者を選ぶべきである。

西側諸国は大規模国外避難支援に知恵を絞るべきである。

橋下によれば、本当に必要なウクライナ支援はNATOの軍事介入か、ロシアとの政治的妥結であるが、前者が世界大戦になるので無理なら後者の政治的妥結を行うべきである。

確かに歴史や内陸部・島国などの地政学的なものが国民の精神性に影響しているのは事実であり、ウクライナ人と日本人は異なりますし、太平洋戦争時の日本人の精神性にも独特なものがあったのでしょう。

包囲戦での無差別攻撃など介入のレッドラインを検討した上でNATOとロシアが政治的妥結を模索すべきである。

戦い続けるべきか、武器を置くべきかどっち?―日本には国際法や安全保障などを勉強している学者が山ほどいるのに、この肝心の問いに答えられる者が皆無であり、勇ましい政治家と答えられない学者ばかりで日本も有事になったら悲劇である。

戦争になる前にヨーロッパの安全保障の枠組みとしてNATOとロシアで政治的にケリをつけておくべきだった話であったが、政治の失敗で非戦闘員が犠牲になっているが、解決方法は戦闘ではなくNATOはロシアと政治的妥結を行うべきである。

NATO・西側の戦争指導・戦略に合理性があるのかは疑問である。

NATOは武器の供与だけでなくウクライナを助けるためにロシアとヨーロッパの安全保障の枠組みについてロシアと政治的妥結をはかるべきである。

停戦協議の中身を見ればこの戦争は(誰の?)政治で回避できた(はずであると橋下徹は信じる)。

ロシアの化学兵器と戦術核の使用を止めるには、軍事的にロシアを叩き潰すか政治的妥結しかなく、世界大戦を避けるために前者を採れないなら、後者のNATOによるロシアとの政治的妥結をするべきである。

戦う一択の思考は逃げる発想を妨げる(と橋下徹は思う)。

NATOは、ウクライナだけに妥結の重荷を負わせるのではなく、NATOも負担すべきであり、それが嫌ならロシアを軍事的に叩き潰す覚悟を持つべきである。

国際秩序の維持、プーチン政権の打倒、後のロシアの蛮行を防ぐため、自由・独立を守るためなど、これらを(誰の?)戦闘の第一目的に考えると全市民による抵抗、戦うことあるのみ!になりやすい(と橋下徹は思う)。

NATOは軍事力を背景に、ヨーロッパ・ウクライナの安全保障の枠組みについてロシアと政治的妥結のための協議を行うべきである。

今回日本でも(誰が?)(ウクライナの)戦う・抵抗一択の風潮になり、逃げる重要性が叫ばれなかった。

NATOはウクライナの安全保証のためにロシアとの政治的妥結を行うべきである。

一般市民の身分のままでの抵抗は敵国に市民殺害の口実を与えてしまう(と橋下徹は思い)、南京大虐殺を完全否定する者たちがよく持ち出す便衣兵の論である。

NATOはロシアとの間でウクライナを含めたヨーロッパの安全保障についての政治的妥結を行うべきである。

ロシアの戦術核の使用がないままロシアを敗走させるしかないとすれば、その間の一般市民の犠牲はやむなしとなる(と橋下徹は思う)。

NATO・西側はロシアと向き合ってウクライナを含むヨーロッパの安全保障の政治的妥結に動くべきである。

(一般に、)戦闘員を除き、死ぬ恐れのない者は戦うことが第一という思考になりやすい(と橋下徹は思う)。

《NATO―負担》

市民の犠牲を度外視しても祖国のために国際秩序維持のために徹底抗戦すべきと主張する人(誰?)に違和感を覚えるのは、(そういう人が)軍事介入をせず天然ガス一斉禁輸もしない我々西側諸国を徹底批判しないことである。

東部地域の話は、ウクライナの負担とNATOのロシアへの譲歩がトレードオフの関係であるべきである。

いざ戦争になると戦うことが自己目的化し、一般市民の犠牲を安易に認める風潮になってしまう(と橋下徹は思う)。

NATOの譲歩がなければウクライナが全ての負担を被るので、NATOはウクライナと負担を分かち合い、ウクライナを生贄にするべきではない。

ウクライナ避難民のペット、特例で検疫対応を緩和…通常は「最長180日間の隔離」、との報道があるが、狂犬病を甘く見過ぎており、数頭から一気に全国的に広がり、人間の死者も出て、その後大量の殺処分につながった事例もあるとのことである。

NATOはウクライナの負担が最も軽くなるロシアとの妥結を模索するべきである。

現地では祖国防衛、国際秩序維持の精神で逃げることが憚られているのではないかと思われ、国際社会も対応が不十分である。

ウクライナだけに負担を負わすのではなくNATOとロシアで政治的妥結をはかる。

細谷さんの著書、読んでます。

ウクライナが絶対に飲めないロシアの要求をNATOが引き取って、NATOはロシアと安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるべきである。

ウクライナ・ロシア戦争において、(橋下徹は)ウクライナ兵の決死の戦闘に敬意を表する。

ウクライナの負担をできる限り軽くするためにNATOはロシアと安全保障の枠組みについて政治的に妥結するべきである。

(ウクライナにおいては、)戦地の一般市民の被害の正確な報道がなければ、戦況についてゲーム画面を見るかのような解説や、自由・民主のために一般市民の犠牲も已むなしという戦争の恐怖・悲惨さを度外視したお花畑論が展開される。

ウクライナだけに妥結の重荷を負わせるのではなく、NATOも負担するべきである。

西側諸国の反戦の声がプーチンに届くよりも、(ウクライナ人の)男性(の国外)出国の件がゼレンスキー氏に届く可能性の方が高い。

NATOも和平交渉に関与し、ヨーロッパの安全保障の枠組みのロシアとの政治的妥結の中でウクライナの負担をできる限り最小化するべきである。

そういうこと(太平洋戦争時の戦争指導者たちの戦略も愚かの極み)を知らない国民は祖国防衛の美名の下に命を落としていく。

NATOは、時間が経つにつれ一般市民の犠牲が増えるゆえに、和平交渉に関与し、ヨーロッパの安全保障の枠組みのロシアとの政治的妥結の中でウクライナの負担をできる限り最小化すべきであり、政治の知恵を出すべきである。

太平洋戦争のときも陛下の御聖断がなければ政治家や軍では判断できなかった(と橋下徹は思う)。

NATOの政治指導者が解決すべきであり、ウクライナだけに負担を負わせるべきではない。

今はウクライナを犠牲にし我々西側諸国さえよければいい国際政治になっています。

ウクライナの国家の軍事力は認めた上で、NATOとロシアで話をつけるべきべきである。

日本国内にはこの極度の緊張状態での力の均衡の意味を理解せず、ただただ己の主張を勇ましく叫ぶ人たちが一定存在し、その人たちに乗っかる政治家が多い。

NATOはウクライナだけに負担を負わせるべきでない。

日本が圧倒する力をを持っていれば相手の存在を気にする必要はないが、アメリカにでさえそんな力はない。

NATOはウクライナの負担を少しでも軽くするためにロシアと協議するべきである。

学者たちは国際秩序・正義という言葉で表現し、1ミリたりとも譲歩するなと(ウクライナ人に)言うが、それと比べて戦地のウクライナ人はどうですか? そんなこと思っていない(と橋下徹は思う)。

NATOはウクライナの負担を軽減するために、ロシアとの協議に関与するべきである。

(ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、)とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ、と橋下徹は思う。

ウクライナの負担と犠牲をできる限り軽減する形でNATOとロシアがウクライナの今後の安全を保証し、ヨーロッパの安全保障の枠組みを再構築するべきである。

今回の西側の対応をロシアに妥協しないチャーチル的政治、ないしは軍事介入しないことを捉えてチェンバレン的チャーチル的二側面の妙と評価する学者が多数いるが、つくづく学者と元政治家の物の見方の違いを(橋下徹は)感じた。

NATOの政治指導者がウクライナでの戦争を解決するべきであり、ウクライナだけに負担を負わせるべきではない。

NATOはウクライナを加盟させる気がないにもかかわらずオープン・ドア・ポリシーという建前論にこだわるのは、死を突きつけられていない学者たちの思考である。

ウクライナの負担を軽減するために、NATOも協議に関与するべきである。

橋下徹や玉川徹には理解不能、ウクライナ人が無条件降伏は絶対しない理由、という記事があるが、これはいざ戦争が始まってしまうと、論理的な思考ができなくなる典型である。

ウクライナの負担と犠牲をできる限り軽減する形でNATOとロシアがウクライナの今後の安全を保証し、ヨーロッパの安全保障の枠組みを再構築すべきである。

俺(橋下徹)はウクライナに無条件降伏をしろとは言っていない。

西側・NATOはロシアと安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるべきであり、ウクライナの負担が最も軽くなる妥結を模索すべきである。

プーチン政権を倒すのがベストだが、西側諸国がやるのは経済制裁のみである。

ウクライナだけに負担を負わすのではなくNATOとロシアで政治的妥結をはかるべきである。

戦地では死の恐怖が目の前に晒され、苦痛にうめいている非戦闘員のウクライナ人がたくさんいるが、彼ら彼女らの全員が将来のロシアの蛮行を防ぐために、自分の命を投げ打つ、この苦しみを受け入れると考えているのか、それともとにかく今目の前にある恐怖から逃れたいと考えているのか、それは安全な日本からは分からないことだ。

この戦争の本質を理解しNATOも責任を感じるなら、ウクライナだけに負担を押し付けるのはおかしいと気付くはずであり、ロシアとの戦争を避けるためNATOが軍事介入できないのであれば、ウクライナが絶対に飲めないロシアの要求をNATOが引き取って、NATOとロシアで安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるべきである。

言えることは戦闘員は命をかけて戦っているので(橋下徹は)敬意を表する。

ウクライナの負担をできる限り軽くするためにNATOとロシアで安全保障の枠組みについて政治的に妥結するべきである。

現実の戦地・政治をリアルに感じ取ることのできない学者の思考・感覚は、そもそもウクライナだけを犠牲にしているという認識があるのか、(橋下徹は)疑問である。

《NATO―アメリカ》

ゼレンスキー英議会演説の、悲惨な多くの死を生み、目の前に死が迫っている者たちの切実な訴えに応えることなく、その他の文学的表現に拍手喝采とは欺瞞の極み、というか超お花畑であると、橋下徹は思う。

国際秩序を維持するのは世界警察並みの軍事力を持った者が担うべきであり、まさにアメリカやNATOが世界大戦覚悟でやるべきことである。

学者は、NATOも西側も、世界大戦を恐れてロシアとは戦えず、しかもウクライナが形成逆転するほどの武器も、ロシアに怒られるので供与せず、その上でウクライナだけに戦わせる、というこの構図も理解できないのかね。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

ネット時代様々な専門サイトが戦況を伝えているが、この手の学者連中は「ウクライナ、予想外に頑張ってるな」などのコメントを連発し、戦地がどれだけ悲惨な状況かが想像できない(と橋下徹は思っている)。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

(この手の学者連中は、)今回の紛争の根幹が旧ソ連崩壊後のヨーロッパの安全保障の枠組みであり、紛争解決能力当事者がNATOとロシアであることの本質も見抜けない。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

(この手の学者連中は、)さらにゼレンスキー大統領が英議会演説でNATOの介入を求めていることが政治的に本質であるにもかかわらずハムレット的な修辞に拍手している。

、ウクライナとロシアの間でその均衡が崩れた結果であり、日本でそのようなことを起こしてはならなず、政治はギリギリの均衡を保つべきである。

こんな演劇観賞感覚でセリフの感傷に浸るような者たち、この手の学者連中が、戦争指導者層に入っては国民・国家を破滅させる、と橋下徹は思う。

《NATO―トルコ》

日本の不幸なことに、この手の学者、演劇観賞感覚でセリフの感傷に浸るような者たちが多い。

再びウクライナが侵攻されないようにアメリカやイギリスなどの西側がウクライナの安全を保証するかがポイントと考えるべきである。

ゼレンスキー大統領は悲惨な戦地からNATOに対して飛行禁止区域の設定を切に願い、それが無理ならせめて戦闘機を貸してくれと懇願したが、ところがNATOはロシアとの戦争を恐れ全て拒否したので、ゼレンスキー大統領は、以後ウクライナ人が死ぬのはNATOの責任だ!NATOは弱腰だ!と痛烈に批判した。

NATO、ロシア、ウクライナで政治的妥結を行うべきである。

ゼレンスキー大統領とウクライナが、NATOとロシアでヨーロッパの安全保障の在り方を0から作ってくれと戦地から訴えることに西側は応えるのか、拒否するのか、ここが最大の政治的ポイントである。

(ウクライナ人の)一般市民の犠牲が拡大するまでは、徹底的に戦って敵を潰せばいいが、しかし一般市民の犠牲が拡大してきたら政治的妥結を目指すべきであり、ウクライナ・ロシア戦争ではNATOとロシアの政治的妥結を意味する。

素人ならいざ知らず(国際政治学分野の)専門家なのに、俺でも予測していたのに、ウクライナ・ロシア戦争の政治的ポイントが、このように(ゼレンスキー大統領とウクライナが、NATOとロシアでヨーロッパの安全保障の在り方を0から作ってくれと戦地から訴えることに西側は応えるのか、拒否するのか、)なってくることくらいわからなかったのは、戦争終結プロセスをリアルに考えず、精神論的に戦争を考えてしまった結果であり、いまだに演劇観賞的精神論である。

NATOの主張を維持するためにウクライナ一般市民はここまで命を棄てなければならないのか?と言えばそうあるべきではない。

日本の学者がこのレベルとは堪らんな。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

戦争指導者層はいつでも亡命できる体制を組まれており、そんな中、毎日、非戦闘員が死に、死の恐怖に晒され、負傷の苦しみに呻いているが、こんなときに(この国際政治学者は)文芸評論をして悦に入ってどういうつもりなのであろうか、橋下徹には理解できない。

日本の政策の影響のためにウクライナ一般市民を犠牲にしてもいいのかは専門家の判断とは異なる人間の総合政治判断である(べきである)。

学者はこれまで読んだこと、聞いたことのない見解を理解することは困難なのである(と橋下徹は思う)。

(ウクライナの)亡くなられた方々には(橋下徹は)お悔やみ申し上げますが、ただし一般市民は戦闘が始まりそうならまず避難(すべきであり、避難しなかったことも悪いと橋下徹は思う)。

政治的妥結はヒトラー・ナチスを許すようなことと同じだとか言ってモゴモゴ言ってる学者が多いが、それならロシアをやっつけるのか?(と橋下徹は思い、)第二次世界大戦はそれをやった(と橋下徹は思う)。

(橋下徹は)は一般市民が逃げること、一般市民の犠牲を避けることを強調しているので、そちら一択とも言えるが、ここは価値判断の問題であるべきである。

もちろん僕(橋下徹)の持論も100%正しいものではないでしょうが、しかし篠田が言うように意味がないとか、害だというものでもなく、それは学者の典型的な驕りである。

「英雄が生き残ることが必要」負傷兵”親ロ派地域”へ移送…マリウポリ事実上の陥落、か、との報道があるが、兵士でも生き残ることが必要であり、これが現実であり、そうであれば一般市民はなおさら生き残ることが必要であり、現実の死に晒されていない者が、命よりも大切なものがある、と安易に言うべきではない。

ほんと学者って実務的な論点設定能力が0だな(と橋下徹は思う)。

抗戦の「象徴」マリウポリ製鉄所の兵士らに退避命令…ウクライナ「生還を優先」、との報道があるが、軍事的合理性がなくなれば兵士でも退避、投降が必要になり、武器を持っていない一般市民ならなおさら退避が重要であるべきである。

学者の言う東方拡大が誤りか正しいかって何のための議論かと言えば、そんなの西側とロシアの立場の違いで評価が変わるものであり、日韓における安重根の評価のようなものであるので、無意味である(と橋下徹は思う)。

ウクライナの戦闘員には頑張ってもらうしかないが、ウクライナは、非戦闘員はできる限り国外退避させるべきだ。

NATO・ウクライナとロシアの関係・紛争(NATO東方拡大の正当性など)をこの期に及んで法的文書の存否で論じる専門家が多数いるが、こんな法的議論をしたらクラスター爆弾禁止条約にはアメリカもロシアも批准しておらず違法にならなくなってしまう。

ウクライナの戦闘員はとにかく一般国民を守るために頑張るべきである。

今朝の日曜報道the

僕(橋下徹)も戦闘員の戦闘は否定せず、一般市民も戦う者は戦闘員になればいいが、ただし非戦闘員の退避の視点も必要である。

百田や一部の専門家は自分と意見が異なると侮辱してくる(と橋下徹は思う)。

「英雄が生き残ることが必要」負傷兵”親ロ派地域”へ移送…マリウポリ事実上の陥落、か、との報道があるが、兵士でも生き残ることが必要であり、これが現実であり、そうであれば一般市民はなおさら生き残ることが必要であり、現実の死に晒されていない者が、命よりも大切なものがある、と安易に言うべきではない。

(戦争について)抽象論を振りかざすのは我々識者たちの戯言である(と橋下徹は思う)。

抗戦の「象徴」マリウポリ製鉄所の兵士らに退避命令…ウクライナ「生還を優先」、との報道があるが、軍事的合理性がなくなれば兵士でも退避、投降が必要になり、武器を持っていない一般市民ならなおさら退避が重要であるべきである。

専門家はNATOとロシアの政治的妥結は絶対無理だと言う。

戦地のウクライナに余裕はないので国際社会が必死になり、ウクライナに市民保護、市民退避も超重要であり、いったん逃げるのは恥ではない、戦う一択ではないと伝えるべきである。

NATOはプーチンと折衝すべきである。

ウクライナの戦闘員には頑張ってもらうしかないが、ウクライナは、非戦闘員はできる限り国外退避させるべきだ。

過去の歴史を引き合いに、ロシアの蛮行の恐れを防ぐためには戦うしかないという主張も(橋下徹は)理解できるが、しかしそれは戦地で命をかけて戦っている戦士の言い分だ。

戦争では戦う一択ではなく市民保護、市民退避も超重要であるが、戦地のウクライナに余裕はないので、国際社会が必死になるべきであり、いったん逃げるのは恥ではない、戦う一択ではない、とウクライナに伝えるべきである。

戦地では死の恐怖が目の前に晒され、苦痛にうめいている非戦闘員のウクライナ人がたくさんおり、彼ら彼女らの全員が将来のロシアの蛮行を防ぐために、自分の命を投げ打つ、この苦しみを受け入れると考えているのか、それともとにかく今目の前にある恐怖から逃れたいと考えているのか、それは安全な日本からは分からないことだ。

僕(橋下徹)も戦闘員の戦闘は否定せず、一般市民も戦う者は戦闘員になればいいが、ただし非戦闘員の退避の視点も必要である。

言えることは戦闘員は命をかけて戦っているので(橋下徹はそれに対しては)敬意を表する。

男性出国の件は外国で暮らすウクライナ人を中心に西側諸国民が声を上げ西側諸国の政治家を通じてゼレンスキー大統領に届くようにすべきであり、外国で暮らすウクライナ人が西側諸国の政治家に言うのが効果大と考えられる。

戦争指導についての専門家が日本に皆無なのが危ない。

(ウクライナの領土を、ウクライナ軍が)守りきれないなら、(ウクライナ軍は、ロシアの侵攻前に)早く逃げるべきであった。

専門家たちは自分の意見と異なる相手に、勉強不足だ、平和ボケだ、歴史を知らない、病理的な憲法解釈だ、情報番組くらいで戦争を語るなと言ってくるからね(と橋下徹は思う)。

マリウポリは一時退避でも(ウクライナ軍は)軍事力的合理性のあるところで勝利を(おさめるべきである)。(意味不明)

専門家が自分が研究している原理原則を絶対視し、そのことによる弊害に意を払わないのは、感染症の専門家が感染を抑えるためにひたすら社会経済活動の抑制を主張するのと同じである(と橋下徹は思う)。

ウクライナ軍は市民の命を守ることよりも露軍の足止めに優先順位を置いたが、これは沖縄戦と同じであり、やるべきではなかった。

(橋下徹が)戦う一択ではない、と言ったことがウクライナ人を責めていると(篠田英明が)感じるところが非常に危険である。

(ウクライナ軍は)ロシア軍を駆逐できるならなんとか駆逐するべきであるが、それが難しい状況なら(ウクライナ)市民を守るための方策を何とか考えるべきである。

日本に武力衝突が生じたときに一気に戦う一択になることは戦争指導としては非常に危険であり、これは国家運営、政治の話である。

(ウクライナ軍は)ロシア軍を駆逐できるならなんとか駆逐するべきであるが、それが難しい状況なら(ウクライナ)市民を守るための方策を何とか考えるべきである。

ウクライナ戦争が始まったとき、この日本ですら戦え!一色になったが、それは戦闘員の視点である。

マリウポリは一時退避でも(ウクライナ軍は)軍事力的合理性のあるところで勝利を(おさめるべきである)。(意味不明)

戦争指導者層と一般市民の感覚が乖離していくのは太平洋戦争で日本は経験した。

ウクライナ軍は市民の命を守ることよりも露軍の足止めに優先順位を置いたが、これは沖縄戦と同じであり、やるべきではなかった。

民主国家の政治家はいくらでも代替可能というのが大前提である。

橋下徹は、アンドリー氏の苦しい心境は理解できますが、それゆえに戦争が始まった後に最も重要なのは、感情抜きの冷厳な戦況・見通し分析であるべきである。

戦争指導の研究は日本にはない。

男性出国の件は外国で暮らすウクライナ人を中心に西側諸国民が声を上げ西側諸国の政治家を通じてゼレンスキー大統領に届くようにすべきであり、外国で暮らすウクライナ人が西側諸国の政治家に言うのが効果大である。

日本の政治家たちも(ウクライナやゼレンスキーが今行っている)こんな戦争指導をやるのだろう。

ジョージアは狙われないように徹底した軍事力強化を行うべきである。

日本で戦争指導の研究が必要だ。

もしロシアが経済制裁によって瓦解しなければ長期戦をやっても泥沼であり、NATOも助けてくれないので、国際秩序を守るためにウクライナの若者が犠牲になるべきではない。

戦う者には最大の敬意を(、と橋下徹は祈る)。

ウクライナの戦闘員には頑張ってもらうしかないが、ウクライナは、非戦闘員はできる限り国外退避させるべきである。

日本でも今後武力衝突の可能性があるが、その際、崇高な理念だけを掲げ、一般市民の意思や犠牲を無視する戦争指導だけは(誰に?)止めてもらいたい。

ウクライナにおいては、太平洋戦争末期の日本の状況だけは避けなければならない。

第二次世界大戦でソ連を引き込むヤルタ協定も、第一次世界大戦で太平洋の防衛を日本に任せるための石井ランシング協定も、最後は懐柔策であった。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきであり、できる限りウクライナ人の命を助けるべきであり、それが真のウクライナ支援である。

いざ戦争になれば、一般市民の犠牲をいかに少なくするか、そのためには逃げることがいかに重要かが今回のウクライナ戦争ではっきりしたはずであるが、日本の戦争指導にはその点が欠如している。

ウクライナ・ロシアは、民間人避難の「人道回廊」で合意したが、西側諸国は大規模国外避難の支援に全力を尽くすべきであり、ゼレンスキー大統領は、18歳から60歳までの男性の国外避難禁止を解除すべきである。

ウクライナの民間人被害に関して、(橋下徹は、)結局、生き残っていくのは政治家とか戦争指導者たちである(と思う。)」

西側諸国は、18歳から60歳までの男性の国外避難禁止を解除すべきであることを、ゼレンスキー大統領に強く促すべきである。

一般市民の徹底退避を完全降伏だと考えてしまうのは凝り固まった戦争観だと(橋下徹は)思います。

ウクライナは、戦う目的・獲得目標を明確にしないと太平洋戦争時の日本と同じになってしまうので、戦う目的・獲得目標を明確にするべきである。

一般市民をどう退避させるかをやろうというのが国民保護法の考えです(と橋下徹は思う)。

ロシアを倒すのはウクライナの戦闘によるのか、国際圧力によるのか、後者であれば今のウクライナの戦闘の獲得目標は何か?を明らかにし、ウクライナはロシアを倒す責任を国際社会に投げるべきである。

結局、西側諸国特にアメリカは、弱い相手は叩きのめし、強い相手には喧嘩をしなので、これは人道ではない。

かつての津波(日米の太平洋戦争?)は毒性があったので玉砕覚悟で土嚢対応が必要だと思っても、今回の津波(ウクライナ戦争?)の毒性は低いかもしれず、中国が低めてくれるかもしれないので、死んだら終わりと考え、祖国防衛、国際秩序維持の精神論を横に置き、(ウクライナの戦争に対しては)災害対策として冷徹に思考すべきである。

太平洋戦争時の戦争指導者たちの戦略も愚かの極みであり、それでいて参謀たちは戦後も生き延びており、それを知れば靖國神社で戦争指導者に手を合わすことなどできず、そういうことを知らない国民は祖国防衛の美名の下に命を落としていく。

(橋下徹は)ウクライナ人の戦いには敬意を表するが、それはロシアを倒すためなのか、ロシアが瓦解するまで粘るためなのか、国民を避難させるものなのかを、(ウクライナ政府は? ウクライナ国民は?)はっきりさせるべきである。

もちろん今戦っているウクライナの人たちには(橋下徹は)敬意を表します。

ウクライナの過去の壮絶な歴史が繰り返されないように抵抗しなければならないという(グレンコ・アンドリーの)思いは理解できるが、ただし歴史は繰り返す場合もあれば繰り返さない場合もあり、ゆえにいったんアンドリーさんのように国外で様子を見る選択肢を多くのウクライナ人に与えるべきである。

(橋下徹は)戦っているウクライナ人には敬意を表します。

(ウクライナ政府は? ナザレンコ・アンドリーは?/ウクライナ国民に?/「戦い一択」の?)圧力に負けない真の選択権を与えるべきです。

今はウクライナを犠牲にし我々西側諸国さえよければいい国際政治になっています。

ナザレンコ(・アンドリー)さんのような言い方をしちゃうと、ウクライナの若者たちは戦うしかなくなるじゃないですか?、だからそういう言い方をしちゃってはだめである。

(橋下徹は)今戦っているウクライナ兵士には敬意を表します。

(ゼレンスキー政権における? 日本人の論者における?)戦争が始まっても的確な見通しもなく戦う一択は、憲法9条論者と同じく現実が見えなくなるので、すべきではない。

国際法がー、国際秩序がーなんて言ってたら、警察権や司法権のない国際社会で落とし所が着かず、弱い国は言われたら従うが従わない国もある。

戦争が始まれば、(ナザレンコ・アンドリーは? 我々一般は? ??)究極の災害として対応するべきである。

太平洋戦争の日本の犠牲者の9割は戦争末期に命を落とした。

人道回廊に関して、辛いですが、これから西側諸国がどう対応するのかしっかりと見ていくべきである。

人道回廊「一人も避難できず」ロシア軍、ウクライナ攻勢再開へ、という報道があるが、戦争が始まってしまえば祖国防衛!国際秩序維持の精神論による戦え一択は危険である。

僕(橋下徹)の話にリアリティがないと(周囲が?)うるさかったので、リアリティを引っ掛けてちょっと言い返し過ぎたかもしれませんが、もちろん文民統制がマストですが、祖国防衛、国際秩序維持と言う精神論だけでなく、逃げたい人をどう逃がすかの思考が必要で戦う一択は危険である、という意味のことを橋下徹は言ったのである。

国際社会も逃げる策へ集中しなかったが、逃げることは祖国防衛に反するという風潮は危険である。

ウクライナ軍は住民避難(の作業)をも目的にすべきである。

ロシア、降伏狙い都市爆撃の構えか、民間人被害拡大の懸念、欧米当局者と報道されているが、戦争は始まる前が勝負であり、いかに防衛力・外交力を強化し力の均衡を保つかが重要であるが、しかし残念ながら戦争が始まってしまうと祖国防衛の精神論で戦う一択は合理的判断を狂わせる。

西側諸国民はロシアを非難し現在のウクライナ支援を継続するべきである。

民主国家の政治家はいくらでも代替可能というのが大前提だ。

NATOとロシアが協議するべきである。

戦争指導の研究は日本にはないので、日本の政治家たちもこんな(ウクライナやゼレンスキーのような)戦争指導をやるのだろう。

戦争指導者の脱出やその準備は絶対にダメであり、命が助かる立場だと政治的妥結の判断が狂い、日本にいる戦え一択の勇ましい者たちと同じになってしまう。

(橋下徹は)戦う者には最大の敬意を捧げる。

NATO、ロシア、ウクライナでの政治的妥結を行うべきである。

日本ではプランBの思考が欠如している。

額に拳銃を突きつけられたような非戦闘員が、逃げたい、生き残りたいという思いを持っていたとするなら(ゼレンスキーは? ウクライナ政府は? 一般に政治家は? 一般の市民は? 等々???)その意思も最大限に尊重すべきであり、それが戦う一択は危険という僕(橋下徹)の持論である。

いざ戦争になれば、一般市民の犠牲をいかに少なくするか、そのためには逃げることがいかに重要かが、今回のウクライナ戦争ではっきりしたはずである(ホントに?)が、日本の戦争指導にはその点が欠如している。

ゼレンスキー大統領は、戦う意思を示しつつも、NATO・西側に対してロシアとヨーロッパの安全保障の枠組みを協議しろ!ウクライナだけを犠牲にするな!とこれまで以上に発信すべきである。

政治的妥結は一方的な降伏ではなく、悲惨な現状を回避するための最善策、最適解であると橋下徹は思う。

ゼレンスキー大統領は戦う意思を示すよりも、もっとNATOへの助けを強調すべきだ。

憲法をはじめとする公法はいくら本で勉強してもその本質は分からず、権力を行使してみて初めて分かるものであり、憲法観とかそんな甘いものではなく、権力にどう作用し、タガが外れるとどうなるか、ちょっと間違えればとんでもない犠牲を生む、そのようなものである(と橋下徹は思う)。

NATOは、ロシアと戦争はできないのであればヨーロッパの安全保障の枠組みについてプーチンと政治をすべきだ。

ジェノサイドは戦地での最も悲惨な現象であるが、ジェノサイドを避けるためには敵を倒すか戦地から退避するかの二つしかない(と橋下徹は思う)。

ロシア侵攻直前のNATOの口ぶりからは、ゼレンスキー大統領がもっとNATOが支援してくれるものと思っても当然であるが、いざ戦争が始まれば、ウクライナは、自国の力と敵国の力を冷静に分析しなければならない(どうせロシアが勝ってウクライナが負けるから)。

津波に限らず災害などはすべて予測不能のものである(と橋下徹は思う)。

NATOが予想外に力を貸してくれなかったのであれば、ウクライナはそれに応じた戦争指導を行うべきであり、(現在の)精神論だけの戦争指導は危険であるので、改めるべきである。

そもそも日本の有事法制の国民保護法も根っこは災害対応と同じ(であるべきである)。

ウクライナの安全とロシアの安全はヨーロッパの安全保障の枠組みの話であり、ウクライナがロシアから求められている負担を和らげるためにもNATOも協議に参加すべきである。

非戦闘員の被害が拡大しなければ政治的妥結上不利になることを防ぐことができるし、戦闘員も敵に集中できる(と橋下徹は思う)。

今こそNATOの政治力が必要である。

戦争当事国以外が関与する和平仲裁は究極の政治的妥結である(と橋下徹は思う)。

日本で戦争指導の研究が必要だ。

2015年のミンスク合意Ⅱは第三国が関与した政治的労力の結晶でした(と橋下徹は思う)。

民主国家においては政治家はいくらでも補充できるので、(ゼレンスキーやウクライナ政府は)マリウポリ市民とウクライナの政治家を入れ替えるくらいの(ロシアとの?)交渉をするべきである。

政治的妥結と降伏は異なる(と橋下徹は思う)。

日本も戦争が起こることを前提に、電子投票インフラを整備することが絶対に必要である。

非戦闘員が逃げることと降伏も異なる(と橋下徹は思う)。

NATO・西側も戦争終結妥結案に関与すべきである。

政治家の最大の仕事は戦争を防ぐこと、戦争を回避すること、戦争を止めることによって、子供たち若者たちの命を守ることである(と橋下徹は思う)。

ロシアを軍事的に叩き潰すか、政治的妥結を考える時、(ウクライナによる)抗戦ではエスカレーションするだけで不十分であり、ロシアを叩き潰さなければならない(がそれは無理だと橋下徹は思う)。

崇高な理念を掲げるほど一般市民の犠牲が見えなくなるのが政治家である(と橋下徹は思う)。

ウクライナ東部地域については、国民投票で決するか、NATOが一部譲歩(NATO圏とロシア圏がぶつかるエリアの軍備管理・軍縮など)することによってウクライナの負担を軽くする政治的知恵を探るべきである。

世界各国、どこの議会も政治家も決議ばかりであり、それで何かやった感になっている(と橋下徹は思う)。

さらに強制連行については産経新聞にこのような記事があり、生き残るチャンスの一つだ(と橋下徹は考え、ゼレンスキー(ウクライナ)は)生き残るチャンスがあるならそれを無闇に棄て棄てるべきではない(と橋下徹は考えるが、)ウクライナ発の情報以外での確認も重要である(と橋下徹は考える)。

学級委員的思考の日本の政治家や取り巻き学者たちは、それでは力による現状を許すことになる!の大合唱であり、じゃあどうやったら終わらすことができるの?の問いにはウクライナに頑張ってもらいそのうちロシアが瓦解するという程度しか答えず、池田のバカは戦争で数万人が死ぬ方がましだと言った。

ウクライナはNATO加盟はしないと言っているのだから、NATOはロシアと再度協議すべきであり、まずは停戦である(べきである)。

日本の政治家の取り巻き学者たちはチェンバレンになるな!と叫ぶ。

ウクライナは、NATOとロシアの政治的妥結の失敗の責任を取らされているだけであり、NATOとロシアが始末をつけるべきである。

NATO・西側の政治家が大量にキエフに居る間は流石にプーチンも総攻撃は控えるかも知れない。

NATOは自らの主張を維持するためにウクライナに武器を供与(するべきである)。

まあ(ロシア、プーチンに)少々の攻撃力があればNATOの政治家たちは(キエフで)協議をまとめる。

NATOとロシアがこの協議で政治的妥結をすればウクライナを救えうことができる(ので、そのようにすべきである)。

西側の政治家はウクライナを支援しているように見せかけて実は犠牲にしている(と橋下徹は思う)。

戦火逃れた難民、国境で連れ去りも、2022年3月28日との報道があるが、ロシアが一番悪いが、しかしウクライナのその戦争指導を是正すべきである。

国家運営の経験のある政治家たちは皆んなこの西側の欺瞞に気付いていた(と橋下徹は想像する)けど政治家の立場として言えなかった(と橋下徹は信じる)。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

日本に武力衝突が生じたときに一気に戦う一択になることは戦争指導としては非常に危険であり、これは国家運営、政治の話である。

(ウクライナ戦争は、)戦闘で解決する話ではなく(ロシアとNATOの)政治的妥結の話であるべきであり、ゼレンスキーはそのことを認識すべきである。

国際秩序を守るために国民の命を犠牲にするというなら、憲法9条の改正が必要だし、そもそも国民はそれを納得している?(と橋下徹は疑問を呈する)。

ウクライナだけでは譲歩させられ過ぎるので、その負担を和らげるのはNATOの妥あるべきであり、もちろんロシアにも譲歩させるべきであり、それにはNATOの力が必要であるべきである。

今のウクライナの状況を見ると、永田町などの東京中心部を国防の全力を注いで守って、他方大阪は悲惨な状況のままというのを(橋下徹は)重ねて考えてしまい、それで命が守られている東京の連中が大阪府民を守ること以外の抽象論を叫んで大阪での停戦が進まないという状況を(橋下徹は考えてしまい)、今回の戦争についての国会議員やメディアに出てくる東京在住の専門家のコメントを見ると、これはあり得る(と橋下徹は思う)。

ウクライナ南部マリウポリ、約5000人死亡、ロ軍の包囲で、と報道にあるが、マリウポリ市長は市民を残して脱出し、(ゼレンスキーは)マリウポリに軍の力を投入すべきである。

一般市民保護の国防方針が弱かったことが、沖縄県の基地問題が解決しない大きな要因でもあります(と橋下徹は思う)。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

戦争時における国家と個人の関係は、戦時の憲法論としてしっかり考える必要があるが、日本では今まで深い議論はなかった。

、ウクライナとロシアの間でその均衡が崩れた結果であり、日本でそのようなことを起こしてはならなず、政治はギリギリの均衡を保つべきである。

日本国内でウクライナの国旗を掲げて集まってもクソの役にも立たない。

西側が、ウクライナが応戦するための武器の供与や経済制裁をすることはもちろん必要だが、この戦争を戦闘だけで終結させるという戦う一択の(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦争指導は間違いであり、やめるべきである(と橋下徹は思う)。

おそらく日本の国会議員のほとんどは(ウクライナに戦いに)行かないだろう。

(ウクライナ、ゼレンスキーのように)とにかく有利になるまで頑張るという根性論的戦争指導は成熟した民主国家では許されないので、成熟した民主国家はそういうことをすべきではない。

日本の国会議員は何人が志願兵になるのだろうか。

(ウクライナ、ゼレンスキーが行っているような)崇高な理念を掲げての戦う一択の戦争指導は、日本においては戒めなければならない。

ロシアのウクライナ侵攻で一番知恵やノウハウを持っているのは日本なんですよ。

ウクライナの軍事力、日本の自衛力は国際秩序を維持する任務まで負わされるのかと言えば、負わされるべきではない。

やっぱり本の中だけの学者の思考は、いまだに一億総玉砕の思考であり、こんな作戦に付き合うの?という帝国陸軍エリートと同じ思考であり、(篠田英明は)国際法なんてやってるのに(バカなので)、(橋下徹は)びっくりしたわ。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

祖国防衛のために戦え!一億総玉砕!の風潮が強烈に強くなるが、威勢のいい政治家はその風潮に抗えず、太平洋戦争の日本と似ている。

(橋下徹はウクライナの)戦闘員には敬意を表するが、ゼレンスキー大統領は、戦うことだけに熱くなるべきではない。

今戦っているウクライナの人たちには(橋下徹は)敬意を表します。

逃げるのはダメ、戦わなければならないという雰囲気になることは絶対にダメであると橋下徹は思い、ゼレンスキー大統領はそうならないようにすべきである。

学級委員的思考の日本の政治家や取り巻き学者たちは、それでは力による現状を許すことになる!の大合唱であり、じゃあどうやったら終わらすことができるの?の問いにはウクライナに頑張ってもらいそのうちロシアが瓦解するという程度しかない。

ゼレンスキーがNATOの非加盟を言うなら戦争前に言うべきだった。

企業に経済制裁を強要すべきではない、と報道されているが、いやいやこれだとプーチン政権が追い込まれなくなる。

戦争指導者(例えばゼレンスキー)の第一声は「国民の安全確保」であるべきであり、それ以外の文学的表現は不要であるべきであり、かえって有害であり(と橋下徹は思い)、そしてそこから軍事戦略・外交戦略・戦争終結戦略などの全てを導くべきであり、ゼレンスキーはそれをしなかったと橋下徹は思うが、今回ロシアが一番悪いのは当然と(橋下徹は)言っておく。

2007年ミュンヘン安全保障会議や2008年ブカレストNATO首脳会議を見れば、この均衡(お互いに手出しができない軍事力の均衡(ハード)また多大な犠牲を覚悟してまでも攻撃に出ることはないメンツの立合い(ソフト)の均衡)が崩れていく様が分かる。

(ウクライナにおいては、)たとえ反敵国(ロシア?)の者が殺されたとしても、生き残りたい一般市民ができる限り生き残れるようにするべきであり、生き残りたい一般市民がどんどん犠牲になり、戦争指導者層が生き残る(ウクライナの)戦争指導は絶対に間違っており、日本でそんなことにならないようにすべきである。

今の日本の防衛力の目標は5兆円という財政制約に縛られている。

ウクライナ副首相、東部住民に「即時避難を」、露大統領、ブチャ虐殺は「挑発」との報道があるが、一般市民を守りきれない地域は、退避が第一(とゼレンスキーは思うべきである)。

第二次世界大戦でソ連を引き込むヤルタ協定も、第一次世界大戦で太平洋の防衛を日本に任せるための石井ランシング協定も、最後は懐柔策であった。

戦闘目的を国民の命を守ること第一と(橋下徹は)考えるが、(その場合)一般市民の犠牲を考慮し、敵を追っ払うのか一般市民退避なのかの判断をする(ことがゼレンスキーにとって必要になり)、もちろん両方同時もあるが、ただ何が何でも全市民による抵抗、戦う一択というのは選ぶべきではない。

(ウクライナ人は、)生きていれば道が拓ける場合があり、日本も終戦間際に生き延びていれば戦後日本の生活を享受できたのであるが、太平洋戦争を経験している日本なのに、今の政治家や学者たちは祖国防衛だの長期戦だの国際秩序維持だの机上の論ばかりを言っている。

激戦のブチャとイルピン、つながった街で、占領と撃退に分かれた理由、との報道があるが、イルピン市長は2月24日のロシア侵攻日に住民の9割を避難させたが、早期に一般市民を避難させるか否かが全ての分かれ目であり、(ゼレンスキーは)戦う一択ではダメである。

NATOも(ウクライナを)助けてくれない。

「抵抗続ければ全滅させる」ロシア軍”マリウポリ完全制圧”へ、ウクライナ首相「最後まで戦う」、との報道があるが、(ゼレンスキーの)国民の命を守ることから離れた戦闘目的は、戦うことが自己目的化する危険があり、戦うならその前にマリウポリ一般市民の退避に(ゼレンスキーは)全力を尽くすべきである。

西側諸国は、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道がある。

市長「ハルキウに安全な場所ない」、ロシア軍攻撃で避難呼びかけ、との報道があるが、(ゼレンスキーにとって)戦争時、武器を持たない一般市民をまず避難させることが戦争指導の第一であり、自軍の力で一般市民を守り切れるのか否かの冷静な分析・判断が重要であり、守り切れないならまず避難させるべきであり、戦う一択の思考はダメであるべきである。

(橋下徹は)ウクライナの戦士達には敬意を表します。

親ロ有力者、マリウポリの兵士らと「捕虜交換」を、ウクライナが動画公開、と報道されているが、(ゼレンスキーは)自分と包囲されているマリウポリ市民との交換を行うべきであり、これこそが政治家の働き方であるべきであって、戦う一択は市民の犠牲を拡大するだけ(なのでそういうことはするべきではない)。

ウクライナから離れた日本ですら戦え!の風潮ですので、ウクライナ現地では想像を絶する(ほど戦えの風潮)でしょう。

マリウポリの製鉄所地下に1000人超の市民、との報道があるが、この一般市民を激戦予定地から退避させることに、ゼレンスキー大統領は国家の力を総動員して取り組むべきである。

戦地では死の恐怖が目の前に晒され、苦痛にうめいている非戦闘員のウクライナ人がたくさんおり、彼ら彼女らの全員が将来のロシアの蛮行を防ぐために、自分の命を投げ打つ、この苦しみを受け入れると考えているのか、それともとにかく今目の前にある恐怖から逃れたいと考えているのか、それは安全な日本からは分からないことである。

戦闘によってマリウポリの一般市民を守り切れるならもちろん(ウクライナ軍は)ロシア軍を駆逐するべきであるが、守り切れないなら戦闘以外の方策も(ゼレンスキーの)戦争指導は考えるべきであり、市民を守り切れないことが分かっていながら市民を道連れに闇雲に戦闘することは間違っているのですぐにやめるべきである。

戦闘員は命をかけて戦っているので(橋下徹は)敬意を表する。

(マリウポリにおいては、)政治家と市民の入れ替え(ウクライナ政府とロシアとの?)交渉の可能性もある(と橋下徹は思う)。

この日本は戦え一択、勝つまでは一般市民の犠牲已むなしという戦争指導になるだろう。

(マリウポリにおいては、)戦闘員が死を覚悟しているなら、戦闘員の命と市民の救出の交換という究極の(ウクライナ政府とロシアとの?)交渉もあるかもしれない(と橋下徹は思う)。

日本では、紛争原因に関係なく、自由、民主、尊厳を守るための戦争だ!一般市民の犠牲已むなし!の風が吹き荒れるだろう。

(ウクライナ軍は)ロシア軍を駆逐できるならなんとか駆逐するべきであるが、それが難しい状況なら(ウクライナ)市民を守るための方策を何とか考えるべきである。

ウクライナの戦士達には(橋下徹は)敬意を表します。

(ゼレンスキーのような)戦争指導者がまず考えるべきことは、兵士の命をどう救うかであるべきではなく、一般市民をどう救うかであるべきであり、兵士がいずれ命を絶つなら、一人でも多くの一般市民の命を救う形で命を絶つべきであり、戦うことで一般市民を道連れにすることは最悪である(と橋下徹は思う)。

ウクライナから離れた日本ですら戦え!の風潮であるので、ウクライナ現地では戦え!と強制する圧力は想像を絶するでしょう。

ゼレンスキー氏「避難とロシア兵捕虜引き換えに」、と報道されているが、一般市民救出のためには、ロシア兵捕虜の解放に加えて自国の政治家をマリウポリに差し出すことを(ゼレンスキーは)提案すべきである。

太平洋戦争時、国民に対して戦う一択を強制していた軍幹部がその後生き残り、戦後の日本の生活を謳歌していた事例が多数ある。

ウクライナ部隊、投降を拒否、マリウポリ製鉄所、との報道があるが、仮に軍事的合理性が見出せなくなったのであれば、(ゼレンスキー等)戦争指導部は捕虜交換などで何とか兵士たちをウクライナ側に救出し栄誉を讃えるべきである。

ウクライナにおける、見通しと獲得目標抜きの抵抗できるところまで抵抗するの精神論は、太平洋戦争時の日本と同じである。

(一般に? ウクライナでは?)戦争指導には軍事的合理性が重要であり、(橋下徹は)退避した兵士に敬意を表する。

今回よくわかったのは日本の政治家も専門家も誰も冷厳な分析と判断力、頭を下げる外交の知恵を持っていないということである。

(ウクライナ、ゼレンスキーは)市民を犠牲にしない軍事的合理性のある戦闘でロシア軍を倒すべきであるが、(橋下徹は)戦闘員には敬意を表する。

グレンコ・アンドリー氏は総玉砕ではないというが、18歳から60歳の男性は国外避難禁止、ゼレンスキー氏は市民全員での抵抗を呼びかけ、非戦闘員が戦闘に参加というのは、戦いたい者だけが戦っているというのとは違い、戦わざるを得ない強烈な空気、逃げることは許されない空気があり、太平洋戦争時もそうだった。

(ウクライナのような?)死ぬまで戦うという精神論だけではダメであるべきであるが、(橋下徹はウクライナの)戦闘員には敬意を表する。

国際社会の経済制裁は自分たちの経済のことも考えて中途半端である。

(ゼレンスキーは)一般市民を生き残らせるために軍事的合理性を基礎にロシア軍を倒すべきであるが、(橋下徹はウクライナの)戦闘員に敬意を表する。

現代の日本の政治家も専門家も、太平洋戦争時の日本人から全く進歩なしであり、祖国防衛!国際秩序!プーチン許すな!だけを唱えている。

ゼレンスキー氏、ロシア軍を侵攻前の状態まで撤退させれば「勝利だ」、との報道があるが、ゼレンスキー大統領は「最も重要なのは、より多くの人命を守ることにある」とも語ったので、命よりも大切なものがあると安易に言うべきではなく、多くの人命を守ることを第一目標にロシア軍を追っ払うべきである。

今命の安全が保証されている日本において貴殿のような戦う一択の考えの持ち主があまりにも多いから、俺(橋本徹)のような主張をするのは苦労する。

ロシア軍の突入に「撤退も」、ウクライナ州知事「包囲の場合」、との報道があるが、軍事的合理性に基づく撤退は当然あり得るが、問題は一般市民をどうするかであり、ロシア軍はウクライナ市民を虐殺するので戦うしかないと(誰が?)言っていたのなら(ウクライナ)一般市民を置き去りにする撤退を(ウクライナ政府は)すべきではない。

日本もいつ武力衝突が起きるかわからない状況になりました。

(ゼレンスキーは? 日本人は?)しかし砲弾が降り注ぐ激戦・前線地において非戦闘員が逃げたい、生き残りたいと必死に願う現実にも目を向けなければならない。

日本では戦争前の防衛力の話は盛んに行われてきたけど、いざ戦争が始まったときの思考法についての議論は皆無でしたね。

ロシア国防省、ウクライナ兵に降伏呼びかけ、との報道があるが、自国住民が激戦地にとどまると戦闘が難しくなるので、戦闘を行う上でも非戦闘員の避難をまず第一にするべきである。

自分は命が守られる外国にいたまま、戦うしかない、一般市民の犠牲も已むなしとは(橋下徹は)口が裂けても言わないだろう。

要衝セベロドネツクが事実上陥落、ウクライナ軍、対岸から反攻も、(

「話が通じない相手で話すことが政治である」と橋下徹は言ったが、石井アナは「できるならとっくの昔にしたいただろう」と言った。

撤退の)理由について「兵士らの命を守るためだ」、との報道があるが、戦争であっても兵士の命を守るのは当然であり、そうであれば(ウクライナ政府)一般市民の命を守るのはなおさら当然、優先すべきである。

