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三流のお役目

 「本物」に出会ったら、「あ、自分はこの人の力量には全然及ばない」と分かります。決定的に分かってしまいます。


 鎌倉 無銘(Mumei)さんという方と先日、スペースでお話させていただきました。(私は51分20秒くらいに入った)

 上座部仏教の瞑想実践を非常に強い強度で行われた経験のある方です。
 お話を伺って、「あ、この人は本物だ。仏教の瞑想実践において一定の境地に達した人だ」と分かりました。

 「一定の境地」について少し説明します。
 仏教の瞑想実践については以前触れましたが、ヴィパッサナー瞑想という仏教独自の瞑想法があります。これは、段階をちゃんと踏んでいくと「悟り」という仏教が目指すゴールに辿り着ける方法とされています。
 そして、上座部仏教においては「悟り」というゴールに向かっていく途中にいくつかの段階があり、それぞれの段階に至った時の境地が語られています。仏教において「悟り」は智慧を高めて無明(生き物の根本的な愚かさ)を晴らしていくことで達成される、と言われています。その「智慧」は「洞察智」と呼ばれる13段階の境地として示されています。

 私はスカトー寺で2週間修行をした時、自分にとって非常に重要な気づきがあり、精神的な安心感を得た貴重な機会がありましたが、「洞察智」は得られませんでした。そして「洞察智」を得るには通常の意識状態を超える集中状態(禅定)に入らないといけないのですが、私はその禅定状態にも入ったことはありません。「悟り」をゴールとすると、その手前にある13の洞察智が開かれる境地、そしてさらにその手前の禅定に入る境地があります。私はそのいずれにも至っていない状態です。

 しかし、先日お話させていただいた無銘さんは禅定状態はもちろん、洞察智の段階も全て経験したとおっしゃっていました。そして、私がお話させていただいた感想として、その発言は嘘や誇張や勘違いではないだろう、と思いました。

 無名さんが仏道修行に進まれたのは、御本人がたいへん苦しい思いをし、躁鬱や希死念慮に苛まれ、自殺未遂を繰り返すほどの苦しみを人生において感じられていたことが動機となっていたそうです。そして、それを解消するために鬼気迫る勢いで修行を行ったそうです。なんと歩行瞑想や呼吸瞑想を毎日気を失うまで行うほどの激しさで修行をされていたそうです。

 また、御自身がそうした境地に至った後、その境地やその境地に至るための方法などについて特に外に発信することをしていなかったそうなのですが、弟さんが自殺でお亡くなりになったことを契機に外に発信するようになったそうです。
 御自身も自殺未遂をするほどの苦しみを抱えていたが、仏教実践で苦しみを解消したので、自分と同じように苦しんでいる人も仏教実践につなげられれば救われる人もいるのではないか、という思いを抱き、今は仏教実践についての発信をされているそうです。かつての御自身や弟さんに届くように。

 さて、無銘さんのお話を伺いながら私が考えていたことは「私より進んだ境地を経験されたこの方が発信されるのに、それより数段劣った私が何かを発信する意味はあるか」ということでした。
 無銘さんが経験して私が経験していない境地はあっても、私が経験して無銘さんが経験してない境地はないわけです。なら、私が何か言う意味ある?という気持ちが生じました。

 しかし私はこの問題に一度答えを出していたのでした。

 仮に無銘さんをこの道の「一流」と呼ぶとすると、私は一段下がる「二流」ですらなく「三流」でしょう。これは謙遜でも自己卑下でもなく、到達した境地から考えて客観的にそうだと思います。
 ただ、私も三流なりに仏道修行を続けて、スカトー寺での経験を経て、以前の私よりは自分自身に対する信頼感、安心感を得ることができました。 

 曲がりなりにも修行をし、安心を得た経験から語れる言葉もあるでしょう。
 また、私のnoteを読んで良いと言ってくださる方がいます。リアルの友人も読んでくれている奴もいます。それは私の人柄を込みで読んでくれている、いわば「補正のかかった」判定かも知れませんが、私に届けられる言葉がある傍証にはなると思います。

 もちろん、かつての無銘さんほどの深刻な苦しみの中にいる人に、私が役立つ言葉をかけることはできません。そういう方は無銘さんにつながる方がより良いと思います。
 でも、違う苦しみを持つ方には私でも届く言葉を発することができるかもしれません。私も私なりに苦しんできて、それで仏教に辿り着いたという経緯があるからです。

 無銘さんのスペースの最後の方で少し話したのですが、網は多い方が良いです。網が多い方がさまざまな苦しみを抱える人が引っかかる可能性が高くなり、その人が落ちて行かないですむ可能性も上がります。

 正直、私独自の発信というのがどんなものか、未だに私は見えていませんが、私なりに網を張って、苦しんでいる人を掬う(救う)お役目を果たしたいと思います。


 本日21時から、無銘さんがスペースを行います。
 私も参加して、無銘さんが仏道修行に進まれた経緯、進まれるまでの苦しみ、そして修行を経てその苦しみがどのように解消されたか、というお話を伺いたいと思っています。
 御関心のある方は、是非聞きに来てください。よろしくお願い申し上げます。


8/19追記
 最初、無銘さんの説明の部分で「ミャンマーに渡航」という記述がありましたが、無名さんより「ミャンマーには渡航していない」という旨の連絡を受けましたので、記述を訂正いたしました。

 無銘さん、事実と異なる記述をしてしまい申し訳ありませんでした。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!