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eスポーツプレイヤーと個人ゲーム開発者の似ているところ

好きでゲームをプレイしているeスポーツプレイヤーと、好きでゲームを作っている個人ゲーム開発者はすごく似ているところがあります。

気質や業態のような点ではなく、なぜか周りの人たちがサポートしてあげたい、サポートしてあげなければならないと思わせているところです。

生活に困っているわけではない

eスポーツプレイヤーとは、端的に言えば1人または知り合い同士で勝手にゲームを遊んでいるだけの人で、たしかにすさまじいプレイスキルを持っていたり、想像を絶するほどゲームに熱中していたりはしますが、たいていは別に生活に苦しんでいるわけではなく、食べるのに困るほどお金がないわけではありません。

にもかかわらず、赤の他人たちが「ゲームに本気になっている、すばらしい魅力を持つ彼らをヒーローにしなければならない」と鼻息を荒くし、eスポーツという輝かしい舞台に引っ張り出してお金と人気を稼ぐサポートをしようとしています。

一方で、個人ゲーム開発者もたいていは明日の宿がないような生活苦にあるわけではなく、仕事をしながら趣味の範囲で、あるいは作ったゲームで稼いでゲームを開発しています。

そんな彼らの活動をサポートしようとする動きはますます加熱しており、インディーゲームを取り上げる番組を作ったり、開発やマーケティングに関するスキルを提供したり、はたまた直接的に開発費を支援したりする赤の他人たちがいます。

正直に思うのは、そもそも(自由に好きなことができるほど)比較的恵まれている彼らをどうしてそんなに熱心に、まるで絶滅危惧種かのように保護し持ち上げ、サポートしようとするのか、ということ。だって、すでに彼らは(自由に好きなことができる程度には)幸せなのでは?

もし本当に困窮しているなら、サポートすべきは「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ための部分のはずです。ではいったい、人々はなぜ彼らをサポートしようとするのでしょうか。

数を撃たなければ死ぬ

共通点は、両者がエンタメの領域にあることです。エンタメの商品はすべて水物です(ここで言う商品はグッズ、サービス、IPなど金銭と交換されうる何もかもを指します)。つまり、それまで絶大な人気を誇った商品でも、明日にはコロッと関心を持たれなくなる可能性があるということ。一切の需要が消え去り、その市場で食べていた人たちが一瞬で露頭に迷う可能性があります。

それを回避するには、基本的には収益源を分散しておくしかありません。何が売れるのか分からない市場なので、とにかく数を撃つことが重要です。その中から1つでも大当たりの商品が誕生すればまるっと儲かり、その周辺にいる多くの人が豊かになります。また他方で、小さく売れる商品を数多く持っておくという方法も成り立ちます。

いずれにしても、エンタメ市場では商品点数が正義です。

収益源分散と文化醸成の役割

eスポーツプレイヤーが重宝され始めているのは、(広義の)ゲーム視聴の市場が誕生したことで、その市場で稼げる可能性が出てきたからです。よくキーワードに挙がるのが「熱狂」。eスポーツプレイヤーは熱狂的にゲームをプレイし、その姿を視聴し応援する人たちもまた熱狂する。その熱狂がお金を生む。eスポーツと熱狂は切っても来れない関係にあるように見えます。

僕は単なる熱狂はあんまりお金にならないんじゃないかなぁと思っていますが、それはともかく、ゲーム視聴の市場での収益源としてeスポーツプレイヤーが有望視されているので、その活動をサポートしようとする人たちがいる、ということになります。

個人ゲーム開発者も似たような感じです。とにかくゲームは当たり外れが激しく、企業が数億円かけて開発したゲームの初月売上が数万円だった、なんて話も聞いたことがあります。責任者だったら頭を抱えるどころか首から千切りたくなりますが、それくらいに明暗が分かれるのがゲームです。

だからこそ数を撃つ戦略に出るべきですが、あいにく開発費が高騰しているそうで、闇雲な開発体制は取れません。そこで白羽の矢が立つのが個人ゲーム開発者です。おそらく何万人単位で存在する個人ゲーム開発者(または少人数の開発スタジオ)の作ったゲームは、ときおり大手ゲーム会社の商品を上回るような売れ行きや人気を獲得することがあります。

彼らの作ったゲームが万一の大当たりをしてくれるかもしれないとすれば、おこぼれに与るために先に唾をつけておこうと考えるのが自然です。その唾というのがサポートです。

また別の観点からは、ゲームの文化を(総合的に)豊かにするために、さまざまな実験的な作品が両手からこぼれ落ちるほどたくさん世に出てくるべきだという考えもあります。大手ゲーム会社が気軽に挑戦しづらくなっているのであれば、誰か別の存在がその役割を担わなければなりません。それが個人ゲーム開発者だというわけです。

誰が金の卵を生むか分からない世界で

余暇に好きでゲームをしている人、余暇に好きでゲームを開発している人。なぜ彼らを産官学が手を取り合ってまで手厚くサポートしようとするのか、なんとなく見えてきたと思います。

当然、こうした動きに反感を持つ人もいるでしょう。「別に困窮していない人を(とりわけ経済的に)支援するなんて!」と思いたくもなるかもしれませんが、やっぱり感情的に決めつけるよりは、ここまで書いてきたような自分なりの理屈を考え、そのうえで賛否の意見を持っておくほうが健全です。僕はもちろん賛成です。

僕たちが生きる社会ではお金を生みうる価値は必ずその機能を発揮させられてしまいますから、なぜそうなのかを理解して、自分も(真っ当に)利用するようにしたほうがより楽しい人生を送れるのではないでしょうか。

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