俺(橋下徹)たちは頑張ってるなんてそんな気にならんわ。

、との報道があるが、(ウクライナの)戦争で一番重要なことは非戦闘員の避難であるべきである。

(橋下徹は、ウクライナに対して)申し訳ないの気持ち(を持っている)。

ゼレンスキー大統領「人の命を何よりも大切に…我々は戻ります」リシチャンシクから撤退、との報道があるが、「兵士の命を守るため撤退を決定した」と言うなら一般市民の命を守るための撤退もあるはずである。

1日も早い停戦を(橋下徹は願う)。

ドネツク州要衝「既に最前線」、次の主戦場スラビャンスク、露軍の接近に緊張、との報道があり、ワディム市長は市民の避難を急いでいると明らかにしたが、(ウクライナ)現実の戦争では非戦闘員の避難が重要である。

僕(橋下徹は)も殺人予告を受けながらたいがいのことをやってきました。

(ウクライナにおいて、)結局一般市民保護の目的を離れた戦闘は、軍の戦略・戦術を理由に一般市民を置いて撤退したり、一般市民の犠牲を度外視して戦闘し続けたりするようになり、自由・独立を守るために一般市民の犠牲やむなしと安易に言うようになり、日本でもそのような風潮があるが、止めなければならない。

(橋下徹は)子供が人質に取られたらテロと交渉し最後まで突っぱねることはできないと思います。

ドネツク州の住民に避難呼び掛け、ロシア軍迫る、との報道があるが、(ウクライナ)戦争で重要なことは、非戦闘員の避難であるべきである。

(橋下徹は)他人にテロに屈するなとは言えないんです。

ウクライナ大統領、東部ドネツク州に強制避難を指示、との報道があるが、現実の戦争指導で最も重要なことは一般市民の避難態勢であるべきである。

(橋下徹は)自分の命、子供の命をまずは大切にしてください、という視点である。

ナザレンコ・アンドリーは、ナザレンコさんの周囲でいつも威勢のいいことを言っていた人たちの今の生活を冷静に見るべきである。

(人間全般は)自分の命、子供の命をまずは大切にしてください、という橋下徹の視点は短期的・地域限定的という理屈の話ではなく、単に自分も負けてしまうという単純な話である。

ナザレンコ・アンドリーは、今もウクライナ頑張れ!プーチンに妥協するな!国際秩序を守れ!と言っている人たちがどういう暮らしをしているか、祖国への熱い思いを少し冷まして見るべきである、インスタやらツイッターを。

政治指導者になる政治家が自分の命や家族の命がかかった場合にどこまでテロを突っぱねることができるんでしょうか?と言えば、橋下徹は出来ないと考える。

ナザレンコ・アンドリーは、今の威勢のいい政治家や学者たちジャーナリストたちと、自衛官・警察官・海上保安官・消防隊員・船長・機長などの思考を比べてみるべきである。

彼ら彼女らは他人の命の場合にはテロに屈するな!と言えるのでしょうが、自分の命や家族の命がかかったらどうでしょう?と言えば、橋下徹は出来ないと考える。

ナザレンコ・アンドリーは、ナザレンコさんの周囲で威勢のいいことを言っている人たちの日々の生活ぶりや今後の行動をよく見ておくべきである。

(橋下徹は)彼ら彼女らが「テロに屈するな!」「国際秩序の維持!」と言っても共感できない。

(ウクライナからの)男性出国の件は外国で暮らすウクライナ人を中心に西側諸国民が声を上げ西側諸国の政治家を通じてゼレンスキー大統領に届くようにすべきである。

(橋下徹は)人間そんなに強いもんじゃないよ、と考えている。

(ウクライナからの)男性出国の件は、外国で暮らすウクライナ人が西側諸国の政治家に言うべきであり、これが効果大である。

政治指導者と一般国民の感覚はズレる(と橋下徹は考える)。

人道回廊は、停戦時間が過ぎれば総攻撃であり、辛いですが、これから西側諸国がどう対応するのかしっかりと見ていくべきである。

(橋下徹は)自衛官、警察官、海上保安官、消防隊員などには最大限の敬意の念を抱く。

戦争が始まった以上、ナザレンコ・アンドリーや威勢のいい人たちのように、精神論の戦う一択ではダメなのである。

(橋下徹は)国際政治学者や国際法学者を納得させる必要はない。

あなた(ナザレンコ・アンドリー)は、戦闘員の視点ではなく、毎日死の恐怖に晒され、水も食料も医薬品もない中での生活を強いられ、家族の命を奪われ、とにかく生き延びたいと決死の覚悟で避難行動をとっている一般市民の視点で発言するべきである。

どういう戦争指導にすべきかは国民が納得するものであり、国際政治学者(篠田英朗)の納得なんていらんよ(と橋下徹は思う)。

ウクライナ一般市民の思い、考えを説得力を持って代弁できるのは、ウクライナ人であるあなた(ナザレンコ・アンドリー)である(べきである)。

(ウクライナ戦争は)災害対策と同じである(と橋下徹は思う)。

あなた(ナザレンコ・アンドリー)は戦地の戦闘員ではなく、戦地の一般市民の状況を感じるべきである。

一人でも多くの(ウクライナ人の)命が救われたら良いことでしょ?(と橋下徹は思い)、マリウポリがその典型である(と橋下徹は思う)。

あなた(ナザレンコ・アンドリー)は戦闘員ではないので、あくまでも戦地の一般市民の視点で考えるべきである。

ロシア侵攻直前(?)、戦闘員と非戦闘員を厳格に分けて非戦闘員はできる限り逃げるべきだと僕(橋下徹)が言ったら、戦え派は僕(橋下徹)に全面降伏論のレッテルを貼ってきてピーチクパーチク言ったが、あのとき公で退避論を主張したのは僕(橋下徹)だけだった(と橋下徹は思うが、実際は4000万人全員の退避=降伏を主張していたので、橋下徹はここで嘘を吐いている)。

あなた(ナザレンコ・アンドリー)はもう有名人なので、北海道ではSNSの写真に気を付けるべきである。

災害対策・対応は880万人の大阪府、270万人の大阪市で知事、市長として(橋下徹は)散々やってきたところである。

ナザレンコ・アンドリーさんも戦争指導の在り方について今後もどんどん意見を出すべきである。

(ウクライナの)戦闘員にはもちろん(橋下徹は)敬意を表する。

西側諸国やアメリカは、相手が強くて喧嘩ができないなら、譲歩することも人道であるから譲歩するべきであり、それが政治であ(り、西側諸国やアメリカはそれを知るべきであ)る。

今のウクライナの状況を見ると、永田町などの東京中心部を国防の全力を注いで守って、他方大阪は悲惨な状況のままというのを(橋下徹は)重ねて考えてしまい、それで命が守られている東京の連中が大阪府民を守ること以外の抽象論を叫んで大阪での停戦が進まないという状況を(橋下徹は考えてしまい)、今回の戦争についての国会議員やメディアに出てくる東京在住の専門家のコメントを見ると、これはあり得る(と橋下徹は思う)。

反戦の声はロシア国民が頑張って上げるべきである。

単に生き残るだけでは意味がないと言う連中も多いけど、そう言ックいるのは命が守られている連中であり(と橋下徹は思い)、この辺は哲学的価値観やね(と橋下徹は思う)。

西側諸国民はアメリカに(ロシアとの)外交努力を促す声を頑張って上げるべきである。

もちろん僕(橋下徹)の持論も100%正しいものではないでしょうが、しかし篠田が言うように意味がないとか、害だというものでもなく、それは学者の典型的な驕りである。

西側諸国は最後の折り合いは国民の声で決するべきである。

そもそもこの戦争はウクライナの軍事力強化で解決するんでしょうか?(と橋下徹は思う)。

西側諸国民はアメリカがロシアと協議するよう促すべきである。

戦う選択をしたウクライナの人々の決意には(橋下徹は)敬意を表しますが、国民全体のうち戦闘員の数はどのくらいなのか、今、マリウポリで悲惨な状況に陥っている市民は全員戦う決意をして死を覚悟しているのか、と考えれば、(橋下徹はその種の市民は少数だと思っており、)退避したい市民、生き残りたい市民は(多数)います(と橋下徹は考える)。

米ブリンケン国務長官はウクライナへ”戦闘機提供”検討と言ったが、NATOの飛行禁止区域の設定が無理なら、これくらいのことはやるべきである。

(橋下徹は)戦う戦闘員には敬意を表する。

ロシアを追い込むためにこのような政治を進めるならば、まずイラク戦争は間違いだったことをアメリカ中心に国連が決議するべきであり、そこまでの政治が必要である。

(ウクライナの? ロシアの?戦闘員に敬意です(と橋下徹は思う)。

アメリカ・バイデンが政治をするなら、一つは大量破壊兵器は冤罪だったイラク戦争の総括であり、二つは安保理決議なく始めたイラク戦争・アフガン戦争・その他アメリカの武力行使についての総括であり、三つはセルビアへの空爆によってコソボを独立させたことであり、アメリカ・バイデンはこれらについて総括をするべきである。

東欧の歴史くらい知らないで公で堂々と持論を展開できるか!(と言える位橋下徹は東欧の歴史を良く知っているし)、(橋下徹は)侮辱されたら100倍返しを、抑止力として行使する。

西側、アメリカは、中国をこっちに引き込まないとウクライナの被害が拡大するので、中国を引き込むべきである。

(橋下徹は、ウクライナの)戦闘員に敬意を表する。

西側、アメリカが、中国に最初から制裁をちらつかせるなんて、学級委員政治の典型であり、やめるべきである。

(橋下徹は、ウクライナの?)戦闘員には敬意を表する。

中国をこっち(西側、アメリカ側)に引き寄せるには、お願いかお土産が先であり、お願いすべきであり、あるいは西側・アメリカが中国に土産をわたすべきである。

いざ戦争になったら敵を口だけで非難しても何の効果もない(と橋下徹は思う)。

西側・アメリは、中国に制裁をちらつかせるのは最後の手段であるべきである。

死の危険に晒される者は生きること、逃げることを第一に考え、それが普通(と橋下徹は考える)。

バイデン・NATO政治、欧米が、拒否権2票持っている中露を相手にする時は、学級委員的な正義を振りかざす議論ではなくて政治をやるべきである。

国民の命を守ることから離れた目的を持つ軍隊は、いつの間にか国民を犠牲にすることに躊躇しなくなる(と橋下徹は思う)。

ロシアに対する非難決議もできない安保理が中露相手に何ができる?と橋下徹は思い、ここは(主体不明)政治家の感覚で解決策を模索すべきである。

法の支配を無視する人道判断は誤ることが多い(と橋下徹は思う)。

侵攻から3週間たち、ウクライナ代表団「数日のうちに停戦実現を確信」と述べているが、再びウクライナが侵攻されないようにアメリカやイギリスなどの西側がウクライナの安全を保証するかがポイントであり、結局、西側とロシアの政治的な安全保障の話であり、西側とロシアで政治的妥結を行うべきである。

(橋下徹が)南京大虐殺の話を出したのは、人数やプロパガンダを問題にしたのではなく、便衣兵(市民兵)が虐殺の正当化に使われるという点である。

今はウクライナの犠牲拡大を止めるために、ロシアを経済的に追い詰めることが第一優先順位であるべきであるが、米国は中国当局者のビザ制限、ウイグル族弾圧停止要求を行っているが、中国が反発すればするほどロシアへの経済制裁の効きが悪くなるので、そのようなことはやめるべきであり、これは理想ばかり掲げる学級委員政治の弊害の典型であり、厳しい優先順位を付けるのが政治である(べきである)。

(一般に、)戦争ではいつも一般市民が犠牲になる(と橋下徹は思う)。

米大統領の「戦犯」発言で2国間関係崩壊の危機、ロシアが米大使召喚と報道されているが、

軍事力は国民を守るためにあり、そこから離れると一般市民の犠牲はやむなしという論に流れやすくなる(と橋下徹は思う)。

米大統領がやっているように、戦争する覚悟もない罵倒は学級委員的悪口であり、米大統領がウクライナの安全を保障するための協議ができるか橋下徹は不安であり、バイデンはもっと政治家になるべきである。

僕(橋下徹)はロシア寄りではなく、政治の力で解決しろという立場である(と橋下徹は思う)。

国際秩序を維持するのは世界警察並みの軍事力を持った者が担うべきであり、まさにアメリカやNATOが世界大戦覚悟でやるべきことである。

僕(橋下徹は)はロシア寄りではなく、政治の力で解決しろ、一般市民の犠牲を安易に容認するな、一般市民の犠牲の前に政治家から先に命を捨てよという立場である。

米が戦車供与を支援か、米紙報道、と報道されているが、ロシアに世界大戦・核戦争になると脅されてアメリカは引くべきでない。

僕(橋下徹)は一般市民の犠牲に着目する考えを主張していきます(途中で話がすり替わってますが)。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

僕(橋下徹)は戦死者の思いを少しでも想像できるように戦地巡りでの勉強に力を入れてきたつもりです。

APEC貿易相会合で日米など5カ国、ロシア発言時退席に、との報道があるが、退席せず、堂々と意見を言うべきであった。

強制的に戦場に送られ戦死した者にとっては自国に殺されたも同じである(と橋下徹は思う)。

APEC会合で5か国退席、との報道があるが、五か国はロシアに

成熟した民主国家においては一般市民の犠牲を度外視した戦争指導はあり得ない。

ウクライナ、ロシア領攻撃の自粛約束、米国務長官、との報道があるが、ブリンケン国務長官はロシア領内に対する攻撃には使用しないとの約束をウクライナから得たと述べたが、西側が戦争に巻き込まれないように微調整してウクライナだけに戦闘の負担を負わせる戦略であり、このような戦略をアメリカはやめるべきである。

成熟した民主国家においては一般市民の犠牲を度外視した戦争指導はあり得ない。

ウクライナ南部マリウポリ、約5000人死亡、ロ軍の包囲で、と報道にあるが、マリウポリ市長は市民を残して脱出し、(ゼレンスキーは)マリウポリに軍の力を投入すべきである。

日本の学者(篠田英明)がこのレベルとは(橋本徹には)堪らんな。

こんなNATOとプーチンの争いはNATOとプーチンで解決すべきものであるが、それをウクライナが全て背負わされている。

(篠田英朗は)心底頭悪いな(と橋下徹は思う)。

(市民運動を)やるなら、NATO指導者はプーチンと政治的妥結せよという運動であるべきである。

俺(橋下徹)はあなた(篠田英朗)のような戦う一択ではない。

ウクライナの国家の軍事力は認めた上で、NATOとロシアで話をつけるべきであり、これが政治の知恵である。

あなた(篠田英朗)らのような者が政治家の欺瞞に乗せられてウクライナを支援している気になって、ゼレンスキー大統領の演説に大はしゃぎしていた(と橋下徹は思う)。

(西側諸国は?)引き続きウクライナだけに負担を負わせるべきでない。

西側は一切譲歩せず、ロシアを追い込むためにウクライナに中途半端な武器を提供して戦わせる西側政治家のえげつない戦略に気付かずに能天気に拍手を送れるあなた(篠田英朗)が(橋下徹は)羨ましい。

(西側諸国は?)ロシアの譲歩を引き出すためにも経済制裁は強めるべきであり、自国の経済を気にしてロシアエネルギー企業への制裁を躊躇するべきではない。

あなた(篠田英朗)のような専門家があなたと同じようなことを言ってるけどその見立てはあかんな(と橋下徹は思う)。

NATOや核五大国がロシアとこの戦争を政治的に解決するべきであり、それが政治である。

紛争の原因を把握するのにあなた(篠田英朗)らの意見は使い物にならん(と橋下徹は思う)。

本田圭佑「各国政府は軍隊を(ウクライナに)派遣して」発言は大きな反響を呼んでいるが、ウクライナだけの譲歩はダメであり、ロシアにも譲歩させる必要があり、そのためにはNATOの譲歩も必要であるべきであり、NATOの譲歩分だけウクライナの譲歩が減る。

一般市民の犠牲があまりにも大きいのであなた(篠田英朗)のように理解したい気持ちは分かるが、太平洋戦争での沖縄戦や日本の多大な犠牲についても、あそこまでの日本の戦いがあったから日本有利の講和条約になったと主張する者多数いるが、でもご遺族の悲しみははかり知れず、ゼレンスキーやウクライナの戦争指導で避けることも可能だった。

ウクライナの犠牲を止めてNATOとロシアで協議すべきだ。

あなた(篠田英朗)や色々な専門家が中立化が争点ではなかったと言っているが、僕(橋下徹)は僕自身の認識とゼレンスキー大統領の(橋下徹が思っている)認識に拠って立つ(つもりである)。

ウクライナ大統領は「有意な和平協議へ爆撃停止を」と述べたが、それぞれの正義は横に置き、NATOとロシアが安全保障の在り方について政治の知恵を振り絞るべきである。

国際政治学者が国家を動かすわけじゃなく、それは完全な勘違い(であると橋下徹は思う)。

反戦の声はロシア国民に頑張ってもらうべきである。

国際政治学者や国際法学者は自分の領域で考える(と橋下徹は思う)。

西側諸国民はアメリカに外交努力を促す声に頑張るべきである。

(国際政治学者の話には)、国際秩序とか日本の政策への壊滅的影響とか、自分たちが読んだ本の中の抽象論や予測の域の話しか出てこない。

西側諸国は(アメリカとロシアの協議の)最後の折り合いは国民の声で決するべきである。

どういう戦争指導にすべきかは国民が納得するものであり、国際政治学者(篠田英朗)の納得なんていらんよ(と橋下徹は思う)。

最後はNATOとロシア、核五大国で政治的妥結をはかるしかなく、そうすべきである。

(篠田英朗は)抽象的に国民主権を勉強しているから俺(橋下徹)の話が理解できんのやろ(と橋下徹は思い、)まずはそこから(篠田英朗は)勉強するべきである(と橋下徹は思う)。

西側諸国の戦う一択の風潮はダメなのである。

(篠田英朗の言う)国際秩序の維持及び日本の政策への破滅的影響なんて、人の命を奪うには粗すぎる理屈なのであり、それが通用するのはあなたらの本の中の世界だけである。

今回のプーチンの暴挙は許されず、ウクライナは旧ソ連の蛮行の歴史への恐れがあるが、他方ロシアには推定2700万人の犠牲者を出した独ソ戦の歴史から西側の拡大へ西側諸国民の想像を絶する恐怖があるのかもしれないので、だからこそ西側諸国とロシアの協議が必要である。

(篠田英朗は)いよいよ頭がおかしくなったな(と橋下徹は思う)。

とにかくまずはウクライナだけに犠牲を負わせないためにNATOとロシアが協議をするべきである。

戦争は交渉の一部って(言う篠田英朗は)正気ではなく、頭がおかしくなった(と橋下徹は思う)。

ベラルーシに核が配備されればどのみちNATOとロシアの協議が始まるので、それなら今やれよという話である。

(篠田英朗は)交渉の成果のためにいったいどれだけの一般市民に死ねと言うんだ?(と橋下徹は思う)。

プーチンの軍事侵攻は許し難いが、ベラルーシに核配備をちらつかせてきたのだから、ここはウクライナの犠牲を最小限にすべくNATOとロシアが妥結を目指すべきである。

(篠田英朗のように)国民と接していない学者は平気でこういうことを言うんだよな(と橋下徹は思う)。

ウクライナ危機において(ロシアが? ウクライナが?)政治的妥結を突っぱねても、どの道今後NATOとロシアが協議する必要性が出てくるのであれば、ウクライナを助けるために今やるべきである。

(篠田英朗は)戦争の悲惨さ、ご遺族の悲しみなどまるで分からず、あくまでも本の中でしか考えられない典型である(と橋下徹は思う)。

プーチン政権が瓦解すればまた別の展開になるでしょうが、いずれにせよ今はウクライナを助け、NATOとロシアが協議するべきである。

ロシアが一番悪い(と本当は橋下徹は微塵も思っていないが、一応書いておかないと頭のおかしくなった篠田英朗のようなバカに何か言われると単に面倒なので形だけ書いておく)。

今はとにかくウクライナがロシアとの対戦主体ですが、西側諸国とロシアの協議に移すべきである。

(篠田英朗は)安全保障制度を認めさせたら大勝利、と言っている(と橋下徹は思っているが)、これはアホである!

ロシアの核関連施設への攻撃について報道されているが、西側とロシアが譲歩しながら政治的な妥結して戦争を収めるべきである。

これだけの一般市民が犠牲になって(篠田英朗が言っていると橋下徹が思っている)大勝利なんかあるか!(と橋下徹は思う。)

「プーチン氏はウクライナ支配を決意」とCIA長官が米議会で証言し、「民間人の犠牲を無視して、ウクライナ軍を打ち破ろうとするだろう。今後数週間は醜いものになる」と言ったが、ここまで分かっていながら西側がロシアと妥結を探らないのはおかしく、妥結を探るべきである。

(篠田英朗が言っていると橋下徹が思っているように)交渉の一部に戦争を使うことを容易に認めたら、勇ましいことを言う政治家ばかりになるわ(と橋下徹は思っている)。

NATO、ロシア、ウクライナで政治的妥結をするべきである。

国際法学者篠田氏の大きな間違いは、篠田氏が僕のことを色々言っているが、お互いに世界観が違うことは当たり前のことであり、それを篠田氏は学者がよくやる橋下の勉強不足だ、無知だ、平和ボケだと批判してきたので議論にならなかった、ということであると橋下徹は思っている。

NATOとロシアは互いに譲歩すべきである。

(篠田英朗は)今回は理屈で来たので(橋下徹は)理屈で返す。

この戦争は、NATOとロシアで政治的妥結をはかるべきである。

司法試験受験予備校当時の憲法講師の影響を僕(橋下徹)が受けていると(篠田英朗が)指摘している点は全く違うと橋下徹は思う。

ウクライナのロシアとの戦争を避けるためNATOは軍事介入できないのであれば、ウクライナが絶対に飲めないロシアの要求をNATOが引き取って、NATOとロシアで安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるべきである。

篠田氏はまだ分かっていないようだ(と橋下徹は考えるが)、僕(橋下徹)は考え方や価値観の違う相手でも尊重し侮辱はしないで、その上で議論するがゆえにこの講師とは憲法観は異なるが尊重はする。

ウクライナの負担をできる限り軽くするために、NATOとロシアで安全保障の枠組みについて政治的に妥結するべきである。

篠田氏(と橋下徹)との決定的な違いは、憲法観の違いという抽象論ではなく、戦争前の軍事力・装備の話と戦争後の軍事力・権力行使の話を区分・整理するか否かという点である。

経済制裁が効いてロシアが瓦解するまでウクライナに戦ってもらうやり方だけでなく、NATOとロシアが安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるやり方もあり、後者を実行するべきである。

篠田氏は実際の権力というものを行使した経験がないのでこの点まったく理解も想像もできないのだろう(と橋下徹は思っており、)すべてごっちゃにしている(と橋下徹は思っている)。

西側が本当にウクライナを支援する気があるなら、ウクライナが課題な譲歩を迫られないようにNATOとロシアでヨーロッパの安全保障の枠組みを協議し直すべきである。

篠田氏は自分の研究分野の国際法をあらゆる場面で絶対視する(と橋下徹は思っている)が、これは学者が陥る典型的な間違い(であると橋下徹は思っている)。

ウクライナはNATO加盟はしないと言っているのだから、NATOはロシアと再度協議すべきであり、まずは停戦である(べきである)。

篠田氏はネットのコメント・反響だけで国民の声の多数を判断しているようだ(と橋下徹は思っている)が、これは選挙をやったことのない学者ならではの感覚(であると橋下徹は思っている)。

ウクライナは、NATOとロシアの政治的妥結の失敗の責任を取らされているだけであり、NATOとロシアが始末をつけるべきである。

篠田氏が付き合っている周辺の者、特に池田氏と街頭演説をしたみたら、誰も話を聞いてくれないだろうことが分かるだろう(と橋下徹は思う)。

NATOは軍事介入できないなら政治的妥結の再協議をロシアと行うべきである。

(篠田英朗は)仮に政治グループを作っても議席は獲得できないだろう(と橋下徹は思う)。

NATOとロシアがこの協議で政治的妥結をすればウクライナを救えうことができる(ので、そのようにすべきである)。

「病理」という言葉を使ったのはあなた(篠田英朗)の癖なのであると橋下徹は思うが、俺(橋下徹)から見たらあなた(篠田英朗)の方が病理である。

戦火逃れた難民、国境で連れ去りも、2022年3月28日との報道があるが、ロシアが一番悪いが、しかしウクライナのその戦争指導を是正すべきである。

あなた(篠田英朗)は憲法たるものの理解が全くない(と橋下徹は思う)。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

国際法学者の篠田氏は、戦争は交渉の一部と言い切る(と橋下徹は思っている)が、それはあり得ない(と橋下徹は思う)。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

あなた(篠田英朗)は「戦争は交渉の一部」と一般市民の犠牲は当然のことのように言い放ち(と橋下徹は思い)、一般市民も抵抗せよという戦う一択(と橋下徹が考えている)ぜレンスキー大統領の演説に拍手喝采を送り(と橋下徹は思い)、国のために一般市民が命を棄てることに大感銘を受け(と橋下徹は思い)、戦争終結のための政治的妥結を完全否定する国際法学者である(と橋下徹は思う)。

ウクライナだけでは譲歩させられ過ぎるので、その負担を和らげるのはNATOの妥あるべきであり、もちろんロシアにも譲歩させるべきであり、それにはNATOの力が必要であるべきである。

(篠田英朗は)戦争においては敵と戦って敵を倒すことしか頭に浮かばなかった(と橋下徹は思う)。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

(篠田英朗は)今になって一般国民の逃げる重要性を認識したが(と橋下徹は思い)、それを認めることもできず必死に言い訳するしかないのだろう(と橋下徹は思う)。

、ウクライナとロシアの間でその均衡が崩れた結果であり、日本でそのようなことを起こしてはならなず、政治はギリギリの均衡を保つべきである。

戦争は交渉の一部、そのための一般国民の犠牲はやむなしと言い放ち、全市民が抵抗するというゼレンスキー大統領の演説に感動を受けて拍手喝采を送り、政治的妥結による戦争終結を完全否定するあなた(篠田英朗)のような戦う一択の思考からは戦争直前に一般国民が逃げる発想は出てこないだろう(と橋下徹は思う)。

ロシアと相互譲歩に持ち込めるのはNATOであるべきである。

全員逃げるのは無理だから、退避させる戦争指導はすべきでないと(篠田英朗は)言うの?(と橋下徹は疑問に思う)。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

篠田(英朗)なんかいきなり橋下は平和ボケだ、病理的な憲法解釈だ、今でも意味がない主張だ(、と橋下徹を批判する)。

(マリウポリにおいては、)政治家と市民の入れ替え(ウクライナ政府とロシアとの?)交渉の可能性もある(と橋下徹は思う)。

もちろん僕(橋下徹)の持論も100%正しいものではないでしょうが、しかし篠田が言うように意味がないとか、害だというものでもなく、それは学者の典型的な驕りである。

(マリウポリにおいては、)戦闘員が死を覚悟しているなら、戦闘員の命と市民の救出の交換という究極の(ウクライナ政府とロシアとの?)交渉もあるかもしれない(と橋下徹は思う)。

ナザレンコ・アンドリーさんの周囲で威勢のいいことを言っている人たちの中で、ウクライナに行く人はまずいないでしょう。

(ウクライナ軍は)ロシア軍を駆逐できるならなんとか駆逐するべきであるが、それが難しい状況なら(ウクライナ)市民を守るための方策を何とか考えるべきである。

避難民受け入れと全力でサポートするという点、日本の各政党の提言が弱い。

モルドバが戦火にまみれることは、政治・外交の力で絶対に防がなければならなず、ここはNATOとロシアの政治的妥結が絶対に必要であり、ウクライナの抗戦も寄与するが、とにかく政治・外交も同時に必要であって、これはNATOとロシアのヨーロッパ安全保障の枠組みについての政治的妥結であるべきである。

ロシアは中国の意向を無視できないし、中国も世界のリーダーになりたがっているのでロシアには働きかける可能性が高い。

反戦の声はロシア国民に頑張って上げるべきである。

西側諸国は、ロシア瓦解の見通しがない中でウクライナだけに戦わせるのは卑怯だ。

西側諸国民はアメリカに外交努力を促す声を頑張って上げるべきである。

西側諸国はウクライナ頑張れ!武器を供与する!とだけ言っている。

西側諸国は、ウクライナ戦争における最後の折り合いは、国民の声で決するべきでる。

西側の武器は戦況をウクライナ有利に迅速に変えるような超強力なものではないが、そんな武器を供与すればNATOとロシアの戦争になるからである。

ウクライナは旧ソ連の蛮行の歴史への恐れがあるが、他方ロシアには推定2700万人の犠牲者を出した独ソ戦の歴史から西側の拡大へ西側諸国民の想像を絶する恐怖があるのかもしれず、だからこそ西側諸国とロシアとの協議が必要である(べきである)。

男性出国の件は、外国で暮らすウクライナ人が西側諸国の政治家に言うのが効果大である。

NATOもどうせウクライナを加盟させるつもりがないなら、まずはウクライナのフィンランド化を目指すとか、ロシアと密約でもすべきであった。

西側諸国の反戦の声がプーチンに届くよりも男性出国の件がゼレンスキー氏に届く可能性の方が高い。

上念さんの考えと僕の考え、両者の内どちらを選んでいくかが戦争指導のポイントであるべきであり、どちらの一択ではない。

今回のプーチンの暴挙は許されない(と橋下徹は思う)。

(南京大虐殺における)被害者人数の違いの指摘は必要だけど(上念さんの)言い方が重要であるべきである。

ウクライナは旧ソ連の蛮行の歴史への恐れがあるが、他方ロシアには推定2700万人の犠牲者を出した独ソ戦の歴史から西側の拡大へ西側諸国民の想像を絶する恐怖があるのかもしれない。

(一般に、またウクライナ戦争において、上念さんは)戦争前の話と戦争後の話は分けなければならない。

プーチンは、ウクライナから東部とクリミアを独立させることは西側がやったことと同じことをやっていると主張しており、西側は当時のセルビア・ミロシェビッチを敵視しコソボを支援し、ロシアはウクライナ・ゼレンスキーを敵視し東部とクリミアを支援したが、安保理の決議なく軍事力を使ったのは両方同じである。

上念さんの言う①②③は戦争前に備えておくべき話である。

本来西側か国連が出張って、武力介入ではなく人道介入によって安全確保する仕組みが必要だった。

上念さんが奴(篠田英朗)を評価することは自由であるべきである。

西側諸国は、プーチンの暴挙を止め国際秩序を維持し、自分たちが幸せな生活を送るために、ウクライナに戦わせ、さらに退避までも全部(ウクライナに)負わせている。

西側諸国の戦う一択の風潮はダメなのです。

僕(橋下徹)の話にリアリティがないと(周囲の声が)うるさかったので、リアリティを引っ掛けて(橋下徹は)ちょっと言い返し過ぎたかもしれません。

ロシアは正当性のない侵略者であるが、それを前提にウクライナの犠牲を最小限にするために相互に譲歩するのか、ウクライナの犠牲のもとにロシアを倒すのか、どちらを選択するかは政治である(べきである)が、今の西側諸国の体制は後者であり、この機を捉えてロシアを倒し、そしてウクライナの犠牲が増える。

戦争は始まらないようにするのが勝負であり、防衛力の強化が重要であるが、始まってしまえば精神論は横に置き、戦うか、逃げるか、降伏するなら最善の降伏は何かの冷厳な判断の連続であり、さらに誰が関与するのかが超重要であり、それが分からないと西側諸国民は反戦!国際秩序維持!しか言えない。

我々西側諸国はロシアを侵略者だと言えばいいが、それも前提に解決するのが政治である(べきである)。

国際法がー、国際秩序がーなんて言ってたら、警察権や司法権のない国際社会で落とし所が着かない。

NATOが東方拡大をしない文書がなくても、東方拡大がロシアの脅威となれば紛争になり、文書のあるなしにかかわらず、戦争を回避・集結させるのが政治である(べきである)。

問題は中国であり、中国を取り込まない経済制裁でプーチン政権を追い込めるのか、それは疑問である。

ロシアの西側の脅威の主張は太平洋戦争のときの日本の思考と同じであり、どうすれば政治的妥結ができるのか日本が一番知っているはずである(べきである)。

サハリン事業から西側が撤退しても、そのまま中国が引き継げば(経済制裁の)効果が弱くなる。

今回はウクライナが身代わりになっており、西側諸国が自ら戦うのか、それができないならヤクザ相手にはヤクザ的な手打ちしかないので、西側諸国はロシアとヤクザ的な手打ちをすべきである。

今回の西側の作戦のどこに自ら戦うチャーチル政治的要素があるんだ?と(橋下徹は)疑問であり、本質を見る力があれば他国を犠牲にするチェンバレン政治と全く同じである。

日本の国会議員がこんなこと(ウクライナ戦争におけるウクライナ・ゼレンスキーのような対応)をやったら俺(橋本徹)は許さんし、子供は逃すが、今の日本の国会議員のこんな判断に従いたい者は従うべきである。

ロシア軍、さらに別の原発の制圧検討か、電力供給源の掌握狙うと報道にあるが、ゼレンスキー氏の数々の訴えを西側はすべて拒否したが、世界大戦にしないためにもやむを得ず、これはウクライナを犠牲にしたわけで、チェコを犠牲にしたチェンバレンと同じである。

ロシアの根室沖領空侵犯に対しては、自衛隊、海上保安庁のみなさんが、申し訳ないけど、頑張っていただくべきである。

ウクライナはどこまで戦わなければならないのでしょうか、と(橋下徹は悩む。)

ウクライナの将来が日本と同じになるかはわかりませんがしかし死ねばチャンスは0になるので、(戦う)一択は間違っている(べきである)。

ウクライナだけに重荷を負わせ、犠牲にし、その責任を負わず、ウクライナが勝利すれば最大の果実を得るというそんな今回の西側の戦略には(橋下徹は)反対です。

ロシアはウクライナの占領が目的ではないと言っているので、(ウクライナからの住民)大規模避難(という橋下徹の意見?)を否定すべきではない。

ウクライナの抗戦意志は(橋下徹は)尊重しています。

(ウクライナやゼレンスキー、日本の政治家等は)戦う一択ではないと思いするべきである。

我々(日本人?)は太平洋戦争での失敗の経験がありますし(ウクライナ戦争の)戦況も冷静に見ることができます。

これ(非戦闘員の国外避難)くらい西側諸国はロシアと協議すべきである。

もちろんロシアの暴挙は正当化されない(が、しかしながら、それを前提としながらも、橋下徹は、ロシア以外に対して、言いたいこと・司令したいこと・説教したいことだらけなのである)。

死者急増、泥沼化の懸念、停戦交渉、歩み寄り困難、ウクライナ難民100万人超・ロシア軍侵攻という報道があるが、戦争は始まらないようにする事前の防衛力の強化と外交が重要で、いったん始まってしまえば冷厳な軍事力比較・戦況分析が重要である(べきである)。

プーチン政権を倒すのがベストだが、西側諸国が(現在)やっているのは経済制裁のみである。

(ウクライナ戦争においては)太平洋戦争末期の日本の状況だけは避けなければならない。

NATO・西側の政治家が一斉にキエフに行けばNATOとロシアの協議がまとまるだろう。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきである。

第二次世界大戦でソ連を引き込むヤルタ協定も、第一次世界大戦で太平洋の防衛を日本に任せるための石井ランシング協定も、最後は懐柔策であった。

(西側諸国は)できる限りウクライナ人の命を助けるべきであり、それが真のウクライナ支援だ。

ウクライナ、大量無差別攻撃を止めるヒントは「日本の終戦」

(今の停戦協議では、)一般市民の命と引き換えになるものを明確に示して一般市民に判断させるべきであり、それが民主国家である。

東郷和彦×手嶋龍一という報道があるが、

ウクライナ「中立化」焦点、モデルは永世か軍事非同盟かと報道にあるが、今回のウクライナ・ロシア戦争の本質は、自由、民主、人間の尊厳を守る戦争ではなく、ヨーロッパの安全保障の枠組みについての政治的な争いである(べきであり)、何に一般市民の命を賭けるのか明確にする必要がある。

それはまさに政治的妥結である(と橋下徹は思う)。

(ゼレンスキーらが)小田原評定やっている間にどんどん(ウクライナの)一般市民の犠牲が拡大するので、(日本の? ウクライナの?)政治家はしっかりするべきである。

NATO・西側は本気の軍事支援をやらない。

国際秩序の維持、プーチン政権の打倒、後のロシアの蛮行を防ぐため、自由・独立を守るためなど、これらを戦闘の第一目的に考えると全市民による抵抗、戦うことあるのみ!になりやすいという点は、(日本の? ウクライナの?)国家運営の根本議論であるべきであり、まさに国民がどちらを選ぶかの話であるべきである。

西側諸国の利益のためにウクライナが犠牲になり、西側諸国は自分たちでは戦えないから、武器だけ渡してウクライナに戦わせ、しかもその武器も西側とロシアの戦争にならないように中途半端であり、やっと戦車は供与したけど戦闘機や長射程防空システムは拒否している。

(日本人は? ゼレンスキーは?)国民の安全以外のものを戦闘の第一目的と考える思考も改めるべきである。

命を落とすのはウクライナ人だけって(西側は)究極の卑怯では?これがウクライナ支援?(と橋下徹は思う)。

(誰が?)柔軟に考えることには(橋下徹は)賛成するが、戦う「一択」ではダメであるべきであり、柔軟にするには複数選択肢が必要である。

西側は本気でロシアを倒す軍事介入はせず、武器供与もロシアを完全に倒すものではなく、経済制裁も天然ガスは引き続き購入するが、そんな中、侵略直前後に一般市民の退避を強力にやらなかったことで戦闘の犠牲になった一般市民は既に多数いる(と橋下徹は思う)。

一人の生き残りたい意思を絶対視するわけにはいきませんが、戦時中の9割支持の支持率を絶対視することもできません(と橋下徹は思い)、そのことだけで一般市民の命を犠牲にすべきではない。

ゼレンスキー氏、先端兵器の運用訓練に数カ月必要との説に反論、との報道があるが、西側は肝心な兵器は供与せず、ロシアからの天然ガスの禁輸もしない。

(ウクライナの戦争を)日本で議論する意味は、日本が同じような状況になったらどうするかを考えるためであるべきであり、ウクライナが決めることなので日本で議論すべきではないというのはピンボケである。

西側が求める国際法秩序を維持すると言うなら、西側自らも血を流すか、ウクライナが勝利するための兵器を供与するかしてロシアを倒すしかないが、それができないなら、西側とロシアで政治的妥結をはかって早期に停戦に持ち込むしかない、ということが、国際法関係の学者には見えていない政治的現実・現在の現象である(と橋下徹は思う)。

特に緊張状態にある国に対してこそ話し合いの場での激論が必要であるがゆえに協議のパイプが政治的には決定的に重要であるが、ただしパイプがあるから有利になるわけではなく、それはテーブルにつくためのものであり、中国にも、韓国にもこれは当てはまる。

旧ソ連に対して西側はここまで挑発しなかった(と橋下徹は思う)。

プーチン氏、核使用改めて示唆、「他国にない兵器、必要な時に使う」との報道があるが、激しく喧嘩し合う相手だからこそ、協議するパイプが必要であり、パイプがあるからといって自分の望む通りの方向に行くとは限らないが、それでも全体が破滅的にならないためにも協議のパイプは必要である。

結局ロシア・ウクライナ戦争はウクライナの利益だけでなく、ヨーロッパ・西側の多大な利益になる(と橋下徹は思う)。

(日本の? ウクライナの?)戦争指導は常に一般市民を守る軍事的合理性を基礎にすべきである。

長期戦になるのは我々西側が早期にウクライナの勝利を導く兵器は供与しないし、ロシアからの天然ガスの輸入も止めないからであり、その間ウクライナ一般市民の犠牲が拡大する(と橋下徹は思う)。

「死にたくないと思いますよ本当はでも国のためって頭があって自由を守るっていうかね」旧ソ連に抑留されていた男性からのメッセージ、との報道があるが、命よりも大切なものがある、命を懸けて戦わなければならないという世間の風潮に流されて死ぬことがあってはならない。

西側の制限を付けた武器供与でウクライナはどのようなゴールを達成できるのかと言えば、不満足なものしか達成できない(と橋下徹は思う)。

(ウクライナ戦争において)威勢よく相手を批判し、制裁をちらつかせ、崇高な理念を語るだけでは、相手を味方に引き込むことはできないので、(ロシアに? 中国に?)お土産が必要なのも政治の現実であるべきである。

今回のアメリカからの武器(供与)でウクライナがロシア領内を攻撃すれば西側・アメリカも当事者となり一気に政治的妥結に向かうだろう(と橋下徹は思う)。

NATOとロシアが政治的妥結をするべきではない、というのも一つの考えであるが、その場合にはウクライナの犠牲は仕方がないとはっきり言わなければならず、それをウクライナとともにある!と言うのは超欺瞞である。

西側によって着実にウクライナの兵士・一般市民が犠牲になっている(と橋下徹は思う)。

ロシアに譲歩することになろうがNATOの指導者に政治的妥結を求めるべきである。

西側の言うウクライナの領土は守るとは欺瞞である(と橋下徹は思う)。

今後のロシアの暴挙には国連憲章51条の集団的自衛権の行使が前提となるべきである。

(この戦争は)プーチンやバイデンはもちろん西側諸国も含めた政治家たちで早期に解決するべきである。

ウクライナを支援する日本政府はウクライナに行く日本人の渡航費用を予算化するべきである。

今の西側諸国は、ロシア・プーチンが倒れるまで待つという戦略・戦術であるが、その間、ウクライナ人はどんどん死んでいくのであり、それは最悪である。

西側・国連は、この戦争に人道介入として関与するべきであり、そのためにも西側はロシアと協議すべきで、そこから政政治的妥結も探るべきである。

ロシアは正当性のない侵略者だ。それを前提にウクライナの犠牲を最小限にするために相互に譲歩するのか、ウクライナの犠牲のもとにロシアを倒すのか。どちらを選択するかは政治だ。今の西側諸国の体制は後者。この機を捉えてロシアを倒す。そしてウクライナの犠牲が増える。

ロシアを追い込むためにこのような政治を進めるならば、まずイラク戦争は間違いだったことをアメリカ中心に国連が決議するべきであり、そこまでの政治が必要である。

ロシアを降伏させる道を選ぶのも政治選択だが、今回西側諸国は命を賭けた戦いからは逃げ、ウクライナを身代わりにさせており、そういう選択は卑怯である。

安保理には拒否権を持つ5大国の行動を正す機能、5大国間の戦争を回避するものはほぼないが、5大国の拒否権がなければ多数決によって5大国相手に国連の措置が発動され世界大戦になり、それを避けるのが安保理である(べきである)。

西側諸国は国際秩序を守るため、ロシアを倒すためとウクライナに武器を提供するだけであり、そして現地はどんどんエスカレーションし、西側諸国は全く命は奪われず、安全地帯である。

ロシアのウクライナ侵攻での解決策は、国際社会がプーチンと話をし、政治的な妥結をするべきである。

ロシアがあんな地上軍を展開できるのはウクライナの制空権が不十分なのに西側諸国は見ているだけである。

戦争は始まってしまえば究極の災害であり、国際社会は住民避難にも力を入れるべきである。

米「戦闘停止なら露と外交の準備」、国務長官、東欧など歴訪へ、との報道があるが、アメリカ国民はウクライナ・ロシア戦争に関心が薄いという世論調査の結果もある。

国際社会は、住民避難にも力を入れるべきであるという点を、ゼレンスキー大統領にも伝えるべきである。

西側諸国の戦う一択の風潮はダメなのである。

マリウポリにおいて(誰が?)一般市民を救出するには国際社会の関与が必要であるべきである。

(西側諸国では、)今はプーチンを倒せ!の声ばかりであり、いったいいつまでウクライナは抵抗すればいいのか言わないまま、西側諸国民は幸せな生活を送り続けます。

(日本の政治家やインテリは、)プランAを実行し、難しければプランBの検討を行うべであり、あるいは併用をするべきであるが、日本の政治家やインテリたちの多くはプランBの検討すらしない。

戦争は、始まってしまえば精神論は横に置き、戦うか、逃げるか、降伏するなら最善の降伏は何かの冷厳な判断の連続であり、さらに誰が関与するのかが超重要であり、それが分からないと西側諸国民は反戦!国際秩序維持!しか言えない。

正確な報道が適切な戦争指導、合理的な国民の判断を導くのであり、特に戦時にこそ(ウクライナにおいては?)正確な報道が必要である。

一番重要なのは西側諸国の国民がどのような声をうねりにするかですね。

(ウクライナ人の)男性(の国外)出国の件は、外国で暮らすウクライナ人を中心に西側諸国民が声を上げ西側諸国の政治家を通じてゼレンスキー大統領に届くようにすべきである。

民主国家においては自分たちの国の政治家に声を上げるのが効果的かと思います。

(ウクライナ人の)男性(の国外)出国の件は、外国で暮らすウクライナ人が西側諸国の政治家に言うべきであり、それが効果大である。

細谷さんたちはナチスに融和したチェンバレンの失敗例を引用されますが、融和だけでナチスが増長したのではなく当時の欧州各国の防衛力が弱かったことが大きな原因だった

日本でも要注意なのは、(日本)国内で威勢のいいことを叫ぶ勢力に乗っかる政治が、軍事的均衡、政治メンツ的均衡を崩すことのないように厳しく監視しなければならない。

死を覚悟して戦っている戦闘員には(橋下徹は)敬意を表するが、しかし実際の戦争は戦争映画とは異なり、普通は死が怖いものであり、死の恐怖に晒されていない者は何でも言えると橋下徹は思う。

こんな長期戦を日本の国会議員が決めたら、全員の頭をはつってやるべきである。

「ジャベリンなかった」最前線、報道と落差、愛国か命か、揺れる兵士、との報道があるが、

ウクライナだけに負担を負わすのではなくNATOとロシアで政治的妥結をはかるべきである。

命よりも大切なものがある!と簡単に口にできるのは、命が守られている連中であり、誰でも自分の命を守りたいというのが現実である(と橋下徹は思う)。

過去の歴史を引き合いに、ロシアの蛮行の恐れを防ぐためには戦うしかないという主張も理解できるが、しかしそれは戦地で命をかけて戦っている戦士の言い分である(べきである)、命が保証されている日本人が言うことではない。

テレ朝・玉川徹氏「ウクライナEU加入で集団的自衛権」説に対して、識者は「ないですね」と言ったが、しかし、EUが国連憲章51条に基づいて集団的自衛権を行使するかどうかは政治決断の問題であり、ロシアへの抑止力メッセージに使い得る。

日本も戦争が起こることを前提に、電子投票インフラを整備することが絶対に必要である。

非加盟・EU加盟=フィンランド・スウェーデン方式の政治的妥結ができていればよかったのである(と橋下徹は思う)。

目的を達成するために理想のプランAが困難なら、理想でないプランBを採るべきであるが、日本の政治家や学者などのインテリたちは理想を曲げることができずプランAにこだわり続け結局目的を達成することができない。

ウクライナ、停戦の可能性排除、ロシアはドンバスで攻勢強める、との報道があるが、NATOはスウェーデンとフィンランドの加盟を認めるがこれはウクライナの功績である。

意味のないことを延々時間をかけて議論するのが学者である(と橋下徹は思う)が、(学者は?)実務的には利益かどうかを議論すべきである。

橋下によれば、あれだけ威勢よく我々はウクライナとともにある!祖国と国際秩序を守る戦いだ!と言っていたのに、ゼレンスキー大統領の悲痛な叫びは無視する我々西側諸国は、ロシア人のNATO東方拡大に対する恐怖を真に理解できておらず、ここが今回の戦争の最大の原因である。

ウクライナ人の国外避難支援、日本受け入れ支援が重要であり、やるべきである。

橋下によれば、NATOはポーランドやルーマニアのミサイルは対イラン向けと強弁しているが、そんな話をプーチンが鵜呑みにするはずがなく、こんなNATOとプーチンの争いをウクライナが全て背負わされている。

命が保証されている日本人は、過去の歴史を引き合いに、ロシアの蛮行の恐れを防ぐためには戦うしかないと言うべきではない。

橋下によれば、今のヨーロッパにはNATOという強力な防衛体制があり、プーチンと政治的妥結をしてもプーチンはNATOにはなかなか侵攻できないが、ジョージアやフィンランドは狙われるかもしれず、これはウクライナがロシアを倒さない限り、NATOが結局協議しなければならない事項であり、それなら今、協議するべきである。

ウクライナ侵攻、停戦合意、協議進展か、と報道にあるが、ロシアに負けると虐殺が始まるのでウクライナは戦い続けるしかないと戦う一択を叫んでいた者は停戦協議の内容をしっかり見るべきである。

プーチン大統領、戦争終結へ妥協の用意ないもよう=米高官、との報道があるが、ゼレンスキー大統領が妥結を覚悟したのだから、次はNATOも妥結を覚悟すべきである。

戦争指導はとかく戦闘員の視点になりがちで今回の日本の風潮もそうだったが、戦争指導は非戦闘員の視点も超重要であり(べきであり)、それが戦う一択ではないという意味であり、日本でもそうなりつつある。

