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人に教えることの効用

 私は最近、松葉舎(しょうようしゃ)という私塾の授業を受けている。

 きっかけは、松葉舎の代表の江本伸悟さんと数学者の森田真生さんの対談イベントに参加したことだ。

 そのイベントで森田さんが松葉舎を評して「塾生が自分の探求したいことをそれぞれ探究し、江本さんがその人の探求したいものが何なのか探すことの手伝いをしている」と言っていたので、私も自分が探求したいものを探すことをしたいと思い、入塾させていただいた。


 松葉舎の塾生の方々は若い方が多く、また、すでに創作活動をされている方が多かった。
 私が関心があるのは仏教と環境改善だが、仏教はまだしも環境改善については他の塾生の方々は知らない方が多かった。

 松葉舎の授業は、代表の江本さんが一方的に講義をする、というような形ではなく、塾生がそれぞれ探究しているものの進捗状況を報告し合い、それについて塾生同士や江本さんが所見やアドバイスを加える、という形のものだった。(江本さんが今関心のある話題を話す時間もある) 
 実に自由な空気感で、塾と言っても上下の関係というよりは、代表の江本さんも含めて全員が横並びの関係で、互いに切磋琢磨しながら共に歩んでいる雰囲気だった。
 これはたしかに、一人で探究するよりも学びがあるだろうと感じた。

 先日私が入塾してから2回目の授業があったので、私は自分が関心を寄せている環境改善活動について、最近自分が関わった現場の写真を見せながら説明した。
 説明しながら、江本さんや塾生の方から質問があった。それについて答えようとして説明する中で、自分の頭の中でも混乱したり、理解が曖昧な部分があって説明がうまく行かなかった。正直、あの時間の皆さんには申し訳ないことをしたなぁと思った。

 誰に聞いたか忘れたが、「本当に物事を理解しているなら、それを中学生にも分かる言い方で説明できるものだ」という話が私の頭に残っている。それでいうと、先日の私の説明は到底中学生に分かる説明ではなかった。
 私が学んでいる「大地の再生」特有の理論、言い回しといったものを多用して説明してしまい、なぜそうなるのか、なぜそれが大事なのか、といったことの根拠の説明ができなかった。
 分かっているつもりでも、自分の理解が浅いことがよく分かった。

 
 この経験から、人に物を教えるということは自分自身の理解を深める意味で非常に意味があることが分かった。
 相手が一度の説明で理解できなかった時に別の言い回し、比喩を用いて説明できるか、相手から質問を受けたとき、それに即座に適切に答えることができるか。そういったところから、自分の理解度が測れると分かった。

 そういえば、教職の免許を取った大学の後輩が「教科書に書かれていることを教えようと思ったら、教科書に書かれていることの何倍も知らないと教えられない」と言っていた。今なら後輩の言葉にも頷ける。

 一人では決して得られない学びを得られた。これからの松葉舎の授業もたいへん楽しみだ。


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 最後まで読んでくださりありがとうございました!