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僕らはずっとまってる

こんにちは。
随分と長い間、更新していませんでしたが、
気持ちを言葉にしたい出来事がありましたので、
この場に残させてください

1月の下旬、私たち夫婦の元に小さな命がやってきてくれました

私たちは、結婚してから1年半です。
子どもを望んでいたので、大喜び。
すぐ両親と義両親にも報告をしました。


2月5日に初診、胎嚢を確認できました。
そして約2週間後の2月20日に心拍確認も無事にできました。
順調だ。妊婦生活は喜びに満ちていました。

「次は3月5日来てください」
予定通り、2週間後に受診をしました。2度目の心拍確認の予定でした。
この時9週2日。

その日までつわりもあったし、出血もなく、順調に思っていました
検診を心から楽しみにしていて、ワクワクしながら受診しました

エコーを見た先生が「赤ちゃんが大きくなってないね」
と言われて私が、「・・心拍は動いてますか?」と聞くと
「残念ながら確認できないね」

目の前が真っ暗になりました。本当に文字通り。

「診察室で詳しいことを話すから」と言われたと思うけど
その声は私の耳にはほぼ届いていませんでした。

嘘だと言ってほしい、悪い夢であってほしい、もう一回ちゃんと見てほしい・・
そんなに残酷な診断をなぜそんなに淡々と・・・

不安とも恐怖とも言われぬ感情が次から次へと湧いていました
診察室に再び案内されるまで、全身が震えていました。
夫は仕事だったので、一人で待つ時間が本当に本当に心細かった。しんどかった。
この時が人生で一番辛い時間でした。

診察室に呼ばれ、先生の話を聞きました。
「9週までにはよく起こることです」
「自然排出と手術どちらにしますか」
それからも、色々な説明があったけど、まともに聞けていなかったと思います。

自然排出を待つことにして、4日経ったところで、腹痛があり、
不安もあったので、再び受診しました。
このまま不安を抱えながら、また、亡くなってしまった我が子を
お腹に宿しながら日々を送ることが辛く手術を行うことを選択しました。

そして診断から1週間後、流産手術を行いました。

手術は麻酔を使ったものの、ものすごく痛く、お腹の赤ちゃんが本当にいなくなってしまうということも相まって本当に辛かったです。

担当医が手術を担当してくれたのは、心強かった。
看護師さんもずっと声をかけ続けてくれて、救われた。

私たちを選んできてくれた、赤ちゃん。
手術が終わる頃には心は落ち着いていました。
夫も仕事を休んで迎えにきてくれて、一緒に帰りました。

手術後もお仕事はお休みしました。
職場の方も本当に温かく、「体調とご自身の気持ちを一番に」とまで言ってくれて
安心できました。

周囲の人の温かさに気づかせてくれた、赤ちゃんに感謝だなと思いました。
失ったものばかりではなく、気づかせてくれたのかもしれない。
私が前を向ければまた帰って来てくれるかな。そう思えるようになりました。

とはいえ、毎日気持ちの浮き沈みはあり、明暗を行き来していました。

その間、少しでも私の気持ちが和むようにと、
外に連れ出してくれたり、
私が取り乱しても、どんな言葉を吐いたとしても
全部受け止めてくれた夫には、感謝と共に尊敬しかないです。

またずっと励ましてくれた家族、
母子手帳やエコー写真をお焚き上げしてくれた祖母
毎日のようにメッセージを送ってくださった上司
温かい言葉を掛けてくれた友人

たくさんの人に支えられました。

また会えるよね。
ずっとまっているよ。
笑顔で前を向いて過ごすから、また来たくなったら戻ってきてね。

春。桜の季節にお空に帰っていった、天使になった赤ちゃん。

森山直太朗さんのさくらを聴いて歌詞が重なり。
とても励まされています。


最後まで読んでくださりありがとうございました。
みなさまも穏やかな春を迎えられますように。

#稽留流産 #流産




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