《NATO―中国》

(ウクライナ、ゼレンスキーには)一般市民の犠牲を考慮する戦争指導が必要であり、そのためにはNATO・ウクライナとロシアの政治的妥結しかない。

橋下によれば、中国を取り込めていない経済制裁でロシアが瓦解するのはいつか、この答えを持ち合わせていないなら、これは西側諸国の安全を確保する国際秩序を守る戦いなので、ウクライナだけが協議の当事者ではない。

日本も戦争が起こることを前提に、電子投票インフラを整備することが絶対に必要である。

橋下によれば、今のアメリカ・NATOの政治はおかしく、中国をこっちに引き込まないとウクライナの被害が拡大するので、中国に最初から制裁をちらつかせるなんておかしい。

(ウクライナにおいて、)いつ国民投票するかが政治ポイントになるが、これは一般国民の被害拡大レッドラインを定めることになり、これが戦争指導の重要ポイントであり、このレッドラインを越えれば妥結案と国民投票であり、NATO・西側も妥結案に関与すべきである。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」という報道があるが、侵攻直前のNATOとロシアのこの政治的妥結失敗からウクライナ侵攻へとつながり、つまりウクライナはNATOの主張を維持するために犠牲になっている。

戦争指導者(例えばゼレンスキー)の第一声は「国民の安全確保」であるべきであり、それ以外の文学的表現は不要であるべきであり、かえって有害であり(と橋下徹は思い)、そしてそこから軍事戦略・外交戦略・戦争終結戦略などの全てを導くべきであり、ゼレンスキーはそれをしなかったと橋下徹は思うが、今回ロシアが一番悪いのは当然と(橋下徹は)言っておく。

プーチン大統領、戦争終結へ妥協の用意ないもよう=米高官、との報道があるが、ゼレンスキー大統領が妥結を覚悟したのだから、次はNATOも妥結を覚悟すべきである。

政治的妥結は一方的な降伏とは異なります(と橋下徹は思い)、戦争を終結する方法として、戦闘以外の終結方法の一つであり、最善解であるべきであり、ゼレンスキー大統領も戦争を終結するには協議しかないと言っています(と橋下徹は思っています)。

ウクライナ停戦協議終了、「中立化」条約提案か、ロシアは検討、という報道があり、ロシアが一番悪いが、しかしこの戦争の原因はゼレンスキー大統領も認めているように「ウクライナの中立化」であり、このような提案が戦争前ないしは武力衝突直後にNATOやウクライナからなされていなかったことが、この戦争の真の原因である。

政治的妥結は一方的な降伏とは異なります(と橋下徹は思い)、戦争を終結する方法として、戦闘以外の終結方法の一つであり、最善解であるべきであり、ゼレンスキー大統領も戦争を終結するには協議しかないと言っています(と橋下徹は思っています)。

《NATO―ジョージア》

戦地外の人間にとって、最重要ポイントは経済制裁の効果、ロシア国内の混乱などからのプーチン政権瓦解の見通しを言うことであり、しかし残念ながらそれを言える人がいないのです。

橋下によれば、NATOがウクライナ、ジョージアの加盟を否定し続けて来たのは、ロシアの反発を恐れてのことである。

ウクライナが市民総動員でロシアと戦おうとする気持ちは(橋下徹は)理解できるが、しかし市民への攻撃を回避し、ロシアの戦争犯罪を追及するには(ウクライナは)戦闘員と非戦闘員の区分けは明確にすべきである。

橋下によれば、もちろんモルドバ、ジョージアはロシアに狙われるでしょうが、NATOに入れるか、ロシアを瓦解させない限りロシアの侵攻リスクはずっとついて回り、やはり協議が必要になってくる。

(橋下徹は)戦争が始まれば法が無効になるとは言っていないので、(国際政治学者・篠田英明は)人を小馬鹿にする批判は止めるべきである。

橋下によれば、敵対勢力に自国の近隣にミサイルを置かれることを必至に止めるのが大国の安全保障観であり、北朝鮮のミサイル発射には遺憾の意だけ、中国のミサイルや北方領土のロシアミサイルには何も言わない日本では大国の安全保障観は理解しにくい。

冷厳な戦略という軽薄な言葉で長期戦や一億総玉砕を肯定することは違うと判断するのが太平洋戦争を経験した日本の政治家の役割である(べきである)であるが、威勢のいい政治家はその判断ができない。

橋下によれば、戦争を止める強制力のある司法権が国際社会に存在しない以上、文書の存在を持ち出しても意味がなく、ロシアはブタペスト覚書違反だが、それを言えばベラルーシへの経済制裁も同覚書違反と言われ、イランの核合意を壊したアメリカは南オセチア、ウクライナ東部の独立を西側諸国は認めない。

最後はNATOとロシア、核五大国で政治的妥結をはかるべきである。

橋下によれば、NATOは自らへの脅威と人道上の理由で1999年セルビアを空爆しコソボを独立させ、民間施設も空爆され民間人死傷者多数が出、セルビアとロシアは反対したが、ミロシェビッチの非道には証拠があり、ウクライナの非道には証拠がないというのが西側の主張である。

自ら戦わず「プーチンの暴挙を止めろ!」「ここでプーチンを止めなければ民主主義が破壊される!」と口だけの西側諸国に踊らされず、厳しい現実を受け止めながらできる限りの国民の命を救うのが政治の役割である(べきである)。

橋下によれば、NATO・西側諸国がロシアと協議して政治的に妥結するしかない。

(ウクライナ戦争において)太平洋戦争末期の日本の状況だけは避けなければならない。

橋下によれば、NATO・西側諸国のウクライナ支援は全く不十分であり、言葉ややったフリ感を出し、強力な武器の供与は、ロシアとの戦争になりかねず尻込みし、自分たちは戦わず、ウクライナに頑張れ!支援する!と言っている。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきだ。

橋下によれば、ウクライナは過去の歴史からロシアの蛮行を恐れているが、その恐れを払拭するにはウクライナが戦い続けて勝利を収めるか、NATO・西側諸国がウクライナの安全を保証するしかなく、戦闘が続けばウクライナ市民の犠牲が拡大する。

西側諸国はできる限りウクライナ人の命を助けるべきであり、それが真のウクライナ支援である。

橋下によれば、ほんとに、NATO・西側諸国は支援の名の下にロシアから怒られない程度の武器をウクライナに供与して、ウクライナにロシアを潰させようとしている。

(戦争のためには、)場合によっては二枚舌三枚舌密約外交をやるべきであり、NATOがその象徴です。

橋下によれば、ウクライナで生物化学兵器を使う可能性も取り沙汰されているが、それでもNATOや西側諸国はロシアと協議しないのか?見ているだけなのか?。

ナザレンコ・アンドリーは、戦争が始まってしまった以上、壮大な意義に熱くなるべきではなく、そうなると結局利用されるだけになってしまいます。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」との報道があるが、これがロシア侵攻前直前のNATOとロシアの協議内容であり、NATOの将来の東方拡大が大争点であった。

ナザレンコ・アンドリーは、戦争が始まれば究極の災害として対応しなければならない、ということを知るべきである。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」という報道があるが、侵攻直前のNATOとロシアのこの政治的妥結失敗からウクライナ侵攻へとつながり、つまりウクライナはNATOの主張を維持するために犠牲になっている。

ロシア、降伏狙い都市爆撃の構えか、民間人被害拡大の懸念、欧米当局者と報道にあるが、戦争が始まってしまえば精神論による戦う一択はダメである(べきである)。

ロシアが一番悪い(と橋下徹は思うが)、しかし戦争前に軍事力の均衡とメンツの均衡を崩さないようギリギリのバランスをとるのが政治の役割であり、NATOとロシアでそれができなかった。

(橋下徹は)ウクライナの抗戦意志は尊重していますが、しかし我々は太平洋戦争での失敗の経験がありますし戦況も冷静に見ることができるので、戦争が始まれば闇雲な戦い一択は危険なので、(ウクライナは抵抗を)やめるべきである。

ウクライナの中立化の話しは戦争前にNATOとロシアが政治的に妥結しておくべき話だし、それは十分にできた(と橋下徹は思う)。

(ウクライナは、)今は住民避難にも力を入れるべきですが、戦地ではそんなことを考える余裕もないでしょうから西側諸国が助言してあげるべきです。

(停戦後ロシアの)再侵攻が絶対にないとは言えないので、それで再侵攻がないと断言できるなら、NATO・ロシア間の政治的妥結によっても、再侵攻のおそれは少なくなる(と橋下徹は思う)。

現実、NATOが侵攻されるリスクがないことがよく分かりましたので、同じく戦争後においても合理性の判断に基づいて戦闘行為を考えなければなりません。

NATOとロシアがウクライナの安全保障を含めたヨーロッパの新枠組みについて政治的妥結をしなければ戦争が長期化する(と橋下徹は思う)。

ロシアのウクライナへの要求は明確であるのに対して、今の戦況でのプーチンのNATOに対する要求は不明であるが、政治とはまず相手の要求を聞くことであり、たとえ相手が残虐な独裁者であっても、聞いた上で妥結は無理か、可能かを判断するべきであり、要求も聞かずに妥結は無理と決め付けるのは政治ではない。

非加盟・EU加盟=フィンランド・スウェーデン方式の政治的妥結ができていればよかったのである(と橋下徹は思う)。

ウクライナや東欧と同じく勢力圏がぶつかる日本においては、極度の緊張状態で力の均衡を保つ超高度な政治が必要である。

橋下によれば、NATOは人道目的でセルビアを空爆した。

NATO・西側の政治家が一斉にキエフに行けばNATOとロシアの協議がまとまる(ので、NATO・西側の政治家は一斉にキエフに行くべきである)。

ウクライナがとことん戦争を継続することにメリットがあるのは、戦争前の妥結可能点よりも良くなる場合であり、クリミア・東部地域の実効支配の完全奪還であるが、そのためにはNATOはロシアを倒しウクライナが勝利する武器の供与をする必要があるが、しかしNATOはそれをやらず、抵抗できるまでの武器にとどめている(と橋下徹は思う)。

(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦う一択の戦争指導では、政治家が自分の命と引き換えに市民の命を守るという思考にならなくなり、日本で(この悪例を参考に)戦争指導の研究が必要である。

イギリス、スウェーデンとフィンランドに安全保障を提供へ、との報道があるが、1994年ブタペスト覚書に基づいて、この意気込みを2014年ロシアによるクリミア半島奪取時に見せるべきであった。

この戦争の原因は初めから安全保障の枠組み(と橋下徹は思っており)、だから(誰の?)政治的妥結が解決策であるべきである。

NATOから完全な軍事援助を得られず、しかも核保有国相手に決死の覚悟で戦っているウクライナ兵士に(橋下徹は)敬意を表する。

軍事力強化は戦争を避けるためのもの、戦争前の外交をうまく進めるものである(と橋下徹は思っており)、いざ戦争が始まったら国民の命を守るものであるべきである。

ウクライナの戦闘員には(橋下徹は)敬意を表する。

政治は詰まるところ武力行使か話し合いしかない(と橋下徹は思い)、話し合いの場で相手を追及することも武力行使に並ぶ政治であるべきであり、(政治家は?)話し合いの場を放棄するよりも話し合いの場で追及、協議することが重要であるべきである。

東部地域でのウクライナ軍の現在の健闘は一般市民の避難がしっかりできていることも要因の一つである(と橋下徹は思う)。

警察権や裁判権のない国際社会においては戦闘での勝負と同時に第三国による和平仲裁も重要です。

(ウクライナ軍は)現在東部地域では一般市民を避難させながらロシアの侵略を止めてさらに優勢になっている模様であるが、(橋下徹は)戦闘員に敬意です。

クルド問題、トルコに譲歩、北欧2国、安保と人権でジレンマ―NATO加盟問題、との報道があるが、大きな利益を達するために政治的妥結を結ぶのが政治であるべきである。

(橋下徹は)今後ウクライナ軍がロシア軍を敗走させることを願う。

ウクライナが同意済みって、政治・学者エリートだけでそんなことを決められたらたまったものじゃなく、それに従う国民もいれば嫌な国民もいるので、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、18歳から60歳までの男性の出国を禁止したが、逃げたい国民は徹底的に逃した上でその長期戦をやるべきである。

東部地域でのウクライナ軍の現在の健闘は一般市民の避難がしっかりできていることも要因の一つである(と橋下徹は思う)。

アンドリーさんが懸念するロシアによる虐殺は中国の外交介入で払拭できないかと期待するべきである。

(ウクライナ軍は)現在東部地域では一般市民を避難させながらロシアの侵略を止めてさらに優勢になっている模様であるが、(橋下徹は)戦闘員に敬意です。

日本の政治家や学者などのインテリたちは理想を曲げることができずプランAにこだわり続け結局目的を達成することができないが、目的を達するためには理想ではないがプランBを採るべきである。

(橋下徹は)今後ウクライナ軍がロシア軍を敗走させることを願う。

プランAを実行し、難しければプランBの検討、併用を行うべきであるが、日本の政治家やインテリたちの多くはプランBの検討すらしない。

橋下徹は、ウクライナの過去の壮絶な歴史が繰り返されないように抵抗しなければならないという、グレンコ・アンドリーの思いは理解できますが、歴史は繰り返す場合もあれば繰り返さない場合もある。

NATO・西側の政治家は、一斉にキエフに行き、NATOとロシアの協議をまとめるべきである。

仏独ロが首脳会談を行い、停戦と直接交渉による解決を訴え、マクロン大統領・ショルツ首相が「今回の危機についての解決策は、ウクライナとロシア両国が直接交渉を行うことによってのみもたらされる」と述べたが、自分たちの安全だけは確保し、完全にウクライナを見捨てているのは、酷い。

最後はNATOとロシア、核五大国で政治的妥結をはかるべきである。

2007年にプーチンはNATO東方拡大に不満を爆発させ、ウクライナとジョージアのNATO加盟は絶対阻止する決意を表明したが、ところが2008年、NATOはウクライナとジョージアの将来加盟を表明した。

(日本における戦争において、)戦争終結は戦闘で勝つことを前提とすることができず(誰の?)政治的妥結で終わらせることが大前提である(べきである)。

セルビアでウクライナ侵攻支持集会が行われ、「ロシア人は永遠の同志」と唱えたが、この声はセルビア内で一部だと思うが、NATOは自らへの脅威と人道上の理由で1999年セルビアを空爆しコソボを独立させ、その際民間施設も空爆され民間人死傷者多数が出、セルビアとロシアは反対した。

そもそも日本のような一国の国家運営において、そのような国際秩序の維持という任務まで背負わされるべきではない。

ウクライナは過去の歴史からロシアの蛮行を恐れており、その恐れを払拭するにはウクライナが戦い続けて勝利を収めるか、NATO・西側諸国がウクライナの安全を保証するしかない。

軍事力の均衡とメンツの均衡があり、(日本)国内で勇ましいことだけを叫ぶ一部の声に乗っかり、この均衡点を崩す(日本)政治が最も危険であり、やめるべきである。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」という報道があるが、侵攻直前のNATOとロシアのこの政治的妥結失敗からウクライナ侵攻へとつながり、つまりウクライナはNATOの主張を維持するために犠牲になっている。

日本は核兵器もなければアメリカしか頼れない島国であるので、勇ましい主張よりも張り詰めた均衡点の模索が必要である。

ウクライナ、「中立化」容認、ロシア要求に一定の妥協、交渉へ、と報道にあるが、このウクライナの政治的立ち位置=ヨーロッパの安全保障の枠組みが紛争の原因だった(と橋下徹は考える)が、それなら(ウクライナ、ゼレンスキーにとって)戦争など全く不要だったし、あくまでも(誰の?)政治的妥結の話で戦争前に十分に妥結可能だった。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

プーチン大統領、戦争終結へ妥協の用意ないもよう=米高官、との報道があるが、ゼレンスキー大統領が妥結を覚悟したのだから、次はNATOも妥結を覚悟すべきである。

、ウクライナとロシアの間でその均衡が崩れた結果であり、日本でそのようなことを起こしてはならなず、政治はギリギリの均衡を保つべきである。

ゼレンスキー大統領は「中立化」受け入れ発言をしたと報道されているが、それなら戦争など全く不要だった(と、橋下徹は思う)。

そもそも日本のような一国の国家運営において、そのような国際秩序の維持という任務まで背負わされるべきではない。

NATOがウクライナの非加盟・中立化を宣言し、2月の協議内容となっている軍備管理の透明化を進め、ウクライナはミンスク合意の履行に力を尽くしていれば戦争を回避できた可能性は高かった(と橋下徹は思っているので、)軍事侵攻したプーチンが一番悪いが、戦争を回避できなかった(ウクライナ、ゼレンスキーの)政治の責任は重い。

憲法9条を持つ日本一国では、戦争が始まった場合には、武力衝突で敵を追い払える間は戦闘員に頑張ってもらうしかないが、いよいよ一般国民に犠牲が出てきたときには終結に向けた戦争指導を考えざるを得なず、そこでは国際秩序を守ることよりも国民の命を守ることが第一であるべきである。

ウクライナ停戦協議終了、「中立化」条約提案か、ロシアは検討、という報道があり、ロシアが一番悪いが、しかしこの戦争の原因はゼレンスキー大統領も認めているように「ウクライナの中立化」であり、このような提案が戦争前ないしは武力衝突直後にNATOやウクライナからなされていなかったことが、この戦争の真の原因である。

ウクライナの軍事力、日本の自衛力は国際秩序を維持する任務まで負わされるのかと言えば、負わされるべきではない。

ウクライナの安全を保証する政治的妥結を(ウクライナが)絶対にとらないというなら、戦闘でロシアを倒すか、経済制裁でロシアを倒すしかなく、上念さんが言う柔軟な判断ということなら、そこに政治的妥結という方法を入れてもいいのでは?(と橋下徹は思う)。

いざ戦争が始まって軍事力やその装備を国家権力が「使う」場面では、国民を犠牲にするような権力行使の仕方は憲法によって制約されるべきであるが、今の日本ではこの点の整理や議論がない。

ウクライナ副首相、東部住民に避難呼びかけ、ロシア攻勢警戒、との報道があるが、(ゼレンスキーは)やっと冷静な戦争指導に(なったと橋下徹は思う)。

日本の憲法論でも戦争を前提とした戦争指導における憲法論は存在しないので、ここはこれからの日本に超重要であるべきである。

ゼレンスキー大統領やウクライナの戦争指導を(橋下徹は)ウォッチしてきましたが、当初(非難の)強力なメッセージなどはなく、日本でも逃げることは売国の雰囲気でした(と橋下徹は思う)が、今、東部地域で(ウクライナ政府が)避難呼び掛けをしていますが、今では日本でも誰も反対しないので、これを(ゼレンスキーは)当初からやるべきでした。

日本における災害対応でも自衛隊の力、消防の力、救急の力、行政の力には限りがあるので配分・優先順位付けが重要であるべきであり、自力で退避できる者にはできる限り早期に退避してもらい、それを必要とするところに投入できる国家の力をできる限り確保できるようにすべきである。

スウェーデン、フィンランドがNATO加盟になればウクライナの最大の功績である(と橋下徹は思う)。

ウクライナ避難は、日本のルールを守ってもらった上で、どんどん受け入れていくべきである。

製鉄所から兵士ら退避開始、マリウポリ、事実上投降か、との報道があるが、(ウクライナ政府の?)指導部の判断の早遅によって兵士や市民の命が左右される(と橋下徹は思う)。

日本では、戦う一択ではない意識が必要である。

商業施設へのミサイル攻撃で13人死亡、数十人重体、不明者40人に、との報道があるが、(ウクライナにおいて)攻撃を受けてから反撃する原則は重要だが、自国領土内(周辺)での反撃の原則は、やられっぱなしになり、敵国内に反撃できる能力こそが抑止力になる(と橋下徹は思う)。

(マリウポリにおいての、ゼレンスキーらの)投降の判断の遅れでどれだけの一般市民の命が犠牲になったか日本では冷静な検証を行うべきである。

「ウクライナが市民を標的に」ロシア国内への攻撃、との報道があるが、ロシアがウクライナ市民を攻撃している以上、ウクライナがロシア市民を攻撃するのは当たり前であり、戦争ではこれが抑止力の要になるという現実がある(と橋下徹は思う)。

一般市民の退避は、これまでの日本の国防論において一番欠けていた点で、これから日本の政治が議論する最大のテーマになっていくべきである。

今となってはトランプが言っていたようにロシアをG8に残しておいた方がまだ協議の可能性はあったし、ボロクソ言ってた金正恩や習近平とも会えば偉大なリーダーと平気で言い放つトランプ的政治が必要なんだろう。

有事において日本の政治家たちは一般市民を犠牲にするべきではなく、そのような社会的風潮を許容するべきでもない。

相手を叩き潰す覚悟があるときにのみ罵倒は迫力を伴ない、その後一転協議となれば、相手もホッとし罵倒を水に流すこともでき、これはトランプ・金正恩のようなやり方である。

沖縄戦を経験した日本においては戦闘は市民を守ることが第一の目標であると考えるべきである。

今のあなた(ナザレンコ・アンドリー)のような主張は誰でもでき、僕(橋下徹)もその程度のことは主張できる。

日本でも戦争指導の在り方を(誰が?)議論する必要がある。

あなた(ナザレンコ・アンドリー)も雑誌に意見を出す存在なので批判対象にさせてもらうが、あなたがもし今北海道を楽しむなら、それは外出自粛要請中にクラブに通った国会議員の比にならないくらい批判される行動だと(橋下徹は)思い、あなたがいくら立派なことを主張しても全く説得力がなくなると(橋下徹は)思う。

沖縄の地上戦のようなことは今後日本では絶対にあってはならない。

ウクライナ人評論家ナザレンコ氏、橋下徹氏とバトル続けるワケ「共通認識ある」との報道があるが、ナザレンコさん、ありがとう(と橋下徹は言っておく)。

(日本において?)敵撃破も重要ですが、ただし撃破と同時に予想侵攻地・攻撃地の住民避難も最重要であるべきであり、仮に上陸されたことを予測しての住民避難(の検討)は、今の日本の国防に完全に抜けている点であり、特に沖縄に関してそれをすべきである。

一般市民の犠牲回避を重視する戦争指導が必要であると橋下徹は思うが、ここがナザレンコ・アンドリーとの違いである。

(日本において?)敵撃破も重要ですが、ただし撃破と同時に予想侵攻地・攻撃地の住民避難も最重要であるべきであり、仮に上陸されたことを予測しての住民避難(の検討)は、今の日本の国防に完全に抜けている点であり、特に沖縄に関してそれをすべきである。

(橋下徹はナザレンコ・アンドリーとの)視点の違いを理解した上で、自分事ならどうするかを最重要視しています。

戦いたくない者を政治が戦場に送る行為は、日本では許してはならない。

ナザレンコ・アンドリー氏の言い方なら、逆に最後まで戦って市民全員が道連れになった責任はどうとるんだという不毛な議論にもなるので、こういう議論は無意味である(と橋下徹は思う)。

(一般に? 日本では?)戦闘は戦う意思のある者で行うべきであり、生き残りたい自由、逃げたい自由を日本は保障するべきである。

米高官「ロシア軍の一部は戦わず降伏」と言っており、またそれが侵攻停滞の要因と言っているが、西側諸国(やアメリカ)は、ロシアが瓦解するまでウクライナの犠牲を前提に抵抗させる戦略・戦術を採るのか!と橋下徹は思う。

APEC貿易相会合で日米など5カ国、ロシア発言時退席に、との報道があるが、退席せず、堂々と意見を言うべきであった。

バイデン・NATO政治、欧米のこの感覚(覚悟もないのに脅しを使うこと、口だけ、学級委員政治)は元政治家の(橋下徹の)感覚では理解不能である。

APEC会合で5か国退席、との報道があるが、五か国はロシアに

相手を叩き潰す覚悟があるときにのみ罵倒は迫力を伴ない、その後一転協議となれば、相手もホッとし罵倒を水に流すこともでき、それがうまいのはトランプ・金正恩である。

日本は自国民を守るための反撃能力を持つべきである。

(アメリカや西側諸国は)中途半端な武器の供与でウクライナを犠牲にして西側の安全を確保するのは卑怯である(と橋下徹は思う)。

日本は戦後、敗戦国の立場を引きずり、和平仲裁役を担えるまでの国にはなっておらず、力と信頼、政治的知恵力においても不十分であったが、しかしこれからの日本は自国の防衛力や信用力、経済力を含めた国力を強化しながら、和平仲裁役を担えるような国になっていくべきです。

「こん棒」手放し、プーチン氏の核の脅し許す…「米国の臆病」がウクライナに「残忍な代償」、との報道があるが、バイデン氏はウクライナの「防衛」を訴えても、戦争の「勝利」とは口にせず、「戦争に勝つことよりロシアを挑発しないことに関心がある」(と橋下徹は思う)。

(ゼレンスキーのような)住民の命を最優先にしない戦闘を安易に認めると、沖縄戦のように住民を守らない軍の行動につながるので、日本においてはこのような戦争指導を認める風潮にするべきではない。

”中国の軍事拠点化”懸念で米がソロモン諸島に”警告”との報道があるが、アメリカもソロモンの中国化を恐れ警告と圧力をかけており、戦争前ロシアもウクライナの西側化を恐れて警告と圧力をかけ、両者における安全保障上のつば迫り合いは同じであり、いずれも戦争にならぬよう政治的妥結が必要な案件であるが、ロシアの軍事力行使はアウトである。

NATOも(ウクライナを)助けてくれないので、ウクライナは戦争をやめるべきである。

米国防長官「ロシア弱体化望む」、ウクライナで戦力低下、との報道があるが、ウクライナ戦争はアメリカの代理戦争か否かという不毛な議論は別として、この戦争はアメリカにも西側にも多大な利益がある戦争であるが、しかし血を流すのはウクライナだけ(と橋下徹は思う)。

ウクライナ、外国人部隊編成へ、国外から志願募集(ロイター)、ゼレンスキー大統領「これが、あなたがたのわが国への支持の重要な証になる」と述べた、と報道にあるが、私はウクライナとともにある!ウクライナは徹底抗戦せよ!と言っていた者はウクライナに行って戦うべきである。

旧ソ「ミグ29」のウクライナ提供が難航、米国がポーランド提案拒否という報道があるが、アメリカもポーランドも結局自分が責任を負うことから逃げ、西側はロシアとは戦えないがゆえにウクライナに戦わせているが、これはチェンバレンよりもはるかに愚である。

ウクライナとともにあると威勢よく言っていた国会議員は直ちにウクライナに行って戦うべきであり、それが本当に日本人を守るのか口だけなのかのリトマス試験紙である。

NATOがポーランドとルーマニアに置いた迎撃ミサイルは、ロシアから見れば、キューバ危機のキューバ内核兵器や韓国内のサードミサイルのようなものである。

もちろん今後のロシアの暴挙には国連憲章51条の集団的自衛権の行使が前提である(べきである)。

北朝鮮のミサイル発射には遺憾の意だけ、中国のミサイルや北方領土のロシアミサイルには何も言わない日本では大国の安全保障観は理解しにくい。

ウクライナを支援する日本政府はウクライナに行く日本人の渡航費用を予算化するべきである。

NATOはポーランドやルーマニアのミサイルは対イラン向けと強弁しているが、そんな話をプーチンが鵜呑みにするはずがない。

志願兵になれないのなら、(その者は)NATOの指導者に政治的妥結を促すべきである。

国籍超え「戦争反対」訴え、渋谷、新宿で抗議活動という報道があるが、各民主国家からプーチンに向かって何か言っても無意味である。

ウクライナ、外国人部隊編成へ、国外から志願募集(ロイター)、ゼレンスキー大統領「これが、あなたがたのわが国への支持の重要な証になる」と述べた、と報道されているが、これは民主主義・法の支配・国際秩序を守る戦いだ!と威勢よく言っていた者はウクライナに行って思う存分戦うべきである。

橋下徹によれば、ロシアのウクライナ侵攻は、プーチンとNATOのつばぜり合いだと把握しないと見誤ってしまう。

ウクライナに行って戦う勇気がない者は、(誰の?)政治的妥結を求めるべきであり、NATOの在り方についてもちろんロシアに強烈な経済的圧力をかけながら。プーチンと協議するべきである。

ロシア国連大使が”核戦力”の特別警戒態勢めぐり欧米側を批判したが、ロシアが国家崩壊するまで待ってウクライナの犠牲を拡大し、核兵器をめぐってチキンレースをするのか、と橋下徹は危惧する。

「サンモニ」コメンテーター、ウクライナは「一方的な被害者でもない」、と報道にあるが、寺島氏のこのコメントはアウトであり、現地で命を賭けているゼレンスキー氏に対して度を越しており、インテリの典型の寺島氏は志願兵としてウクライナに行くべきである。

我々西側諸国は、ロシア人のNATO東方拡大に対する恐怖を真に理解できていず、ここが今回の戦争の最大の原因である。

こんな長期戦を日本の国会議員が決めたら、全員の頭をはつってやるべきである。

セルビアでウクライナ侵攻支持集会があり「ロシア人は永遠の同志」と唱えられたが、この声はセルビア内で一部だと思うものの、NATOは自らへの脅威と人道上の理由で1999年セルビアを空爆しコソボを独立させ、民間施設も空爆され民間人死傷者多数が出、セルビアとロシアは反対した。

もしロシアが経済制裁によって瓦解しなければ長期戦をやっても泥沼であり、NATOも助けてくれないなら、国際秩序を守るためにウクライナの若者が犠牲になる必要はなく、むしろ他国で暮らした方がプラスになる場合もあり、国民の選択で18から60歳男性の国外避難を認めるようにゼレンスキー大統領に要請すべきである。

2007年にプーチンはNATO東方拡大に不満を爆発させ、ウクライナとジョージアのNATO加盟は絶対阻止する決意を表明したが、ところが2008年、NATOはウクライナとジョージアの将来加盟を表明した。

長期戦を目指す冷厳な戦略・・・こんな自己陶酔の言葉が軽く出てくることを戒める政治を日本ではやらなければならない。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」との報道があるが、これがロシア侵攻前直前のNATOとロシアの協議内容であり、NATOの将来の東方拡大が大争点であった。

仮に均衡が崩れて侵攻されたらどうするかと日本も考えるべきである。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」という報道があるが、侵攻直前のNATOとロシアのこの政治的妥結失敗からウクライナ侵攻へとつながり、つまりウクライナはNATOの主張を維持するために犠牲になっている。

冷厳な戦略という軽薄な言葉で長期戦や一億総玉砕を肯定することは違うと判断するのが太平洋戦争を経験した日本の政治家の役割である(べきである)が、威勢のいい政治家はその判断ができない。

プーチン大統領、戦争終結へ妥協の用意ないもよう=米高官、との報道があるが、ゼレンスキー大統領が妥結を覚悟したのだから、次はNATOも妥結を覚悟すべきである。

(ウクライナは?)太平洋戦争末期の日本の状況だけは避けなければならない。

プーチン大統領の健康問題で、「早く亡くなってほしいっていう思いはある」と橋下徹は発言したが、後に”訂正”した、との報道がある。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきであり、そしてできる限りウクライナ人の命を助けるのが真のウクライナ支援である。

ウクライナの中立化の話しは戦争前にNATOとロシアが政治的に妥結しておくべき話だし、それは十分にできた(と橋下徹は思う)。

経済制裁はロシア国民の不満を爆発させようという戦略である(べきである)。

(西側諸国の)経済制裁によってロシアが瓦解し軍の活動が止まるのはいつなのか?(と橋下徹は思う。)

問題は中国であり、中国を取り込まない経済制裁でプーチン政権を追い込めるのかと言えば無理であり、中国を取り込むべきである。

今回のブチャの件でロシアが、被害者人数が違う!プロパガンダだ!と偉そうに言ってきたら、人数の違いを言う前に言うことがあるやろ!言い方があるやろ!とならない?(と橋下徹は思い、)南京で日本軍による一般市民の殺害があったのは事実であり、ブチャのようだったらおぞましい(と橋下徹は思う)。

ゼレンスキー大統領演説の文芸的な評価は結果が出てからの話であるべきであり、今はゼレンスキー大統領が真に求めているものは何かを見定め、我々はそれに応えるのか、応えないかを判断する段階であり、戦地の悲惨な状況を想像しながらの段階であるが、日本の学者がこのレベルとは堪らんな。

(停戦後ロシアの)再侵攻が絶対にないとは言えないので、それで再侵攻がないと断言できるなら、NATO・ロシア間の政治的妥結によっても、再侵攻のおそれは少なくなる(と橋下徹は思う)。

ウクライナや東欧と同じく勢力圏がぶつかる日本においては、極度の緊張状態で力の均衡を保つ超高度な政治が必要である(べきである)。

非加盟・EU加盟=フィンランド・スウェーデン方式の政治的妥結ができていればよかったのである(と橋下徹は思う)。

日本ではハード、ソフトで力の均衡を保つ政治が重要で、それを崩すようなただ勇ましいだけの政治は害悪である。

”中国の軍事拠点化”懸念で米がソロモン諸島に”警告”との報道があるが、アメリカもソロモンの中国化を恐れ警告と圧力をかけており、戦争前ロシアもウクライナの西側化を恐れて警告と圧力をかけ、両者における安全保障上のつば迫り合いは同じであり、いずれも戦争にならぬよう政治的妥結が必要な案件であるが、ロシアの軍事力行使はアウトである。

日本も戦争が起こることを前提に、電子投票インフラを整備することが絶対に必要である。

ロシアは、ウクライナの中立化と領土実効支配の拡張を獲得(するだろうが、)犠牲は軍人のみで国土の破壊もなく、国力は衰退するものの西側諸国以外との連携で耐え忍ぶことができるだろう(と橋下徹は思う)。

防衛力が不十分なウクライナではロシアに狙われるのでレッドラインを公表できないだろうが、日本では戦争指導の在り方として議論する必要があり、これは戦争終結妥結案確定のプロセスであり、被害レッドラインを定めることは、そこに達しないための防衛力強化の目標になる。

NATOとロシアがウクライナの安全保障を含めたヨーロッパの新枠組みについて政治的妥結をしなければ戦争が長期化する(と橋下徹は思う)。

防衛装備品の開発や移転について考えるのが国会議員の仕事である(と橋下徹は思う)。

NATOはロシアの要求を突っぱね、ポーランド・ルーマニアにもミサイルを配備した。

スポーツ界は、ロシア選手締め出しを行うべきではない(と橋下徹は考え、)一般国民、文民の交流は途絶えさせるべきではない。

困ったことに日本の政治家とその取り巻き学者や一部ネット発言者たちは、喧嘩のひとつでもしていれば戦え一択ではないことは分かるはずである。

ゼレンスキー演説に対して、山東さんの”感動”って、演劇を見てるんじゃないんだから、やめるべきである(と橋下徹は思う)。

(ウクライナの)全員が逃げられないから退避の指導はすべきでなかった、と言うのは上念さんらしくない(と橋下徹は思う)。

大阪の俺(橋下徹)の家族がマリウポリの状況になったら、国会議員や東京の専門家につべこべ言わずまず停戦すべきであり、それが嫌ならお前たちが大阪に来て、俺(橋下徹)たちと入れ替わるべきである。

ロシア国防相「軍事作戦は継続」強硬姿勢示すとの報道があるが、戦争の主体はウクライナではなく、西側諸国になっている。

国際情勢の実情に即して何が適当な手段かを決めるのは本来政治家であるべきであり、仮に必要最小限という枠組みを前提にしても国際情勢や相手の軍事力によって相対的なものとなるので、日本だけで勝手に必要最小限を決めるべきものではなく、国会は議員対政府の議論で深まらないので、議員どうしが議論する憲法審査会で激論をするべきである。

トランプ前大統領が選挙で負けた際、米軍トップが中国軍トップに極秘に連絡をしていた。

(日本政府は、)ここはしっかりと(ウクライナからの)犬の隔離を行うべきであり、そのためにお金がかかるというなら、(ウクライナ避難民に)お金の面をサポートするべきである。

細谷さんの理屈を貫き通すなら、太平洋戦争でも日本が原爆を落とされるまで終わらないことなるが、その前に政治的妥結をするのが政治の役割である。

日本も情報機関が必要であり、学者のコメントしかない日本では国家運営の判断を誤るので、まずはファイブアイズへの参加を目指すべきである。

ロシアが瓦解するまで国外にいったん逃げる方法もある、ウクライナが西側諸国の身代わりになる必要はないという俺(橋下徹)の持論は、政治実務論、戦略論の範囲である。

有事において日本の政治家たちは一般市民を犠牲にするべきではなく、そのような社会的風潮を許容するべきでもない。

日本は降伏し占領され、占領者に西側諸国が入っていたことが幸いでしたが当時はどうなるか分からない状況でしたがそれから今の日本になっており、もちろんロシアの占領は異なるかもしれませんがしかし将来の状況変化は誰にも予測できません。

日本の政治家も局地的であっても戦闘終了の判断などなかなかできないだろうし、日本の歴史を振り返ればそうですが、でも状況によってはそれをしなければならない。

NATOは軍事介入せず、中国はロシアを経済的に支援することを表明している。

政治家や学者たちが考えるこんな不合理な長期戦を国民が強制されるなら、経済制裁によってロシアが瓦解するまで国外に逃げる方法もあることを、太平洋戦争を経験した我々日本人が(ウクライナ人に)伝えるべきである。

西側諸国、国連や赤十字組織を使って大規模避難支援をするのも政治オプションです。

(ウクライナは、)太平洋戦争末期の日本の状況だけは避けなければならない。

ウクライナ大統領・きょう国会演説、岸田首相G7首脳会議へ出発と報道にあるが、ゼレンスキー大統領の言葉に感動した!とまるで演劇鑑賞をするかの感覚で拍手喝采に終わるのではと(橋下徹は)心配であり、そういう専門家も多い(と橋下徹は思っている)。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきである。

ウクライナ中立化、非核化を書面で提案、停戦に向け大きく前進か、との報道があり、ロシアが一番悪いが、しかしこの中立化内容は政治的外交的なものであり、戦争前に軍事的均衡政治メンツ的均衡をはかって(誰が?)この内容を達成していれば、この戦争が起こることはなかった(と橋下徹は思う)。

西側諸国は、できる限りウクライナ人の命を助けるべきであり、それが真のウクライナ支援である(べきである)。

他のいくつかの国がやっているようにNATOへの(ウクライナの)加盟を明確に(誰が?)否定していれば(ウクライナの?)今の状況を避けられた可能性もある(と橋下徹は思う)。

本日の日曜報道the

もし日本が戦争状態になったときのことも考えた場合、一滴も血を流さない者が戦え!と言うのは簡単だし普通はそうなる(と橋下徹は思う)。

日本での議論の意味は日本人が自分事として考えることでもある(べきである)。

そもそも、激戦・前戦地で死に晒されているウクライナの子供・若者に対して、「中国に侵略の代償を分からせて台湾や尖閣諸島に手を出せないようするために死んでくれ」と言うような抽象論を振りかざすと、このような非常識・非人道的なことに(誰が?)気付かなくなってしまう(と橋下徹は思う)。

日本でも今後武力衝突の可能性があるが、その際、崇高な理念だけを掲げ、一般市民の意思や犠牲を無視する戦争指導だけは(誰に?)止めてもらいたい。

ロシアの拒否権で機能不全の国連の現状は、5大国間の戦争を防ぐという意味では、しようがない(と、橋下徹は思う)。

(日本人は、)何かのきっかけで武力衝突になることを前提に戦争指導のあり方についても徹底議論が必要である。

太平洋戦争時の戦争指導者たちの戦略も愚かの極みであり、よくあんなもんを作ったわ(と橋下徹は思い)、それでいて参謀たちは戦後も生き延びており、それを知れば(橋下徹は)靖國神社で戦争指導者に手を合わすことなどできないね。

(日本人は、)一般市民の犠牲を防ぐためには戦う一択の思考は危険である(ので、やめるべきである)。

太平洋戦争では国民の命を守ることよりも国体護持を日本の戦争指導者は優先し、とんでもない一般国民の犠牲を生みました(と橋下徹は思う)。

紛争の原因を的確に捉え、いったい何を守るために今命を棄てるのか、命を守るためにはどこまで譲歩できるのかを(日本人の)国民が事前に考えておくべきである。

日本の歴史では戦犯で処刑された者以外、多くの戦争指導幹部が生き残った(と橋下徹は思う)。

日本では、勇ましいだけのお花畑論から訣別し、一般市民の犠牲の悲惨さをリアルに前提とした議論が必要だ。

(橋下徹は)ナザレンコ・アンドリーさんの正義感には敬意を表します。

戦争前は軍事力の均衡、メンツの均衡、対話パイプの確保・強化が必要であり、戦争が始まったら一般市民の犠牲をどう防ぐかの思考が必要である(、ということを日本人は知るべきである)。

国際社会の冷たさと戦況の厳しさを踏まえゼレンスキー大統領と与党はウクライナの安全を確保するためにNATOとロシアでヨーロッパの安全保障の在り方を0から作ってくれと繰り返し訴えるようになったが、これらをすっ飛ばして演劇観賞しているようにゼレンスキー大統領の演説の感傷に浸る、この手の学者連中は大丈夫か?

終結に向かうための戦う一択ではない複数プロセスのシミュレーションを行うことが、日本人には必要である。

日本のこの分野(国際政治分野)の学者ってこんな(低)レベルなの?と橋下徹は思う。

(日本人にとっては、)今何を守るために命を犠牲にしているのかを国民全体で認識するための政治行政システムが必要であり、これがなければ抽象的な目標のために一般市民の夥しい命が犠牲になり、気付けば戦争指導者層だけが生き残っているだけであり、勇ましいことだけを叫んでいる余裕はない。

ロシア史研究者14人が「日中印で停戦仲介を」と訴え、駐日ロシア大使とも面談、と報道にあるが、しかし学者の政治感覚のなさは酷すぎるな(と橋下徹は思い)、日印が停戦のキーマンになれるわけがないやろ(と橋下徹は思う)。

(ウクライナ戦争を)日本に置き換えての戦争指導のあり方の検証・研究が(日本人にとって?)必要である。

ロシア史研究者14人が「日中印で停戦仲介を」と訴え、駐日ロシア大使とも面談、と報道にあるが、しかし学者の政治感覚のなさは酷すぎるな(と橋下徹は思い)、日印が停戦のキーマンになれるわけがないやろ(と橋下徹は思う)。

国民がどちらの戦争指導を望むかの話だから、国民の理解を得る話であり、国際政治学者を納得させる話じゃなく、国民主権の具体化だよ(と橋下徹は思う)。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は、現況を解説し、国際秩序が重要!プーチンは許してはならない!と感情を爆発させるばかりである。

マリウポリから脱出した記者のルポを読んで抽象論で戦争を考える平和ボケの思考を(日本人は?)改めるべきである。

ウクライナ情勢に関して、日本の政治家や専門家はまったく信用できない(、と橋下徹は思う)。

(日本人は)戦争指導のあり方については国民(的)議論が必要である。

NATOとロシア・中国で協議し、大政治をやって妥結するべきである。

NATOも助けてくれない(ので、ウクライナは戦争をやめるべきである)。

primeでは佐藤正久さんや渡辺周さんもNATOがロシアと政治をする必要性を主張しており、ちょっと前までウクライナ戦え一択の雰囲気でしたが、日本のこの分野の専門家からも今のNATOの対応への批判がちらほら出てきました。

ウクライナ出身政治学者「占領されれば粛清」戦い継続の必要性訴え、と報道されているが、戦っている戦闘員には橋本徹は敬意を表するものの、しかしそれ一択とする風潮(や、ウクライナ出身政治学者の発言)は間違っており、変えるべきである。

日本においてすら一般市民は逃げるべきだと(ロシア)侵攻前(?)に主張した僕に対し、専門家たちもピーチクパーチク(文句・批判を)言ってきた(と橋下徹は思う)。

ロシアはウクライナの占領が目的ではないと言っている(と橋本徹は信じている)ので、西側諸国はウクライナ非戦闘員の大規模国外避難の支援をすべきだ。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は、現況を解説し、国際秩序が重要!プーチンは許してはならない!と感情を爆発させるばかりである。

確かに歴史や内陸部・島国などの地政学的なものが国民の精神性に影響しているのは事実であり、ウクライナ人と日本人は異なり、太平洋戦争時の日本人の精神性にも独特なものがあったのでしょうが、それでも戦争においては戦う一択ではないことを(橋本徹は)日本人に向けても言い続けていくべきである。

「真珠湾攻撃」「同時多発テロ」思い出して…ゼレンスキー大統領が米議会で演説、と報道されているが、今回の戦争について安全保障の枠組の政治の問題ととらえずに、ウクライナはとことん戦うべきと戦う一択を主張していた人たちの多くは、日本の先の大戦について完全自衛戦争を主張している。

ウクライナの負担をできる限り軽くするためにNATOとロシアで安全保障の枠組みについて政治的に妥結するべきである。

ロシア軍、組織的に民間人殺害か、との報道があるが、戦争はいつも戦争指導者層が生き残り一般市民が犠牲になる(と橋下徹は思う)。

俺(橋下徹)はあなた(篠田英朗)のように無邪気にウクライナを犠牲にするのではなく西側もウクライナの安全保障に関与すべきである(と思う)。

ロシア軍”大量虐殺”情報との報道に関し、一般国民の被害は悲惨…結局、生き残るのは政治家や戦争指導者(であると橋下徹は思う)。

ロシアの侵攻に関して、経済制裁だけが効くという前提でウクライナに抵抗させるべきではない(と橋下徹は思う)。

一度国民保護法を見れば分かるように、日本では一般国民に対しては退避指導が中心になり、抵抗の呼びかけはダメです(と橋下徹は思う)。

(橋下徹は)メディアに出てくる専門家はあなた(篠田英朗)のような考えばかりだからね(と思い、そういう考えは否定すべきであると思う)。

SWIFT排除でロシアは中国CIPSが頼り…中国はしたたかに「欧米と両天秤」で一枚上手?との報道があるが、ロシア瓦解の見通しも言えない戦地外の者が、プーチンを許すな!国際秩序を揺るがすな!プーチンに譲歩するな!と言うのは無責任である。

僕(橋下徹)は昔からいつもこのスタイルで(杜撰な文章を書いており)ネットの中でのこの程度の批判はいつものことであり、それでも選挙では勝ち続けた。

2007年ミュンヘン安全保障会議でプーチンはNATO・西側諸国に不満をぶちまけた。

もちろん僕(橋下徹)の持論もまだ広く受け入れられていないだろうから、(橋下徹は)今それを伝えようとするべきである。

西側諸国特にアメリカは、これまで人道上の理由で国連安保理の決議なく戦争をやってきた。

上念さんの考えと僕の考え、両者の内どちらを選んでいくかが戦争指導のポイントであるべきであり、どちらの一択ではない。

太平洋戦争時の戦争指導者たちの戦略も愚かの極みであり、よくあんなもんを作ったわ(と橋下徹は思う)。

後に虐殺があるかもしれない歴史よりも、今の地獄をとにかく脱したい人たちもおり、そのようなとき日本の戦争指導はどうあるべきかは大論点であるべきである。

西側諸国、国連や赤十字組織を使って大規模避難支援をするのも政治オプションです。

NATO、ロシア、ウクライナが政治的妥結を行うべきである。

戦争になると妥結とか逃げるとか、まあ言えなくなりまり、太平洋戦争時の日本もそうだったんでしょうが、現代日本でもそうだったとは、(橋下徹には)驚きである。

一般市民の命と引き換えになるものを明確に示して一般市民に判断させることが民主国家(であり、ウクライナはそうすべきである)。

(日本の、橋下徹と比べて圧倒的に頭の悪い政治家や専門家は、)戦争が終結するまでは自分たちの命を守るために敵軍を叩き潰すしかない、しかし終結は政治的妥結で実現するしかないという(橋下徹の圧倒的に素晴らしい)論理が分からない。

成熟した民主国家では、ウクライナ、ゼレンスキーとは違って、)武力衝突時に一般国民の被害拡大を予測しながら妥結案も考えていかなければならない。

ロシア軍市民虐殺報道に関して、結局生き残るのは政治家である(と橋下徹は非難する)。

成熟した民主国家では(ウクライナ、ゼレンスキーとは違って、)政治家はいくらでも交換が可能という前提に立つ必要がある。

全員逃げられないから退避指導は無理というなら今の日本の災害対策・計画は成り立ちませんよ(と橋下徹は思う)。

(成熟した民主国家では)戦争指導はあくまでも国民の安全を守るものであるべきである。

(日本の)国民保護法の問題は真の戦争を前提とした避難指導になっていないこと、その訓練が不十分なことです(と橋下徹は思う)。

成熟した民主国家において政治家はいくらでも代替・補充が可能なので、戦争指導者層を順次前線に送り込むルールが必要であるべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は現況を解説し、国際秩序が重要!プーチンは許してはならない!と感情を爆発させるばかりである。

成熟した民主国家で重要なのは戦争後一般国民の意思をリアルに把握するシステムであるべきである。

命よりも大切なものがある、全市民による抵抗が必要、一般市民の犠牲やむなし、市民の命を守るためでもいったん武器を置くことは不可、死ぬまで戦う、と叫んでいた日本の政治家や学者、識者などは危険極まりない(と橋下徹は思う)。

僕(橋下徹)は、戦争が始まれば法が無効になるとは言っていないので、(篠田英明は)人を小馬鹿にする批判は止めるべきである。

困ったことに日本の政治家とその取り巻き学者や一部ネット発言者たちは、戦争が始まると精神論だけで、(ウクライナ戦争を)どう終わらせるかの合理的な判断ができない。

俺(橋下徹)を批判する前に、自分(篠田英朗)の見立てが大外れだったことを(篠田英朗は)自覚すべきである。

僕(橋下徹)が外国に滞在しているときに、仮に日本が侵略されたならたなら、どんな手段を使ってでも日本に戻るか、もし外国に滞在したままなら、日本国内の戦闘員には申し訳ない気持ちと敬意を表しつつ、一般市民にはとにかく生き延びて、無理せんでええから、日本がどんな判断をしても構わんからという気持ちに(橋下徹は)なるだろう。

2008年ブカレストNATO首脳会談では、実質的な加盟準備入りを意味するMAPへのウクライナ参加は独仏の反対で見送られたが、「将来加盟国となるべき(will

東京・大阪、その他都市の大空襲も原爆投下もおぞましいが、もちろん日米は和解して将来に向かって歩んでいるし、日本はアメリカを頼っているから、過去を持ち出すのはよくないけどね(と橋下徹は思う)。

member)」という文言が盛り込まれ、ここにプーチンは猛反発して、非加盟宣言しろとこの2月まで続いてたんだよ(と橋下徹が思っていることを篠田英朗は)少しはきちんと調べるべきである。

(日本は、)新型コロナでは水際対策をあれだけ過剰なまでにしていたのに、ウクライナ人への人道配慮ということで判断が歪んでしまった(と橋下徹は思う)。

あくまでも国民の生命を守るのが国防・戦争指導というもの(であるべきであり)、ウクライナ戦闘員には敬意を表するが、日本の武力衝突後の戦争指導において、あなた(篠田英朗)らのような意見が出てくるととんでもないことになるだろう。

現在の日本は反撃能力や集団的自衛権ばかりを論じているが、日本の国防の欠陥は一般国民の避難方法が全く定まっていないことである(と橋下徹は思う)。

(国際政治学者は)国際秩序及び日本の政策への破滅的な影響というものが具体的にどのようなものか、愛する家族を失った人、今沖縄戦と同じような壮絶な苦しみの中で呻いている人、今すぐに命を絶つことになる人などが納得する説明するべきである。

この国のために命を懸けるのか、この政治家たちの判断に従うのかは、国民一人一人の自由選択にすることが成熟した民主国家日本の最低条件だ。

あなた(篠田英朗)が言うところの国際秩序や日本の政策への影響というものがどういうものなのか、今日明日に命が奪われる人が納得するように説明をするべきである。

ゼレンスキー大統領やアメリカ議会は、9・11テロや今回のロシアの暴挙と同列に日本の真珠湾攻撃を並べているが、日本の完全自衛戦争を主張している人たちはここで声を上げないと国内だけで勇ましいことを言っていることになる。

そもそも日本のような一国の国家運営において、そのような国際秩序の維持という任務まで背負わされるべきではない。

今回のロシアを叩くことはかつての日本を叩くことと同視であるが、日本の完全自衛戦争を主張している人たちは、黙っとくの?

(橋下徹は)メディアに出てくる専門家はあなた(篠田英朗)のような考えばかりだからね(と思い、そういう考えは否定すべきであると思う)。

ウクライナ情勢に関し、日本の政治家や専門家はまったく信用できない(、と橋下徹は思う。)

いざ戦争が始まると成熟した民主国家においては一般国民の犠牲を考慮した戦争指導をやるべきで、あなた(篠田英朗)のような抽象的・予測的な国際秩序を前面に出す戦争指導はあってはならない。

困ったことに日本の政治家とその取り巻き学者や一部ネット発言者たちは、戦争が始まると精神論だけで、どう終わらせるかの合理的な判断ができない。

国際秩序の維持及び日本の政策への破滅的な影響を防ぐためにウクライナ一般市民の犠牲もやむなしという(国際政治学者の)粗雑な理屈で人の命が奪われてもいいのか?と言えば、奪われるべきではない。

日本の政治家もしっかりと認識しておかなければならないのは、今回ヨーロッパの西側諸国が団結してウクライナを支援したのはロシアの蛮行が地政学的に自国の脅威につながるからであり、日本が武力衝突となったときに、ヨーロッパの西側諸国がそこまで支援してくれるかは懐疑的にならなければならない。

(篠田英朗は)国際政治学者として、2,国際秩序維持及び日本の政策への破滅的な影響を避けるためにウクライナ一般市民の命は何人まで犠牲になっても仕方がないのか、という問いに答えるべきである。

日本の政治家なら、一般市民救出のためにマリウポリに身を置ける政治家がいるかと問えば、いないだろう(と橋下徹は思う)。

(篠田英朗は)国際政治学者として、3,その犠牲によって守られる国際秩序の維持及び日本の政策とは具体的にどのようなものなのか、どのような具体的なリスクを避けることができるのか、という問いに答えるべきである。

(一般市民の退避という問題)は今の日本の安保議論で一番欠けているところである(と橋下徹は思う)が、本日の番組では与野党国会議員がその整備の必要性で一致した(と橋下徹は思う)。

(篠田英朗は)国際政治学者として、4,ウクライナ一般市民の犠牲によって守られるとされる国際秩序の維持及び日本の政策は、ウクライナ一般市民の犠牲以外で守ることはできないのか、ウクライナ一般市民の犠牲がどうしても必要不可欠なのか、という問いに答えるべきであり、代替策がないというならその理由を述べるべきである。

G20、鈴木財務相は退席せず「会議の場でロシアを厳しく批判」、と報道にあるが、このやり方が成熟した政治である(と橋下徹は思う)。

(篠田英朗が言っていると橋下徹が思っているような)戦争が政治交渉の一部に使われる政治にフリーの軍事力など渡るべきではない。

元防衛大臣の小野寺さんは実際に日本の国防を担い、自衛隊の指揮命令権者だったので、非常に現実的だった(と橋下徹は思い)、百田や国際法学者の篠田氏とは次元が異なる(と橋下徹は思う)が、それは当たり前である(と橋下徹は思う)。

篠田氏の考えを篠田氏がいつもバカにしている情報番組や街頭演説で披露してみるべきであり、自分が思っているほどの反響はないはず(と橋下徹は思う)。

小野寺は、「国防は国民を守るためにある。マリウポリのようにどうしようもなくなれば一般市民の犠牲を防ぐために局地的に武器を置く判断が必要。戦地の兵士ではその判断はできないし、国民は熱狂的に勝利を求め武器を置くな、最後まで戦えと主張する。だからこそ指導者の政治判断が必要。その上で市民救出には国際社会が安全保証する介入が必要。ロシアの侵攻を遅らせるためにマリウポリでの抵抗が必要という考えは沖縄戦を思い出し辛い。一般市民を犠牲にするそのような軍事には合理性はない」と語った(と橋下徹は思う)。

(篠田英朗が橋下徹のことを)勉強不足とか平和ボケとか言うのでは、議論にならないので、やめるべきである。

プーチンの暴挙を止めることの最大の利益者はNATOであり現状の国際秩序を維持できる我々西側諸国民もなんですよ。

俺(橋下徹は)はあなた(篠田英朗)が経験したことのないことを経験してるし勉強もしている(のだから、その橋下徹のことを勉強不足とか平和ボケとか言うのはやめるべきである。

(ウクライナが)負ければロシアの大虐殺が始まるので、だから戦うしかないと戦う一択を日本で主張する者が多数いるが、しかしロシアの大虐殺を防ぐにはロシアを倒すしかなく、追っ払うだけでは二回目、三回目の侵攻を防ぐことができず、NATOに加盟できれば今回追っ払えば目的達成だが、NATOは加盟を認める気配はない。

全員逃げるのは無理だから、退避させる戦争指導はすべきでないと(篠田英朗が言っていると橋下徹が思っているように)それを言ったら戦っても全員の命は守れないので、ここは戦争指導の大きな分かれ目であるべきである。

一般市民の犠牲がどこまで拡大しても已むなしとする戦争指導が日本で行われることに、僕(橋下徹)は反対し、それは戦争の悲惨さ、死の恐怖を知らないお花畑戦争指導であるからである。

一般市民の犠牲を安易に認める(篠田英朗のものと橋下徹が思う)戦争は交渉の一部論は容認されるべきではない。

イギリスの情報を信じるしかない我々一般国民はどうしても心配になる(と橋下徹は思う)。

篠田氏の件は俺(橋下徹)と奴(篠田英朗)との当事者間の問題として取り扱われるべきである(と橋下徹は思う)。

太平洋戦争時の戦争指導者たちの戦略も愚かの極みであり、よくあんなもんを作ったものであり、それでいて参謀たちは戦後も生き延びており、それを知れば(橋下徹は)靖國神社で戦争指導者に手を合わすことなどできないし、そういうことを知らない国民は祖国防衛の美名の下に命を落としていく。

ナザレンコ・アンドリーは、ナザレンコさんの周囲で威勢のいいことを言っている人たちの日々の生活ぶりや今後の行動をよく見ておくべきである。

あえて言うがグレンコ・アンドリー氏は日本に居るのでウクライナでは全員が戦いたくて戦っていると言えるが、それは違い、太平洋戦争時の状況を調べれば分かる。

国際秩序の維持のために妥結するな、という見解が日本でも多いけどその任務を果たすには世界警察並みの軍事力がないと無理であり、憲法9条に制約されている日本は自衛隊の能力は高くても国際秩序維持の任務までは無理で、とにかく(自衛隊?は)国民保護が使命である(べきである)。

グレンコ・アンドリー氏の苦しい心境を橋本徹は理解できるとしても、戦争になると祖国防衛や過去の歴史的な感情が沸き起こるが、感情は判断を鈍らせ、それは太平洋戦争時の日本を見ても言える。

(自衛隊は)国民保護の任務を第一にやるべきである(と橋下徹は思う)。

橋下徹や玉川徹には理解不能…ウクライナ人が無条件降伏は絶対しない理由、という報道があるが、そういうことを言う人、特に命の安全が保障されている学者は、いざ戦争が始まってしまうと、論理的な思考ができなくなる典型である。

西側諸国特にアメリカは、相手(ロシア)が強くて喧嘩ができないなら、譲歩することも人道(必要)であり、それが政治である。

僕(橋下徹)が外国に滞在しているときに、仮に日本が侵略されたならたなら、どんな手段を使ってでも日本に戻るか、もし外国に滞在したままなら、日本国内の戦闘員には申し訳ない気持ちと敬意を表しつつ、一般市民にはとにかく生き延びて、無理せんでええから、日本がどんな判断をしても構わんからという気持ちに(橋下徹は)なるだろう。

西側諸国とロシアで政治的な妥結というところでウクライナを助けるべきである。

(橋下徹は)ウクライナの戦闘員には敬意を表する。

戦闘は(ウクライナ軍の)戦闘員が頑張るべきである。

(日本の政治家は、)命が奪われない選挙の当落がかかっただけでベタ折れだし、ほんと(日本の政治家の)セコイ姿を(橋下徹は)山ほど見てきました。

西側諸国は(ウクライナ国民の)大規模国外避難支援に知恵を絞るべきである。

ロシアの侵攻問題で、(橋下徹が)妥結というとロシアに譲歩、降伏するのかって声がわき出るんですが、という報道がある。

これ(非戦闘員の国外避難)くらい西側諸国はロシアと協議すべきである。

俺(橋下徹)は日本の政治家や国民に対して主張しており、日本の戦争指導があなた(篠田英朗)の考えのような変な方向に行かないよう主張している。

(ウクライナは)太平洋戦争末期の日本の状況だけは避けなければならない。

俺(橋下徹)はそんな(篠田英朗が言うような)戦争指導は絶対に嫌なので、日本の政治家や国民に対して発信してるんだよ。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきであり、そしてできる限りウクライナ人の命を助けるべきであり、それが真のウクライナ支援である(べきである)。

一般市民の犠牲を安易に仕方がないという(日本の? 世界の? ウクライナの? ロシアの? 何処の?)風潮には(橋下徹は)断固反対するが、(ウクライナの?)戦闘員には敬意を表する。

この点(18歳から60歳までの男性の国外避難禁止を解除すべきであること)を西側諸国はゼレンスキー大統領に強く促すべきである。

僕(橋下徹)は今回の日本の風潮に強烈な危機感を抱いたので持論を発信している。

西側諸国がプーチンに国際法を守らせたいのなら自分たちで戦うべきであり、それができないのなら、ウクライナの犠牲を少なくするための協議をすべきである。

仮に日本が有事になり、軍事的合理性がない中で戦闘が終了することによって家族の命が助かる場合なら(橋下徹は)戦闘終了を願い、その際、外国にいる日本人から、あなたの家族の犠牲はやむを得ないと言われたら(橋下徹は)怒り狂うだろう。

ナザレンコ・アンドリーは、周囲でいつも威勢のいいことを言っていた人たちの今の生活を冷静に見るべきである。

もし日本有事の際、僕(橋下徹)が戦場で家族の命が奪われる立場になれば、こんな政治家たちに「お前が最前線に行け!お前の代わりはいくらでもいる!」と激怒するだろうし、こういう政治家にはほんとムカつく(が、プーチン氏にもそれ以上にムカつくが)。

ナザレンコ・アンドリーは、今もウクライナ頑張れ!プーチンに妥協するな!国際秩序を守れ!と言っている人たちがどういう暮らしをしているか、祖国への熱い思いを少し冷まして見るべきである、インスタやらツイッターを。

「私たちも胸筋を見せつけないと」、G7首脳がプーチン氏で冗談、との報道があるが、彼らは命が守られているから勇ましいことをいくらでも言える(と橋下徹は思う)。

今もウクライナ頑張れ!プーチンに妥協するな!国際秩序を守れ!と言っている人たちはみんな毎日幸せに暮らしており、いいものを食べて、いいところに行き、家族と団欒して、ぬくぬくの布団で寝ている、ということをナザレンコ・アンドリーは良く認識すべきである。

マリウポリから約3000人退避成功、2022年4月2日、と報道にあるが、(ウクライナのようではない)成熟した民主国家の戦争指導において最も重要な視点は、一般市民は戦闘前にできる限り戦闘予定地から避難し安全を確保することである(べきであり)、一般市民の被害の程度が後の展開に決定的に影響する。

ウクライナが頑張ってプーチンを撥ねつけてくれれば、我々はこのような生活を安心して送り続けることができ、これを学者たちは国際秩序・正義という言葉で表現し、1ミリたりとも譲歩するなと言うが、それと比べて戦地のウクライナ人はもっと悲惨な暮らしをしている、ということをナザレンコ・アンドリーは良く認識すべきである。

成熟した民主国家なら政治家はいくらでも国民から代替することができる(と橋下徹は思う)。

あれだけ威勢よく我々はウクライナとともにある!祖国と国際秩序を守る戦いだ!と言っていたのに、ゼレンスキー大統領のこの悲痛な叫びは無視する西側諸国民はこの欺瞞に早く気付くべきだ。

成熟した民主国家の政治家はいくらでも国民から補充できる(と橋下徹は思う)。

男性出国の件は外国で暮らすウクライナ人を中心に西側諸国民が声を上げ西側諸国の政治家を通じてゼレンスキー大統領に届くようにすべきである。

民主国家における政治家の判断は社会的風潮に左右されることも現実です(と橋下徹は思う)。

西側諸国とロシアの協議が必要である。

NATOはこの2月の最後の最後まで、ウクライナをNATOに加盟させないとは言い切らずウクライナにおけるNATO軍事施設の不配備を宣言せずオープンドアポリシーの建前を取り下げなかったので、プーチンはそこにこだわり、ゼレンスキー大統領はこれが戦争の原因だと認識していることを示した(と橋下徹は思っており、)あなた(篠田英朗)がなんと言おうが、これが事実(であると橋下徹は信じている)。

西側諸国も停戦協議の主体である(べきである)。

ウクライナの(NATOへの)非加盟の宣言が最後までなくそれが戦争の原因だとゼレンスキー大統領自身が述べているので、学者(篠田英朗)がどう言おうが自由だが、使い物にならない見解ということに間違いなく、学者が使い物にならないということはいつものことである(と橋下徹は思う)。

ミロシェビッチの非道は証拠があり、ウクライナの非道は証拠がないというのが西側の主張だが、そうであればもはやウクライナだけを停戦協議の主体にするのではなく、NATOも停戦協議の主体に出てくるべきである。

一般市民の犠牲を避けるためには、勇ましい主張は害になることが多く、日本にもその手が多く、あなた(篠田英朗)の周辺(にもいると橋下徹は思う)。

中国を取り込むには西側は中国に頭を下げなければならないが、学級委員的政治家はそれができないんやろ。

国際政治学者が言う国際秩序及び日本の政策への破滅的な影響なんて、どこまで説明しても本の中の抽象論か予測の域を出ない(と橋下徹は思う)。

ウクライナ2都市で休戦、住民退避へ、ロシア国防省、という報道があるが、戦う一択ではなく、究極の災害対策として逃げる仕組みを徹底して作る必要がある。

俺(橋下徹)は日本の政治家や国民に対して主張しており、日本の戦争指導があなた(篠田英朗)の考えのような変な方向に行かないよう主張している。

(逃げる仕組み?に)西側・国連は人道介入として関与できないか検討するべきであり、そのためにも西側はロシアと協議すべきで、そこから政政治的妥結も探るべきである。

俺(橋下徹)はそんな(篠田英朗が言うような)戦争指導は絶対に嫌なので、日本の政治家や国民に対して発信してるんだよ。

我々西側諸国は世界大戦を避けるためロシアとは戦えないし、国際秩序を守る!と息巻いてもそれはチャーチルではなく、ウクライナを犠牲にして国際秩序を守るということであり、その罪の意識を軽くするためにウクライナとともにあると言うのは欺瞞であって、もう一つの方向は西側とロシアの政治的妥結である(しかない)。

(篠田英朗は)いつの時代の話をしてるんだ?と考えれば、まるで大日本帝国軍のバカ官僚そのものである(と橋下徹は思う)。

今はとにかくウクライナがロシアとの対戦主体ですが、西側諸国とロシアの協議に移すべきである。

戦争は交渉の一部という(篠田英朗の)主張(と橋下徹が思っているもの)は篠田氏の活動領域では受け入れられても、今の日本全体で受け入れられるわけがない(と橋下徹は思っている)。

(ウクライナは)今は住民避難にも力を入れるべきですが戦地ではそんなことを考える余裕もないでしょうから西側諸国が(ウクライナに)助言してあげるべきです

(篠田英朗は)現代の成熟した民主国家における戦争指導・国防は国民の命を守ることが第一であることを完全に忘れていた学者である(と橋下徹は思う)。

日本でこの件をいくら議論しても戦地ウクライナの決定は戦地で行われますので、日本での議論の意味は日本人が自分事として考えることでもあり、2つの見方があるということで、国民の皆さんに考えてもらいましょう。

マリウポリの製鉄所、状況は「危機的」、指揮官が第三国による救出要請、との報道があるが、国際秩序の原則を守るために一般市民の犠牲はやむを得ないとす法学者篠田氏のような論がその世界で肯定されているようだが、戦争の現実を知らない完全な平和ボケ論である(と橋下徹は思う)。

西側がウクライナを真に支援するなら、NATO・西側はロシアと安全保障の枠組みについて協議し、政治的妥結を探るべきである。

NATOがウクライナの加盟を拒んだら、今度は西側諸国がNATOを強烈に批判することになる。

西側の政治家や専門家は自分の命がかかっていないので妥結などするなと言うが、ウクライナ人は死ぬか生きるかの瀬戸際であるので、西側諸国民は協議・妥結の声を上げるべきである。

西側諸国はプーチンの批判とともにNATOの指導者も批判すべきである。

安全保障の枠組みの話は、戦争を避けるために、戦争前にNATOとロシアが政治的に妥結しておくべきものであり、それができなかったがゆえにウクライナが狙われたこともNATO・西側は認識すべきである。

飛行禁止区域設定を拒否、NATO、ウクライナ要請、との報道があるが、NATOや現状の国際秩序を死守するために、それを変えたいロシアはウクライナに矛先を向け、ウクライナだけが犠牲になっている。

(西側は、)ウクライナだけに負担を負わすのではなくNATOとロシアで政治的妥結をはかるべきである。

NATOや西側諸国にロシアが瓦解する見通しを明確に述べる者もいない。

ゼレンスキー大統領はNATOに軍事介入して血を流してくれと言っているわけではなく、欧州の安全保障の枠組みを0から作り直す政治的妥結を求めているだけであり、これをやるのが政治家の仕事である(べきである)。

ロシアの暴挙を食い止めて国際秩序を維持することで計り知れない利益を受ける我々西側諸国はウクライナだけに戦わせており、こんな非人道的なことはないのに、日本の政治家も専門家も、祖国防衛!国際秩序維持!の連呼をしているだけである。

西側が本当にウクライナを支援する気があるなら、ウクライナが課題(過大)な譲歩を迫られないようにNATOとロシアでヨーロッパの安全保障の枠組みを協議し直すべきである。

企業に経済制裁を強要すべきではないとの報道があるが、いやいやこれだとプーチン政権が追い込まれなくなり、経済制裁はロシア国民の不満を爆発させようという戦略である。

ウクライナの抵抗には敬意を表するけど、プーチンが焦るほど今度は残虐な攻撃が…(と橋下徹は危惧し、西側はプーチンとの妥結を目指すべきである)。

旧ソ「ミグ29」のウクライナ提供が難航、米国がポーランド提案拒否という報道があるが、アメリカもポーランドも結局自分が責任を負うことから逃げる。

NATOが予想外に力を貸してくれなかったのであれば、それに応じた戦争指導が必要になる。

(アメリカや西側諸国は)中途半端な武器の供与でウクライナを犠牲にして西側の安全を確保するのは卑怯である(と橋下徹は思う)。

西側が中国を味方に引きつけるのも議論ではなく政治でやるしかない。

ロシア軍、組織的に民間人殺害か、との報道があり、ロシアに対して(西側諸国が)経済制裁以外の制裁ができないのは悔しいが国際法の現状ではできない。

今回の戦争はヨーロッパの安全保障の枠組みを巡っての政治の失敗が主な原因であり、政治家は無能であり、そのことにより非戦闘員に多大な犠牲が出ており、NATO・西側の政治家は少しは責任を感じて悪魔のプーチンと政治をするべきであり、ウクライナの安全を守るヨーロッパの安全保障の枠組みを作るべきである。

(西側諸国の)経済制裁によってロシアが瓦解し軍の活動が止まるのはいつなのか?(と橋下徹は思う。)

次はいつ国民投票するかが政治ポイントになるが、これは一般国民の被害拡大レッドラインを定めることになり、これが戦争指導の重要ポイントであり、このレッドラインを越えれば妥結案と国民投票を行うべきであり、それにはNATO・西側も妥結案に関与すべきである。

いずれにせよ(西側諸国の)経済制裁が効いてプーチン政権・ロシア軍が瓦解することを(橋下徹は)願うばかりである。

今はとにかくウクライナの犠牲を止めるべきであり、そのためには中国のロシア支援を止めることが最優先であるが、しかもこの程度の制裁で中国が動じるわけがなく、やるなら本気の経済・二次制裁が必要でありながら、しかし西側にはその覚悟がなく、今回の制裁でどんな効果があると?効果も考えない制裁はやった感の自己満足である。

国際社会に絶対的に必要な原則は、戦争時の一般市民救出のルールであるべきであり、西側諸国は(ウクライナ戦争において)軍事力を行使してでもこのルールを確立すべきである。

ウクライナ・ロシア戦争の終結にとって、プランAはプーチン政権瓦解・一般市民の犠牲を最小限にした上でのウクライナの軍事的勝利=ゲームチェンジするほどの強力な武器の供与・飛行禁止空域の設定であり、プランBはNATOとロシアの間でのウクライナを含めたヨーロッパの安全保障についての政治的妥結である(べきである)。

莫大な犠牲を払ってウクライナが戦うことによってウクライナの防衛だけでなく、西側の求める国際秩序の維持も守られ西側諸国民が莫大な利益を得る(と橋下徹は思う)。

ロシアへの経済制裁を実効あらしめるために中国を取り込む際、プランAは中国への強力な制裁であり、プランB政治的取引を行う懐柔策であるべきである。

米国防長官「ロシア弱体化望む」、ウクライナで戦力低下、との報道があるが、ウクライナ戦争はアメリカの代理戦争か否かという不毛な議論は別として、この戦争はアメリカにも西側にも多大な利益がある戦争であるが、しかし血を流すのはウクライナだけ(と橋下徹は思う)。

NATO・西側はロシアと向き合ってウクライナを含むヨーロッパの安全保障の政治的妥結に動くべきである。

ウクライナ人の意思を尊重すると言いながら西側諸国は武器供与のやり方を調整して西側諸国がダメージを受けることのないようにしている(と橋下徹は思う)。

ウクライナ東部地域に関するロシアの譲歩を引き出すにはNATOも協議に関与して一部負担を引き受けるべきであり、ウクライナの負担とNATOの負担はトレードオフの関係にある。

西側諸国の武器供与のやり方はウクライナが一気に形勢逆転し勝利を収めるようなものではない(と橋下徹は思う)。

ロシアと政治的に妥結すべきでないと言うのなら、ウクライナだけを犠牲にするのではなく、西側諸国はロシアと戦うべきであり、しかし世界大戦を回避するためにそれはできないのであれば、プランBとして政治的妥結を目指すべきであり、それはウクライナを救うためである。

西側諸国は自国のエネルギー確保のために、ロシアの戦費調達に寄与している(と橋下徹は思う)。

ウクライナに(西側が)できる限りの武器を供与するのはもちろんだけど、ゲームチェンジするほどの武器は供与できないし相手(ロシア)は核保有国であり、戦闘では解決できないから早期に政治的に(誰が?)妥結すべきである(と橋下徹は信じる)。

我々西側諸国は、ロシア人のNATO東方拡大に対する恐怖を真に理解できていない。

ウクライナの負担をできる限り軽くするために西側も(誰に? 何に?)譲歩すべきである(と橋下徹は主張する)。

細谷さんたちは国際秩序を守るために譲歩は許さずという立場ですが、僕はプーチンのウクライナへの要求と(以前の)NATOに対する要求が出ていますので、これは協議するしかないと考えている。

西側が、ウクライナが応戦するための武器の供与や経済制裁をすることはもちろん必要だが、この戦争を戦闘だけで終結させるという戦う一択の(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦争指導は間違いであり、やめるべきである(と橋下徹は思う)。

確かに細谷さんの言うように軍事活動を展開して自分の主張を認めさせようとするプーチンの行動は暴挙であるが、もしその暴挙を本気で許さないというのであれば西側諸国がプーチンと戦うべきですが、それは世界大戦になるのでできないゆえに経済制裁を行っています。

西側諸国民もこの西側の欺瞞的政治のおぞましさに気付くべきである。

陰謀論は別としてもウクライナが勝利せずに戦争が継続する限り、アメリカをはじめとする西側諸国民は一滴の血を流すことなく大量のアメリカ製の兵器が実践使用され、アメリカの軍事産業の株価が跳ね上がり、ウクライナの一般市民の犠牲は拡大し続けて、ロシアの経済が衰退していく(と橋下徹は思う)。

(西側諸国は?)ロシアを潰すなら自分たちも血を流すべきであり、それができないなら西側とロシアで相互譲歩を入れた政治的妥結を行うべきである。

マリウポリ製鉄所から撤退、ウクライナ部隊「命を守る」、ロシア軍、沿岸を完全制圧、との報道があるが、それは「命を守る」現実に血を流している者の言葉であり、血を流さない者に限って他人の命を軽視する(と橋下徹は思う)。

西側は、ロシアの安全保障上の懸念を一定理解することによって、中国やソロモンに対して自分たちの安全保障上の懸念を強く示す態度に出ることができるので、まずは西側とロシアの政治的妥結によってウクライナ戦争を停戦させ、その後(誰が?)ロシアの残虐行為の追及をしていくべきである。

相手を叩き潰す覚悟があるときにのみ罵倒は迫力を伴ない、その後一転協議となれば、相手もホッとし罵倒を水に流すこともでき、トランプ・金正恩はその好例である。

西側諸国は、ウクライナに対して武器の供与とともに、安全保障を知恵を絞って提供すべきである。

EUが早急にウクライナを仲間にすれば、いきなりNATOの加盟にならなくても国連憲章51条の集団的自衛権は検討されるだろう。

ウクライナ、ロシア領攻撃の自粛約束、米国務長官、との報道があるが、ブリンケン国務長官はロシア領内に対する攻撃には使用しないとの約束をウクライナから得たと述べたが、西側が戦争に巻き込まれないように微調整してウクライナだけに戦闘の負担を負わせる戦略であり、このような戦略をアメリカはやめるべきである。

西側諸国はロシアと戦わないし、ロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをせず、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道があるので、この状況でウクライナが祖国防衛のために命を落とす長期戦一択を行うのは(さらにそれをウクライナに強いるのは)不合理である。

市民の身分で火炎瓶攻撃すれば、市民への攻撃を誘発するので、西側諸国の指導者はゼレンスキー大統領に、火炎瓶攻撃をしたい市民は戦闘員の資格でやることを助言すべきであり、ロシアに市民攻撃の口実を与えてはならない。

米、ウクライナに旧ソ連製戦車を供与へ、NATOと協力、という報道があるが、ただ、ウクライナが最も切望していたとされる装備品の一つである航空機は除外されたので、ロシアをやっつけて国際秩序を維持することの利益は西側・NATOが最大に享受する(と橋下徹は思う)。

西側諸国がロシアを倒したいなら、西側諸国がロシアと戦うべきであるが、それができないなら西側諸国とロシアが政治的妥結を行うべきであり、ウクライナを生贄にしてはならない。

NATO・西側諸国は自国の国益を第一に考えた中途半端な支援しかしないから、それはウクライナ一般市民をかえって犠牲にしてしまうと(の根本認識を橋下徹は持っている)。

西側諸国とロシアで政治的な妥結というところでウクライナを助けるべきである。

米、ウクライナに旧ソ連製戦車を供与へ、NATOと協力、という報道があるが、ただ、ウクライナが最も切望していたとされる装備品の一つである航空機は除外されたので、ロシアをやっつけて国際秩序を維持することの利益は西側・NATOが最大に享受する(と橋下徹は思う)。

西側諸国民はロシアへの非難・反戦の声を上げるだけでなく、アメリカに外交努力を促す声を上げるべきである。

欧州委員長、ウクライナを訪問、「EU加盟の手続き加速」との報道があるが、戦争前にNATO

反戦の声はロシア国民が頑張って上げるべきである。

一部NATO加盟国、ウクライナ紛争の長期化望む、トルコ外相が非難、と報道されているが、このNATOの戦略は、一般市民の犠牲を防ぐために自ら血を流してロシアを倒すか、政治的妥結による短期の停戦ではなく、自らは一滴の血を流すこともなくウクライナに戦わせてロシアを追い詰める戦略であり、政治家なら気づく卑怯な戦略である(と橋下徹は思う)。

西側諸国民はアメリカに外交努力を促す声を頑張って上げるべきである。

橋下によれば、西側諸国はロシアと戦わず、ロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをせず、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道がある。

とにかくアメリカとロシアとが協議を行うべきであり、そこで条件闘争の中身が明らかになれば、どこで折り合いをつけるべきか見えてくる可能性があり、西側諸国は最後の折り合いは国民の声で決するべきである。

NATOの東方拡大は西側には利益であり、ロシアにとっては不利益であり、特にウクライナ・ジョージアのNATO加盟はロシアにとっては脅威であるがゆえに今回の戦争の原因である(と橋下徹は思う)。

西側諸国民は自分たちの政治家にロシアと協議しろ!と声を上げるべきである。

橋下によれば、NATOや西側諸国はロシアに経済制裁をするも中国を取り込めておらず、ロシアが瓦解する見通しを明確に述べる者もいない。

ウクライナが完全包囲される前に逃げたい人はどんどん逃がすことは、(ウクライナ、ゼレンスキーは)今のうちからやっておかなければなりませんし、ウクライナ軍は住民避難をも目的にすべきだと思います。

橋下によれば、NATOも西側諸国も血を流さず、経済制裁も自国の経済のことを考えたものであり、しかも中国を取り込めず、いつロシアが瓦解するのか誰も明確に言えない。

西側諸国は、ロシアと戦えないなら政治的妥結を探るべきであり、ウクライナだけを犠牲にするべきではない。

橋下によれば、NATOも西側諸国も卑怯の極みだし、正義ばかり唱えて中国を取り込む政治ができていない。

西側がウクライナを真に支援するなら、NATO・西側はロシアと安全保障の枠組みについて協議し、政治的妥結を探るべきである。

橋下によれば、ゼレンスキー大統領は、「NATOが飛行禁止区域の設定をしなければ、今後のウクライナ人の死はNATOの責任だ!」とまで言っており、ロシア軍の大半が到達した「キエフの25キロ圏内」がトレンド入りし、内外メディアの報道にSNS上も緊張感と憤りが渦巻いているが、このような状況になっているのはNATO・西側諸国が本当に必要なウクライナ支援をやらないからであり、西側諸国民はそれに気づくべきである。

西側の政治家や専門家は自分の命がかかっていないので妥結などするなと言うが、ウクライナ人は死ぬか生きるかの瀬戸際であり、西側諸国民は協議・妥結の声を上げるべきである。

欧州委員長、ウクライナを訪問、「EU加盟の手続き加速」との報道があるが、戦争前にNATO

「地獄だった」、ロシア空爆の生存者、ウクライナ・クレメンチュク、との報道があるが、命が守られ戦争の地獄を想像できない者たちが、威勢よく命よりも大切なものがある!と叫ぶが、戦争は地獄であり、戦闘は自国一般市民を守るためにあるべきである。

橋下によれば、NATOがポーランドとルーマニアに置いた迎撃ミサイルは、ロシアから見れば、キューバ危機のキューバ内核兵器や韓国内のサードミサイルのようなものであり、その時アメリカは核戦争ギリギリまで迫ってキューバの核兵器を取り下げさせ、中国も凄まじい圧力を韓国にかけてサードの追加配備を阻止した。

EUは、EUの価値と市場の一体性を守るために加盟国への攻撃には国連憲章51条の集団的自衛権を行使する迫力を出すべきである。

西側諸国はウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをしない。

EUは加盟国への攻撃には国連憲章51条の集団的自衛権行使の可能性の迫力を出すべきである。

戦争が終結するまでロシア軍を叩き潰すしかないが、報道がきちんとなされているか懸念され、ウクライナ軍の健闘やロシア軍の失態の報道は多いが、ウクライナの一般市民の犠牲やウクライナ軍の被害について報道が少ない(ように橋下徹は思う)。

ゼレンスキーはプーチンとの直接交渉に意欲を示し、失敗なら第三次大戦と言っているが、この交渉を成功させるには、NATO・西側諸国も関与してウクライナの安全保障とともにヨーロッパの安全保障の枠組みを作る政治的妥結が必要であり、武器の供与だけではダメで、NATOがウクライナの安全とヨーロッパの安全保障を政治で決めるべきである。

ゼレンスキー大統領、NATO入り阻んだ独仏に怒り、「ロシアへの譲歩の結果を見よ」との報道があり、ロシアの蛮行は許されずロシアが一番悪い(と橋下徹は思うが)、ゼレンスキー大統領の気持ちも(橋下徹は)理解できるが、NATOへの加盟を決定すればその時点で今の状況になった可能性も高い(と橋下徹は思う)。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

侵攻直前からアメリカは侵攻の警告を発してたので、あれを警報と捉えて(ゼレンスキーは)国家はどう動くべきだったかを考えるべきであったし、退避ルートの設定、そのことの国連や西側諸国への働きかけ、一般国民への強烈な退避のメッセージなどなどやることは山ほどあった(と橋下徹は思う)。

NATOもEUも”どんどん逃がせ、我々は受け入れるから”と言うべきである。

「降伏=幸福、犠牲者が少なくて済む、というのは歴史を軽視した意見だ」ウクライナの人々の”徹底抗戦”を否定し、降伏を促すべきなのか?、との報道があるが、日本で何を言おうがそのことでゼレンスキー大統領の意思決定に影響するわけではなく、ウクライナが決めるというのは当たり前のことである(と橋下徹は思う)。

NATO・西側諸国が協議の主体であるべきである。

フィンランド、NATO加盟方針を正式発表…スウェーデンと「同時申請」か、との報道があるが、フィンランド、スウェーデンがNATOに加盟できれば、これはウクライナの大功績で、ウクライナ国民の犠牲に基づくものである(と橋下徹は思う)。

ウクライナは過去の歴史からロシアの蛮行を恐れているが、その恐れを払拭するにはウクライナが戦い続けて勝利を収めるか、NATO・西側諸国がウクライナの安全を保証するべきである。

支援してくれるNATO批判は忍びないというナザレンコさんは立派であるが、しかし僕から言わせるとNATOも西側諸国も卑怯の極みだし、正義ばかり唱えて中国を取り込む政治ができていない。

ウクライナ市民の不合理な犠牲を最小限にするには、NATO・西側諸国がウクライナの安全を保証する協議をロシアと行うべきである。

西側諸国特にアメリカは、これまで人道上の理由で国連安保理の決議なく戦争をやってきたが、結局、弱い相手は叩きのめし、強い相手には喧嘩をしないのが(西側諸国やアメリカの)やり方であり、これが人道?と橋下徹は思う。

NATO・西側諸国は武器の供与だけでなくロシアとの停戦協議にも関与してウクライナをしっかりと支えるべきである。

西側諸国はロシアと戦わず、ロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをせず、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道があり、このような状況の中で、ウクライナが祖国防衛のために命を落とす長期戦一択は不合理である。

NATOや西側諸国はロシアと協議するべきである。

中国、ロシアに兵器供与の意向と、米が同盟諸国に通知したと報道されているが、今のアメリカ・NATOの政治はおかしいで。

ウクライナ市民の不合理な犠牲を最小限にするにはNATO・西側諸国がウクライナの安全を保証する協議をロシアと行うしかなく、このようなヨーロッパの安全保障の枠組みについての政治的妥結をロシアとはかるべきである。

バイデン・NATOは、中国が欧米の制裁に屈服すると思ったのか、制裁をちらつかせたなら、欧米は中国に二次制裁をやるのか、橋下徹はこれらが分からない。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

東欧3首脳、キエフ訪問へ、欧州のウクライナ支援伝達と報道されているが、NATOや西側諸国の政治家が、軍事介入を避けながらも本当にウクライナを支援する覚悟があるなら、皆キエフで暫く生活すべきである。

専門家はNATOとロシアの政治的妥結は絶対無理だと言うが、しかし専門家の誰もプーチンの真の要求を知るわけがなく、プーチンのNATOに対する要求とウクライナの犠牲をテーブルにあげて妥結が無理かどうかを専門家だけでなく、西側諸国民で考えるべきであり、そのためにもNATOはプーチンと折衝すべきである。

NATOや西側諸国の政治家が、軍事介入を避けながらも本当にウクライナを支援する覚悟があるなら、バイデン大統領はじめ日本の国会議員もキエフで暫く生活すべきである。

NATO・西側諸国がロシアと政治的妥結をはかるべきである。

米、ウクライナに旧ソ連製戦車を供与へ、NATOと協力、という報道があるが、ただ、ウクライナが最も切望していたとされる装備品の一つである航空機は除外されたので、ロシアをやっつけて国際秩序を維持することの利益は西側・NATOが最大に享受する(と橋下徹は思う)。

NATOはウクライナやジョージアを犠牲にして現状のNATOの在り方を維持するのか、政治的妥結をするかの政治選択をするべきである。

仏独ロが首脳会談、停戦と直接交渉による解決を訴えという報道があり、マクロン大統領・ショルツ首相は「今回の危機についての解決策は、ウクライナとロシア両国が直接交渉を行うことによってのみもたらされる」と言っているが、マクロンやショルツは自分たちの安全だけは確保し、完全にウクライナを見捨てており、これは酷いな。

NATOはウクライナやジョージアを犠牲にして現状のNATOの在り方を維持するのか、政治的妥結をするかの政治選択をするべきである。

ウクライナ南部マリウポリ、約5000人死亡、ロ軍の包囲で(ロイター)、との報道があるが、ロシアが一番悪い(と橋下徹は思うが)、しかし市民を残して脱出したマリウポリの市長も最悪である。

NATO・西側諸国がロシアと協議して政治的に妥結するべきである。

ウクライナ、ロシアと協議で合意と報道されているが、NATOの譲歩がなければウクライナが全ての負担を被るにも拘らず、NATOはウクライナと負担を分かち合うつもりはないのか、ウクライナを生贄にするのか、と橋下徹は怒りを覚える。

NATO・西側諸国も関与してウクライナの安全保障とともにヨーロッパの安全保障の枠組みを作る、ロシアとの政治的妥結をするべきである。

仏独ロが首脳会談、停戦と直接交渉による解決を訴えという報道があり、マクロン大統領・ショルツ首相が「今回の危機についての解決策は、ウクライナとロシア両国が直接交渉を行うことによってのみもたらされる」と述べているが、自分たちの安全だけは確保し、完全にウクライナを見捨てていて、酷いな。

各民主国家の政治家は国民の強く大きな運動で動く場合があるので、NATOのロシアとの政治的妥結は運動にするべきである。

欧州委員長、ウクライナを訪問、「EU加盟の手続き加速」との報道があるが、戦争前にNATO

NATO・西側諸国は武器の供与だけでなく停戦協議にも関与してウクライナをしっかりと支えるべきであり、ウクライナの安全保障とヨーロッパの安全保障に関するロシアとの政治的妥結を行うべきである。

困ったことに日本の政治家とその取り巻き学者や一部ネット発言者たちは、戦争が始まると精神論だけ、どう終わらせるかの合理的な判断ができないなということを(橋下徹は)痛切に感じましたね。

《NATO―中国》

南京大虐殺も被害者が20万か、30万か、上念さんが認める5000なのかは日本側の論点意識であり、人数については秦郁彦さんは4万という数字を出しており、ブチャの件を見ても、5000でも4万でも凄い人数で、日本軍がそれだけの一般市民に虐殺行為をやったことには間違いない(と橋下徹は思う)。

NATOや中国はロシアと協議をすべきであり、ウクライナだけが犠牲になるべきではない。

国連事務総長「ウクライナの人は生き地獄を耐えている」と報道されているが、ウクライナとロシアの交渉ではウクライナが不利になり、ウクライナ兵士は決死の覚悟で戦っているがロシアの被害は軍人のみであり、ロシア国民への経済的大打撃はまだ時間がかかる。

NATOは中国も入れてロシアと話し合うべきである。

西側とロシアのバランスを考えてNATOに非加盟の西側諸国はいくつめあり、これが戦争を防ぐ外交・安全保障の政治の技術、政治的妥結であると橋下徹は考え、またこれは譲歩でもなんでもなく相互利益、最適解であると橋下徹は考える。

NATOは中国を取り込んでロシアを瓦解させるべきである。

ロシアを非難したところで(戦争は)止まらず、止めるならNATOの軍事介入か西側の天然ガス一斉禁輸しかないが、それはやらず、西側諸国民も世界大戦を恐れNATOの軍事介入までは言わない(と橋下徹は思う)。

NATOは中国も取り込むべきである。

「プーチン氏に譲歩するな」「EUは自己防衛が必要」…前仏大統領と単独会見、との報道があるが、政治的妥結とは一方的な譲歩ではなく、最適解の均衡点を探ることであるが、今のままではウクライナの犠牲を容認することになり、最適解ではない。

NATOはウクライナだけに抵抗させるのではなく、中国、ロシアと折り合いを付けるべきである。

ウクライナ・ロシア戦争において、(ウクライナ軍は?)終結するまでロシア軍を叩き潰すしかないが、(ウクライナにおける?)報道がきちんとなされているか(橋下徹は?)懸念する。

アメリカ・NATOは中国をこっちに引き込むべきである。

(ウクライナの報道においては?)ウクライナ軍の健闘やロシア軍の失態の報道は多いが、ウクライナの一般市民の犠牲やウクライナ軍の被害について報道が少なくないか(と橋下徹は思う)。

ウクライナの被害が拡大しないように、アメリカ・NATOは中国をこちらに引き込むべきである。

(ウクライナの報道が?)太平洋戦争時の日本の報道のようになっていないことを(橋下徹は)願う。

アメリカ・NATOは中国に最初から制裁をちらつかせるべきではない。

今回実際に義勇兵に志願した人たちの顔つきや雰囲気は、威勢のいい人たちと明らかに違い、日々の生活も違うと(橋下徹は)思います。

アメリカ・NATOが中国をこっちに引き寄せるには、お願いかお土産を中国に渡すべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は、軍事力・兵器力比較、今後の見通し、ロシアが瓦解するのはいつなのか、中国の支援があれば経済制裁はどうなるのか、今の経済制裁は中途半端ではないかなどの分析をしない。

NATOはロシアへの経済制裁を実効あらしめるために中国を取り込むべきである。

プーチン許すな!に縛られるとNATOとロシア・中国の協議・妥結を促すこの(誰の?)声が出ず、これは今の日本の政治家・専門家の状況である。

NATOは中国と政治的取引を行い中国懐柔策を取るべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は、軍事力・兵器力比較、今後の見通し、ロシアが瓦解するのはいつなのか、中国の支援があれば経済制裁はどうなるのか、今の経済制裁は中途半端ではないかなどの分析をしない。

NATOは、ロシアへの経済制裁を実効あらしめるために中国を取り込むべきであり、プランA)は中国への強力な制裁であり、プランB)は政治的取引を行う懐柔策である。

日本でも西側諸国でも、軍事力・兵器力比較、今後の見通し、ロシアが瓦解するのはいつなのか、中国の支援があれば経済制裁はどうなるのか、今の経済制裁は中途半端ではないかなどの分析をしない。

NATOは中国を取り込むためにも、ロシアと妥結するべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は現況を解説し、国際秩序が重要!プーチンは許してはならない!と感情を爆発させるばかりであり、軍事力・兵器力比較、今後の見通し、ロシアが瓦解するのはいつなのか、中国の支援があれば経済制裁はどうなるのか、今の経済制裁は中途半端ではないかなどの分析をしない。

NATOは中国、ロシアとの政治的妥結が必要である。

国際社会が世界大戦を恐れて腰が引けてるときに、日本だけが国際秩序を守るために一般国民を犠牲にするというの?(と橋下徹は疑問を呈する)。

NATOはロシア・中国で協議し、大政治をやって妥結するべきである。

(社説)ウクライナ侵攻、撤兵求める国際圧力を、と報道にあるが、ほんと朝日新聞は不思議であり、先の大戦もそうだったけど、戦争になると威勢がよくなり、普段言っていたことな何だったんだ?と思い、ウクライナ人の命を救うためにNATOとプーチンの政治的妥結を促すことが先だろ?と(橋下徹は思う)。

NATOはロシア・中国との政治的妥結を行うべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は現況を解説し、国際秩序が重要!プーチンは許してはならない!と感情を爆発させるばかりであり、軍事力・兵器力比較、今後の見通し、ロシアが瓦解するのはいつなのか、中国の支援があれば経済制裁はどうなるのか、今の経済制裁は中途半端ではないかなどの分析をしない。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

西側諸国はロシアと戦わず、ロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをしない。

《NATO―ポーランド》

グレンコ・アンドリーさんが懸念するロシアによる虐殺は中国の外交介入で払拭できないかと橋下徹は考える。

米ブリンケン国務長官はウクライナへ”戦闘機提供”検討と言ったが、NATOの飛行禁止区域の設定が無理なら、これくらいのことはやるべきであるが、最後はポーランドの決定・責任としたらポーランドは尻込みするので、NATOで決定するべきであるが、それすらできないならロシアとの政治的妥結を探るべきである。

国際社会の経済制裁では中国の協力も取り付けておらず、中国の協力を取り付けるにはヤルタ密約のような究極の政治が必要なのに勉強ばかりの学者たちは国際法が重要だ!と言うばかりであり、これでいつロシアが瓦解するのか、それまでウクライナに戦わせ続けるのか、橋下徹は疑問と怒りを感じる。

アメリカもポーランドもNATOも、自らの責任となる本気の武器供与からは逃げ、ロシアが怒らない程度の武器を供与して、ウクライナとともにある!と言っているが、こんな欺瞞をするならロシアと政治的妥結をすべきである。

「プーチン氏に譲歩するな」「EUは自己防衛が必要」…前仏大統領と単独会見、との報道があるが、政治的妥結とは一方的な譲歩ではなく、最適解の均衡点を探ることであり、今のままではウクライナの犠牲を容認することになるので、それらは最適解ではない。

NATOは、アメリカもポーランドも加えてロシアと政治的妥結をするべきである。

成熟した民主国家においては、人権をちょっと制約するにも精緻な理屈が必要なのであり、命を犠牲にするならなおさらであるが、それが国際政治学者や国際法の専門家たちは、国際秩序のためにはいとも簡単に一般市民の犠牲もやむなしと言うから、俺(橋下徹)はそれは絶対に違うと(日本の? 世界の?)政治家や国民に主張している(つもりである)。

アメリカは最強の国であり、NATOは核保有国の英仏を抱え30ヵ国による完全なる集団的安全保障を行っているが、日本は核も持たずアメリカ頼みで集団的自衛権も不十分であるので、勇ましいことばかり言っていてはいつ均衡が崩れるやもしれず、軍事力の均衡、メンツの均衡を保つためにも(誰との?)対話のパイプは絶対に必要である(べきである)。

西側諸国特にアメリカは、これまで人道上の理由で国連安保理の決議なく戦争をやってきたが、結局、弱い相手は叩きのめし、強い相手には喧嘩をしないのが人道なのかと(橋下徹は)疑問になる。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

ゼレンスキー大統領「我々だけではどうにもならない」キエフ地下壕でCNNインタビューに応じアメリカの強い関与求める、との報道があるが、この戦争はNATO・西側諸国とロシアの紛争であり、ウクライナは身代わりである。

《NATO―西側諸国》

西側諸国はロシアと戦わないしロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをせず、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道がある。

《NATO―日本》

NATOや西側諸国はロシアに経済制裁をするも中国を取り込めていない。

アメリカは最強の国であり、NATOは核保有国の英仏を抱え30ヵ国による完全なる集団的安全保障を行っているが、日本は核も持たずアメリカ頼みで集団的自衛権も不十分であるので、勇ましいことばかり言っていてはいつ均衡が崩れるやもしれず、軍事力の均衡、メンツの均衡を保つためにも(誰との?)対話のパイプは絶対に必要である(べきである)。

ウクライナ大統領、西側諸国に警告「次はあなた方の国」との報道があるが、ウクライナが一番求めているものを西側・NATOは、ロシアとの戦争を恐れてやらず、自分たちの安全を脅かさない範囲のことしかやらずに、ウクライナとともにある!は欺瞞である。

NATO巡りトルコ、望むもの得た、との報道があるが、結局NATOはトルコにお土産を渡して目標を達成したのであり、これが政治であるべきである。

「プーチン氏はウクライナ支配を決意」、CIA長官が米議会証言、「民間人の犠牲を無視して、ウクライナ軍を打ち破ろうとするだろう。今後数週間は醜いものになる」との報道があるが、ここまで分かっていながら西側はロシアと妥結を探らないのか、(と、橋下徹は思う)。

ロシア外相の核戦争発言は「虚勢」=英国防担当相、との報道があるが、ここまで言い切れるイギリスは凄いというか、確たる情報があるのだろうと信じるべきである。

ウクライナ侵攻:外相会談、平行線、ウ・NATOに失望、軟化か/露・厳しい降伏要求、崩さず、という報道があるが、ゼレンスキー大統領はNATOとロシアを加えて欧州の安全保障の枠組みを0から作り直すべきと主張しており、それでもウクライナを支えると言ってきた西側は応えないのか!(と、橋下徹は疑問に思う)。

ウクライナ一般市民の犠牲は現実のものであり(と橋下徹は思い)、そもそも日本の政策への影響を気にしてウクライナ一般市民の犠牲は已むなしという判断は、専門家の専門判断ではなく人間の政治判断である(べきである)。

ウクライナ大統領、伊はロシアの戦争扇動者の休暇先と苦情、と報道にあるが、ほんとNATO・西側諸国は支援の名の下にロシアから怒られない程度の武器をウクライナに供与して、ウクライナにロシアを潰させようとしている。

ウクライナ以外の国、特に日本で暮らしているウクライナ人は、他国の暮らしも悪くはないこと、状況が変わるまで待つ方法もあることをウクライナの知人に伝え、祖国防衛で命を落とす一択でなないことを示すべきである。

NATO・西側諸国は自国の国益を第一に考えた中途半端な支援しかしないから、それはウクライナ一般市民をかえって犠牲にしてしまうと(の根本認識を橋下徹は持っている)。

ジョージアは、それでも戦争が始まれば(侵略されれば)、NATOが協議につくべきである。

米、ウクライナに旧ソ連製戦車を供与へ、NATOと協力、という報道があるが、ただ、ウクライナが最も切望していたとされる装備品の一つである航空機は除外されたので、ロシアをやっつけて国際秩序を維持することの利益は西側・NATOが最大に享受する(と橋下徹は思う)。

ウクライナやジョージアを犠牲にして現状のNATOの在り方を維持するのか、NATOは政治的妥結をするかの政治選択を行うべきである。

ロシアが攻撃の商業施設、死者・不明60人に…半世紀前のミサイルが被害拡大との見方も、との報道があるが、これでも西側諸国はウクライナに武器供与だけを行い、すべての決定はウクライナにあるとしている(と橋下徹は思う)。

18から60歳男性の国外避難を認めるように、(日本政府は? 国際社会は?)ゼレンスキー大統領に要請すべきである。

ロシア軍、キエフ包囲狙い準備か、迫る60キロ超の車列を衛星確認、との報道があるが、ウクライナ軍の頑張りには敬意を表するが、これが事実だとして、西側諸国は、ウクライナに頑張れ頑張れと声援を送り、武器を送り続けるだけなのは、疑問である。

西側諸国は、国連や赤十字組織を使って大規模避難支援をするのも政治オプションであり、行うべきである。

ウクライナのEU加盟申請、日本政府「議論を見守る」との報道があるが、見守るんじゃなくて、加盟を促す国会決議くらいすべきである。

ウクライナ国民に対して、(ウクライナ政府による? 国際社会による? 日本人による?、等々?)戦う一択ではダメなんです。

西側諸国はロシアと戦わず、ロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをせず、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道があるので、これで祖国防衛のために命を落とす長期戦一択は不合理である。

経済制裁が効いてロシアが瓦解するまでウクライナに戦ってもらうやり方だけでなく、NATOとロシアが安全保障の枠組みについて政治的妥結をはかるやり方もあり、僕(橋下徹)は後者であるべきであると考える。

坂上忍、ロシアのウクライナ侵攻「NATOにも責任ある」と持論、国際社会の無力さ嘆く、という報道あるが、やっとNATOもおかしいのでは?という(というプロパガンダの?)声が出た。

NATO・西側諸国は(ウクライナ戦争に対する)責任を感じるべきである。

《NATO―西側諸国、EU、国連》

ロシアの化学兵器と戦術核の使用を止めるには、軍事的にロシアを叩き潰すか政治的妥結しかないが、世界大戦を避けるために前者を採れないなら、後者の政治的妥結しかなく、ウクライナだけに妥結の重荷を負わせるのではなく、NATOも負担すべきでり、それが嫌ならロシアを軍事的に叩き潰す覚悟を持つべきである(がないだろうと橋下徹は信じる)。

橋下によれば、橋下は、西側諸国の人間として西側の体制が全世界に広がることを望んでいるし、ロシアにも中国にも民主的な国になってもらいたいが、向こうは”西側の方がおかしい”っていう主張で、価値観も見方もまったく違い、そういう中でプーチンは”NATOの東方拡大をやめてくれ”と言ってきたが、NATOは一切聞かず、”加盟するかどうかはウクライナの主権なんだから、約束なんかできない”と言い続けて来、そうやってNATOは体面を保とうとしてきたのに、ウクライナにロシアが入ってきた瞬間、EUと一緒になって”ウクライナ頑張れ!”って言っており、それはおかしい。

もちろんロシアの暴挙は許されないが(ゼレンスキー、ウクライナの)政治全般の失態は明らかであり、日本の政治でこのようなことを起こしては絶対にならない(と橋下徹は思う)。

ロシア侵攻前のCNNのロシア人意識調査によれば、NATO東方拡大を阻止するために武力行使をやってもいいというロシア国民は50%おり、約2700万人の犠牲者を出した独ソ戦の歴史から、西が東に拡大することの恐怖心は我々には想像できな(い)ものがあるのだろうと思われ、北朝鮮、中国、ロシアが日本の国境線に接してくる以上の感覚かと思われる。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

ウクライナ大統領がNATOを非難、飛行禁止区域の設定拒否で、という報道があるが、ウクライナ頑張れ!ウクライナを支援する!プーチンを許すな!国際秩序を守れ!と言っていた日本人・西側諸国民はこれにどう回答するのか?

ウクライナがNATOに加盟できないなら、国連憲章51条の集団的自衛権をの枠組みを(ゼレンスキーは)活用するしかない。

ウクライナ軍兵舎にミサイル、80人死亡か、避難民1000万人近くに、という報道があるが、NATO・西側の戦争指導・戦略に合理性があるのか(、橋下徹は疑問に思う)。

ウクライナはロシアの再侵攻を恐れるが、それを取り除くのは国連憲章51条を活用したウクライナの安全保証であるべきであり、西側諸国が出るべきである。

ウクライナで生物化学兵器を使う可能性も…、と報道にあるが、それでもNATOや西側諸国はロシアと協議しないのか?見ているだけなのか?(、と橋下徹は思う)。

ウクライナ大統領、中立・非核国の地位を受け入れる用意、ゼレンスキー氏は「安全の保証と我が国の中立、非核の地位。我々はこれを受け入れる用意がある。これが最も重要な点だ」と述べた、との報道があり、ゼレンスキー氏はさらに「私の記憶する限り、これがロシア連邦の原則の第1点だった。彼らはこれを理由に戦争を始めた」と語った、との報道があるが、今回の戦争はウクライナの自由・民主・独立・尊厳を守る戦争というより、ヨーロッパの安全保障のについての政治的紛争である(と橋下徹は思う)ゆえに解決策は戦闘ではなく政治的妥結であるべきである(と橋下徹は思う)。

マリウポリに「人道回廊」設置で合意、ウクライナ政府、との報道があるが、NATO・西側諸国・国連はこの人道回廊の安全を専守防衛の論で軍事的に担保することすらできない(と橋下徹は思う)。

そこまでの軍事力がない(ウクライナのような)一国の任務は国民保護であるべきであり、憲法9条の制約を受ける日本もそうであるべきであり、自分の力を超える壮大な理念を掲げることは控えるべきである(と橋下徹は思う)。

橋下によれば、2007年にプーチンはNATO東方拡大に不満を爆発させ、ウクライナとジョージアのNATO加盟は絶対阻止する決意を表明したが、2008年、NATOはウクライナとジョージアの将来加盟を表明し、プーチンは北朝鮮、中国、ロシアが日本の国境線に接してくる以上の感覚を抱いたが、この点NATOはロシアの要求を突っぱね、ポーランド・ルーマニアにもミサイルを配備した。

巻き添えのウクライナ一般市民に関する報道に関して、(橋下徹は)沈痛な思いを抱き、(ゼレンスキー以下の)政治指導者が、本人らで戦うべきであると思う。

マリウポリに「人道回廊」設置で合意、ウクライナ政府、との報道があるが、NATO・西側諸国・国連はこの人道回廊の安全を専守防衛の論で軍事的に担保することすらできない(と橋下徹は思う)。

米、ウクライナへ情報共有拡大、大型兵器提供も、との報道があるが、戦闘員よりもはるかに多い一般市民の退避は国家の最大の義務であり、(ウクライナ(政府)、ゼレンスキーは)その上での戦闘員による戦闘を行うべきであり、(日本人が?)一般市民の犠牲は仕方がないと安易には絶対に言うべきではない。

マリウポリに「人道回廊」設置で合意、ウクライナ政府、との報道があるが、NATO・西側諸国・国連はこの人道回廊の安全を専守防衛の論で軍事的に担保することすらできない(と橋下徹は思う)。

マリウポリ民間人ら救出へ、ウクライナ、ロシアに現地交渉提案、と報道されているが、兵士は別として、死ぬリスクのない者は命よりも大切なものがあると安易に言うが、しかし地獄の戦場で死が迫っている者はまずは救出を願うのが戦争の現実であり(と橋下徹は思い)、この点を最大限に考慮した(ウクライナにおけるゼレンスキーの)戦争指導が必要である。

ウクライナ大統領がNATOを非難、飛行禁止区域の設定拒否で、という報道があるが、ウクライナ頑張れ!ウクライナを支援する!プーチンを許すな!国際秩序を守れ!と言っていた日本人・西側諸国民のこれに対する回答は何か(、橋下徹は興味がある)。

ウクライナ難民600万人超、国連、との報道があるが、4000万人の国民のうち国外避難の女性・子供のみでこの数であり、国内避難民を入れると膨大な数であるが、戦争は戦闘と同時に非戦闘員の避難が最重要である(ということをゼレンスキーは認識すべきである)。

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(2.2) キーワード量(多⇔少交互)

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ウクライナ大統領がNATOを非難、飛行禁止区域の設定拒否で、という報道があるが、ウクライナ頑張れ!ウクライナを支援する!プーチンを許すな!国際秩序を守れ!と言っていた日本人・西側諸国民のこれに対する回答は何か(、橋下徹は興味がある)。

国連、マリウポリ市民らの避難計画を実施へ、製鉄所では攻防続く、との報道があるが、現地の国連隊員に(橋下徹は)敬意を表するが、西側諸国はウクライナへの武器供与とともに、このような国連活動に中国、インドなどを巻き込んで強力に支援すべきである。

橋下によれば、ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、ゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにたぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わない。

ウクライナの中立化の話は、戦争を起こさずとも、政治的にまとめる話であるべきである。

マリウポリに「人道回廊」設置で合意、ウクライナ政府、との報道があるが、NATO・西側諸国・国連はこの人道回廊の安全を専守防衛の論で軍事的に担保することすらできない(と橋下徹は思う)。

米、大規模軍事支援を準備と報道、と報道されているが、軍事支援も必要だが、今もっと必要なのは戦地の人道回廊設置・一般市民救出のルール・仕組み・体制であるべきであり、国際社会はこの点についてアメリカの力を頼るしかなく、アメリカ・NATO・西側諸国はこの点で軍事力を行使する覚悟が必要である。

橋下によれば、ゼレンスキー大統領はプーチン大統領と交渉の用意があると言い、「失敗すれば第3次世界大戦」と言った。

核保有国ロシアには喧嘩できず、ロシアと喧嘩ができないなら政治的妥結をはかるべきであり、強い相手に何もできないなら、人道だなんだと綺麗事を言うべきではない。

マリウポリに「人道回廊」設置で合意、ウクライナ政府、との報道があるが、NATO・西側諸国・国連はこの人道回廊の安全を専守防衛の論で軍事的に担保することすらできない(と橋下徹は思う)。

東欧3首脳、キエフ訪問へ、欧州のウクライナ支援伝達、と報道にあるが、NATOや西側諸国の政治家が、軍事介入を避けながらも本当にウクライナを支援する覚悟があるなら、皆キエフで暫く生活すべきであり、バイデン大統領はじめ日本の国会議員もだが、プーチンは総攻撃するか、それは分からない。

橋下によれば、ロシアが経済的に崩壊し、民衆による政権転覆、軍事力クーデターが起きるまで、ウクライナ国民頑張れ!と声援を送るのは間違っている。

言えることは戦闘員は命をかけて戦っているので敬意を表するべきである。

ウクライナ軍兵舎にミサイル、80人死亡か、避難民1000万人近くに、という報道があるが、NATO・西側の戦争指導・戦略に合理性があるのか(、橋下徹は疑問に思う)。

NATO、中国、ロシアの政治的妥結が必要で、西側諸国民はそれを促す声を強烈に上げなければなりません、ということをナザレンコ・アンドリーは良く知るべきである。

橋下によれば、ロシア非難とウクライナ支援だけでは不十分である。

(ウクライナの)一般市民の犠牲が拡大したなら(誰の?)政治的妥結を行うべきであり、そうならないように軍事力の強化が必要である。

ロシア侵攻前のCNNのロシア人意識調査によれば、NATO東方拡大を阻止するために武力行使をやってもいいというロシア国民は50%おり、約2700万人の犠牲者を出した独ソ戦の歴史から、西が東に拡大することの恐怖心は我々には想像できな(い)ものがあるのだろうと思われ、北朝鮮、中国、ロシアが日本の国境線に接してくる以上の感覚かと思われる。

NATOも西側諸国も血を流さず、経済制裁も自国の経済のことを考えたものであり、しかも中国を取り込めずいつロシアが瓦解するのか誰も明確に言えないのですよ、ということをナザレンコ・アンドリーは見るべきである。

橋下によれば、これまでやってきたウクライナ支援はロシアに怒られない範囲でやってきた欺瞞であり、ウクライナを勝利に導くものではない。

(ウクライナ戦争では、)津波対策と同じ思考を取るべきであり、(ウクライナが)津波を防ぐ力がないのなら(ウクライナ人は)逃げるべきである。

《NATO―西側諸国、EU、国連》

ウクライナ難民、1週間で100万人、国連という報道があるが、生きてさえいれば状況が変わる可能性があるので、西側諸国は全力でサポートすべきであり、難民受け入れに厳しかった日本は特に避難民受け入れに全力でサポートすべきであるが、

橋下によれば、西側は、自分たちは自国の経済に壊滅的なダメージが生じないように調整しながらの経済制裁を行っており、ウクライナをロシアを潰す最前線に送り出して、一般市民の犠牲が拡大している。

(ウクライナにおいて)敵を倒すのは戦闘員に任せるしかなく、一般国民はとにかく逃げることが基本であるべきである。

西側諸国はロシアと戦わず、ロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをせず、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道があるので、これで祖国防衛のために命を落とす長期戦一択は不合理である。

東欧3首脳、キエフ訪問へ、欧州のウクライナ支援伝との報道があるが、NATOや西側諸国の政治家が、軍事介入を避けながらも本当にウクライナを支援する覚悟があるなら、皆キエフで暫く生活すべきであり、バイデン大統領はじめ日本の国会議員もそうするべきであるが、プーチンは総攻撃するかもしれない。

橋下によれば、国際秩序を守れ!派の学者は、チェンバレンの宥和政策失敗の例だけを持ち出すが、政治的妥結で解決した例も山ほどある。

今回のロシア兵の残虐行為を徹底追及するためにも一般市民が戦闘行為をするなら戦闘員になるべきである。

ロシア軍、キエフ包囲狙い準備か、迫る60キロ超の車列を衛星確認、との報道があるが、ウクライナ軍の頑張りには敬意を表するが、これが事実だとして、西側諸国は、ウクライナに頑張れ頑張れと声援を送り、武器を送り続けるだけなのは、疑問である。

NATO機、ウクライナ領空飛行、西部国境から50キロ、偵察活動、英情報筋、との報道があるが、国防には自国の軍事力の強化、一般国民の避難力の強化、集団的自衛権(集団安全保障)の強化、兵士への敬意がことがつくづくと(橋下徹は)分かったが、日本はいずれも不十分であり、立て直しすべきである。

橋下によれば、次はいつ国民投票するかが政治ポイントであり、これは一般国民の被害拡大レッドラインを定めることになり、これが戦争指導の重要ポイントである。

(ウクライナにおいて、)戦闘員の戦闘は重要だが、(ウクライナの)一般市民の犠牲が停戦交渉に有利になることはないので、戦う市民は戦闘員になるべきである。

米、ウクライナに旧ソ連製戦車を供与へ、NATOと協力、という報道があるが、ただ、ウクライナが最も切望していたとされる装備品の一つである航空機は除外されたので、ロシアをやっつけて国際秩序を維持することの利益は西側・NATOが最大に享受する(と橋下徹は思う)。

米、大規模軍事支援を準備と報道、と報道されているが、軍事支援も必要だが、今もっと必要なのは戦地の人道回廊設置・一般市民救出のルール・仕組み・体制であるべきであり、国際社会はこの点についてアメリカの力を頼るしかなく、アメリカ・NATO・西側諸国はこの点で軍事力を行使する覚悟が必要である。

橋下によれば、戦争が始まると戦え一択の思考になってしまい、その他の主張は全く受け付けなくなる。

非戦闘(員)の国外避難を妨害する理由はないので、ロシアと協議して、赤十字組織などを使って、国外避難希望者を徹底避難させるべきである。

ウクライナ大統領、伊はロシアの戦争扇動者の休暇先と苦情、と報道にあるが、ほんとNATO・西側諸国は支援の名の下にロシアから怒られない程度の武器をウクライナに供与して、ウクライナにロシアを潰させようとしている。

国連事務総長「人道目的の4日間停戦」呼びかけ、と報道されているが、NATOや西側諸国は人道回廊の設置には軍事力を行使すべきであり、これでロシアと衝突するならそれは仕方がなく、受けて立つと腹を括るべきである。

橋下によれば、国際政治学者篠田英明は、もう何を言っているか分からない。

戦闘は戦闘員と戦う市民に任せるほかなく、非戦闘員は逃げることが第一であるべきである。

「プーチン氏はウクライナ支配を決意」、CIA長官が米議会証言、「民間人の犠牲を無視して、ウクライナ軍を打ち破ろうとするだろう。今後数週間は醜いものになる」との報道があるが、ここまで分かっていながら西側はロシアと妥結を探らないのか、(と、橋下徹は思う)。

アメリカ同盟国首脳が”緊急協議”、と報道にあるが、武器供与、経済制裁だけではなく、人道回廊の設置についてNATO、アメリカ同盟国は前面に出るべきであり、ここまできたら軍事力で担保した人道回廊の設置を実行するしかなく、西側諸国民の覚悟が必要である。

政治指導、戦争指導について言えば、戦地におらず死のリスクのない者は、建前論と勇ましい論のお花畑論に陥るが、これは平和を唱えれば平和になるというお花畑論と同じである。

一般市民を守り切れるところは(ウクライナの)戦闘員は決死の覚悟で守り切るべきである。

NATOや西側諸国はロシアに経済制裁をするも中国を取り込めていない。

ロシア軍の大半が到達した「キエフの25キロ圏内」がトレンド入り、内外メディアの報道にSNS上も緊張感と憤りが渦巻く、という報道があるが、このような状況になっているのはNATO・西側諸国が本当に必要なウクライナ支援をやらないからであり、西側諸国民はそれに気づくべきである。

(ウクライナでは、)気付けば戦争指導者や政治家たちが生き残り、一般市民が犠牲になっている。

(ウクライナの)戦闘は一般市民を守るものであるべきである。

ゼレンスキー大統領「我々だけではどうにもならない」キエフ地下壕でCNNインタビューに応じアメリカの強い関与求める、との報道があるが、この戦争はNATO・西側諸国とロシアの紛争であり、ウクライナは身代わりである。

NATO、中国、ロシアが政治的妥結を行うべきであり、西側諸国民はそれを促す声を強烈に上げるべきである。

そこまでウクライナの戦闘が続くと、ウクライナの一般市民の犠牲は拡大する一方で、ロシアの犠牲は軍人止まりである。

戦闘は戦闘員と戦う市民に任せるべきであり、非戦闘員は逃げることが第一であるべきである。

成熟した民主国家においては、人権をちょっと制約するにも精緻な理屈が必要なのであり、命を犠牲にするならなおさらであるが、それが国際政治学者や国際法の専門家たちは、国際秩序のためにはいとも簡単に一般市民の犠牲もやむなしと言うから、俺(橋下徹)はそれは絶対に違うと(日本の? 世界の?)政治家や国民に主張している(つもりである)。

西側諸国民は、ロシア非難と同時NATOとロシア、中国を含めた核五大国で協議をするように声を上げるべきである。

ウクライナ出身の政治学者アンドリー氏は、橋下氏との討論振り返り、「誤解のないように言っときますけど…」と新聞で述べている。

いったんアンドリーさんのように国外で様子を見る選択肢を多くのウクライナ人に与えるべきである。

国際社会の経済制裁では中国の協力も取り付けておらず、中国の協力を取り付けるにはヤルタ密約のような究極の政治が必要なのに勉強ばかりの学者たちは国際法が重要だ!と言うばかりであり、これでいつロシアが瓦解するのか、それまでウクライナに戦わせ続けるのか、橋下徹は疑問と怒りを感じる。

ウクライナ紛争、「外交」でのみ解決、ゼレンスキー氏、との報道があるが、(西側やNATOは)ウクライナだけに重荷を負わせるべきではなく、ロシアの蛮行を止めることに利益を受けるNATO・西側諸国は前面に出て、新しいヨーロッパの安全保障の枠組み構築に向けた政治的外交的解決を行うべきである。

プーチンの暴挙は許されないし、ウクライナの壮絶な歴史の理解も必要であり、独ソ戦の悲惨さの理解も必要であり、責任の所在については色々あるが、西側から攻め込まれる恐怖心は我々には想像もできない物凄いものがあるのだろう、と橋下は想像する。

ウクライナだけに犠牲を負わせるのではなく西側とロシアが協議するべきである。

西側諸国はロシアと戦わず、ロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをしない。

、と報道にあるが、ゼレンスキー大統領、ロシア、国連、西側諸国はこれも無視するのかと言えば、無視すべきではない。

グローバルな時代どの国でも生きられるので、ウクライナは、ロシアが瓦解するまで待つ方法もある。

ウクライナが市民総動員でロシアと戦おうとする気持ちは理解できるが、しかし市民への攻撃を回避し、ロシアの戦争犯罪を追及するには戦闘員と非戦闘員の区分けは明確にすべきである。

(社説)ウクライナ侵攻、撤兵求める国際圧力を、と報道にあるが、ほんと朝日新聞は不思議であり、先の大戦もそうだったけど、戦争になると威勢がよくなり、普段言っていたことな何だったんだ?と思い、ウクライナ人の命を救うためにNATOとプーチンの政治的妥結を促すことが先だろ?と(橋下徹は思う)。

ゼレンスキー氏「何千もの戦闘機あるのに…」NATOに支援求める、との報道があるが、(西側は、)ゼレンスキー大統領が最も必要とする戦闘機と戦車は、ロシアに怒られるのでウクライナに供与しないが、西側諸国民は自分たちがやっているこの欺瞞を認識する必要がある。

とにかくあらゆるオプションを考えるのが政治である。

ウクライナの国民は、むしろ他国で暮らした方がプラスになる場合もあり、国民の選択であるべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は現況を解説し、国際秩序が重要!プーチンは許してはならない!と感情を爆発させるばかりであり、軍事力・兵器力比較、今後の見通し、ロシアが瓦解するのはいつなのか、中国の支援があれば経済制裁はどうなるのか、今の経済制裁は中途半端ではないかなどの分析をしない。

マリウポリ市長「ロシア軍の規模が我が軍を上回る」、ロシア軍が包囲網狭め攻勢を強めると報道があるが、ゼレンスキー大統領はプーチン大統領に協議を呼びかけており、NATO・西側諸国は武器の供与だけでなく、停戦協議にも関与すべきである。

戦争(指導?)において、勇ましいことを言い続けると判断が鈍る。

ウクライナは、戦う者と避難する者をきっちり分けて、避難させるべき者はしっかり避難させるべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は、軍事力・兵器力比較、今後の見通し、ロシアが瓦解するのはいつなのか、中国の支援があれば経済制裁はどうなるのか、今の経済制裁は中途半端ではないかなどの分析をしない。

安全な民間人避難要求、プーチン氏と電話会談、EU大統領という報道があるが、ウクライナの戦闘への支援だけでなく、この非戦闘員退避の件で西側諸国はもっと強力に関与すべきである。

(ウクライナが? ロシアが?)いつ瓦解するかが分からない中で、ウクライナだけが戦うのでしょうか?、これは(橋下は?)疑問である。

(戦争は津波に喩えられ、)まずは津波の分析をすべきであり、土嚢で対応できるのか、しばらく持ち堪えれば何となるのか、ならないのかを判断するべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は、軍事力・兵器力比較、今後の見通し、ロシアが瓦解するのはいつなのか、中国の支援があれば経済制裁はどうなるのか、今の経済制裁は中途半端ではないかなどの分析をしない。

我々西側諸国は、ロシア人のNATO東方拡大に対する恐怖を真に理解できていず、ここが今回の戦争の最大の原因であり、ゆえに解決当事者はNATOとロシア、さらにNATOは中国も取り込む必要がある。

今は外国で暮らすことも当たり前になった時代です。

ウクライナにおいては、(戦場の?)前方において、自分たちが食い止めなければ(戦場が?)後方に広がると言っても、後方に対応能力があれば任せればいいので、任せるべきである。

(ウクライナの報道が?)太平洋戦争時の日本の報道のようになっていないことを(橋下徹は)願う。

ウクライナを救うために西側諸国がロシアと妥結しても我々西側諸国の生活が今のウクライナみたいにはならないでしょうとうのはリスク評価であるが、ただしジョージアが狙われ、そのときに西側諸国が戦わないなら妥結も必要でしょう、ナザレンコ・アンドリーは良く認識すべきである。

戦争が始まらないように徹底した防衛体制を築き、残念ながら戦争が始まった場合には戦うか、逃げるか究極の判断をしていく、これが現実の国家指導であるべきであり(、ゼレンスキー政権はこの点で劣っている)。

(戦争は津波と同じようなものであり、)前線の土嚢の決死隊の目的は、津波を消すことなのか、住民を避難させるためのしのぎなのか、明確にするべきである。

ウクライナ・ロシア戦争において、(ウクライナ軍は?)終結するまでロシア軍を叩き潰すしかないが、(ウクライナにおける?)報道がきちんとなされているか(橋下徹は?)懸念する。

プーチンの暴挙を止めることの最大の利益者はNATOであり現状の国際秩序を維持できる我々西側諸国民もなんですよ、ということをナザレンコ・アンドリーは良く知るべきである。

人道回廊は、停戦時間が過ぎれば(ロシアの)総攻撃です。

今の(ウクライナの)戦況、国際情勢を基に、真に戦いたい人には戦ってもらい敬意を表するが、でも逃げたい人にはナザレンコ(・アンドリー)さんと同じ生活を(ウクライナ国民に)与えるべきである。

ロシアを非難したところで(戦争は)止まらず、止めるならNATOの軍事介入か西側の天然ガス一斉禁輸しかないが、それはやらず、西側諸国民も世界大戦を恐れNATOの軍事介入までは言わない(と橋下徹は思う)。

橋下徹氏「国外退避も選択肢」、ウクライナ出身政治学者「占領されれば粛清」戦い継続の必要性訴え、という報道があるが、西側諸国はウクライナ非戦闘員の大規模国外避難の支援をすべきである。

英米がウクライナ大統領の脱出準備を行っているが、ゼレンスキー大統領は脱出を拒否するものと確信している。

ナザレンコさん(に対して言いたいことですが)、(ナザレンコさんのように)戦争の壮大な意義に熱くなれば、結局(誰に?)利用されるだけになってしまうので、そう熱くなるべきではない。

国連事務総長「ウクライナの人は生き地獄を耐えている」と報道されているが、ウクライナとロシアの交渉ではウクライナが不利になり、ウクライナ兵士は決死の覚悟で戦っているがロシアの被害は軍人のみであり、ロシア国民への経済的大打撃はまだ時間がかかる。

ナザレンコ・アンドリーさんは、今回実際に義勇兵に志願した人たちの顔つきや雰囲気を見るべきであるが、彼らは、威勢のいい人たちとは明らかに違い、日々の生活も違うと思います。

死ぬリスクのない者たちは建前論にこだわり勇ましいことを言う。

戦争が始まった以上、精神論の戦う一択ではダメである。

困ったことに日本の政治家とその取り巻き学者や一部ネット発言者たちは、戦争が始まると精神論だけ、どう終わらせるかの合理的な判断ができないなということを(橋下徹は)痛切に感じましたね。

(日本は)軍事力は強化し、西側諸国にならって制裁も行うが、しかし協議の場は閉ざしてはならず、そのためには日露議員連盟の出番だ。

(ウクライナの?)戦地では建前論よりまず生きることだという(ウクライナ?)市民も多い(と橋下は思う)。

(この戦争に関して、)祖国防衛!国際秩序維持!というお題は合理的判断を誤らせるので、唱えるべきではない。

仏独ロが首脳会談、停戦と直接交渉による解決を訴えという報道があり、マクロン大統領・ショルツ首相が「今回の危機についての解決策は、ウクライナとロシア両国が直接交渉を行うことによってのみもたらされる」と述べているが、自分たちの安全だけは確保し、完全にウクライナを見捨てていて、酷いな。

ロシア大統領「要求すべて満たせ」、ウクライナ停戦協議、譲歩せず、との報道があるが、中国を取り込めていない経済制裁でロシアが瓦解するのはいつ?というこの答えを持ち合わせていないなら、ウクライナの犠牲を最小限にできるのは、NATO・ロシア・中国による政治的妥結である(べきである)。

戦闘が続けばウクライナ市民の犠牲が拡大する。

(ウクライナは?)住民避難に力を入れるべきである。

ウクライナ南部マリウポリ、約5000人死亡、ロ軍の包囲で(ロイター)、との報道があるが、ロシアが一番悪い(と橋下徹は思うが)、しかし市民を残して脱出したマリウポリの市長も最悪である。

西側諸国はロシアと戦わないし、ロシアに譲歩もせず、さらにウクライナをNATOにもEUにも直ちに入れることをせず、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道があり、これで祖国防衛のために命を落とす(ウクライナの)長期戦一択は不合理である(べきである)。

ゼレンスキーの(最悪の)戦争指導のように、戦う一択になるとこのような最悪の結果になってしまう。

本当に死を突きつけられた非戦闘員がどこまで譲歩するのか生き残りたいと思うのかを汲み取るのが政治指導であるべきである。

米、ウクライナに旧ソ連製戦車を供与へ、NATOと協力、という報道があるが、ただ、ウクライナが最も切望していたとされる装備品の一つである航空機は除外されたので、ロシアをやっつけて国際秩序を維持することの利益は西側・NATOが最大に享受する(と橋下徹は思う)。

「賢明だ」とロシア前大統領、長射程砲ウクライナ供与否定に、との報道があるが、これが反撃能力であり、アメリカ・NATOでもロシアを攻撃できず、逆にロシアもNATOを攻撃できないので、日本もこの力を持つべきであり、反撃能力は戦争を起こすよりも抑止するものであるべきである。

(ウクライナにおいて、)今の時代にあっても(ゼレンスキーなどの)政治家が生き残って、兵士や一般市民が犠牲になる戦争指導が行われている。

ロシアとウクライナの交渉は、プーチンを引きずり出してのトップ同士の交渉を行うべきである。

東欧3首脳、キエフ訪問へ、欧州のウクライナ支援伝達と報道されているが、NATOや西側諸国の政治家が、軍事介入を避けながらも本当にウクライナを支援する覚悟があるなら、皆キエフで暫く生活すべきである。

マリウポリ部隊、籠城で露軍を足止め、ウクライナ軍、各地で防御戦、との報道があるが、足止め戦術が正当化されるのは一般市民を犠牲にしない場合のみであり、一般市民を犠牲にしながらの足止め戦術は、市民を守らない戦闘だった沖縄戦と同じになるので、日本において(ウクライナでは?)正当化するべきではない。

ウクライナにおいて国民投票がきちんとできるかどうかは重要である。

虐殺されないために戦え!という精神論ではなく政治の力で解決すべきである。

中国、ロシアに兵器供与の意向と、米が同盟諸国に通知したと報道されているが、今のアメリカ・NATOの政治はおかしいで。

祖国を守る戦いは尊いが、しかし我々西側諸国がロシアと政治的妥結をして戦争を止めることができるならどちらがいいですか?と橋下徹はナザレンコ・アンドリーに質問し、ナザレンコ・アンドリーが後者を選ぶできだと考える。

この(ロシアによる?)恐怖心を戦闘によって払拭するなら、一般市民の被害がどれだけ出ても(ゼレンスキー、ウクライナは)戦い続けるしかなくなる。

(ゼレンスキーやウクライナ政権に対して、)戦争指導者や政治家が自らの信念を貫くなら自分たちの命を賭けるべきである。

西側諸国特にアメリカは、これまで人道上の理由で国連安保理の決議なく戦争をやってきたが、結局、弱い相手は叩きのめし、強い相手には喧嘩をしないのが(西側諸国やアメリカの)やり方であり、これが人道?と橋下徹は思う。

ウクライナ東部ルハンスク州、領域の8割がロシア支配下に、地元軍事指導者、との報道があるが、東部地域では住民を避難させるための戦闘になっている(と橋下徹は思う)が、住民避難路の安全確保くらい国際社会の政治力・軍事力で行うべきである。

現代(のウクライナ)は中世や第二次世界大戦時とは異なり、戦争映画の世界とも異なる。

マウリポリマリウポリについては、戦争指導者・政治家たち(ゼレンスキーやウクライナ政府)に確固たる政治的信念がありそれを貫くのなら、市民の犠牲と引き換えにまずは自分たちの命を賭けるべきである。

フィンランド、NATO加盟方針を正式発表…スウェーデンと「同時申請」か、との報道があるが、フィンランド、スウェーデンがNATOに加盟できれば、これはウクライナの大功績で、ウクライナ国民の犠牲に基づくものである(と橋下徹は思う)。

アメリカ・NATO・西側諸国・国連・もちろんロシアも一般市民の避難について協議すべきであり、西側諸国は軍事力を背景として協議すべきである。

(ウクライナ、ゼレンスキーが行っているように)戦う一択だと一般市民を犠牲にしない戦争指導ができなくなる。

戦争が進み一般国民の被害が拡大すればするほど、命が守られている戦争指導者・政治家・その手の専門家・学者たちと、死の恐怖に晒されている一般国民の感覚・認識はどんどん乖離するが、戦争終結の政治的妥結においてはこの乖離を埋めることが最重要ポイントであり、戦争指導者・学者たちに国民の生死すべての決定権を委ねるわけにはいかない。

侵攻直前からアメリカは侵攻の警告を発してたので、あれを警報と捉えて(ゼレンスキーは)国家はどう動くべきだったかを考えるべきであったし、退避ルートの設定、そのことの国連や西側諸国への働きかけ、一般国民への強烈な退避のメッセージなどなどやることは山ほどあった(と橋下徹は思う)。

ウクライナ軍、敗北も「目標達成」、ロシア部隊消耗、次はドネツク州、との報道があるが、戦地の兵士に(橋下徹は)敬意を表するが、戦況評価は一般市民の犠牲も組み込んだものにしなければならず、化学工場の500人の住民のことは全く眼中にないこのような評価はすべきではない。

(ウクライナの)中立化が最大の争点で、ロシアがそこに一番こだわり、これが戦争の原因だとゼレンスキー大統領自身が、ロシア独立系メディアのインタビューで答えている。

18歳から60歳男子の国外退避禁止、召集令状、不十分な訓練のままで戦地に強制的に送り出すなどの戦争指導は言語道断であり、ゼレンスキーやウクライナ政府は改めるべきである。

戦争が終結するまでロシア軍を叩き潰すしかないが、報道がきちんとなされているか懸念され、ウクライナ軍の健闘やロシア軍の失態の報道は多いが、ウクライナの一般市民の犠牲やウクライナ軍の被害について報道が少ない(ように橋下徹は思う)。

ロシア大統領「要求すべて満たせ」、ウクライナ停戦協議、譲歩せず(時事通信)、との報道があるが、中国を取り込めていない経済制裁でロシアが瓦解するのはいつ?に対する答えを持ち合わせていないなら、ウクライナの犠牲を最小限にできるのは、NATO・ロシア・中国による政治的妥結しかない。

(ウクライナでは、)実際、4分の1もの市民が侵攻開始直後に避難したそうであり、(ウクライナ政府、ゼレンスキー)戦争指導者の号令のかけ方次第です。

ウクライナにおいて一般国民の被害拡大レッドラインを越えれば妥結案と国民投票を行うべきである。

橋下によれば、NATOがポーランドとルーマニアに置いた迎撃ミサイルは、ロシアから見れば、キューバ危機のキューバ内核兵器や韓国内のサードミサイルのようなものであり、その時アメリカは核戦争ギリギリまで迫ってキューバの核兵器を取り下げさせ、中国も凄まじい圧力を韓国にかけてサードの追加配備を阻止した。

本当にウクライナを支援する気があるならNATOや中国はロシアと協議をすべきであり、それをやらないことも西側諸国民は非難すべきです。

今、東部地域では避難呼び掛けが始まっており、(ウクライナ国家の)戦闘目的は一般市民を退避させるための戦闘になるべきである。

東部地域の問題はあるが、それは国民投票で決めるべきである。

橋下によれば、ゼレンスキー大統領は、「NATOが飛行禁止区域の設定をしなければ、今後のウクライナ人の死はNATOの責任だ!」とまで言っており、ロシア軍の大半が到達した「キエフの25キロ圏内」がトレンド入りし、内外メディアの報道にSNS上も緊張感と憤りが渦巻いているが、このような状況になっているのはNATO・西側諸国が本当に必要なウクライナ支援をやらないからであり、西側諸国民はそれに気づくべきである。

アメリカ・NATO・西側諸国・国連・もちろんロシアも一般市民の避難について協議すべきであり、西側諸国は軍事力を背景として協議すべきである。

(一般)ロシア軍が非難されるべきなのは当然であるが、ただし(ウクライナの)戦争指導部はまずは一般市民の退避を考えるべきである。

反ロシア派は粛清されるかもしれないが一般市民は助かる可能性があるので、ウクライナ政府は正確な情報を市民に伝える責任がある。

橋下によれば、NATOも西側諸国も血を流さず、経済制裁も自国の経済のことを考えたものであり、しかも中国を取り込めず、いつロシアが瓦解するのか誰も明確に言えない。

西側諸国民はそれ(NATO、中国、ロシアの政治的妥結)を促す声を強烈に上げなければなりません。

有事のときには学級委員的政治は役に立たない。

(ウクライナは、)16歳から18歳の男性も国外退避を認めるべきである。

NATOの東方拡大は西側には利益であり、ロシアにとっては不利益であり、特にウクライナ・ジョージアのNATO加盟はロシアにとっては脅威であるがゆえに今回の戦争の原因である(と橋下徹は思う)。

米国、ポーランドの「戦闘機迂回提供」提案を”拒否”という報道があるが、アメリカもポーランドもNATOも、自らの責任となる本気の武器供与からは逃げ、ロシアが怒らない程度の武器を供与して、ウクライナとともにある!と言っているが、こんな欺瞞をするなら(アメリカもポーランドもNATOも、)ロシアと政治的妥結をすべきである。

正義ばかり唱えていたら政治はできない。

中立化の話は純粋な政治マターなので国民投票は不要であるべきであり、ここはゼレンスキー大統領が腹を括って全ての責任と批判を受けるべきである。

一部NATO加盟国、ウクライナ紛争の長期化望む、トルコ外相が非難、と報道されているが、このNATOの戦略は、一般市民の犠牲を防ぐために自ら血を流してロシアを倒すか、政治的妥結による短期の停戦ではなく、自らは一滴の血を流すこともなくウクライナに戦わせてロシアを追い詰める戦略であり、政治家なら気づく卑怯な戦略である(と橋下徹は思う)。

アメリカ・NATO・西側諸国・国連・もちろんロシアも一般市民の避難について協議すべきであり、西側諸国は軍事力を背景として協議すべきである。

人道回廊が設置されるようですが、きちんと避難できるか、避難の仕組みを作るべきだったのである。

(ウクライナ戦争は、)一般市民がここまで死ぬ話ではな(く、ゼレンスキーは失政の反省をすべきである)。

米、ウクライナに旧ソ連製戦車を供与へ、NATOと協力、という報道があるが、ただ、ウクライナが最も切望していたとされる装備品の一つである航空機は除外されたので、ロシアをやっつけて国際秩序を維持することの利益は西側・NATOが最大に享受する(と橋下徹は思う)。

米国、ポーランドの「戦闘機迂回提供」提案を”拒否”と報道されているが、アメリカもポーランドもNATOも、自らの責任となる本気の武器供与からは逃げ、ロシアが怒らない程度の武器を供与して、ウクライナとともにある!と唱えているが、こんな欺瞞をするならロシアと政治的妥結をすべきである。

ナチスドイツに融和しなかったチャーチルの例を学者たちはよく持ち出すが、チャーチル・英国民は自ら戦った。

(ウクライナ戦争は、)ウクライナの自由・尊厳を守る戦争、ロシアによる虐殺を防ぐ戦争と位置付けると戦う一択になり一般市民の犠牲已むなしとなる(ので、そうすべきではない)。

米、ウクライナに旧ソ連製戦車を供与へ、NATOと協力、という報道があるが、ただ、ウクライナが最も切望していたとされる装備品の一つである航空機は除外されたので、ロシアをやっつけて国際秩序を維持することの利益は西側・NATOが最大に享受する(と橋下徹は思う)。

(橋下徹の)停戦手法の考え方は(ナザレンコ・アンドリーとは)異なるけど僕(端音徹は)は今後の日本の(橋下徹の?)戦争指導も念頭に(ナザレンコ・アンドリーに)発信している(ので、ナザレンコ・アンドリーは橋下徹のお言葉をしかと聞いておくべきである)。

ブリンケン国務長官はモルドバで支援する!の連呼であるが、この欺瞞は酷い。

本来なら市長も逃げ出したマリウポリ市民を守るために(ウクライナ、ゼレンスキーは)軍事力の全エネルギーを投入すべきである。

EUが早急にウクライナを仲間にすれば、いきなりNATOの加盟にならなくても国連憲章51条の集団的自衛権は検討されるだろう。

中国を取り込むためにも取り込むためにも(NATO・西側諸国はロシアと)妥結するべきである。

プーチン大統領が政治的な切り札とするのは、大量破壊兵器が存在しなかったのにイラク政権を武力で転覆させたイラク戦争である。

(ウクライナ、ゼレンスキーにとって)あくまでも戦闘・戦争指導は国民の命を守るためのものである(べきである)。

マリウポリ製鉄所から撤退、ウクライナ部隊「命を守る」、ロシア軍、沿岸を完全制圧、との報道があるが、それは「命を守る」現実に血を流している者の言葉であり、血を流さない者に限って他人の命を軽視する(と橋下徹は思う)。

マリウポリ市民の避難を国連も発表、ロシア軍の砲撃再開で予断許さず、との報道があるが、一般市民救出に尽力された関係機関に(橋下徹は)敬意を表するが、戦争においては戦闘員の戦闘だけでなく非戦闘員の退避・救出がより重要である(ということをゼレンスキーは認識すべきである)。

西側・アメリカによるこんな建前政治は、解決能力なしであり、ほんまアカンものである。

軍事力の均衡と政治的メンツの均衡が一般市民の犠牲を回避できるのです(から、ゼレンスキーのウクライナもそうすべきである)。

確かに細谷さんの言うように軍事活動を展開して自分の主張を認めさせようとするプーチンの行動は暴挙であるが、もしその暴挙を本気で許さないというのであれば西側諸国がプーチンと戦うべきですが、それは世界大戦になるのでできないゆえに経済制裁を行っています。

、と報道にあるが、ゼレンスキー大統領、ロシア、国連、西側諸国はこれも無視するのかと言えば、無視すべきではない。

政治家になればこんな(拒否権2票持っている中露を相手にするような)状況はしょっちゅうあり、そのときに議論で解決するなんてあり得ず、議論と政治は別物である。

国防の基本は国民の生命を守ることであり、それができていなければ戦争指導・国防はおかしいと評価しなければならず(、ウクライナ、ゼレンスキーの戦争指導は間違っており、)(ウクライナ、ゼレンスキーは)一般国民の生命をいかに守るかに集中すべきである。

我々西側諸国は、ロシア人のNATO東方拡大に対する恐怖を真に理解できていない。

ウクライナ国民が逃げてもいいんだよという強烈な(ウクライナ政府による? ナザレンコ・アンドリーによる? 日本人による? 国際社会による?等々?)メッセージが必要なんです。

政治は厳しい優先順位を付けるもので、さらにやった感を出すだけの制裁は百害あって一理なしであって、(米国のように、)あれもこれも理想を掲げて結局何一つ実現しない政治は最悪であり、オバマ政権のときのシリア対応がそれであり、アサドダメ、ISダメ、ロシアダメで何も実現できなかった。

(ゼレンスキーやウクライナの)戦え一択や、交渉を有利にするための戦闘なんて現代社会では最悪であり、(ゼレンスキー、ウクライナはただちにやめるべきである)。

西側諸国の武器供与のやり方はウクライナが一気に形勢逆転し勝利を収めるようなものではない(と橋下徹は思う)。

西側諸国は自国のエネルギーのことを考えswift排除とエネルギー企業に及び腰であり、仮に完全制裁をしても中国が支援する可能性があるので、プーチン政権を倒すのは国際社会の責任にするべきである。

マリウポリ市長は早々と脱出に成功しています。

(戦争においては、またゼレンスキーやウクライナは)相手に負けはしないが、ギリギリの均衡を保つ政治を行うべきである。

米国防長官「ロシア弱体化望む」、ウクライナで戦力低下、との報道があるが、ウクライナ戦争はアメリカの代理戦争か否かという不毛な議論は別として、この戦争はアメリカにも西側にも多大な利益がある戦争であるが、しかし血を流すのはウクライナだけ(と橋下徹は思う)。

ジョージアは、NATO・EUに入れないなら、二枚舌三枚舌密約外交も行うべきである。

敵対勢力に自国の近隣にミサイルを置かれることを必至に止めるのが大国の安全保障観である。

(ゼレンスキー、ウクライナは)ロシアをやっつけるのか、相互譲歩を入れ込んだ政治的妥結か二択であるべきである。

国際社会に絶対的に必要な原則は、戦争時の一般市民救出のルールであるべきであり、西側諸国は(ウクライナ戦争において)軍事力を行使してでもこのルールを確立すべきである。

最後まで戦う?降伏する?ウクライナ戦争で論争、との報道があるが、(ウクライナ)軍は国民を守ることが第一であるべきであり、それ以外を目的にすると、軍が結局国民を犠牲にすることになり、それは太平洋戦争時の日本の例で明らかである(と橋下徹は思う)。

戦後秩序とはきれいごとではない。

ロシアとウクライナの交渉は、2国間のところから欧州全体の安全保障の枠組みに引き上げるべきである。

(西側諸国の)経済制裁によってロシアが瓦解し軍の活動が止まるのはいつなのか?(と橋下徹は思う。)

アメリカ・NATO・西側諸国・国連・もちろんロシアも一般市民の避難について協議すべきであり、西側諸国は軍事力を背景として協議すべきである。

(ウクライナ人)4000万人避難は現実的ではないし、祖国を守ることも大切であるが、しかし戦況と見通しの分析なく戦う一択というのは間違いであり、それは太平洋戦争の経験で明らかである。

(ゼレンスキー大統領は)とにかく一刻でも早く一般市民が逃げる仕組みをとるべきである。

(アメリカや西側諸国は)中途半端な武器の供与でウクライナを犠牲にして西側の安全を確保するのは卑怯である(と橋下徹は思う)。

ゼレンスキー氏、中立化用意も「第三国の保証を」、との報道があるが、停戦協議にはNATO・西側諸国が関与するべきである。

西側では、いったいいつまでウクライナは抵抗すればいいのか言わないままである。

(ウクライナは)戦争が始まりそうなら、冷静に自分たちの力を評価して判断していくべきであった。

企業に経済制裁を強要すべきではないとの報道があるが、いやいやこれだとプーチン政権が追い込まれなくなり、経済制裁はロシア国民の不満を爆発させようという戦略である。

アメリカ同盟国首脳が”緊急協議”、と報道にあるが、武器供与、経済制裁だけではなく、人道回廊の設置についてNATO、アメリカ同盟国は前面に出るべきであり、ここまできたら軍事力で担保した人道回廊の設置を実行するしかなく、西側諸国民の覚悟が必要である。

プーチンは、ウクライナから東部とクリミアを独立させることは西側がやったことと同じことをやっていると主張している。

(ウクライナでは)一般市民も戦うことが素晴らしい、逃げることは恥という感情を持つと判断を誤るので、(ゼレンスキーはそういう指導をやめるべきである)。

NATOや西側諸国にロシアが瓦解する見通しを明確に述べる者もいない。

アメリカ・NATO・西側諸国・国連・もちろんロシアも一般市民の避難について協議すべきであり、西側諸国は軍事力を背景として協議すべ

今回の戦争においては、政治家の総合的な政治判断が問われる。

全員避難は無理でも(ウクライナ政府が)避難に全力をあげる国家対応をするかどうかが重要である。

西側諸国はプーチンの批判とともにNATOの指導者も批判すべきである。

NATOや西側諸国の政治家が、バイデン大統領はじめ日本の国会議員も、軍事介入を避けながらも本当にウクライナを支援する覚悟があるなら、皆キエフで暫く生活すべきである。

戦争が始まってしまった以上、戦争を止めるには、①相手を降伏させる(一時撤退を含む)、②こちらが降伏する、③政治的に妥結する、の3点しかないと思います。

(ゼレンスキーは)全国一斉全員退避は無理だからそこは優先順位付けを行うべきであり、退避地域でも弱者を中心に優先順位を付けるべきである。

マリウポリの製鉄所、状況は「危機的」、指揮官が第三国による救出要請、との報道があるが、国際秩序の原則を守るために一般市民の犠牲はやむを得ないとす法学者篠田氏のような論がその世界で肯定されているようだが、戦争の現実を知らない完全な平和ボケ論である(と橋下徹は思う)。

専門家はNATOとロシアの政治的妥結は絶対無理だと言うが、しかし専門家の誰もプーチンの真の要求を知るわけがなく、プーチンのNATOに対する要求とウクライナの犠牲をテーブルにあげて妥結が無理かどうかを専門家だけでなく、西側諸国民で考えるべきであり、そのためにもNATOはプーチンと折衝すべきである。

戦地では建前論よりまず生きることだという市民も多い。

もちろんロシアの蛮行が一番悪いが、でもロシアを潰すなら(ウクライナは)それだけの軍事力を持たなければならず、それがないなら一般国民の退避も念頭に置くべきである。

戦争は交渉の一部という(篠田英朗の)主張(と橋下徹が思っているもの)は篠田氏の活動領域では受け入れられても、今の日本全体で受け入れられるわけがない(と橋下徹は思っている)。

もうそろそろ西側諸国民は、NATO・西側諸国の政治のズルさを見抜いて、NATO・西側諸国の政治家にも声を上げるべきである。

今も毎日ウクライナ人の命が奪われている。

軍事・戦況分析で重要なことは一般市民をどう退避させるかかという視点も持つことであるべきである。

俺(橋下徹)はそんな(篠田英朗が言うような)戦争指導は絶対に嫌なので、日本の政治家や国民に対して発信してるんだよ。

「ロシアと事を構えるつもりない」米国務長官、ウクライナ要求「飛行禁止空域を」拒否という報道があるが、であれば、ウクライナの負担ができる限り少なくなるように、米国はロシアと協議・妥結すべきであり、西側諸国民はそれを促すべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

(ウクライナにおいては、)市民を生き残らせることも戦争指導の重要な柱であるべきである。

国際政治学者が言う国際秩序及び日本の政策への破滅的な影響なんて、どこまで説明しても本の中の抽象論か予測の域を出ない(と橋下徹は思う)。

あれだけ威勢よく我々はウクライナとともにある!祖国と国際秩序を守る戦いだ!と言っていたのに、ゼレンスキー大統領のNATO非難のこの悲痛な叫びは無視する西側諸国民はこの欺瞞に早く気付くべきである。

文書(ブダペスト覚書)のことをいくら言っても誰も強制的な決定は下せない。

(ウクライナにおいては、)戦う一択はダメであり行うべきではない。

ウクライナの(NATOへの)非加盟の宣言が最後までなくそれが戦争の原因だとゼレンスキー大統領自身が述べているので、学者(篠田英朗)がどう言おうが自由だが、使い物にならない見解ということに間違いなく、学者が使い物にならないということはいつものことである(と橋下徹は思う)。

西側諸国民は、ロシアに対する非難や制裁は当然としても、このようなEU政治家・行政マンのウクライナ身代わり戦略・戦術も非難しなければならない。

裁判官がいない中で言い合っても何も解決しない。

(一般に、またウクライナにおける)戦争指導とは、戦いたい者が命をかけて戦う環境を整え、生き残りたい者を全力で生き残らせるべきものである。

民主国家における政治家の判断は社会的風潮に左右されることも現実です(と橋下徹は思う)。

ウクライナとロシアだけでなく西側諸国、特にアメリカも加わって、ヨーロッパの安全保障の枠組みについて大政治をするべきであり、ウクライナ一般市民の犠牲が増え続けるだけである(と橋下徹は思う)。

戦争を止めるには相手を倒すか妥結しかない。

(ゼレンスキーは)自国の力、敵国の力を分析しながら、一般市民の避難を重視すべきである。

成熟した民主国家なら政治家はいくらでも国民から代替することができる(と橋下徹は思う)。

第二次世界大戦は、連合国が自ら血を流し日独伊を倒して世界秩序を構築したが、ところが今回は、西側は一滴の血も流さず自分達の経済も守りながら、ウクライナの犠牲の下に世界秩序を守ろうとしており、ロシアを早期に倒す兵器を供与せず、ロシアから天然ガスも買い続けている(と橋下徹は思う)が、西側諸国の政治家たちが考えるこの戦略とは異なる戦略も、我々西側諸国民は考えるべきである。

専門家は自分の領域を万能だと思い込んでしまい、コロナがその典型である。

(ゼレンスキーは)戦う一択ではない戦争指導を行うべきである。

「私たちも胸筋を見せつけないと」、G7首脳がプーチン氏で冗談、との報道があるが、彼らは命が守られているから勇ましいことをいくらでも言える(と橋下徹は思う)。

ウクライナはロシアの再侵攻を恐れるが、それを取り除くのは国連憲章51条を活用したウクライナの安全保証であるべきであり、西側諸国が出るべきである。

政治の現実を見ず実体法だけを研究していると勘違いしてしまう。

(ゼレンスキーは)全市民による抵抗、戦う一択ではなく、自国敵国の力を冷静に分析した上で一般市民の退避を第一とする戦争指導を行うべきである。

仮に日本が有事になり、軍事的合理性がない中で戦闘が終了することによって家族の命が助かる場合なら(橋下徹は)戦闘終了を願い、その際、外国にいる日本人から、あなたの家族の犠牲はやむを得ないと言われたら(橋下徹は)怒り狂うだろう。

西側諸国の指導者はNATOでプーチンと一緒の場で話をするべきである。

ウクライナ戦争におけるウクライナ・ゼレンスキーのような指導があったら、俺(橋本徹)は子供たちにロシアが瓦解するまで国外で暮らすべきであると言う。

(ウクライナにおいて、)戦争が始まった後は、戦う意思のある者で戦っていくことが大原則であり、武器を持たない一般市民は逃げることが大原則であり、(政府はそのようにすべきである)。

一般市民の犠牲を安易に仕方がないという(日本の? 世界の? ウクライナの? ロシアの? 何処の?)風潮には(橋下徹は)断固反対するが、(ウクライナの?)戦闘員には敬意を表する。

ゼレンスキー大統領、プーチン大統領と交渉の用意「失敗すれば第3次世界大戦」と報道されているが、交渉成功の1%の可能性を成功させるには、ウクライナとロシアだけの協議にするべきではなく、ウクライナの安全を保証するために、NATO・西側も関与してヨーロッパの安全保障の協議にすべきである。

(篠田英明のように)国際法の研究だけをやっていたらこの長期戦の不合理さに気付かないんだろう。

(ゼレンスキー、ウクライナ(政府)は、)戦闘目的を国民の命を守ることであるべきであり、それ以外に置くべきではない。

俺(橋下徹)は日本の政治家や国民に対して主張しており、日本の戦争指導があなた(篠田英朗)の考えのような変な方向に行かないよう主張している。

ウクライナは過去の歴史からロシアの蛮行を恐れており、その恐れを払拭するにはウクライナが戦い続けて勝利を収めるか、NATO・西側諸国がウクライナの安全を保証するべきであり、戦闘が続けばウクライナ市民の犠牲が拡大する。

生きていれば道が拓ける場合がある。

(ウクライナ政府は、)戦う一択ではなく政治的妥結を模索するべきである。

(日本の政治家は、)命が奪われない選挙の当落がかかっただけでベタ折れだし、ほんと(日本の政治家の)セコイ姿を(橋下徹は)山ほど見てきました。

侵攻から3週間…ウクライナ代表団「数日のうちに停戦実現を確信」と報道されているが、再びウクライナが侵攻されないようにアメリカやイギリスなどの西側がウクライナの安全を保証するかがポイントであり、結局、西側とロシアの政治的な安全保障の話であり、政治的妥結が必要である(べきである)。

ロシアが瓦解するまで待つ方法もある。

(ゼレンスキーにとって、)ウクライナの軍事力によって一般市民の犠牲がほとんどなくロシア軍を追っ払えるのならそれが第一であるが、しかしそうもいかず一般市民の犠牲が大きくなりそうなら一般市民の退避にも力を入れるべきである。

僕(橋下徹)が外国に滞在しているときに、仮に日本が侵略されたならたなら、どんな手段を使ってでも日本に戻るか、もし外国に滞在したままなら、日本国内の戦闘員には申し訳ない気持ちと敬意を表しつつ、一般市民にはとにかく生き延びて、無理せんでええから、日本がどんな判断をしても構わんからという気持ちに(橋下徹は)なるだろう。

NATO・西側諸国がロシアと協議して政治的に(何を?)妥結すできである。

(ウクライナ人の)4000万人避難は現実的ではないし、祖国を守ることも大切であるが、しかし戦況と見通しの分析なく戦う一択というのは間違っており、太平洋戦争の経験で明らかである。

(ゼレンスキーは)戦闘すればするほど一般市民の犠牲が拡大するなら戦闘以外の終結策を模索するべきである。

グレンコ・アンドリー氏の苦しい心境を橋本徹は理解できるとしても、戦争になると祖国防衛や過去の歴史的な感情が沸き起こるが、感情は判断を鈍らせ、それは太平洋戦争時の日本を見ても言える。

今はプーチンを倒せ!の声ばかりであり、いったいいつまでウクライナは抵抗すればいいのか言わないまま、西側諸国民は幸せな生活を送り続けます、ナザレンコ・アンドリーは良く認識すべきである。

生き延びる世代を増やすのも政治です。

(ゼレンスキーは)戦闘員の犠牲で(何が?)有利になれば、(戦闘員に?)最大の感謝と敬意を払うべきである。

太平洋戦争時の戦争指導者たちの戦略も愚かの極みであり、よくあんなもんを作ったものであり、それでいて参謀たちは戦後も生き延びており、それを知れば(橋下徹は)靖國神社で戦争指導者に手を合わすことなどできないし、そういうことを知らない国民は祖国防衛の美名の下に命を落としていく。

(橋下徹は)ナザレンコさんの正義感には敬意を表しますが、しかし正義というのは合理的な判断も狂わすんです、ということをナザレンコ・アンドリーは良く知っておくすべきである。

ロシアは民間人攻撃を否定しているので、非戦闘員の国外避難は拒否できないはずである。

(ゼレンスキーは)政治家と市民を入れ替える交渉など最後の最後まで手を尽くすべきである。

一般市民の犠牲がどこまで拡大しても已むなしとする戦争指導が日本で行われることに、僕(橋下徹)は反対し、それは戦争の悲惨さ、死の恐怖を知らないお花畑戦争指導であるからである。

西側諸国は中国に入ってもらいロシアに大粛清はしないことの確約を取ることが外交であり、そのようなすべきである。

多くの者が勘違いしたのは、安全保障の枠組みがなかった時代の旧ソ連の蛮行などを引っ張り出して、ウクライナは戦うしかない!!の(戦う)一択となったことである。

場合によっては政治家や戦闘員の命を差し出してでも一般市民を退避させる交渉をすることが戦争指導者(ゼレンスキー)の使命であるべきである。

プーチンの暴挙を止めることの最大の利益者はNATOであり現状の国際秩序を維持できる我々西側諸国民もなんですよ。

西側諸国、国連や赤十字組織を使って(ウクライナ国民の)大規模避難支援をするのも政治オプションです。

戦争前の防衛力強化を嫌うお花畑論と、戦争後一般市民の死の恐怖・戦地の惨状を度外視した戦闘一択も同じお花畑論である。

戦争は結局戦争指導者の政治家・官僚たちが生き残り、一般市民と兵士が死んでいくが、まずは(ゼレンスキーなど)政治家たちから死んでいくべきである。

元防衛大臣の小野寺さんは実際に日本の国防を担い、自衛隊の指揮命令権者だったので、非常に現実的だった(と橋下徹は思い)、百田や国際法学者の篠田氏とは次元が異なる(と橋下徹は思う)が、それは当たり前である(と橋下徹は思う)。

ロシアの根室沖領空侵犯に、という報道があるが、自衛隊、海上保安庁のみなさんは、申し訳ないけど頑張るべきである(と橋本徹は思う。)

今の停戦協議の論点では、ウクライナの自由と民主が全てなくなる話ではない。

ゼレンスキー政権は最後まで戦うと言うなら、自分たちと包囲されている市民の交換交渉を行うべきである。

(一般市民の退避という問題)は今の日本の安保議論で一番欠けているところである(と橋下徹は思う)が、本日の番組では与野党国会議員がその整備の必要性で一致した(と橋下徹は思う)。

奴(篠田英朗)は俺(橋下徹)のことを無茶苦茶に言ってきてるから、俺にとっては百田と同じであり、そこは俺(橋下徹)の評価の自由も(上念さんは)認めるべきである。

学級委員的なメンバーは小難しことを並べるが解決策は決められない。

(ゼレンスキーは)今は何が正解か分からない究極の判断を行うべきであり、闇雲に最後まで戦うのではなく、一般市民を一人でも救う方法はないのかを最後の最後まで考えるのが(ゼレンスキーの)良い戦争指導であるべきである。

日本の政治家もしっかりと認識しておかなければならないのは、今回ヨーロッパの西側諸国が団結してウクライナを支援したのはロシアの蛮行が地政学的に自国の脅威につながるからであり、日本が武力衝突となったときに、ヨーロッパの西側諸国がそこまで支援してくれるかは懐疑的にならなければならない。

(篠田英朗は)国際政治学者として、(6)なぜウクライナ市民のこれだけの犠牲によって守られる利益を享受できるのか、これだけのウクライナ一般市民の犠牲によって守られるものは莫大な利益のはずであるが、それをそこまで犠牲を払わずに国際社会や日本が受けることのできる理由は何か、という問いに答えるべきである。

プーチン大統領が政治的な切り札とするのは、大量破壊兵器が存在しなかったのにイラク政権を武力で転覆させたイラク戦争だが、これを安全保障理事会の議論で解決するというのが学者の感覚なのだとすれば、その道の学者にとっては安保理は凄い存在なんだろう。

(ウクライナにおける、ゼレンスキーの)戦争指導は戦況も踏まえることが必要であるべきであり、一般市民の犠牲を当然のこととして単純に最後まで戦うというのは間違っているのでやめるべきである。

ウクライナ情勢に関し、日本の政治家や専門家はまったく信用できない(、と橋下徹は思う。)

ゼレンスキー大統領「人の命を何よりも大切に…我々は戻ります」、リシチャンシクから撤退、との報道があるが、兵士の命を大切にすること以上に、一般市民の命を大切にすることが民主国家(ウクライナは入っている?)の戦争指導であるべきである。

戦う一択の考えのリスク。

マリウポリの製鉄所、状況は「危機的」、指揮官が第三国による救出要請

ゼレンスキー大統領やアメリカ議会は、9・11テロや今回のロシアの暴挙と同列に日本の真珠湾攻撃を並べているが、日本の完全自衛戦争を主張している人たちはここで声を上げないと国内だけで勇ましいことを言っていることになる。

民主国家の政治・戦争指導部は、国民の風潮に左右され、戦時はどうしても戦え一択になりやすいし、戦死が美化され、自分(誰?)が現実に死の恐怖に晒されるまで退避(どんな?)を考えにくい(と橋下徹は思い)、戦え一択(誰が言ってるのか?)ではなく軍事的合理性を(誰が?)持つべきである。

戦う一択ではない。

一滴も血を流さない者が、祖国のために、国際秩序維持のために、将来の虐殺の恐れを防ぐために、人間の尊厳のために、とにかく戦うべきだ!というのは戦争、死の恐怖・悲惨さを知らない平和ボケ論であり、このような救出要請に至らないように一般市民の犠牲を防ぐことを第一とする戦争指導を(ゼレンスキーは)徹底すべきだ。

現在の日本は反撃能力や集団的自衛権ばかりを論じているが、日本の国防の欠陥は一般国民の避難方法が全く定まっていないことである(と橋下徹は思う)。

現代の成熟した民主国家における戦争指導の第一は究極の災害対応として一般国民を安全な場所に早急に退避させることであり、それが中世や先の大戦の時代とは異なる点である(と橋下徹は思う)。

威勢のいい人たちに限って自分は血を流しません

(ゼレンスキーは?)避難路の専守防衛でロシアと交渉すべきである。

東京・大阪、その他都市の大空襲も原爆投下もおぞましいが、もちろん日米は和解して将来に向かって歩んでいるし、日本はアメリカを頼っているから、過去を持ち出すのはよくないけどね(と橋下徹は思う)。

細谷さんは国際社会全体の秩序に軸足を置いて、僕は戦地の非戦闘員の状況に軸足を置いて思考する違いであり、どちらが絶対的な正解というわけではないでしょうから、お互いに発信していくべきである。

普段、やばいときには逃げることを考えている人は、いざというときに他人を逃すために自らの命を犠牲にします。

(ゼレンスキーは)戦う一択の安保議論・戦争指導は駄目であり、やめるべきである。

困ったことに日本の政治家とその取り巻き学者や一部ネット発言者たちは、戦争が始まると精神論だけで、(ウクライナ戦争を)どう終わらせるかの合理的な判断ができない。

ウクライナ出身の政治学者アンドリー氏、橋下氏との討論振り返り「誤解のないように言っときますけど…」と報道されているが、グレンコ・アンドリー氏の苦しい心境は(橋本徹は)理解できるが、ゆえに戦争が始まった後に最も重要なのは、感情抜きの冷厳な戦況・見通し分析であり、グレンコ・アンドリーもそのようにすべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにたぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

(一般に? ウクライナでは?)戦闘は、国民の命を守るために、軍事的合理性を基礎に行うべきであり、(ゼレンスキーのような)精神論だけでは一般市民の犠牲が拡大するだけであるので、それはやめるべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は現況を解説し、国際秩序が重要!プーチンは許してはならない!と感情を爆発させるばかりである。

”市民か戦力か”「ウクライナは非常に厳しいジレンマに」東部の戦況は…専門家に聞く、との報道があるが、日本の有事の際には、市民を第一に考える戦争指導であるべきであり、そのためには日本国民が平時から常に市民第一の声を発し続けておかなければならない。

やっぱり本の中だけの学者の思考は、生身の人間というものを度外視している。

(一般に? ウクライナでは?)戦闘は軍事的合理性の中で徹底的に行うべきである。

全員逃げられないから退避指導は無理というなら今の日本の災害対策・計画は成り立ちませんよ(と橋下徹は思う)。

有事におけるゼレンスキー大統領の判断も大変だったろうし、何よりも戦闘員には(橋下徹は)敬意を表するが、しかし日本が同じ状況でどうすべきかは今しっかり(日本人が?)考えておかなければならない国防論の最重要テーマであるべきである。

チャーチルは自らの責任で戦い、チェンバレンは自らの責任で宥和し、結果について自らが全責任を負ったが、これが政治家というもので、だからチェンバレンはいまだに批判されている。

(一般的に? ウクライナにおいて?)非戦闘員を含む全市民による抵抗の呼び掛けが適切なのか、非戦闘員の避難はどうあるべきか、総動員令や男性の国外退避禁止は適切なのか、局所的に戦闘を終了させることで一般市民を救うことができる場合にどのタイミングで戦闘を終了させるのか、(一般に? ウクライナの?)戦争指導のあり方に関して、(誰が?)多くのことを議論すべきである。

(日本の、橋下徹と比べて圧倒的に頭の悪い政治家や専門家は、)戦争が終結するまでは自分たちの命を守るために敵軍を叩き潰すしかない、しかし終結は政治的妥結で実現するしかないという(橋下徹の圧倒的に素晴らしい)論理が分からない。

もちろんロシアの暴挙は許されないが(ゼレンスキー、ウクライナの)政治全般の失態は明らかであり、日本の政治でこのようなことを起こしては絶対にならない(と橋下徹は思う)。

自分は命をかけず、敗戦についての責任も負わないことを評価するとはいかにも学者らしい。

(ゼレンスキーは)一般市民を犠牲にして継戦したり、一般市民を置き去りにして撤退したりと軍中心の行動になってしまうことを避けるべきである。

西側諸国、国連や赤十字組織を使って大規模避難支援をするのも政治オプションです。

過去の歴史を引き合いに、ロシアの蛮行の恐れを防ぐためには戦うしかないという主張も(橋下徹は)理解できるが、しかしそれは戦地で命をかけて戦っている戦士の言い分である(べきであり)、命が保証されている日本人が言うことではない。

特に命の安全が保障されている学者は、いざ戦争が始まってしまうと、論理的な思考ができなくなる典型である。

(ウクライナの)国家指導者・政治家は圧勝できる喧嘩しかするべきではない。

西側諸国特にアメリカは、これまで人道上の理由で国連安保理の決議なく戦争をやってきた。

ウクライナを救うために西側諸国がロシアと妥結しても我々西側諸国の生活が今のウクライナみたいにはならないでしょうというのはリスク評価であるが、ただしジョージアが狙われるので、そのときに西側諸国が戦わないなら妥結も必要でしょう。

ゼレンスキー英議会演説の肝は「飛行禁止区域設定」の訴えであり、悲惨な多くの死を生み、目の前に死が迫っている者たちの切実な訴えである。

(ウクライナの)今は確実に勝てないというなら、政治家たちは恥をかき、国民から非難を受けながらも、ひとまず戦争を回避すべきである。

SWIFT排除でロシアは中国CIPSが頼り…中国はしたたかに「欧米と両天秤」で一枚上手?との報道があるが、ロシア瓦解の見通しも言えない戦地外の者が、プーチンを許すな!国際秩序を揺るがすな!プーチンに譲歩するな!と言うのは無責任である。

祖国を守る戦いは尊いが、しかし我々西側諸国がロシアと政治的妥結をして戦争を止めることができるならどちらがいいですか?ということに関して、ナザレンコ・アンドリーは、後者が良いと思うべきである。

学者は、単に演説の表現・修辞だけを高評価して、実際はウクライナだけに犠牲を負わしていることに気づかないか自分たちの真の責任から逃げる、という芸当をする。

リシチャンスク住民に即時避難呼びかけ、ロシア砲撃で壊滅的被害

ロシア軍”大量虐殺”情報との報道に関し、一般国民の被害は悲惨…結局、生き残るのは政治家や戦争指導者(であると橋下徹は思う)。

ウクライナ脱出、国境では「障害あっても男は残れ」、…耳が不自由で爆発の近さもわからず、との報道があるが、日本においては戦わない自由、退避する自由は絶対に保障すべきであるが、今の日本の国会議員に憲法上の緊急事態条項を渡すと、この自由を制限する恐れがあるので、そうすべきではない。

支援とは相手が真に必要なものを供与することであるが、今西側がウクライナにやっていることは、ウクライナが真に求めるものは拒否し、西側がロシアと戦争にならない範囲でやっているだけであり、これは自己満足であるが、この学者はこれに気付かない。

今の戦況、国際情勢を基に、真に戦いたい人には戦ってもらい敬意を表し、でも逃げたい人にはナザレンコさんと同じ生活を与えるべきであり、そのためには戦う一択ではダメなのであり、逃げてもいいんだよという強烈なメッセージを出すべきである。

「真珠湾攻撃」「同時多発テロ」思い出して…ゼレンスキー大統領が米議会で演説、と報道されているが、今回の戦争について安全保障の枠組の政治の問題ととらえずに、ウクライナはとことん戦うべきと戦う一択を主張していた人たちの多くは、日本の先の大戦について完全自衛戦争を主張している。

選挙のためだけではなく、戦争時、常に国民の意思を把握するために、日本において電子投票システムインフラを整備する必要があり、これがなければ日本の政治家は停戦協議をまとめることなどできないでしょう(と橋下徹は思う)。

この手の学者の共通点は、ウクライナ・ロシア戦争の戦況をゲーム画面を観る感覚で見ていることである。

ロシアのウクライナ侵攻で、本来は、この(ロシアとの?)交渉はバイデン大統領が前面に出てやるべき話である。

日本においてすら一般市民は逃げるべきだと(ロシア)侵攻前(?)に主張した僕に対し、専門家たちもピーチクパーチク(文句・批判を)言ってきた(と橋下徹は思う)。

アメリカは最強の国であり、NATOは核保有国の英仏を抱え30ヵ国による完全なる集団的安全保障を行っているが、日本は核も持たずアメリカ頼みで集団的自衛権も不十分であるので、勇ましいことばかり言っていてはいつ均衡が崩れるやもしれず、軍事力の均衡、メンツの均衡を保つためにも(誰との?)対話のパイプは絶対に必要である(べきである)。

ひとたび戦争になってしまうと、戦争指導者層の感覚と、悲惨な戦地で死に逃げ惑う非戦闘員の感覚がいかにずれるかがよく分かる。

「ロシアと事を構えるつもりない」と米国務長官と言い、ウクライナ要求「飛行禁止空域を」を拒否したが、それであれば、ウクライナの負担ができる限り少なくなるように(アメリカは)ロシアと協議・妥結すべきである。

NATOとロシア・中国で協議し、大政治をやって妥結するべきである。

NATOとロシア・中国で協議し、大政治をやって妥結するべきである。

この国際政治学の専門家は、映画の見過ぎか本の読み過ぎであり、学者の陥る結果を見てからの政治評価の典型である。

(ウクライナ戦争は、)ロシアを倒すためか、追っ払うためか、非戦闘を逃すためか、経済制裁でロシアが瓦解するまで時間を稼ぐためなのか、冷厳な判断を行うべきである。

日本でも西側諸国でも、政治家や専門家は、現況を解説し、国際秩序が重要!プーチンは許してはならない!と感情を爆発させるばかりである。

中国が日米欧の対ロ制裁に”違法”と反発「ロシアと貿易進める」、と報道にあるが、経済制裁によるロシアのダメージの見通し、戦況の見通しの分析をゼレンスキー大統領に(誰が?)しっかり伝えるべきであり、それ抜きに長期戦だ、国際秩序を守る戦いだと言ってウクライナに戦に戦わせ続けるのは(誰が?)無責任である。

チャーチル的な戦時演説が学者によく評価されるのは勝利したからであり、負けていたらどんな評価になっていたか分からない。

西側はロシアとは戦えないがゆえにウクライナに戦わせているが、チェンバレンよりもはるかに愚であり、自分が戦えないなら(ロシアとの)政治的な妥結を探るべきである。

ロシア史研究者14人が「日中印で停戦仲介を」と訴え、駐日ロシア大使とも面談、と報道にあるが、しかし学者の政治感覚のなさは酷すぎるな(と橋下徹は思い)、日印が停戦のキーマンになれるわけがないやろ(と橋下徹は思う)。

衆院、ロシア非難決議を採択、即時の攻撃停止と撤収要求、と報道にあるが、ロシア非難決議と同時にNATO・アメリカ大統領とプーチンが協議することを促す決議も必要であり、ロシアの経済崩壊・民衆による政権転覆・軍事クーデターまでにウクライナ人がどれだけ死ぬのか。

ウクライナ戦争では、あとは国民投票がきちんとできるかどうかが重要である。

米大統領バイデンは、原理原則・道徳・正義を吐き続ける学者みたいな政治をやっているが、それでどうするのか、極悪非道人(ロシア、プーチン?)とも手打ちをするのが政治であり、バイデンは極悪非道人ロシア・プーチンとの手打ちをするべきである。

国際社会の冷たさと戦況の厳しさを踏まえゼレンスキー大統領と与党はウクライナの安全を確保するためにNATOとロシアでヨーロッパの安全保障の在り方を0から作ってくれと繰り返し訴えるようになったが、これらをすっ飛ばして演劇観賞しているようにゼレンスキー大統領の演説の感傷に浸る、この手の学者連中は大丈夫か?

国際秩序を守るのは日本の役割ではなく、国際社会の役割である(べきである)。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

プーチンの暴挙は許されないが、しかし西側の視点でプーチンを一方的に非難しても、政治的に反論されるだけであり、政治的に追い込むなら、こちら(アメリカ側)の弱点についてもきちんと対応しておくべきであり、それが政治である。

日本の歴史では戦犯で処刑された者以外、多くの戦争指導幹部が生き残った(と橋下徹は思う)。

【アメリカ】【西側諸国】中国に対しては、ウクライナの子供や若者を犠牲にしなくても、日米・西側諸国でしっかりと対応するべきである。

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちが、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視するだろう。

米大統領は、ロシアと戦争をすることはできないし、最後はウクライナの安全を保障するために、ロシアは協議せざるを得ず、そうするべきである。

太平洋戦争時の戦争指導者たちの戦略も愚かの極みであり、よくあんなもんを作ったわ(と橋下徹は思い)、それでいて参謀たちは戦後も生き延びており、それを知れば(橋下徹は)靖國神社で戦争指導者に手を合わすことなどできないね。

米、ウクライナに長距離砲供与へ、射程は70キロに制限か、との報道があるが、反撃能力を必要最小限に絞ることは不合理だし、ましてや他国に委ねることも不合理であり、日本はしっかりと反撃能力を持ち、ただしその使い方において自国の一般国民を犠牲にしないという憲法の精神を徹底すべきである。

専門家の誰もプーチンの真の要求を知るわけがない。

米大統領や西側は、懐柔策が嫌なら本気の制裁を行うべきであり、中途半端な制裁ほど意味のないものはなく、やった感を出すだけである。

そもそも、激戦・前戦地で死に晒されているウクライナの子供・若者に対して、「中国に侵略の代償を分からせて台湾や尖閣諸島に手を出せないようするために死んでくれ」と言うような抽象論を振りかざすと、このような非常識・非人道的なことに(誰が?)気付かなくなってしまう(と橋下徹は思う)。

(沖縄においては、)有事の際の市民退避、安全地帯の設置、市民防護第一の国防方針をしっかりと確立した上で、基地について沖縄県民の理解を得ていくことが政治的に重要であるべきであり、これまでの日本の安全保障論で欠けていた点です(と橋下徹は思う)。

現に今は逃げることやウクライナの安全保障の在り方も戦争指導の主要なテーマに上がっている。

アメリカは、ここで引くくらいなら、ロシアとヨーロッパの安全保障について相互譲歩を入れた政治的妥結をするべきであり、それが政治である。

他のいくつかの国がやっているようにNATOへの(ウクライナの)加盟を明確に(誰が?)否定していれば(ウクライナの?)今の状況を避けられた可能性もある(と橋下徹は思う)。

日本は島国なので、反撃能力と同時に避難力を高める必要があり、安全地帯設定に関する国際社会の関与ルールも必要である。

国外脱出をしたくても拘束される。

ロシアを潰すために、自分たちは血を流さずウクライナだけに血を流させる(アメリカの?)戦略は、学者に受けても政治がやるべきことではない。

ウクライナ大統領・きょう国会演説、岸田首相G7首脳会議へ出発と報道にあるが、ゼレンスキー大統領の言葉に感動した!とまるで演劇鑑賞をするかの感覚で拍手喝采に終わるのではと(橋下徹は)心配であり、そういう専門家も多い(と橋下徹は思っている)。

西側諸国の政治家と国民はそれ(NATOとロシア、核五大国で政治的妥結をはかること)に向かうようなうねりを起こすべきである。

(ウクライナにおいては、)今の時代にあっても政治家が生き残って、兵士や一般市民が犠牲になる(ゼレンスキーの)戦争指導が行われている。

(米国も西側も、)自分が戦えないなら(ロシアと)政治的な妥結を探るべきである。

NATOは軍事介入せず、中国はロシアを経済的に支援することを表明している。

NATOとロシア・中国で協議し、大政治をやって妥結するべきである。

戦争終結の政治的妥結においてはこの乖離を埋めることが最重要ポイントだ。

単なる反戦の声は意味がなく、政治運動にはゴールに向かうための戦略が必要である。

ロシアが瓦解するまで国外にいったん逃げる方法もある、ウクライナが西側諸国の身代わりになる必要はないという俺(橋下徹)の持論は、政治実務論、戦略論の範囲である。

西側諸国の政治家と国民はそれ(NATOとロシア、核五大国で政治的妥結をはかること)に向かうようなうねりを起こすべきである。

崇高な理念で戦う者もいれば生きたいと願う一般市民もいる。

プーチンの暴挙は許されないし、ウクライナの壮絶な歴史の理解も必要だが、独ソ戦の悲惨さの理解もすべきである。

トランプ前大統領が選挙で負けた際、米軍トップが中国軍トップに極秘に連絡をしていた。

プーチンのNATOに対する要求とウクライナの犠牲をテーブルにあげて妥結が無理かどうかを専門家だけでなく、西側諸国民で考えるべきである。

戦闘目的が一般市民を守るということから離れ、自由・民主を守るという抽象的なものになるほど、一般市民の犠牲やむなし論になる。

西側とロシアが政治的妥結を図るべきである。

(ウクライナの)全員が逃げられないから退避の指導はすべきでなかった、と言うのは上念さんらしくない(と橋下徹は思う)。

NATOとロシア・中国の協議・妥結を(誰が?)促すことは最重要である。

合意文書の存在など法廷での法律家の話で戦争になれば大して意味がない。

政治家は、相互に要求を出して、どこまで妥結できるのかギリギリの協議をすべきである。

NATOはロシアの要求を突っぱね、ポーランド・ルーマニアにもミサイルを配備した。

NATOとロシア・中国で協議をし、大政治をやって妥結するべきである。

ロシアに法的正当性がないことは間違いないが、戦争になっていることは事実でこれを解決するのが政治である。

確かにプーチンの暴挙は許せないが、しかしそうであれば我々自らプーチンを倒すか、経済制裁でが瓦解させなければならない。

ロシアは、ウクライナの中立化と領土実効支配の拡張を獲得(するだろうが、)犠牲は軍人のみで国土の破壊もなく、国力は衰退するものの西側諸国以外との連携で耐え忍ぶことができるだろう(と橋下徹は思う)。

ナザレンコさんは、今回実際に義勇兵に志願した人たちの顔つきや雰囲気を見ておくべきである。

ロシアは侵略者だが戦争を解決するのが政治である。

(ウクライナ人の)住民避難は大事である(べきである)。

非加盟・EU加盟=フィンランド・スウェーデン方式の政治的妥結ができていればよかったのである(と橋下徹は思う)。

ロシア軍、首都キエフなど4都市で”人道回廊”実施を発表、と報道があり、ウクライナ側から正式発表がなく、ロシア側からの発表なので信用ならんが、国際社会は、ウクライナを支えるとあれだけ言っているのだから、人道回廊実施のところで強力な関与はできないのか、すべきである。

国際法も大事だが、人間としてもっと大切なものがある。

ロシアはキエフ総攻撃を回避すべきである。

今回のブチャの件でロシアが、被害者人数が違う!プロパガンダだ!と偉そうに言ってきたら、人数の違いを言う前に言うことがあるやろ!言い方があるやろ!とならない?(と橋下徹は思い、)南京で日本軍による一般市民の殺害があったのは事実であり、ブチャのようだったらおぞましい(と橋下徹は思う)。

ウクライナはロシアの再侵攻を恐れるが、それを取り除くのは国連憲章51条を活用したウクライナの安全保証であるべきであり、西側諸国が出るべきである。

今のロシアを止めるには力づくでロシアを倒すか、ロシアが瓦解するか、政治的妥結で戦争を終了するしかない。

(この戦争においては、)ウクライナだけに負担を負わすべきではない。

ウクライナの中立化の話しは戦争前にNATOとロシアが政治的に妥結しておくべき話だし、それは十分にできた(と橋下徹は思う)。

ロシアが次に暴挙に出るなら、NATO加盟国でなくとも国連憲章51条に基づいて集団的自衛権を行使することも(国連は)しっかり宣言するべきである。

法が力を発揮するに執行力が必要ということである。

ロシアとウクライナの交渉は、2国間のところから欧州全体の安全保障の枠組みに引き上げるべきである。

プーチン大統領、戦争終結へ妥協の用意ないもよう=米高官、との報道があるが、ゼレンスキー大統領が妥結を覚悟したのだから、次はNATOも妥結を覚悟すべきである。

人道回廊設置・市民救出に関する軍事力の行使にこそ、日本で培った専守防衛の論が役に立つ(と橋下徹は思い)、これは敵を倒すためではなくあくまでも火の粉を振り払うためだけの軍事力の行使であるべきである。

同じ過ちを繰り返さないようにするのが政治家の仕事だ。

西側が多少負担・譲歩してでも、ウクライナの安全を保証しヨーロッパの安全を保障する枠組みについてロシアと政治的妥結を目指すべきであるとういことは、ウクライナ一般市民の被害を考慮した上での複数選択肢の一つとして、完全否定されるべきではない。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」との報道があるが、これがロシア侵攻前直前のNATOとロシアの協議内容であり、NATOの将来の東方拡大が大争点であった。

「裏切り者」と責められて…日本に避難したウクライナ人家族の苦悩、と報道にあるが、いざ戦争になると逃げることが悪のようになってしまうが、そうならないように、逃げることも自由であるとの政治土壌をこれからの日本で作っていくべきであり、戦う一択であるべきではない。

単なる反戦の声は意味がない。

政治家と一般市民の交換も有力な(ウクライナとロシアの?)交渉材料であるべきである。

セルビアでウクライナ侵攻支持集会があり「ロシア人は永遠の同志」と唱えられたが、この声はセルビア内で一部だと思うものの、NATOは自らへの脅威と人道上の理由で1999年セルビアを空爆しコソボを独立させ、民間施設も空爆され民間人死傷者多数が出、セルビアとロシアは反対した。

ウクライナに長射程砲提供へ=装甲車両、訓練支援強化―多国間会合、と報道されているが、(誰が?)なに呑気な学者的な小田原評定をやってるんだ?誰も政治決断ができないのか?国際秩序維持の視点でロシアをやっつけるなら世界大戦覚悟でやるしかないだろ?(と橋下徹は思い、)それが無理というなら(誰の?)政治的妥結しかない(と橋下徹は思う)。

とにかくあらゆるオプションを考えるのが政治である。

とにかくアメリカとロシアが協議すべきであり、そこで条件闘争の中身が明らかになれば、どこで折り合いをつけるべきか見えてくる可能性がある。

ロシア国連大使が”核戦力”の特別警戒態勢めぐり欧米側を批判したが、ロシアが国家崩壊するまで待ってウクライナの犠牲を拡大し、核兵器をめぐってチキンレースをするのか、と橋下徹は危惧する。

仏大統領、「最悪」を予想、プーチン氏と電話会談という報道があるが、ウクライナの獲得目標は何なんだ?それはどうすれば達成できる?ウクライナの戦いの継続が必要と言う者はこれらに答えるべきであり、その答えがないままの戦いは太平洋戦争時の日本と同じである。

威勢のいい人たちに限って自分は血を流しません。

国際秩序維持は言葉による概念ですから、その範囲で政治的妥結を探るべきであり、ウクライナが必死に抵抗している間にそうすべきである。

国籍超え「戦争反対」訴え、渋谷、新宿で抗議活動という報道があるが、各民主国家からプーチンに向かって何か言っても無意味である。

経済制裁が効かず、NATOも西側諸国も参戦してくれない中で、戦い続けるかどうかは国民の判断である(べきである)。

戦争が始まれば毎秒単位で戦うか、逃げるかの究極の判断が迫られます。

ロシアが経済的に破綻し、民衆・軍事クーデターが起きるほどの圧力をかけつつ、最後は政治的妥結を目指すべきである。

北朝鮮のミサイル発射には遺憾の意だけ、中国のミサイルや北方領土のロシアミサイルには何も言わない日本では大国の安全保障観は理解しにくい。

ウクライナだけに抵抗させるのではなく、NATO・中国がロシアと折り合いを付けることも重要な選択肢である(べきである)。

あんたらみたいに戦争を安全地帯から精神論で語ると救える者も救えない。

ロシアは侵略者、それを前提に解決を探るのが政治である(べきである)。

旧ソ「ミグ29」のウクライナ提供が難航、米国がポーランド提案拒否という報道があるが、アメリカもポーランドも結局自分が責任を負うことから逃げ、西側はロシアとは戦えないがゆえにウクライナに戦わせているが、これはチェンバレンよりもはるかに愚である。

ウクライナとロシアだけでなく西側諸国、特にアメリカも加わって、ヨーロッパの安全保障の枠組みについて大政治をするべきであり、ウクライナ一般市民の犠牲が増え続けるだけである(と橋下徹は思う)。

あんたらの祖国防衛、国際秩序維持をはじめとするリアリティなき話は本当に勉強になる。

喧嘩にはいったん逃げて状況が変わるまで待つ方法もあるのに、喧嘩をしたこともない者が逃げるなと言い、こういう政治家には従うべきではない。

”中国の軍事拠点化”懸念で米がソロモン諸島に”警告”との報道があるが、アメリカもソロモンの中国化を恐れ警告と圧力をかけており、戦争前ロシアもウクライナの西側化を恐れて警告と圧力をかけ、両者における安全保障上のつば迫り合いは同じであり、いずれも戦争にならぬよう政治的妥結が必要な案件であるが、ロシアの軍事力行使はアウトである。

ブチャの虐殺行為のようなことを日本軍がやったなら非難されるのは当たり前だと(橋下徹は)思うが、ただし被害者人数に間違いがあるなら、日本側はしっかり主張すべきだと思うけど言い方があるべきであり、一般市民への虐殺行為はとんでもない過ちでしたが、ただ被害者人数のところは違います、と言うべきである。

戦況が苦しい場合には戦う一択が非戦闘員の犠牲を拡大することが多い。

いずれプーチンも死に、現代は他国で暮らすのも普通であるので、今の状況で戦って命を落とす一択の風潮を作るのは間違っている(べきである)。

(アメリカや西側諸国は)中途半端な武器の供与でウクライナを犠牲にして西側の安全を確保するのは卑怯である(と橋下徹は思う)。

ウクライナはロシアの再侵攻を恐れるが、それを取り除くのは国連憲章51条を活用したウクライナの安全保証であるべきであり、西側諸国が出るべきである。

戦争は究極の災害である。

ウクライナ(ゼレンスキー)は、(ウクライナ国民)4000万人の避難は無理だと諦めるべきではない。

バイデン・NATO政治、欧米のこの感覚(覚悟もないのに脅しを使うこと、口だけ、学級委員政治)は元政治家の(橋下徹の)感覚では理解不能である。

もちろんロシアの暴挙は許されないが(ゼレンスキー、ウクライナの)政治全般の失態は明らかであり、日本の政治でこのようなことを起こしては絶対にならない(と橋下徹は思う)。

本来は両者ともに合理性の判断が必要なのに、防衛力強化のところで、憲法9条改正論者は護憲論者にお花畑!と批判し、現実の戦争というものを考えろ!と言うが、ところがいざ戦争が始まると改正論者は戦え!一択になってしまう。

プーチン政権を倒すまで戦え!と言えるのは戦地で戦っている者だけである(べきである)。

ナザレンコ・アンドリー氏の言い方なら、逆に最後まで戦って市民全員が道連れになった責任はどうとるんだという不毛な議論にもなるので、こういう議論は無意味である(と橋下徹は思う)。

(西側の?/日本の? 市民は?/市民運動は?)NATOとロシアで協議しろ!住民避難に力を入れろ!ゼレンスキー大統領にその点を伝えて欲しいという声を強烈に上げて自分たちの政治家を動かすべきである。

戦争後において憲法9条改正論者も戦う意志さえあれば全て正しいというソフト一択である。

(ウクライナ戦争は、)結局ヨーロッパの安全保障の話であり、戦闘での勝ち負けではなく(誰と誰の?)政治的妥結がカギである(べきである)。

一般市民の犠牲回避を重視する戦争指導が必要であると橋下徹は思うが、ここがナザレンコ・アンドリーとの違いである。

ジョージアやフィンランドはロシアに狙われるかもしれないが、これはウクライナがロシアを倒さない限り、NATOが(ロシアと)結局協議しなければならない事項であり、それなら今、NATOはロシアと協議するべきである。

憲法9条改正論者が護憲論者にお花畑だ!と批判していたことは、戦争後において改正論者にも当てはまる。

ウクライナと連帯する!という言葉は不要であり言うべきではなく、具体的に何をするか(が重要)だ。

あなた(ナザレンコ・アンドリー)も雑誌に意見を出す存在なので批判対象にさせてもらうが、あなたがもし今北海道を楽しむなら、それは外出自粛要請中にクラブに通った国会議員の比にならないくらい批判される行動だと(橋下徹は)思い、あなたがいくら立派なことを主張しても全く説得力がなくなると(橋下徹は)思う。

NATOとロシア・中国で協議し、大政治をやって妥結するべきである。

いつの時代も政治家やその取り巻きの専門家たちは、自らの命の安全が保証された所から正義と建前論を吐き続け、政治的妥結を拒み、その間非戦闘員の命が奪われていく。

今回(ウクライナ戦争)はヨーロッパの安全保障に関する政治紛争なのだから(誰の?)政治的妥結で解決するものである(べきである)。

相手を叩き潰す覚悟があるときにのみ罵倒は迫力を伴ない、その後一転協議となれば、相手もホッとし罵倒を水に流すこともでき、これはトランプ・金正恩のようなやり方である。

NATO、中国、ロシアの政治的妥結が必要である。

(戦争指導者や政治家が)市民の犠牲で自分たちの政治的信念を貫くのは最悪である。

(一般に?)戦争指導においては、紛争の原因を把握し、解決策を複数模索する思考が必要である。

「ウクライナが市民を標的に」ロシア国内への攻撃、との報道があるが、ロシアがウクライナ市民を攻撃している以上、ウクライナがロシア市民を攻撃するのは当たり前であり、戦争ではこれが抑止力の要になるという現実がある(と橋下徹は思う)。

橋下徹のロシアの侵攻の私見では、西側諸国とロシアで政治的な妥結というところでウクライナを助けるべきである。

(戦争が)レッドラインに達すれば次は戦争終結に向けて妥結を探るプロセスが始まるが、これは戦争後の話である。

(ウクライナ戦争は、)ヨーロッパ全体の安全保障の枠組みの政治的妥結の話である(べきである)。

製鉄所から兵士ら退避開始、マリウポリ、事実上投降か、との報道があるが、(ウクライナ政府の?)指導部の判断の早遅によって兵士や市民の命が左右される(と橋下徹は思う)。

(西側諸国が)ロシアに経済圧力をかけつつ、NATOとロシアが協議すべきである。

ゼレンスキー大統領も国民投票が必要だと言い始めている。

(誰の?)逃げる自由、戦わない自由、出国の自由、一部地域を犠牲にしてはいけない戦争指導制約などなどがあるべきである。

ゼレンスキー大統領やウクライナの戦争指導を(橋下徹は)ウォッチしてきましたが、当初(非難の)強力なメッセージなどはなく、日本でも逃げることは売国の雰囲気でした(と橋下徹は思う)が、今、東部地域で(ウクライナ政府が)避難呼び掛けをしていますが、今では日本でも誰も反対しないので、これを(ゼレンスキーは)当初からやるべきでした。

ウクライナとロシアだけでなく西側諸国、特にアメリカも加わって、ヨーロッパの安全保障の枠組みについて大政治をするべきであり、ウクライナ一般市民の犠牲が増え続けるだけである(と橋下徹は思う)。

(一般に? ロシア・ウクライナ戦争において?)政治的妥結に完璧はない。

ジェノサイドと津波は確かに現象面は違うが、一般国民に対する国家の対応は本質的に同じ(であるべきである)。

ウクライナの安全を保証する政治的妥結を(ウクライナが)絶対にとらないというなら、戦闘でロシアを倒すか、経済制裁でロシアを倒すしかなく、上念さんが言う柔軟な判断ということなら、そこに政治的妥結という方法を入れてもいいのでは?(と橋下徹は思う)。

ウクライナ戦争「アメリカが原因作った説」の真相、との報道があるが、このような考え方もある(と橋下徹はロシアのdisinformation

ウクライナ頑張れ!プーチン倒せ!国際秩序を守れ!と言っている人たちは、このゼレンスキー大統領の悲痛な叫びにどう答えるかと言えば、たぶん答えられず、無視し、とにかく頑張れ!ウクライナとともにある!しか言わないですよ。

軍事力で敵を倒すだけでなく政治的妥結も必要であるべきである。

NATOがウクライナの非加盟・中立化を宣言し、2月の協議内容となっている軍備管理の透明化を進め、ウクライナはミンスク合意の履行に力を尽くしていれば戦争を回避できた可能性は高かった(と橋下徹は思っているので、)軍事侵攻したプーチンが一番悪いが、戦争を回避できなかった(ウクライナ、ゼレンスキーの)政治の責任は重い。

アメリカは最強の国であり、NATOは核保有国の英仏を抱え30ヵ国による完全なる集団的安全保障を行っているが、日本は核も持たずアメリカ頼みで集団的自衛権も不十分であるので、勇ましいことばかり言っていてはいつ均衡が崩れるやもしれず、軍事力の均衡、メンツの均衡を保つためにも(誰との?)対話のパイプは絶対に必要である(べきである)。

喧嘩のひとつでもしていれば戦え一択ではない。

戦時体制の支持率はどのような国でも注意すべきであり、特に自分の命を棄てることまでの同意なのか注意すべきである。

プーチン大統領、戦争終結へ妥協の用意ないもよう=米高官、との報道があるが、ゼレンスキー大統領が妥結を覚悟したのだから、次はNATOも妥結を覚悟すべきである。

問題は中国であり、中国を取り込まない経済制裁でプーチン政権を追い込めるのか疑問であり、西側諸国やアメリカは中国を(ロシアとの協議の中に)取り込むべきである。

ズデーデンを割譲しても各国の防衛力が高ければナチスドイツの侵攻は防ぐことができた。

戦争時の人道回廊こそまずは国際秩序・ルールの絶対原則として確立すべきであり、力による現状変更を禁じる原則よりも、まずは戦争時の人道回廊設置の国際ルールの方が大事であるべきである。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」という報道があるが、侵攻直前のNATOとロシアのこの政治的妥結失敗からウクライナ侵攻へとつながり、つまりウクライナはNATOの主張を維持するために犠牲になっている。

NATOは武力行使はしていないが、西側諸国やアメリカのウクライナへの武器提供やロシアへの経済制裁は脅威だとロシアが口実に使わないかどうか心配なので、西側諸国やアメリカは圧力をかけつつ協議を行うべきである。

戦争の究極の解決方法は政治家が戦地に赴くことであり、政治家は、自分の命が危険に晒されれば、それまでの正義や建前論を後退させ、自分の命を守るために必死になって政治的妥結をはかり停戦協議をまとめるだろう。

たらればの話であっても、ロシア侵攻直前のウクライナの戦争指導の在り方はしっかりと検証するべきである。

セルビアでウクライナ侵攻支持集会が行われ、「ロシア人は永遠の同志」と唱えたが、この声はセルビア内で一部だと思うが、NATOは自らへの脅威と人道上の理由で1999年セルビアを空爆しコソボを独立させ、その際民間施設も空爆され民間人死傷者多数が出、セルビアとロシアは反対した。

(ナザレンコ・アンドリーは)戦地のウクライナ一般市民のことを思って行動するべきであり、そのように(橋下徹は)願っています。

単なる反戦の声は意味がない。

(一般に? ウクライナにおいては?)何よりも戦争が始まらないように防衛力の強化、集団的自衛権の強化が必要であり、防衛力の強化には戦闘員への敬意(靖國問題の解決)も必要であるが、その上でいざ戦闘が始まったときは一般市民の犠牲を防ぐ戦争指導が重要である。

仏独ロが首脳会談を行い、停戦と直接交渉による解決を訴え、マクロン大統領・ショルツ首相が「今回の危機についての解決策は、ウクライナとロシア両国が直接交渉を行うことによってのみもたらされる」と述べたが、自分たちの安全だけは確保し、完全にウクライナを見捨てているのは、酷い。

ウクライナだけが犠牲になる必要はなく、NATO・西側諸国がロシアと政治的妥結をはかるべきである。

現に今は逃げることやウクライナの安全保障の在り方も戦争指導の主要なテーマに上がっている。

戦う一択ではなく、究極の災害対策として逃げる仕組みを(ウクライナは?)徹底して作るべきである。

(橋下徹は)今後ウクライナ軍がロシア軍を敗走させることを願う。

ウクライナの居住用ビルにミサイル攻撃、3人死亡(ロイター)、との報道があるが、当局は生存者の救出作業を開始し、住民に退避命令を出したが、(ウクライナ)戦争では非戦闘員の退避が最重要であり、命より大切なものがある、全市民によって抵抗すべきという(日本の?)社会風潮は退避を遅らせるので、(ゼレンスキーは)すべきではない。

逃げて状況が変わるまで待つ選択もしっかり考えるのが政治である(べきである)。

ロシアに対する非難決議もできない安保理が中露相手に何ができるかと言えば、何もできず、ここは政治家の感覚で解決策を模索すべきである。

東部地域でのウクライナ軍の現在の健闘は一般市民の避難がしっかりできていることも要因の一つである(と橋下徹は思う)。

ゼレンスキー氏、男性の出国求める請願書に「故郷守ろうとしてない」、との報道があるが、それは外国で生活しているウクライナ男性とあまりにも公平を欠き、日本有事の際、日本の政治がこうならないように、ウクライナの戦争指導に関して日本でしっかり思考しておくべきである。

経済制裁はいつから効く?というここを踏まえないと戦略は立てられない。

ウクライナでは、祖国防衛、国際秩序維持の精神が強すぎて、住民避難の体制が脆弱であるが、戦地は必死なのですから、これは戦地のウクライナだけに負担させるのは酷であり、そうすべきではない。

(ウクライナ軍は)現在東部地域では一般市民を避難させながらロシアの侵略を止めてさらに優勢になっている模様であるが、(橋下徹は)戦闘員に敬意です。

マリウポリ製鉄所からウクライナ兵退避開始、捕虜交換へ、という報道があるが、軍事的合理性がなくなれば兵士であっても退避すべきであるが、(ウクライナ)戦争では死ぬまで戦えの一択になりやすいので、退避の決断は(ゼレンスキーら)戦争指導部の最重要の責任であり、一般市民ならなおさら退避すべきであり、退避に対して(橋下徹は)心から敬意を表する。

池田(信夫)のバカは戦争で数万人が死ぬ方がましだ、と書いた。

微妙な緊張感でバランスを取るのが政治である(べきである)。

ウクライナの戦闘員には(橋下徹は)敬意を表する。

マリウポリ民間人ら救出へ、ウクライナ、ロシアに現地交渉提案、と報道されているが、兵士は別として、死ぬリスクのない者は命よりも大切なものがあると安易に言うが、しかし地獄の戦場で死が迫っている者はまずは救出を願うのが戦争の現実であり(と橋下徹は思い)、この点を最大限に考慮した(ウクライナにおけるゼレンスキーの)戦争指導が必要である。

戦争終結の政治的妥結においてはこの乖離を埋めることが最重要ポイントだ。

ナザレンコさんは、ナザレンコさんの周囲で威勢のいいことを言っている人たちの日々の生活ぶりや今後の行動をよく見ておくべきである。

イギリス、スウェーデンとフィンランドに安全保障を提供へ、との報道があるが、1994年ブタペスト覚書に基づいて、この意気込みを2014年ロシアによるクリミア半島奪取時に見せるべきであった。

巻き添えのウクライナ一般市民に関する報道に関して、(橋下徹は)沈痛な思いを抱き、(ゼレンスキー以下の)政治指導者が、本人らで戦うべきであると思う。

戦争後の被害レッドラインを定めるからこそ戦争前の防衛力強化をどこまでやるかの目標が定まる。

(本の中だけの学者の思考は、国際法なんてやってるのに、)いまだに一億総玉砕の思考であり、帝国陸軍エリートと同じ思考であり、びっくりしたわ、だし、こんな作戦に付き合うべきではない。

橋下によれば、NATOは人道目的でセルビアを空爆した。

ウクライナ大統領、中立・非核国の地位を受け入れる用意、ゼレンスキー氏は「安全の保証と我が国の中立、非核の地位。我々はこれを受け入れる用意がある。これが最も重要な点だ」と述べた、との報道があり、ゼレンスキー氏はさらに「私の記憶する限り、これがロシア連邦の原則の第1点だった。彼らはこれを理由に戦争を始めた」と語った、との報道があるが、今回の戦争はウクライナの自由・民主・独立・尊厳を守る戦争というより、ヨーロッパの安全保障のについての政治的紛争である(と橋下徹は思う)ゆえに解決策は戦闘ではなく政治的妥結であるべきである(と橋下徹は思う)。

本気の制裁ができないなら、懐柔策を講じるしかない。

終始、政治の知恵で解決すべきである。

NATOとロシアがウクライナの安全保障を含めたヨーロッパの新枠組みについて政治的妥結をしなければ戦争が長期化する(と橋下徹は思う)。

ウクライナがNATOに加盟できないなら、国連憲章51条の集団的自衛権をの枠組みを(ゼレンスキーは)活用するしかない。

もしロシアが経済制裁によって瓦解しなければ(ウクライナは)長期戦をやっても泥沼だ。

戦う一択は危険である(べきである)。

ウクライナの中立化の話しは戦争前にNATOとロシアが政治的に妥結しておくべき話だし、それは十分にできた(と橋下徹は思う)。

もちろんロシアの暴挙は許されないが(ゼレンスキー、ウクライナの)政治全般の失態は明らかであり、日本の政治でこのようなことを起こしては絶対にならない(と橋下徹は思う)。

(ウクライナの若者は、)むしろ他国で暮らした方がプラスになる場合もある。

ゼレンスキー大統領演説の文芸的な評価は結果が出てからの話であり、今はゼレンスキー大統領が真に求めているものは何かを見定め、我々はそれに応えるのか、応えないかを、戦地の悲惨な状況を想像しながら判断する段階である(べきである)。

米、露要求に文書で回答、国務長官、対話か侵攻か「準備はできている」という報道があるが、侵攻直前のNATOとロシアのこの政治的妥結失敗からウクライナ侵攻へとつながり、つまりウクライナはNATOの主張を維持するために犠牲になっている。

NATO・西側諸国は(ウクライナ戦争に対する)責任を感じるべきである。

(西側では、)みんな毎日幸せに暮らしており、いいものを食べて、いいところに行き、家族と団欒して、ぬくぬくの布団で寝ており、ウクライナが頑張ってプーチンを撥ねつけてくれれば、我々はこのような生活を安心して送り続けることができるが、これを学者たちは国際秩序・正義という言葉で表現し、1ミリたりとも譲歩するなと言うが、それと比べて戦地のウクライナ人はどうですか?

ロシアに対する非難決議もできない安保理が中露相手に何ができる?と(我々は)疑問に思うべきであり、ここは政治家の感覚で解決策を模索すべきである。

橋下によれば、ウクライナで生物化学兵器を使う可能性も取り沙汰されているが、それでもNATOや西側諸国はロシアと協議しないのか?見ているだけなのか?。

ウクライナ国民に対して、(ウクライナ政府による? 国際社会による? 日本人による?、等々?)戦う一択ではダメなんです。

戦地ウクライナの決定は戦地で行われます。

戦争指導者・学者たちに国民の生死すべての決定権を委ねるべきではない。

橋下によれば、ウクライナは過去の歴史からロシアの蛮行を恐れているが、その恐れを払拭するにはウクライナが戦い続けて勝利を収めるか、NATO・西側諸国がウクライナの安全を保証するしかなく、戦闘が続けばウクライナ市民の犠牲が拡大する。

18から60歳男性の国外避難を認めるように、(日本政府は? 国際社会は?)ゼレンスキー大統領に要請すべきである。

(ウクライナ人は)生きていれば、時間は多少かかるが状況が変わる可能性がある。

今の支援は即時的なものとしてやるしかありません。

橋下によれば、NATO・西側諸国がロシアと協議して政治的に妥結するしかない。

ジョージアは、それでも戦争が始まれば(侵略されれば)、NATOが協議につくべきである。

戦争になれば勇ましいことしか言えなくなるのは、太平洋戦争の経験が全く活きていないということである。

国際法、国際政治や安全保障の専門家には(災害対策・対応の)その知見も経験もないのであるから、だからその辺は相互に知見をミックスするべきである。

橋下によれば、戦争を止める強制力のある司法権が国際社会に存在しない以上、文書の存在を持ち出しても意味がなく、ロシアはブタペスト覚書違反だが、それを言えばベラルーシへの経済制裁も同覚書違反と言われ、イランの核合意を壊したアメリカは南オセチア、ウクライナ東部の独立を西側諸国は認めない。

ウクライナ一般市民の犠牲は現実のものであり(と橋下徹は思い)、そもそも日本の政策への影響を気にしてウクライナ一般市民の犠牲は已むなしという判断は、専門家の専門判断ではなく人間の政治判断である(べきである)。

戦争は辛いですね。

いざ戦争が始まれば、戦争指導は戦闘員の視点だけではなく、悲惨な状況の非戦闘員の視点も持たなければならない。

橋下によれば、もちろんモルドバ、ジョージアはロシアに狙われるでしょうが、NATOに入れるか、ロシアを瓦解させない限りロシアの侵攻リスクはずっとついて回り、やはり協議が必要になってくる。

NATO巡りトルコ、望むもの得た、との報道があるが、結局NATOはトルコにお土産を渡して目標を達成したのであり、これが政治であるべきである。

俺(橋本徹)はウクライナに無条件降伏をしろとは言っていない。

自らの意思で戦闘している者には敬意を表するが、一般市民の犠牲拡大を考慮する戦争指導が(ウクライナ、ゼレンスキーには)絶対に必要である。

《NATO―ジョージア》

《NATO―日本》

俺(橋本徹)はウクライナに無条件降伏しろなんて言っていない。

(ウクライナ、ゼレンスキーは)国境を越えて逃げた者を拘束し、見せしめのようにホームページに掲載しているが、逃げる自由の保障は絶対的に必要である(べきである)。

プーチン大統領、戦争終結へ妥協の用意ないもよう=米高官、との報道があるが、ゼレンスキー大統領が妥結を覚悟したのだから、次はNATOも妥結を覚悟すべきである。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

死ぬリスクのない者たちは建前論にこだわり勇ましいことを言う。

(ウクライナ、ゼレンスキーが)市民の犠牲で自分たちの政治的信念を貫くのは最悪であり、すべきでない(もうやめるべきである)。

橋下によれば、今のアメリカ・NATOの政治はおかしく、中国をこっちに引き込まないとウクライナの被害が拡大するので、中国に最初から制裁をちらつかせるなんておかしい。

NATOは、アメリカもポーランドも加えてロシアと政治的妥結をするべきである。

戦地では建前論よりまず生きることだという市民も多い。

(戦時において、及びウクライナにおいて、)国民投票がきちんとできるかどうかは重要である。

《NATO―中国》

米ブリンケン国務長官はウクライナへ”戦闘機提供”検討と言ったが、NATOの飛行禁止区域の設定が無理なら、これくらいのことはやるべきであるが、最後はポーランドの決定・責任としたらポーランドは尻込みするので、NATOで決定するべきであるが、それすらできないならロシアとの政治的妥結を探るべきである。

経済制裁でロシアが瓦解する見込みが立っているなら、そこまでウクライナに頑張ってもらうというのも一つの方法だろうが、戦地の現実、これから起こるであろう包囲戦のことを思うと僕(橋本徹)は簡単にそうは言えないと思う。

一般市民は自分の命を捨ててまで何を守ると考えるかと考えた時、自由、民主主義では抽象的過ぎる。

橋下によれば、今のヨーロッパにはNATOという強力な防衛体制があり、プーチンと政治的妥結をしてもプーチンはNATOにはなかなか侵攻できないが、ジョージアやフィンランドは狙われるかもしれず、これはウクライナがロシアを倒さない限り、NATOが結局協議しなければならない事項であり、それなら今、協議するべきである。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

これ(ゼレンスキー大統領が真に求めているものは何かを見定め、我々はそれに応えるのか、応えないかを、戦地の悲惨な状況を想像しながら判断すること)を安全保障理事会の議論で解決するというのが学者の感覚なら、その道の学者にとっては安保理は凄い存在なんだろう。

今の国会議員たちに自分の家族の命の全ては預けられず、命と引き換えになるものをしっかり示してもらってから命を賭けるべきである。

橋下によれば、あれだけ威勢よく我々はウクライナとともにある!祖国と国際秩序を守る戦いだ!と言っていたのに、ゼレンスキー大統領の悲痛な叫びは無視する我々西側諸国は、ロシア人のNATO東方拡大に対する恐怖を真に理解できておらず、ここが今回の戦争の最大の原因である。

NATOはロシア・中国で協議し、大政治をやって妥結するべきである。

(ウクライナ戦争)は国際政治学者のお勉強の範囲を超えた話なのである。

懐柔策が嫌なら本気の制裁をすべきであり、中途半端な制裁ほど意味のないものはなく、やった感を出すだけである。

非加盟・EU加盟=フィンランド・スウェーデン方式の政治的妥結ができていればよかったのである(と橋下徹は思う)。

NATOは中国を取り込むためにも、ロシアと妥結するべきである。

こういう(篠田英朗のような)連中が憲法9条改正を叫ぶから改正の機運が下がる。

自国、敵国の軍事力を冷静に踏まえた上で、戦闘員の徹底抗戦と一般市民の徹底退避を優先順位を付けながら組み合わせていくというのが戦争指導であるべきである。

命よりも大切なものがある!と簡単に口にできるのは、命が守られている連中であり、誰でも自分の命を守りたいというのが現実である(と橋下徹は思う)。

NATOは中国と政治的取引を行い中国懐柔策を取るべきである。

(篠田英朗が)一般国民のジェノサイド対応が災害対応と異なると言うなら理論的実際的にも説明する必要があり、それを意味もなく有害だと言うだけでは批判・議論になっていない。

市民全体で抵抗を!か、市民はできる限り退避すべき!かのどちらを戦争指導者が第一声に選ぶかは戦争指導の分かれ目である(べきである)。

死を覚悟して戦っている戦闘員には(橋下徹は)敬意を表するが、しかし実際の戦争は戦争映画とは異なり、普通は死が怖いものであり、死の恐怖に晒されていない者は何でも言えると橋下徹は思う。

アメリカ・NATOが中国をこっちに引き寄せるには、お願いかお土産を中国に渡すべきである。

自分は一滴の血も流さず戦え一択の百田は論外だが、やはり国家運営は国際法学者に任せるべきではない。

戦争後は、今殺されるかもしれない自分の命をかけて何を守るのか、自分の命を守るためにどこまで譲歩できるのか、一般市民のこの天秤作業を集約したものを戦争指導者が把握する必要がある。

民主国家においては自分たちの国の政治家に声を上げるのが効果的かと思います。

ウクライナの被害が拡大しないように、アメリカ・NATOは中国をこちらに引き込むべきである。

国際秩序維持のために一般市民の犠牲やむなしと安易に言い放つ国際政治学者篠田氏の論は、戦争の現実や軍事的合理性を知らない文学的夢想論である。

ロシアは侵略者だが、しかし戦争になった以上法的正当性に拘泥せず戦争終結に向けて政治をやるべきである。

戦争は、始まってしまえば精神論は横に置き、戦うか、逃げるか、降伏するなら最善の降伏は何かの冷厳な判断の連続であり、さらに誰が関与するのかが超重要であり、それが分からないと西側諸国民は反戦!国際秩序維持!しか言えない。

NATOはウクライナだけに抵抗させるのではなく、中国、ロシアと折り合いを付けるべきである。

戦争は、比較的安全であるということで取材カメラが入っている地域の映像でも悲惨過ぎます。

戦時には学者的学級委員的政治家は役に立たず、ヤクザ相手には清濁合わせ飲むヤクザ的政治家が必要だ。

西側諸国の戦う一択の風潮はダメなのである。

NATOは中国を取り込んでロシアを瓦解させるべきである。

ウクライナにとって、祖国防衛のために命を落とす長期戦一択は不合理である。

キューバ危機の回避プロセスやINF全廃条約制定プロセスの経験とノウハウをフル活用すべきであり、それが政治家の仕事である。

ロシアがあんな地上軍を展開できるのはウクライナの制空権が不十分なのに西側諸国は見ているだけである。

NATOや中国はロシアと協議をすべきであり、ウクライナだけが犠牲になるべきではない。

ロシアはウクライナの占領が目的ではないと言っているので、それなら非戦闘の国外避難を妨害する理由がない。

法が活きてくるのは戦争が終了し法を守る環境が醸成してからである(べきである)。

ロシアを降伏させる道を選ぶのも政治選択だが、今回西側諸国は命を賭けた戦いからは逃げ、ウクライナを身代わりにさせており、そういう選択は卑怯である。

NATO・西側諸国は武器の供与だけでなく停戦協議にも関与してウクライナをしっかりと支えるべきであり、ウクライナの安全保障とヨーロッパの安全保障に関するロシアとの政治的妥結を行うべきである。

(ウクライナ国民が)逃げることは恥でも売国でもなんでもない。

政治運動にはゴールに向かうための戦略が必要である。

今の西側諸国は、ロシア・プーチンが倒れるまで待つという戦略・戦術であるが、その間、ウクライナ人はどんどん死んでいくのであり、それは最悪である。

NATO・西側諸国も関与してウクライナの安全保障とともにヨーロッパの安全保障の枠組みを作る、ロシアとの政治的妥結をするべきである。

ロシアは民間人攻撃を否定しているので非戦闘員の国外避難は拒否できないはずである。

微妙な緊張感でバランスを取るのが政治である(べきである)。

西側の言うウクライナの領土は守るとは欺瞞である(と橋下徹は思う)。

NATOはウクライナやジョージアを犠牲にして現状のNATOの在り方を維持するのか、政治的妥結をするかの政治選択をするべきである。

(ウクライナ戦争は、)西側が協議の主体に出ず、退避を第一に考えなかった結果である。

戦争は始まるまでが勝負である(べきである)。

今回のアメリカからの武器(供与)でウクライナがロシア領内を攻撃すれば西側・アメリカも当事者となり一気に政治的妥結に向かうだろう(と橋下徹は思う)。

NATO・西側諸国がロシアと政治的妥結をはかるべきである。

もちろん文民統制がマストですが、祖国防衛、国際秩序維持と言う精神論だけでなく、逃げたい人をどう逃がすかの思考が必要で戦う一択は危険である。

(戦争においては、)戦う一択ではダメである(べきである)。

長期戦になるのは我々西側が早期にウクライナの勝利を導く兵器は供与しないし、ロシアからの天然ガスの輸入も止めないからであり、その間ウクライナ一般市民の犠牲が拡大する(と橋下徹は思う)。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

戦争が始まってしまえば相手を軍事・非軍事で倒すか、政治的な妥結しかない。

残念ながら戦争が始まった場合には戦うか、逃げるか究極の判断をしていくべきであり、これが現実の国家指導です。

旧ソ連に対して西側はここまで挑発しなかった(と橋下徹は思う)。

NATOや西側諸国はロシアと協議するべきである。

弱い国は言われたら従うが従わない国もある。

西側も二枚舌三枚舌密約を駆使してなんとか戦争を食い止めるべきであり、それが国際政治のリアリズムである。

ゼレンスキー氏、先端兵器の運用訓練に数カ月必要との説に反論、との報道があるが、西側は肝心な兵器は供与せず、ロシアからの天然ガスの禁輸もしない。

ウクライナ市民の不合理な犠牲を最小限にするには、NATO・西側諸国がウクライナの安全を保証する協議をロシアと行うべきである。

西側のやり方は、後世、究極の卑怯の例として語り継がれるだろう。

勝てる見込みが高ければとことん戦うべきだし、見込みが低ければ戦う目的を考え、戦う以外の方策も考えるべきである。

命を落とすのはウクライナ人だけって(西側は)究極の卑怯では?これがウクライナ支援?(と橋下徹は思う)。

NATO・西側諸国が協議の主体であるべきである。

戦争が始まってしまった以上、戦争を止めるには①相手を降伏させる(一時撤退を含む)②こちらが降伏する③政治的に妥結する、の3点しかないと思います。

(ウクライナ戦争における)これからの(ウクライナの)抵抗戦は何が目的なのかを(ウクライナ、ゼレンスキーは)よく考えるべきである。

NATO・西側は本気の軍事支援をやらない。

ウクライナの安全を保証できるのはアメリカを中心とするNATOである(べきであり)、ロシアに政治的影響力があるのは中国(であるべきである)。

これから凄惨な無差別攻撃が始まるでしょうが、こんな(西側の?)卑怯な戦略を維持してウクライナ人が犠牲になる様を映像で見ようものなら(誰が?)一生後悔すると思います。

(ウクライナ、ゼレンスキーは)冷厳な判断が必要だ。

東郷和彦×手嶋龍一という報道があるが、

EUは加盟国への攻撃には国連憲章51条の集団的自衛権行使の可能性の迫力を出すべきである。

戦争が始まると戦え一択の思考になってしまい、その他の主張は全く受け付けなくなるのは、一つの典型である。

(ウクライナが)ロシアとの交渉を有利にするために戦う、では今後の戦況でそうなるのかと考えると、これは合理的でない(ので、ウクライナは抵抗をやめ、ロシアの軍門に下るべきである)。

第二次世界大戦でソ連を引き込むヤルタ協定も、第一次世界大戦で太平洋の防衛を日本に任せるための石井ランシング協定も、最後は懐柔策であった。

「地獄だった」、ロシア空爆の生存者、ウクライナ・クレメンチュク、との報道があるが、命が守られ戦争の地獄を想像できない者たちが、威勢よく命よりも大切なものがある!と叫ぶが、戦争は地獄であり、戦闘は自国一般市民を守るためにあるべきである。

政治家は、自分の命が危険に晒されれば、それまでの正義や建前論を後退させ、自分の命を守るために必死になって政治的妥結をはかり停戦協議をまとめるだろう。

(ウクライナが、)住民を一人でも逃がすために戦うと考えれば、これは合理的である(ので、ウクライナは住民を一人でも逃がすべきであり、そしてロシアの軍門に下るべきである)。

プーチン政権を倒すのがベストだが、西側諸国が(現在)やっているのは経済制裁のみである。

西側がウクライナを真に支援するなら、NATO・西側はロシアと安全保障の枠組みについて協議し、政治的妥結を探るべきである。

(西側が)本当にウクライナを助けるためにはゲームチェンジするほどの強力な兵器を供与してあげなければならないが、(西側は)ロシアとの戦争を避けるためにそれはしない。

戦争が始まってしまった以上、戦争を止めるには①相手を降伏させる(一時撤退を含む)②こちらが降伏する③政治的に妥結する、の3点しかなく、ウクライナ戦争においては、③を選ぶべきである。

我々(日本人?)は太平洋戦争での失敗の経験がありますし(ウクライナ戦争の)戦況も冷静に見ることができます。

ウクライナが完全包囲される前に逃げたい人はどんどん逃がすことは、(ウクライナ、ゼレンスキーは)今のうちからやっておかなければなりませんし、ウクライナ軍は住民避難をも目的にすべきだと思います。

(西側が行っているのは)自分たちは自国の経済に壊滅的なダメージが生じないように調整しながらの経済制裁である。

戦争前においては合理性の判断に基づいた防衛力の強化が必要である。

ウクライナだけに重荷を負わせ、犠牲にし、その責任を負わず、ウクライナが勝利すれば最大の果実を得るというそんな今回の西側の戦略には(橋下徹は)反対です。

とにかくアメリカとロシアとが協議を行うべきであり、そこで条件闘争の中身が明らかになれば、どこで折り合いをつけるべきか見えてくる可能性があり、西側諸国は最後の折り合いは国民の声で決するべきである。

米国や西側は世界大戦にならないギリギリの範囲内で(ウクライナを)戦わせている。

ウクライナ、ゼレンスキーは、逃げることは恥ずかしいことでもなんでもないという戦争指導を行うべきである。

ロシア軍、さらに別の原発の制圧検討か、電力供給源の掌握狙うと報道にあるが、ゼレンスキー氏の数々の訴えを西側はすべて拒否したが、世界大戦にしないためにもやむを得ず、これはウクライナを犠牲にしたわけで、チェコを犠牲にしたチェンバレンと同じである。

反戦の声はロシア国民が頑張って上げるべきである。

国際法も大事だが、人間としてもっと大切なものがあり、そういう考え方を広めるのも政治の役割だし、無責任なコメンテーターの役割である。

ひとたび戦争が始まってしまえば、戦争指導者(ゼレンスキー)は勝利に導くことと不合理な犠牲を最小限にすることが使命であり、戦いを自己目的化すべきではない。

サハリン事業から西側が撤退しても、そのまま中国が引き継げば(経済制裁の)効果が弱くなる。

西側諸国とロシアで政治的な妥結というところでウクライナを助けるべきである。

反戦・プーチン非難も重要ですがそれはなかなかプーチンには届きません。

戦争とは戦う一択ではなく、逃げることとのワンセットであるべきである。

国際法がー、国際秩序がーなんて言ってたら、警察権や司法権のない国際社会で落とし所が着かない。

市民の身分で火炎瓶攻撃すれば、市民への攻撃を誘発するので、西側諸国の指導者はゼレンスキー大統領に、火炎瓶攻撃をしたい市民は戦闘員の資格でやることを助言すべきであり、ロシアに市民攻撃の口実を与えてはならない。

EUがウクライナの加盟を認めることなんかは、政治の力でいくらでも速められる。

政治とはお互いのメリットデメリット、譲れるものと譲れないもの、犠牲と譲歩をテーブルにすべて出して均衡点を探る妥結である(べきである)。

僕(橋下徹)の話にリアリティがないと(周囲の声が)うるさかったので、リアリティを引っ掛けて(橋下徹は)ちょっと言い返し過ぎたかもしれません。

西側諸国は、ウクライナに対して武器の供与とともに、安全保障を知恵を絞って提供すべきである。

ゼレンスキーは、ウクライナがEUと共にあることの「証明」を求めると言った。

戦争指導者や政治家が自らの信念を貫くなら自分たちの命を賭けるべきである。

本来西側か国連が出張って、武力介入ではなく人道介入によって安全確保する仕組みが必要だった。

(西側諸国は?)ロシアを潰すなら自分たちも血を流すべきであり、それができないなら西側とロシアで相互譲歩を入れた政治的妥結を行うべきである。

NATO・西側は本気の軍事支援をやらない。

被害レッドラインに達しないように軍事力を中露と均衡させるのが政治(ウクライナ、ゼレンスキー)の仕事である(べきである)。

ウクライナは旧ソ連の蛮行の歴史への恐れがあるが、他方ロシアには推定2700万人の犠牲者を出した独ソ戦の歴史から西側の拡大へ西側諸国民の想像を絶する恐怖があるのかもしれない。

西側が、ウクライナが応戦するための武器の供与や経済制裁をすることはもちろん必要だが、この戦争を戦闘だけで終結させるという戦う一択の(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦争指導は間違いであり、やめるべきである(と橋下徹は思う)。

《NATO―スウェーデン、フィンランド》

政治家はどの専門家の意見を採用するかが重要な能力である(べきである)。

西側諸国の反戦の声がプーチンに届くよりも男性出国の件がゼレンスキー氏に届く可能性の方が高い。

ウクライナに(西側が)できる限りの武器を供与するのはもちろんだけど、ゲームチェンジするほどの武器は供与できないし相手(ロシア)は核保有国であり、戦闘では解決できないから早期に政治的に(誰が?)妥結すべきである(と橋下徹は信じる)。

《NATO―譲歩》

(何の?)政治的妥結は理想の100%を目指すのではなく、犠牲回避との天秤でギリギリを目指すものであるべきである。

西側の武器は戦況をウクライナ有利に迅速に変えるような超強力なものではないが、そんな武器を供与すればNATOとロシアの戦争になるからである。

ウクライナ東部地域に関するロシアの譲歩を引き出すにはNATOも協議に関与して一部負担を引き受けるべきであり、ウクライナの負担とNATOの負担はトレードオフの関係にある。

橋下によれば、東部地域のウクライナの主権を守ることとNATOの譲歩はトレードオフの関係にある。

戦争前に一般市民にここまでの犠牲を負わせない範囲で(誰が?)政治的に妥結するのが政治である(べきである)。

西側諸国は、ロシア瓦解の見通しがない中でウクライナだけに戦わせるのは卑怯だ。

ロシアへの経済制裁を実効あらしめるために中国を取り込む際、プランAは中国への強力な制裁であり、プランB政治的取引を行う懐柔策であるべきである。

《NATO―東方拡大》

交渉を有利にするための戦争など認められるべきではない。

避難民受け入れと全力でサポートするという点、日本の各政党の提言が弱い。

今はとにかくウクライナの犠牲を止めるべきであり、そのためには中国のロシア支援を止めることが最優先であるが、しかもこの程度の制裁で中国が動じるわけがなく、やるなら本気の経済・二次制裁が必要でありながら、しかし西側にはその覚悟がなく、今回の制裁でどんな効果があると?効果も考えない制裁はやった感の自己満足である。

橋下によれば、NATOは、東方拡大については、ロシアの要求を突っぱね、戦いはウクライナにさせ、最悪である。

武力紛争の危険が生じれば、国家は一般国民の安全確保に全エネルギーを投入するべきである。

もちろん僕(橋下徹)の持論も100%正しいものではないでしょうが、しかし篠田が言うように意味がないとか、害だというものでもなく、それは学者の典型的な驕りである。

今回の戦争はヨーロッパの安全保障の枠組みを巡っての政治の失敗が主な原因であり、政治家は無能であり、そのことにより非戦闘員に多大な犠牲が出ており、NATO・西側の政治家は少しは責任を感じて悪魔のプーチンと政治をするべきであり、ウクライナの安全を守るヨーロッパの安全保障の枠組みを作るべきである。

橋下によれば、プーチン氏は、かつて安倍元首相に「NATOの東方拡大への不満」を伝えていた。

一人でも多くの命を救うために、災害対策・避難計画・避難指導をするべきである。

全員逃げるのは無理だから、退避させる戦争指導はすべきでないと(篠田英朗は)言うの?(と橋下徹は疑問に思う)。

NATOが予想外に力を貸してくれなかったのであれば、それに応じた戦争指導が必要になる。

橋下によれば、NATO東方拡大は誰も否定していない。

一般市民の犠牲は0にはできませんが、(政治家は?)やはりそれを防ぐことを重視するべきであり、国家を重視する人も多いでしょうがそこは意見の多様性であり、それは間違っている。

(篠田英朗は)今になって一般国民の逃げる重要性を認識したが(と橋下徹は思い)、それを認めることもできず必死に言い訳するしかないのだろう(と橋下徹は思う)。

西側が本当にウクライナを支援する気があるなら、ウクライナが課題(過大)な譲歩を迫られないようにNATOとロシアでヨーロッパの安全保障の枠組みを協議し直すべきである。

橋下によれば、オリバーストーンによるプーチンインタビューにおいては、当初NATOと協力しようとしたが、その後NATOとこじれていくプーチンの怒りの様が表れており、これは真実である。

(一般に?)戦闘はまずは一般市民の命を守ることにあり、これが国家の最重要の役割であるべきである。

あなた(篠田英朗)は「戦争は交渉の一部」と一般市民の犠牲は当然のことのように言い放ち(と橋下徹は思い)、一般市民も抵抗せよという戦う一択(と橋下徹が考えている)ぜレンスキー大統領の演説に拍手喝采を送り(と橋下徹は思い)、国のために一般市民が命を棄てることに大感銘を受け(と橋下徹は思い)、戦争終結のための政治的妥結を完全否定する国際法学者である(と橋下徹は思う)。

(西側は、)ウクライナだけに負担を負わすのではなくNATOとロシアで政治的妥結をはかるべきである。

橋下によれば、ロシアのウクライナ侵攻は、プーチンとNATOのつばぜり合いである。

この(ウクライナ戦争の解決の)問題は交渉の専門家の領域である(べきである)。

あなた(篠田英朗)は憲法たるものの理解が全くない(と橋下徹は思う)。

西側の政治家や専門家は自分の命がかかっていないので妥結などするなと言うが、ウクライナ人は死ぬか生きるかの瀬戸際であるので、西側諸国民は協議・妥結の声を上げるべきである。

橋下によれば、防衛とは侵攻されない体制を構築することであり、ロシア内の反戦の声はプーチン政権を瓦解させる可能性はあるが、西側諸国の反戦の声だけでロシアの侵攻は止められない。

政治運動にはゴールに向かうための戦略が必要である。

(篠田英朗は)仮に政治グループを作っても議席は獲得できないだろう(と橋下徹は思う)。

日本でこの件をいくら議論しても戦地ウクライナの決定は戦地で行われますので、日本での議論の意味は日本人が自分事として考えることでもあり、2つの見方があるということで、国民の皆さんに考えてもらいましょう。

橋下によれば、専門家はNATOとロシアの政治的妥結は絶対無理だと言うが、しかし専門家の誰もプーチンの真の要求を知るわけがない。

国際法も大事だが、人間としてもっと大切なものがあり、そういう考え方を広めるのも政治の役割である(べきである)し、無責任なコメンテーターの役割である(べきである)。

篠田氏はネットのコメント・反響だけで国民の声の多数を判断しているようだ(と橋下徹は思っている)が、これは選挙をやったことのない学者ならではの感覚(であると橋下徹は思っている)。

今はとにかくウクライナがロシアとの対戦主体ですが、西側諸国とロシアの協議に移すべきである。

このNATOとロシアの政治的妥結のために、どれだけのウクライナ一般市民の命が必要なのかと考えれば、一番はプーチンの責任だが、(西側の?)政治家全般の責任である。

国際秩序を守るためにウクライナの若者が犠牲になる必要はない(ので、ウクライナは戦争をやめるべきである)。

篠田氏は実際の権力というものを行使した経験がないのでこの点まったく理解も想像もできないのだろう(と橋下徹は思っており、)すべてごっちゃにしている(と橋下徹は思っている)。

(逃げる仕組み?に)西側・国連は人道介入として関与できないか検討するべきであり、そのためにも西側はロシアと協議すべきで、そこから政政治的妥結も探るべきである。

橋下によれば、今の中国は欧米の制裁に負けたというのを最も嫌がり、それはアヘン戦争の敗北の歴史からの脱却が原動力だからであり、中国をこっちに引き寄せるには、お願いかお土産が先であり、制裁をちらつかせるのは最後の手段であり、バイデンのこんな建前政治に解決能力はなく、きれいごとばかり並べず、相手のメンツも立てて引き込むのが政治である。

(ウクライナ)国民は戦争をやめるように選択すべきである。

篠田氏はまだ分かっていないようだ(と橋下徹は考えるが)、僕(橋下徹)は考え方や価値観の違う相手でも尊重し侮辱はしないで、その上で議論するがゆえにこの講師とは憲法観は異なるが尊重はする。

中国を取り込むには西側は中国に頭を下げなければならないが、学級委員的政治家はそれができないんやろ。

橋下によれば、バイデンが制裁をちらつかせたが、欧米は中国に二次制裁をやるのか分からない。

威勢のいいことを言う資格がある者は志願兵になる者だけである(べきである)。

(篠田英朗は)今回は理屈で来たので(橋下徹は)理屈で返す。

西側諸国も停戦協議の主体である(べきである)。

《NATO―加盟》

民主主義・法の支配を守るための戦いだ!プーチンを倒す!と威勢よく言うなら戦地に行って戦うべきであり、ウクライナ人だけを犠牲にするべきではない。

(篠田英朗が言っていると橋下徹が思っているように)交渉の一部に戦争を使うことを容易に認めたら、勇ましいことを言う政治家ばかりになるわ(と橋下徹は思っている)。

男性出国の件は外国で暮らすウクライナ人を中心に西側諸国民が声を上げ西側諸国の政治家を通じてゼレンスキー大統領に届くようにすべきである。

橋下によれば、NATOはウクライナの加盟についてロシアに約束することはないと突っぱね、NATOに加盟していないウクライナが狙われた。

祖国防衛の名の下に命を落とす一択にならないようにするのが政治の力である(べきである)。

(篠田英朗は)安全保障制度を認めさせたら大勝利、と言っている(と橋下徹は思っているが)、これはアホである!

ウクライナが頑張ってプーチンを撥ねつけてくれれば、我々はこのような生活を安心して送り続けることができ、これを学者たちは国際秩序・正義という言葉で表現し、1ミリたりとも譲歩するなと言うが、それと比べて戦地のウクライナ人はもっと悲惨な暮らしをしている、ということをナザレンコ・アンドリーは良く認識すべきである。

橋下によれば、ウクライナ大統領は即座のNATO加盟は期待せずと言っているが、このようなことは戦争をやってまで決めるようなことではなく、命を犠牲にする話でもなく、NATOとロシアの政治の話だ。

戦争指導者・学者たちに国民の生死すべての決定権を委ねるわけにはいかない。

(篠田英朗は)戦争の悲惨さ、ご遺族の悲しみなどまるで分からず、あくまでも本の中でしか考えられない典型である(と橋下徹は思う)。

ナザレンコ・アンドリーは、今もウクライナ頑張れ!プーチンに妥協するな!国際秩序を守れ!と言っている人たちがどういう暮らしをしているか、祖国への熱い思いを少し冷まして見るべきである、インスタやらツイッターを。

《NATO―ゼレンスキー、ウクライナ》

(ウクライナ、ゼレンスキーは、)祖国防衛の美名の下に若者の命を絶やさせてはならない。

(篠田英朗は)交渉の成果のためにいったいどれだけの一般市民に死ねと言うんだ?(と橋下徹は思う)。

西側諸国がプーチンに国際法を守らせたいのなら自分たちで戦うべきであり、それができないのなら、ウクライナの犠牲を少なくするための協議をすべきである。

橋下によれば、ゼレンスキー大統領はNATO首脳会議にオンライン出席したが、ゼレンスキー大統領がNATOに対し武器の供与だけでなく、ウクライナの安全を保証するよう要求したときにNATOはどうするか。

(ウクライナの若者が国外に逃げることは)国民の選択である(べきである)。

(篠田英朗は)いよいよ頭がおかしくなったな(と橋下徹は思う)。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきであり、そしてできる限りウクライナ人の命を助けるべきであり、それが真のウクライナ支援である(べきである)。

橋下によれば、NATO指導者は現状を維持したいのでウクライナ頑張れと声援を送り、ウクライナが戦うことはNATOにとって最大の利益であり、ウクライナに戦わせるだけ戦わせてNATOに入れることを約束しない。

(ウクライナの、)祖国防衛のために命を落とす長期戦一択は不合理である(ので、やめた方がよい)。

(篠田英朗は)抽象的に国民主権を勉強しているから俺(橋下徹)の話が理解できんのやろ(と橋下徹は思い、)まずはそこから(篠田英朗は)勉強するべきである(と橋下徹は思う)。

これ(非戦闘員の国外避難)くらい西側諸国はロシアと協議すべきである。

橋下によれば、橋下徹はウクライナに無条件降伏しろなんて言っていない。

降伏と政治的妥結は異なるが、ただ(誰が?)そのような表面的な言葉遊びをしても仕方がない(のですべきではない)。

(国際政治学者の話には)、国際秩序とか日本の政策への壊滅的影響とか、自分たちが読んだ本の中の抽象論や予測の域の話しか出てこない。

戦闘は(ウクライナ軍の)戦闘員が頑張るべきである。

橋下によれば、2008年ブカレストNATO首脳会議で争いが沸点に達してから政治家たちは知恵を絞らなかったので、最終的にウクライナの一般市民が犠牲になった。

国際秩序を守るためにウクライナの若者が犠牲になる必要はない(ので、ウクライナの若者は戦争に参加するのをやめるべきである)。

国際政治学者が国家を動かすわけじゃなく、それは完全な勘違い(であると橋下徹は思う)。

西側諸国特にアメリカは、相手(ロシア)が強くて喧嘩ができないなら、譲歩することも人道(必要)であり、それが政治である。

このNATOとロシアの政治的妥結のために、どれだけのウクライナ一般市民の命が必要なのかと考えれば、一番はプーチンの責任だが、(西側の?)政治家全般の責任である。

(ウクライナの)国民は(戦争をやめること・他国に逃げることを)選択するべきである。

一般市民の犠牲があまりにも大きいのであなた(篠田英朗)のように理解したい気持ちは分かるが、太平洋戦争での沖縄戦や日本の多大な犠牲についても、あそこまでの日本の戦いがあったから日本有利の講和条約になったと主張する者多数いるが、でもご遺族の悲しみははかり知れず、ゼレンスキーやウクライナの戦争指導で避けることも可能だった。

国際秩序の維持のために妥結するな、という見解が日本でも多いけどその任務を果たすには世界警察並みの軍事力がないと無理であり、憲法9条に制約されている日本は自衛隊の能力は高くても国際秩序維持の任務までは無理で、とにかく(自衛隊?は)国民保護が使命である(べきである)。

そもそもこの(ウクライナの)中立化は戦争なんかやらなくてもNATOとロシアで政治的に決着する話であり、どうせウクライナを加盟させる意思もないのにこの2月にアメリカが突っぱねたことにも責任がある。

戦争に関して、感情を抜かすためには、防潮堤を乗り越えてきた津波への対応として考えるのも一方法である(べきであり)、こちらは土嚢しかなく、まず何をするかが重要である。

あなた(篠田英朗)のような専門家があなたと同じようなことを言ってるけどその見立てはあかんな(と橋下徹は思う)。

篠田氏の件は俺(橋下徹)と奴(篠田英朗)との当事者間の問題として取り扱われるべきである(と橋下徹は思う)。

橋下によれば、ベラルーシに核が配備されればどのみちNATOとロシアの協議が始まる。

ゼレンスキー大統領の国会演説に、感動っていうことで終わらせるべきではない。

あなた(篠田英朗)らのような者が政治家の欺瞞に乗せられてウクライナを支援している気になって、ゼレンスキー大統領の演説に大はしゃぎしていた(と橋下徹は思う)。

全員逃げるのは無理だから、退避させる戦争指導はすべきでないと(篠田英朗が言っていると橋下徹が思っているように)それを言ったら戦っても全員の命は守れないので、ここは戦争指導の大きな分かれ目であるべきである。

《NATO―ロシア》

本当に死を突きつけられた非戦闘員がどこまで譲歩するのか生き残りたいと思うのかを汲み取るのが政治指導であり、ゼレンスキーはそういう戦争指導をすべきである。

(篠田英朗は)心底頭悪いな(と橋下徹は思う)。

(篠田英朗が橋下徹のことを)勉強不足とか平和ボケとか言うのでは、議論にならないので、やめるべきである。

橋下によれば、ロシアのウクライナ侵攻で、NATOはウクライナに全部の責任、犠牲を負わせている。

今の停戦協議の論点では、ウクライナの自由と民主が全てなくなる話ではなく、ヨーロッパにおけるウクライナの立ち位置・安全保障と東部地域の割譲が論点である(べきである)。

成熟した民主国家においては一般市民の犠牲を度外視した戦争指導はあり得ない。

(篠田英朗が言っていると橋下徹が思っているような)戦争が政治交渉の一部に使われる政治にフリーの軍事力など渡るべきではない。

橋下によれば、ロシアへの経済制裁は当然にしても、経済的に崩壊するまで待つのか、あるいは西側諸国が軍事対抗すれば全面戦争になる。

戦争指導者が戦争を交渉の一部に使うのは成熟した国民主権国家においては許されるべきではない。

強制的に戦場に送られ戦死した者にとっては自国に殺されたも同じである(と橋下徹は思う)。

(篠田英朗は)国際政治学者として、3,その犠牲によって守られる国際秩序の維持及び日本の政策とは具体的にどのようなものなのか、どのような具体的なリスクを避けることができるのか、という問いに答えるべきである。

橋下によれば、ロシアのウクライナ侵攻の原因にNATOもある。

今はゼレンスキー大統領が真に求めているものは何かを見定め、我々はそれに応えるのか、応えないかを、戦地の悲惨な状況を想像しながら判断する段階である(べきである)。

僕(橋下徹)は一般市民の犠牲に着目する考えを主張していきます(途中で話がすり替わってますが)。

国際秩序の維持及び日本の政策への破滅的な影響を防ぐためにウクライナ一般市民の犠牲もやむなしという(国際政治学者の)粗雑な理屈で人の命が奪われてもいいのか?と言えば、奪われるべきではない。

橋下によれば、供与する武器もNATOとロシアの戦争にならないようにウクライナが一気に形成逆転するものではない。

ロシアに対する非難決議もできない安保理が中露相手に何ができる?と考えれば、ここは政治家の感覚で解決策を模索すべきである。

僕(橋下徹)はロシア寄りではなく、政治の力で解決しろという立場である(と橋下徹は思う)。

(橋下徹は)メディアに出てくる専門家はあなた(篠田英朗)のような考えばかりだからね(と思い、そういう考えは否定すべきであると思う)。

橋下によれば、今回の戦争はNATOとロシアの安全保障の鍔迫り合いである。

ミンスク合意はロシアも力を尽くすべきであったし軍事侵攻したロシアが一番悪いですが、ただこういうセンシティブな合意については破棄の主張は政治的メンツの均衡を崩しやすいので、ここは(篠田英朗が言うような)勇ましい主張を抑えながらの政治の力が必要なところである。

(一般に、)戦争ではいつも一般市民が犠牲になる(と橋下徹は思う)。

あなた(篠田英朗)が言うところの国際秩序や日本の政策への影響というものがどういうものなのか、今日明日に命が奪われる人が納得するように説明をするべきである。

橋下によれば、飛行禁止空域の拒否は、ロシアがウクライナの都市に、空爆を行なってもよいと、NATOが許可したことを意味するので、きょう以降、殺される人たちは、すべてNATOのせいで死ぬことになり、NATOが弱気なせいで、結束力の欠如のせいで、戦争は終わらない。

(篠田英朗は)国際政治学者として、最低でも6つくらいの問いに答えてから、ウクライナ一般市民の犠牲もやむなしと言うべきである。

法の支配を無視する人道判断は誤ることが多い(と橋下徹は思う)。

あくまでも国民の生命を守るのが国防・戦争指導というもの(であるべきであり)、ウクライナ戦闘員には敬意を表するが、日本の武力衝突後の戦争指導において、あなた(篠田英朗)らのような意見が出てくるととんでもないことになるだろう。

橋下によれば、ウクライナはNATO現状維持のために犠牲になっており、停戦交渉を有利に進めるためには戦闘優位にならなければならないが、NATOはロシアとの交戦を恐れ、ウクライナを強力に支援しない。

重要なアドバイスは、考えの違う相手の意見を批判するときに「病理」なんて言ったら議論にならない(ので、篠田英朗は「病理」という言葉を使うべきではない)。

死の危険に晒される者は生きること、逃げることを第一に考え、それが普通(と橋下徹は考える)。

2008年ブカレストNATO首脳会談では、実質的な加盟準備入りを意味するMAPへのウクライナ参加は独仏の反対で見送られたが、「将来加盟国となるべき(will

橋下によれば、停戦協議中のウクライナの安全とロシアの安全くらいは、戦争になる前にNATOとロシアが政治的に折り合いをつけておくべき話である。

戦争が始まった後に、自国の現実的な国防力を踏まえた上での、国防・国家運営に関する根本哲学の議論を行われるべきであり、(そのようなことが分かっていない篠田英朗は)まず批判の仕方から勉強するべきである。

(橋下徹は、ウクライナの?)戦闘員には敬意を表する。

僕(橋下徹)は、戦争が始まれば法が無効になるとは言っていないので、(篠田英明は)人を小馬鹿にする批判は止めるべきである。

橋下によれば、ウクライナの安全、ロシアの安全を保障することは、NATOの安全保障でもあり、それはヨーロッパの安全保障の政治的枠組みの話であり、これがウクライナ・ロシア戦争の本質であり、非戦闘員が死ぬ話ではなく、政治的妥結の話である。

国際政治学者篠田氏のような、国際秩序至上主義、戦闘第一主義、市民の犠牲やむなし主義だと、軍事的合理性を理由に市民置き去りの軍の撤退ということも簡単に行われるが、それは絶対にダメであり、軍事的合理性を考えるにしても、市民を守ることを第一目的に撤退、継戦を判断すべきであって、篠田氏の思考はボツとすべきである。

東欧の歴史くらい知らないで公で堂々と持論を展開できるか!(と言える位橋下徹は東欧の歴史を良く知っているし)、(橋下徹は)侮辱されたら100倍返しを、抑止力として行使する。

成熟した民主国家において政治家はいくらでも代替・補充が可能なので、戦争指導者層を順次前線に送り込むルールが必要であるべきである。

橋下によれば、NATO・西側の戦争指導・戦略に合理性はなく、本当にウクライナを助けるためにはゲームチェンジするほどの強力な兵器を供与してあげなければならないが、

国際秩序維持のためには住民の犠牲も已むなしと安易に言う国際政治学者篠田氏の考え方はダメであり、非難すべきである。

(橋下徹は)戦う戦闘員には敬意を表する。

成熟した民主国家では(ウクライナ、ゼレンスキーとは違って、)政治家はいくらでも交換が可能という前提に立つ必要がある。

橋下によれば、停戦協議の中身もウクライナ東部地域の問題以外は、NATO・ウクライナ・ロシアの安全保障の枠組みの話である。

自衛隊は能力が高くても、憲法9条下の装備では敵国、特に核保有国を倒すことまではできず、追い払うまでしかできず、自衛隊は、もちろんアメリカを頼ることになるが、自国の力では敵国・核保有国を倒すことはできず、自衛隊のこの現実を踏まえれば、国際秩序がーなんて言っているべきではない。

そもそもこの戦争はウクライナの軍事力強化で解決するんでしょうか?(と橋下徹は思う)。

一般市民の命と引き換えになるものを明確に示して一般市民に判断させることが民主国家(であり、ウクライナはそうすべきである)。

橋下によれば、ロシアは飛行禁止区域なければNATO圏を攻撃すると言っている。

(ウクライナ国民の)4000万人の避難は(誰が?)無理だと諦めるべきではない。

単に生き残るだけでは意味がないと言う連中も多いけど、そう言ックいるのは命が守られている連中であり(と橋下徹は思い)、この辺は哲学的価値観やね(と橋下徹は思う)。

後に虐殺があるかもしれない歴史よりも、今の地獄をとにかく脱したい人たちもおり、そのようなとき日本の戦争指導はどうあるべきかは大論点であるべきである。

ギリギリのバランスをとる政治の役割がNATOとロシアでできなかった。

(ウクライナは)戦う一択であるべきではない。

(ウクライナの)戦闘員にはもちろん(橋下徹は)敬意を表する。

もちろん僕(橋下徹)の持論もまだ広く受け入れられていないだろうから、(橋下徹は)今それを伝えようとするべきである。

とロシアの間で、ウクライナのNATO

ゼレンスキー大統領は、18歳から60歳までの男性の国外避難禁止を解除すべきである。

ロシア侵攻直前(?)、戦闘員と非戦闘員を厳格に分けて非戦闘員はできる限り逃げるべきだと僕(橋下徹)が言ったら、戦え派は僕(橋下徹)に全面降伏論のレッテルを貼ってきてピーチクパーチク言ったが、あのとき公で退避論を主張したのは僕(橋下徹)だけだった(と橋下徹は思うが、実際は4000万人全員の退避=降伏を主張していたので、橋下徹はここで嘘を吐いている)。

(橋下徹は)メディアに出てくる専門家はあなた(篠田英朗)のような考えばかりだからね(と思い、そういう考えは否定すべきであると思う)。

橋下によれば、NATOとロシアの安全保障のぶつかり合いの考察に東方不拡大の約束の有無の議論は無意味であり、約束があったかどうかにかかわらず、ロシアが脅威と感じたかどうかが問題であり、キューバ危機時のキューバ内ソ連核兵器の配備も、東欧州SSミサイルの配備も、韓国内サードミサイルの配備も、配備しない確約はなかった。

責任の所在については色々あるが、(ロシアが)西側から攻め込まれる恐怖心は我々には想像もできない物凄いものがあるのだろうから、ウクライナだけに犠牲を負わせるのではなく西側とロシアの協議が必要である。

(ウクライナ戦争は)災害対策と同じである(と橋下徹は思う)。

俺(橋下徹)はあなた(篠田英朗)のように無邪気にウクライナを犠牲にするのではなく西側もウクライナの安全保障に関与すべきである(と思う)。

橋下によれば、NATOが関与を避けるのは、関与するとNATOにも妥結を求められるからであり、NATO・西側は自分たちの現状を守るためにウクライナを犠牲にしている。

西側は声援だけでなく、何とか退避の仕組みを作るべきであり、そのためにはロシアと協議するしかない。

(橋下徹は)国際政治学者や国際法学者を納得させる必要はない。

確かに歴史や内陸部・島国などの地政学的なものが国民の精神性に影響しているのは事実であり、ウクライナ人と日本人は異なり、太平洋戦争時の日本人の精神性にも独特なものがあったのでしょうが、それでも戦争においては戦う一択ではないことを(橋本徹は)日本人に向けても言い続けていくべきである。

橋下によれば、今回侵攻されてしまったのは、軍事力や軍事同盟・集団的自衛権が不十分で、核兵器も保有していない国であり、集団的自衛権や核兵器まで保有し軍事力の強いNATOは侵攻されていない。

弱肉強食だと言われようが戦争を食い止めるのが国際政治である(べきである)。

政治指導者と一般国民の感覚はズレる(と橋下徹は考える)。

ウクライナ出身政治学者「占領されれば粛清」戦い継続の必要性訴え、と報道されているが、戦っている戦闘員には橋本徹は敬意を表するものの、しかしそれ一択とする風潮(や、ウクライナ出身政治学者の発言)は間違っており、変えるべきである。

橋下によれば、NATO戦えではなく、それはできない。

ウクライナを犠牲してでも妥結を突っぱねるか、ウクライナを犠牲にするほどでもないものか(誰が?)判断すべきである。

(橋下徹は)彼ら彼女らが「テロに屈するな!」「国際秩序の維持!」と言っても共感できない。

(日本人は)戦争指導のあり方については国民(的)議論が必要である。

《NATO―国民投票》

戦争が始まれば闇雲な戦い一択は危険であり、やめるべきである。

政治指導者になる政治家が自分の命や家族の命がかかった場合にどこまでテロを突っぱねることができるんでしょうか?と言えば、橋下徹は出来ないと考える。

国民がどちらの戦争指導を望むかの話だから、国民の理解を得る話であり、国際政治学者を納得させる話じゃなく、国民主権の具体化だよ(と橋下徹は思う)。

ウクライナがレッドラインを越えれば妥結案と国民投票を行うべきであり、NATO・西側もロシアとの妥結案に関与すべきである。

最後は西側とロシアとの話し合いで解決するべきである。

(橋下徹は)自分の命、子供の命をまずは大切にしてください、という視点である。

(日本人にとっては、)今何を守るために命を犠牲にしているのかを国民全体で認識するための政治行政システムが必要であり、これがなければ抽象的な目標のために一般市民の夥しい命が犠牲になり、気付けば戦争指導者層だけが生き残っているだけであり、勇ましいことだけを叫んでいる余裕はない。

英トラス外相、ウクライナ支援の強化訴えへ、との報道があり、トラス氏は「もしプーチンが成功すれば、欧州全体が計り知れない悲惨な状況に陥り、世界中に恐ろしい結果がもたらされる。われわれは二度と安全だと感じることがなくなる。」と言っている。

(西側は、)終始、政治の知恵で解決すべきである。

(橋下徹は)子供が人質に取られたらテロと交渉し最後まで突っぱねることはできないと思います。

戦争前は軍事力の均衡、メンツの均衡、対話パイプの確保・強化が必要であり、戦争が始まったら一般市民の犠牲をどう防ぐかの思考が必要である(、ということを日本人は知るべきである)。

「衣服まとめろ」ロシアに連行されたマリウポリ住民、恐怖の体験語る、との報道があるが、この男性は、連行後退避所経由でロシア内の親戚の家で生活しており、その他ロシア内の避難所で生活している者多数がおり、強制連行は許されないが、全て死やシベリア抑留に繋がるかは分からないので、(ウクライナ(メディア)は)正確な情報が必要である。

今ウクライナに供与している武器はロシアに怒られない程度のものであり、であれば西側はプーチンと妥結を目指すべきである。

1日も早い停戦を(橋下徹は願う)。

紛争の原因を的確に捉え、いったい何を守るために今命を棄てるのか、命を守るためにはどこまで譲歩できるのかを(日本人の)国民が事前に考えておくべきである。

(ウクライナにおいて、)逃げたか、逃げれなかったかの差は大き過ぎる(と橋下徹は思う)。

精神論だけの戦争指導は危険であり、避けるべきである。

俺(橋下徹)たちは頑張ってるなんてそんな気にならんわ。

(日本人は、)何かのきっかけで武力衝突になることを前提に戦争指導のあり方についても徹底議論が必要である。

(ウクライナにおいて、)一般国民が逃げたか、逃げられなかっかの差はあまりにも大き過ぎる(と橋下徹は思う)。

戦争の究極の解決方法は政治家が戦地に赴くことである(べきである)。

自分は命が守られる外国にいたまま、戦うしかない、一般市民の犠牲も已むなしとは(橋下徹は)口が裂けても言わないだろう。

日本での議論の意味は日本人が自分事として考えることでもある(べきである)。

(ウクライナが)停戦したら、敵国(ロシア)に、反敵国の(ウクライナの)者は虐殺されるのであろうし(と橋下徹は思い)、まあ俺(橋下徹)もその対象になるのであろうが、でも大阪府民の多く(ウクライナ人の多く)が死ぬより反敵国の(ウクライナの)者が殺される方がまだましちゃう?(と橋下徹は思う)。

(西側が)本気の制裁ができないなら、(ロシアへの?)懐柔策を講じるべきである。

日本もいつ武力衝突が起きるかわからない状況になりました。

西側諸国は、できる限りウクライナ人の命を助けるべきであり、それが真のウクライナ支援である(べきである)。

ウクライナ市民が火炎瓶を投げる映像もあるし、逆にロシア兵がウクライナ一般市民には虐殺行為をしていない映像もある(と橋下徹は思う)。

本当にウクライナを助けるというのなら西側が多少負担・譲歩してでも、ウクライナの安全を保証しヨーロッパの安全を保障する枠組みについてロシアと政治的妥結を目指すべきであり、もちろんロシアにも譲歩させるべきである。

現代の日本の政治家も専門家も、太平洋戦争時の日本人から全く進歩なしであり、祖国防衛!国際秩序!プーチン許すな!だけを唱えている。

(ウクライナは、)太平洋戦争末期の日本の状況だけは避けなければならない。

仮に(ゼレンスキー)大統領を支持していても退避したい国民も相当数おり(と橋下徹は思い)、これが戦う視点だけではなく退避する視点も必要な所以である。

マリウポリの製鉄所、状況は「危機的」、指揮官が第三国による救出要請

グレンコ・アンドリー氏は総玉砕ではないというが、18歳から60歳の男性は国外避難禁止、ゼレンスキー氏は市民全員での抵抗を呼びかけ、非戦闘員が戦闘に参加というのは、戦いたい者だけが戦っているというのとは違い、戦わざるを得ない強烈な空気、逃げることは許されない空気があり、太平洋戦争時もそうだった。

日本の政治家も局地的であっても戦闘終了の判断などなかなかできないだろうし、日本の歴史を振り返ればそうですが、でも状況によってはそれをしなければならない。

(ウクライナでは、)これまでも多くの一般市民が救出を願いながら死んでいっただろう(と橋下徹は思う)。

西側は、今の占領地を奪還できる武器ではなく、それとも今の占領地をある程度認めざるを得ず占領地を拡大させない防衛的な武器しか供与できないなら、(ロシアとの?)政治的妥結を模索すべきである。

ウクライナにおける、見通しと獲得目標抜きの抵抗できるところまで抵抗するの精神論は、太平洋戦争時の日本と同じである。

日本も情報機関が必要であり、学者のコメントしかない日本では国家運営の判断を誤るので、まずはファイブアイズへの参加を目指すべきである。

(ウクライナの国民が)命が奪われる恐怖は抽象論では拭い去ることはできない(と橋下徹は思う)。

いざ戦争が始まれば、戦争指導は戦闘員の視点だけではなく、悲惨な状況の非戦闘員の視点も持たなければならないということを(、ウクライナ、ゼレンスキーは知るべきであり、)ウクライナとロシアとの停戦協議を傍観している西側の政治家、国民も同じである。

ウクライナから離れた日本ですら戦え!の風潮であるので、ウクライナ現地では戦え!と強制する圧力は想像を絶するでしょう。

国際情勢の実情に即して何が適当な手段かを決めるのは本来政治家であるべきであり、仮に必要最小限という枠組みを前提にしても国際情勢や相手の軍事力によって相対的なものとなるので、日本だけで勝手に必要最小限を決めるべきものではなく、国会は議員対政府の議論で深まらないので、議員どうしが議論する憲法審査会で激論をするべきである。

「市民保護徹底を」と、ウクライナ人道危機、国連安保理が協議したと時事通信が伝えた。

戦争する覚悟もない罵倒は学級委員的悪口であり、それでウクライナの安全を保障するための協議ができるか不安であるので、バイデンはもっと政治家になるべきである。

日本では、紛争原因に関係なく、自由、民主、尊厳を守るための戦争だ!一般市民の犠牲已むなし!の風が吹き荒れるだろう。

ゼレンスキー演説に対して、山東さんの”感動”って、演劇を見てるんじゃないんだから、やめるべきである(と橋下徹は思う)。

橋下徹は、戦うウクライナ人には敬意を表します。

EUは、コロナワクチンワープスピード作戦ばりの緊急手続きでウクライナの加盟を早期に承認するべきである。

戦闘員は命をかけて戦っているので(橋下徹は)敬意を表する。

防衛装備品の開発や移転について考えるのが国会議員の仕事である(と橋下徹は思う)。

(ウクライナにおける)戦闘任務を、(橋下徹の意見に従って仮に)第一に露軍の足止めとすれば、(その結果は)沖縄戦と同じになるだろう(と橋下徹は思う)。(意味不明)

EUは口だけでなく、ウクライナの加盟を早期に認めるべきである。

ウクライナから離れた日本ですら戦え!の風潮ですので、ウクライナ現地では想像を絶する(ほど戦えの風潮)でしょう。

日本も戦争が起こることを前提に、電子投票インフラを整備することが絶対に必要である。

(ウクライナは)敵国内への反撃能力がなければ自国内だけでの戦闘に終始し自国の一般市民だけが犠牲になり、ロシア市民は普通の生活を送っている(と橋下徹は思う)。

交渉成功の1%の可能性を成功させるには、ウクライナとロシアだけの協議にしてはならならず、ウクライナの安全を保証するために、NATO・西側も関与してヨーロッパの安全保障の協議にすべきである。

西側諸国は、武器を提供し経済制裁はするが武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道がある。

ウクライナや東欧と同じく勢力圏がぶつかる日本においては、極度の緊張状態で力の均衡を保つ超高度な政治が必要である(べきである)。

(ウクライナ軍は)市民を守らない軍になりかねない。

NATOはウクライナを助けるべきである。

(ウクライナ人は、)生きていれば道が拓ける場合があり、日本も終戦間際に生き延びていれば戦後日本の生活を享受できたのであるが、太平洋戦争を経験している日本なのに、今の政治家や学者たちは祖国防衛だの長期戦だの国際秩序維持だの机上の論ばかりを言っている。

問題は中国であり、中国を取り込まない経済制裁でプーチン政権を追い込めるのかと言えば無理であり、中国を取り込むべきである。

状況も変わる可能性があり、太平洋戦争末期時において誰が今のような日本を想像できたか、誰がソ連の崩壊を想像できたか?と考えれば、誰も想像できなかったと橋下は考える。

NATOがウクライナの安全とヨーロッパの安全保障を政治で決めるべきである。

今の日本の防衛力の目標は5兆円という財政制約に縛られている。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきであり、そしてできる限りウクライナ人の命を助けるのが真のウクライナ支援である。

ロシアの暴挙は許されないが、ただし今回の戦争はNATOとロシアのつばぜり合いから生じたものである。

防衛力が不十分なウクライナではロシアに狙われるのでレッドラインを公表できないだろうが、日本では戦争指導の在り方として議論するべきである。

企業に経済制裁を強要すべきではない、と報道されているが、いやいやこれだとプーチン政権が追い込まれなくなる。

冷厳な戦略という軽薄な言葉で長期戦や一億総玉砕を肯定することは違うと判断するのが太平洋戦争を経験した日本の政治家の役割である(べきである)が、威勢のいい政治家はその判断ができない。

生きていれば道が拓ける場合があり、日本も終戦間際に生き延びていれば戦後日本の生活を享受できた。

ウクライナはNATO加盟はしないと言っているのだから、NATOはロシアと再度協議すべきであり、まずは停戦である(べきである)。

今戦っているウクライナの人たちには(橋下徹は)敬意を表します。

長期戦を目指す冷厳な戦略・・・こんな自己陶酔の言葉が軽く出てくることを戒める政治を日本ではやらなければならない。

西側諸国はロシアと戦わない。

NATOは自らの主張を維持するためにウクライナに武器を供与(するべきである)。

やっぱり本の中だけの学者の思考は、いまだに一億総玉砕の思考であり、こんな作戦に付き合うの?という帝国陸軍エリートと同じ思考であり、(篠田英明は)国際法なんてやってるのに(バカなので)、(橋下徹は)びっくりしたわ。

こんな長期戦を日本の国会議員が決めたら、全員の頭をはつってやるべきである。

西側諸国は、武器を提供し経済制裁はするが、武器もロシアを圧倒するものではなく、経済制裁も抜け道がある。

NATOとロシアがこの協議で政治的妥結をすればウクライナを救えうことができる(ので、そのようにすべきである)。

日本の国会議員は何人が志願兵になるのだろうか。

ウクライナに行って戦う勇気がない者は、(誰の?)政治的妥結を求めるべきであり、NATOの在り方についてもちろんロシアに強烈な経済的圧力をかけながら。プーチンと協議するべきである。

ウクライナ人がかつての旧ソ連の蛮行を恐れるのは理解でき、今のロシアに対しても理解できるが、ただし時代も変わっており、かつての時代にはこのような戦中協議はなく、中国がロシアに働きかける可能性もある。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

日本国内でウクライナの国旗を掲げて集まってもクソの役にも立たない。

志願兵になれないのなら、(その者は)NATOの指導者に政治的妥結を促すべきである。

ウクライナは、本気で国際社会がロシアを倒すならその後道が拓ける。

ウクライナの領土を守るために、NATOがロシアの他の利益を埋めることを考えるのが政治である(べきである)。

一般市民保護の国防方針が弱かったことが、沖縄県の基地問題が解決しない大きな要因でもあります(と橋下徹は思う)。

もちろん今後のロシアの暴挙には国連憲章51条の集団的自衛権の行使が前提である(べきである)。

今は残念ですがアンドリーさんのように日本で暮らすことのできるウクライナ人をできる限り増やすべきです。

NATOはウクライナの安全保障についても政治的知恵を絞るべきである。

国際秩序を守るために国民の命を犠牲にするというなら、憲法9条の改正が必要だし、そもそも国民はそれを納得している?(と橋下徹は疑問を呈する)。

ウクライナ、外国人部隊編成へ、国外から志願募集(ロイター)、ゼレンスキー大統領「これが、あなたがたのわが国への支持の重要な証になる」と述べた、と報道にあるが、私はウクライナとともにある!ウクライナは徹底抗戦せよ!と言っていた者はウクライナに行って戦うべきである。

支援してくれるNATO批判は忍びないというナザレンコさんは立派です。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

国家運営の経験のある政治家たちは皆んなこの西側の欺瞞に気付いていた(と橋下徹は想像する)けど政治家の立場として言えなかった(と橋下徹は信じる)。

(ゼレンスキーのような)住民の命を最優先にしない戦闘を安易に認めると、沖縄戦のように住民を守らない軍の行動につながるので、日本においてはこのような戦争指導を認める風潮にするべきではない。

責任の所在はともかく残念ながらウクライナにはそれ(戦争は始まるまでが勝負であり、軍事力・軍事同盟を強化し、核を保有し、場合によっては二枚舌三枚舌密約外交をやる必要があり、NATOが象徴である)が足りませんでした。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

まあ(ロシア、プーチンに)少々の攻撃力があればNATOの政治家たちは(キエフで)協議をまとめる。

日本は自国民を守るための反撃能力を持つべきである。

NATOはウクライナを加盟させる気がないにもかかわらずオープン・ドア・ポリシーという建前論にこだわるのは、死を突きつけられていない学者たちの思考である。

《NATO―NATO・前面、主体》

日本の政治家の取り巻き学者たちはチェンバレンになるな!と叫ぶ。

APEC貿易相会合で日米など5カ国、ロシア発言時退席に、との報道があるが、退席せず、堂々と意見を言うべきであった。

ロシアの蛮行から祖国を守る、戦地の兵士には(橋下徹は)敬意を表します。

ウクライナに全責任を負わせないために、NATOが前面に出るべきである。

世界各国、どこの議会も政治家も決議ばかりであり、それで何かやった感になっている(と橋下徹は思う)。

戦いたくない者を政治が戦場に送る行為は、日本では許してはならない。

NATOもロシアも相互に脅威を感じている。

NATOは前面に出て戦うべきである。

政治家の最大の仕事は戦争を防ぐこと、戦争を回避すること、戦争を止めることによって、子供たち若者たちの命を守ることである(と橋下徹は思う)。

(日本において?)敵撃破も重要ですが、ただし撃破と同時に予想侵攻地・攻撃地の住民避難も最重要であるべきであり、仮に上陸されたことを予測しての住民避難(の検討)は、今の日本の国防に完全に抜けている点であり、特に沖縄に関してそれをすべきである。

ウクライナはNATO現状維持のために犠牲になっており、停戦交渉を有利に進めるためには戦闘優位にならなければならないが、NATOはロシアとの交戦を恐れ、ウクライナを強力に支援しない。

NATOは前面に出るべきである。

政治的妥結と降伏は異なる(と橋下徹は思う)。

日本でも戦争指導の在り方を(誰が?)議論する必要がある。

民主国家の政治家はいくらでも代替可能というのが大前提である。

NATOも停戦協議の主体に出るべきである。

戦争当事国以外が関与する和平仲裁は究極の政治的妥結である(と橋下徹は思う)。

有事において日本の政治家たちは一般市民を犠牲にするべきではなく、そのような社会的風潮を許容するべきでもない。

ウクライナ・ロシア戦争において、ウクライナ兵の決死の戦闘に(橋下徹は)敬意を表する。

《NATO―ロシア》

そもそも日本の有事法制の国民保護法も根っこは災害対応と同じ(であるべきである)。

(マリウポリにおいての、ゼレンスキーらの)投降の判断の遅れでどれだけの一般市民の命が犠牲になったか日本では冷静な検証を行うべきである。

NATOが前回拒否したウクライナのNATO非加盟は、今回ウクライナが認めることになるので(NATOとロシアとの)協議は進展するはずである。

NATOはロシアに経済圧力をかけつつ、ロシアと協議するべきである。

ジェノサイドは戦地での最も悲惨な現象であるが、ジェノサイドを避けるためには敵を倒すか戦地から退避するかの二つしかない(と橋下徹は思う)。

ウクライナ避難は、日本のルールを守ってもらった上で、どんどん受け入れていくべきである。

(ロシア・ウクライナ戦争は)ウクライナの自由、民主、独立、尊厳を守るための戦争というよりも実質はNATOの主張を維持するための戦争になっている。

NATOはロシアと安全保障の在り方について政治の知恵を振り絞るべきである。

政治的妥結は一方的な降伏ではなく、悲惨な現状を回避するための最善策、最適解であると橋下徹は思う。

日本の憲法論でも戦争を前提とした戦争指導における憲法論は存在しないので、ここはこれからの日本に超重要であるべきである。

(ウクライナ戦争の)争点はウクライナの中立化やから(誰の?)政治的妥結の話である(べきであると橋下徹は信じる)。

NATOは派兵ができないならロシアと協議するべきである。

日本ではプランBの思考が欠如している。

ウクライナの軍事力、日本の自衛力は国際秩序を維持する任務まで負わされるのかと言えば、負わされるべきではない。

いざ戦争になった場合に、戦う一択の(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦争指導がいかに危険かということを(橋下徹は)今回の痛感した。

NATOがロシアとの協議につくべきである。

戦争指導の研究は日本にはないので、日本の政治家たちもこんな(ウクライナやゼレンスキーのような)戦争指導をやるのだろう。

そもそも日本のような一国の国家運営において、そのような国際秩序の維持という任務まで背負わされるべきではない。

ウクライナだけに譲歩を求めるのは酷であると橋下徹は思う。

NATOはロシアと何とか折り合いを付けるべきである。

ロシア、降伏狙い都市爆撃の構えか、民間人被害拡大の懸念、欧米当局者と報道されているが、戦争は始まる前が勝負であり、いかに防衛力・外交力を強化し力の均衡を保つかが重要であるが、しかし残念ながら戦争が始まってしまうと祖国防衛の精神論で戦う一択は合理的判断を狂わせる。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

(ウクライナでは、)精神論だけの抵抗や抽象論の国際秩序の維持は悲劇を生みます(と橋下徹は思う)。

NATOは、ベラルーシに核兵器が配備されれば、なおさらロシアと協議するべきである。

人道回廊「一人も避難できず」ロシア軍、ウクライナ攻勢再開へ、という報道があるが、戦争が始まってしまえば祖国防衛!国際秩序維持の精神論による戦え一択は危険である。

軍事力の均衡とメンツの均衡があり、(日本)国内で勇ましいことだけを叫ぶ一部の声に乗っかり、この均衡点を崩す(日本)政治が最も危険であり、やめるべきである。

戦争が始まれば、(ゼレンスキーにとって)自軍の力と敵軍の力を冷静に分析し、一般国民を守りきれないと判断すれば一般国民を退避させることに全力をあげる戦争指導がいかに大切かは明らかである(と橋下徹は思う。)

NATOはロシアと協議するべきである。

国際法がー、国際秩序がーなんて言ってたら、警察権や司法権のない国際社会で落とし所が着かず、弱い国は言われたら従うが従わない国もある。

(日本における戦争において、)戦争終結は戦闘で勝つことを前提とすることができず(誰の?)政治的妥結で終わらせることが大前提である(べきである)。

(ウクライナ政府による)侵攻直前・後から一般市民徹底退避の戦争指導ができていれば、マリウポリは全員に近い退避はできたと(橋下徹は)思うし、その他の地域でもできたのではないか(と橋下徹は思う)。

停戦協議中のウクライナの安全とロシアの安全くらいは、戦争になる前にNATOとロシアが政治的に折り合いをつけておくべきだったが、NATOは責任を感じて、今からロシアと政治をするべきである。

今はウクライナを犠牲にし我々西側諸国さえよければいい国際政治になっています。

NATO・西側の政治家は、一斉にキエフに行き、NATOとロシアの協議をまとめるべきである。

(ウクライナ戦争において)完全な事前計画は確かに無理ですね(と橋下徹は思う)。

NATOはロシアとヨーロッパにおける安全保障の協議をするべきである。

もちろん今戦っているウクライナの人たちには(橋下徹は)敬意を表します。

日本の政治家や学者などのインテリたちは理想を曲げることができずプランAにこだわり続け結局目的を達成することができないが、目的を達するためには理想ではないがプランBを採るべきである。

市民を残して早々と脱出した市長の報道発表やAP記者の記事によると市民の4分の1が侵攻開始直後に避難したとのことであり、1日の差で逃げられなくなり強制連行の対象になったり、今悲惨な状況の中で総攻撃を受けるかもしれない環境であり、(ウクライナ、ゼレンスキーは)侵攻直後の退避指導が必要でした。

ウクライナは単なる被害者に過ぎないのであるから、NATOは、元々のNATOとロシアの政治の話に戻すべきである。

結局、西側諸国特にアメリカは、弱い相手は叩きのめし、強い相手には喧嘩をしなので、これは人道ではない。

ウクライナが同意済みって、政治・学者エリートだけでそんなことを決められたらたまったものじゃなく、それに従う国民もいれば嫌な国民もいるので、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は、18歳から60歳までの男性の出国を禁止したが、逃げたい国民は徹底的に逃した上でその長期戦をやるべきである。

ロシアが悪なのは当然であり、ロシアの即時撤退は当然である(と橋下徹は思う)が、ただし戦わない一般市民の退避を念頭におくかどうかは(ゼレンスキーの)戦争指導として超重要である(が、ゼレンスキーはそれを行っていないのだ駄目である)。

NATOとロシアは、終始、政治の知恵で解決すべきである。

一般市民の徹底退避を完全降伏だと考えてしまうのは凝り固まった戦争観だと(橋下徹は)思います。

警察権や裁判権のない国際社会においては戦闘での勝負と同時に第三国による和平仲裁も重要です。

ウクライナ高官「今後2週間、東部で重大な戦闘」、露軍攻勢か、との報道があるが、(ウクライナ政府、ゼレンスキーは)キーウ中心地防衛と同じく国家の総力をあげて一般市民の退避を行うべきである。

この戦争を終結させるにはNATOがロシアとヨーロッパにおける安全保障の協議を行うべきである。

いざ戦争になれば、一般市民の犠牲をいかに少なくするか、そのためには逃げることがいかに重要かが今回のウクライナ戦争ではっきりしたはずであるが、日本の戦争指導にはその点が欠如している。

軍事力強化は戦争を避けるためのもの、戦争前の外交をうまく進めるものである(と橋下徹は思っており)、いざ戦争が始まったら国民の命を守るものであるべきである。

(ゼレンスキーのように)一般市民の恐怖をリアルに感じない者は、一般市民の犠牲を安易に容認する(と橋下徹は思う)。

ウクライナは、NATOとロシアの政治的妥結の失敗の責任を取らされているだけであり、NATOとロシアが始末をつけるべきである。

日本でも今後武力衝突の可能性があるが、その際、崇高な理念だけを掲げ、一般市民の意思や犠牲を無視する戦争指導だけは(誰に?)止めてもらいたい。

(ウクライナ、ゼレンスキーの)戦う一択の戦争指導では、政治家が自分の命と引き換えに市民の命を守るという思考にならなくなり、日本で(この悪例を参考に)戦争指導の研究が必要である。

一番の犠牲(者)はウクライナであり、市民の命の莫大な犠牲と国土の破壊があり、ウクライナに関する限り戦争前の妥協可能点より悪くなっている(と橋下徹は思う)。

NATOとロシアがこの協議で政治的妥結をすればウクライナを救えうことができる(ので、そのようにすべきである)。

日本で戦争指導の研究が必要だ。

ウクライナや東欧と同じく勢力圏がぶつかる日本においては、極度の緊張状態で力の均衡を保つ超高度な政治が必要である。

マリウポリの製鉄所から市民約20人救出、ウクライナ側に避難開始か、という報道がされているが、(ウクライナ政府にとって)一般市民の退避・救出が戦時においては最も重要であるべきである。

NATOがロシアと政治的妥結を行うべきであり、まさに(ゼレンスキー、ウクライナの)政治の失態がウクライナの一般市民にどれだけの犠牲を与えたことかと考えれば、ゼレンスキー、ウクライナの失政は明らかである。

戦争指導の研究は日本にはない。

現実、NATOが侵攻されるリスクがないことがよく分かりましたので、同じく戦争後においても合理性の判断に基づいて戦闘行為を考えなければなりません。

西側諸国の反戦の声がプーチンに届くよりも、(ウクライナからの)男性出国の件がゼレンスキー氏に届く可能性の方が高い。

ウクライナの領土を守るために、NATOがロシアの他の利益を埋めることを考えるのが政治である(べきである)。

戦争指導者層と一般市民の感覚が乖離していくのは太平洋戦争で日本は経験した。

(橋下徹は)ウクライナの抗戦意志は尊重していますが、しかし我々は太平洋戦争での失敗の経験がありますし戦況も冷静に見ることができるので、戦争が始まれば闇雲な戦い一択は危険なので、(ウクライナは抵抗を)やめるべきである。

僕(橋下徹)の話にリアリティがないとうるさかったので、リアリティを引っ掛けてちょっと言い返し過ぎたかもしれません。

ロシアの蛮行を早期に止めるにはNATOの軍事介入かNATOとロシアの政治的妥結しかなく、前者は世界大戦になってしまうので、後者しかない。

日本に武力衝突が生じたときに一気に戦う一択になることは戦争指導としては非常に危険であり、これは国家運営、政治の話である。

ナザレンコ・アンドリーは、戦争が始まれば究極の災害として対応しなければならない、ということを知るべきである。

ナザレンコ・アンドリーは祖国のことは辛いやろうけど停戦が訪れることをとにかく願うべきである。

今回のウクライナ・ロシア戦争はロシアが一番悪いが、NATOとロシア

専門家が自分が研究している原理原則を絶対視し、そのことによる弊害に意を払わないのは、感染症の専門家が感染を抑えるためにひたすら社会経済活動の抑制を主張するのと同じである(と橋下徹は思う)。

(戦争のためには、)場合によっては二枚舌三枚舌密約外交をやるべきであり、NATOがその象徴です。

ウクライナ情勢で米バイデン大統領は”核戦争懸念する必要ない”と言ったが、このバイデン政権の認識は大丈夫か?と橋下徹は思う。

(アメリカの)ウクライナへの航空機の供与は当然であり、ロシアとの世界大戦を恐れて航空機のアメリカが供与をしないということはウクライナを犠牲にして国際秩序を維持し自分たちの利益を守る卑怯の極みであり、そんなことをするくらいならNATOとロシアとウクライナでウクライナの中立化について政治的妥結をすべきである。

戦争指導についての専門家が日本に皆無なのが危ない。

西側諸国は責任をもってウクライナとロシアの軍事力比較、戦況分析、プーチン政権瓦解などの今後の見通しなどを正確にゼレンスキー大統領に伝えるべきだ。

ウクライナはどこまで戦わなければならないのでしょうか、橋下徹は疑問に思う。

《NATO―東方拡大》

戦地では死の恐怖が目の前に晒され、苦痛にうめいている非戦闘員のウクライナ人がたくさんおり、彼ら彼女らの全員が将来のロシアの蛮行を防ぐために、自分の命を投げ打つ、この苦しみを受け入れると考えているのか、それともとにかく今目の前にある恐怖から逃れたいと考えているのか、それは安全な日本からは分からないことだ。

自ら戦わず「プーチンの暴挙を止めろ!」「ここでプーチンを止めなければ民主主義が破壊される!」と口だけの西側諸国に踊らされず、厳しい現実を受け止めながらできる限りの国民の命を救うのが政治の役割である(べきである)。

旧ソ「ミグ29」のウクライナ提供が難航し、米国がポーランド提案拒否したが、アメリカもポーランドも結局自分が責任を負うことから逃げる。

プーチンの最終目標が本当にNATOの東方拡大の阻止なのであれば、ウクライナに全責任を負わせ戦わせないために、NATOはロシアに譲歩して攻撃を止めさせるべきである。

NATOはプーチンと折衝すべきである。

冷厳な戦略という軽薄な言葉で長期戦や一億総玉砕を肯定することは違うと判断するのが太平洋戦争を経験した日本の政治家の役割である(べきである)であるが、威勢のいい政治家はその判断ができない。

バイデン・NATO政治の最大の問題は覚悟もないのに脅しを使うことであり、口だけであり、中露に見透かされており、学級委員政治である。

《NATO―加盟》

(戦争について)抽象論を振りかざすのは我々識者たちの戯言である(と橋下徹は思う)。

ウクライナが市民総動員でロシアと戦おうとする気持ちは(橋下徹は)理解できるが、しかし市民への攻撃を回避し、ロシアの戦争犯罪を追及するには(ウクライナは)戦闘員と非戦闘員の区分けは明確にすべきである。

これ(ウクライナ戦争?)を安全保障理事会の議論で解決するというのが学者の感覚なら、その道の学者にとっては安保理は凄い存在なんだろうと、橋下徹は思う。

NATOはウクライナを素早くNATOに加盟させるべきである。

今朝の日曜報道the

政治的妥結は一方的な降伏とは異なります(と橋下徹は思い)、戦争を終結する方法として、戦闘以外の終結方法の一つであり、最善解であるべきであり、ゼレンスキー大統領も戦争を終結するには協議しかないと言っています(と橋下徹は思っています)。

米国においても、トランプ政権は、あれもこれも理想を掲げて結局何一つ実現しなかったオバマ政権とは違って、アサド、ロシアを容認しISを潰した。

ウクライナが抗戦すれば、NATOは腹を括ってウクライナをNATOに入れるべきである。

学者の言う東方拡大が誤りか正しいかって何のための議論かと言えば、そんなの西側とロシアの立場の違いで評価が変わるものであり、日韓における安重根の評価のようなものであるので、無意味である(と橋下徹は思う)。

戦争指導者(例えばゼレンスキー)の第一声は「国民の安全確保」であるべきであり、それ以外の文学的表現は不要であるべきであり、かえって有害であり(と橋下徹は思い)、そしてそこから軍事戦略・外交戦略・戦争終結戦略などの全てを導くべきであり、ゼレンスキーはそれをしなかったと橋下徹は思うが、今回ロシアが一番悪いのは当然と(橋下徹は)言っておく。

ロシアが戦術核を使用することは絶対にあり得ないと専門家で断言する人を(橋下徹は)見たことがなく、誰に聞いても可能性は否定できないと言うが、アメリカが、ロシアの戦術核の使用は絶対にないという情報を(誰が?)持っていればいい(と橋下徹は思う)。

《NATO―プーチン》

もちろん僕(橋下徹)の持論も100%正しいものではないでしょうが、しかし篠田が言うように意味がないとか、害だというものでもなく、それは学者の典型的な驕りである。

日本も戦争が起こることを前提に、電子投票インフラを整備することが絶対に必要である。

アメリカは本当に大丈夫か(と橋下徹は思い)、危険なチキンレースになっていないか(と思う)。

ロシアがウクライナを植民地化することが目的なら徹底抗戦しかないが、NATOの在り方を変えたい目的ならウクライナだけが犠牲になる必要はなく、NATOの指導者とプーチンが政治的妥結をしてウクライナ人の生命を救うべきである。

学者はこれまで読んだこと、聞いたことのない見解を理解することは困難なのである(と橋下徹は思う)。

戦争指導はとかく戦闘員の視点になりがちで今回の日本の風潮もそうだったが、戦争指導は非戦闘員の視点も超重要であり(べきであり)、それが戦う一択ではないという意味であり、日本でもそうなりつつある。

(この戦争は)プーチンやバイデンはもちろん西側諸国も含めた政治家たちで早期に解決するべきである。

NATOはプーチンと折衝するべきである。

日本の学者がこのレベルとは堪らんな。

命が保証されている日本人は、過去の歴史を引き合いに、ロシアの蛮行の恐れを防ぐためには戦うしかないと言うべきではない。

結局戦争とはこういうものであり、いくら勇ましいことを言っても(マリウポリ)市長ですら死の恐怖から逃れたい(と橋下徹は思う)。

ロシアのウクライナへの要求は明確だが、今の戦況でのプーチンのNATOに対する要求は不明であり、政治とはたとえ相手が残虐な独裁者であってもまず相手の要求を聞くことであるので、聞いた上で妥結は無理か可能かを判断するべきである。

ゼレンスキー大統領とウクライナが、NATOとロシアでヨーロッパの安全保障の在り方を0から作ってくれと戦地から訴えることに西側は応えるのか、拒否するのか、ここが最大の政治的ポイントである。

意味のないことを延々時間をかけて議論するのが学者である(と橋下徹は思う)が、(学者は?)実務的には利益かどうかを議論すべきである。

中国も凄まじい圧力を韓国にかけてサードの追加配備を阻止した。

NATO・西側の政治家は少しは責任を感じて悪魔のプーチンと政治をするべきである。

日本の不幸なことに、この手の学者、演劇観賞感覚でセリフの感傷に浸るような者たちが多い。

日本も戦争が起こることを前提に、電子投票インフラを整備することが絶対に必要である。

ロシアのウクライナ侵攻の紛争はNATOとロシアの紛争である。

ロシアのウクライナへの要求は明確でも、今の戦況でのプーチンのNATOに対する要求は不明だが、政治とはまず相手の要求を聞くことであり、たとえ相手が残虐な独裁者であっても、聞いた上で妥結は無理か、可能かを判断すべきであり、要求も聞かずに妥結は無理と決め付けるのは政治ではない。

(この手の学者連中は、)さらにゼレンスキー大統領が英議会演説でNATOの介入を求めていることが政治的に本質であるにもかかわらずハムレット的な修辞に拍手している。

ウクライナだけに負担を負わすのではなくNATOとロシアで政治的妥結をはかるべきである。

国家の非武装はあり得なず、中立性はウクライナだけの問題ではなく、結局NATOとロシアの勢力均衡ラインの軍備管理の話である。

今回の戦争がヨーロッパの安全保障の枠組みを巡っての政治の失敗が主な原因であれば、NATO・西側の政治家は少しは責任を感じて悪魔のプーチンと政治をし、ウクライナの安全を守るヨーロッパの安全保障の枠組みを作るべきである。

ネット時代様々な専門サイトが戦況を伝えているが、この手の学者連中は「ウクライナ、予想外に頑張ってるな」などのコメントを連発し、戦地がどれだけ悲惨な状況かが想像できない(と橋下徹は思っている)。

日本でも要注意なのは、(日本)国内で威勢のいいことを叫ぶ勢力に乗っかる政治が、軍事的均衡、政治メンツ的均衡を崩すことのないように厳しく監視しなければならない。

ただこんな酷いロシアの攻撃があり、さらにエスカレートする可能性があるのに、ロシアが経済的に崩壊し、民衆による政権転覆、軍事力クーデターが起きるまで、ウクライナ国民頑張れ!と(西側諸国民が)声援を送るのは、間違っている。

ウクライナ人の生命を救うために、NATOの指導者はロシアに譲歩するべきである。

ゼレンスキー英議会演説の、悲惨な多くの死を生み、目の前に死が迫っている者たちの切実な訴えに応えることなく、その他の文学的表現に拍手喝采とは欺瞞の極み、というか超お花畑であると、橋下徹は思う。

(ウクライナ人の)男性(の国外)出国の件は、外国で暮らすウクライナ人を中心に西側諸国民が声を上げ西側諸国の政治家を通じてゼレンスキー大統領に届くようにすべきである。

NATOや現状の国際秩序を死守するために、それを変えたいロシアはウクライナに矛先を向け、ウクライナだけが犠牲になっている。

ウクライナだけの譲歩はダメ、ロシアにも譲歩させるべきであり、そのためにはNATOが譲歩するべきであり、NATOの譲歩分だけウクライナの譲歩が減る。

言えることは戦闘員は命をかけて戦っているので(橋下徹は)敬意を表する。

(日本の政治家やインテリは、)プランAを実行し、難しければプランBの検討を行うべであり、あるいは併用をするべきであるが、日本の政治家やインテリたちの多くはプランBの検討すらしない。

西側諸国民は幸せな生活を送り続けます。

NATOとロシアが互いに譲歩をしてキエフ総攻撃を回避するべきである。

プーチン政権を倒すのがベストだが、西側諸国がやるのは経済制裁のみである。

国際社会は、住民避難にも力を入れるべきであるという点を、ゼレンスキー大統領にも伝えるべきである。

西側は当時のセルビア・ミロシェビッチを敵視しコソボを支援し、ロシアはウクライナ・ゼレンスキーを敵視し東部とクリミアを支援したが、安保理の決議なく軍事力を使ったのは両方同じである。

NATOは東部地域のウクライナの主権を守ることと譲歩とのロシアとのトレードオフを考えるべきである。

橋下徹や玉川徹には理解不能、ウクライナ人が無条件降伏は絶対しない理由、という記事があるが、これはいざ戦争が始まってしまうと、論理的な思考ができなくなる典型である。

ロシアのウクライナ侵攻での解決策は、国際社会がプーチンと話をし、政治的な妥結をするべきである。

我々西側諸国は世界大戦を避けるためロシアとは戦えず、国際秩序を守る!と息巻いてもそれはチャーチルではなく、ウクライナを犠牲にして国際秩序を守るということである。

NATOとロシアが互いに譲歩するべきである。

今回の西側の対応をロシアに妥協しないチャーチル的政治、ないしは軍事介入しないことを捉えてチェンバレン的チャーチル的二側面の妙と評価する学者が多数いるが、つくづく学者と元政治家の物の見方の違いを(橋下徹は)感じた。

ロシアを追い込むためにこのような政治を進めるならば、まずイラク戦争は間違いだったことをアメリカ中心に国連が決議するべきであり、そこまでの政治が必要である。

ロシアの暴挙は許されないが、ただし今回の戦争はNATOとロシアのつばぜり合いから生じたものである。

西側が本当にウクライナを支援する気があるなら、ウクライナが過大な譲歩を迫られないようにNATOとロシアでヨーロッパの安全保障の枠組みを協議し直すべきである。

学者たちは国際秩序・正義という言葉で表現し、1ミリたりとも譲歩するなと(ウクライナ人に)言うが、それと比べて戦地のウクライナ人はどうですか? そんなこと思っていない(と橋下徹は思う)。

ウクライナを支援する日本政府はウクライナに行く日本人の渡航費用を予算化するべきである。

プーチンはウクライナのNATO加盟とウクライナの核武装の脅威を主張している。

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