見出し画像

【コロナと自粛と】

4月上旬に緊急事態宣言が発令されてから早一か月以上経つ今日。今までの生活からかけ離れた世界で生きているような心地の人も少なくないと思う。これを書いている中の人ですらそうなんだから。
職場が休業になってしまい自宅での毎日を過ごす日々。私も大学生になってから毎日2時間弱の通学と部活のおかげで「自宅で過ごす生活」というものから遠くかけ離れたような人生を歩んできたからこそ、この自粛期間の「Stay home」というものが最初は苦痛とストレスでしかなかった。
おそらく私と同じような症状を発令(?)してる人は少なくないかと思う。毎日昼過ぎに起きてぼーーっとしてからPCつけて意味もなくyoutubeやニコ動を周回して夜になったらテキトーに晩酌して寝る…そんな毎日の繰り返しじゃないだろうか。
またある人は今まで多忙で手を付けられてなかったゲームに手を出しゲーム廃人として生きていたり、絵師として毎日満足するまで絵をかいてみたりと、今の自分に余裕がなくてできなかったことを見出してこの期間を過ごしてみたりと、人さまざまかと思う。
しかし何も悪いことだらけではない。
通勤通学の朝ラッシュ・夕ラッシュの混雑率の低下は誰が見ても明らかなくらいだ。私も何日か最寄り駅でマスクをしてラッシュの駅を眺めていたが、朝の8時とかのピークの時間ですらこんなにすいているのかと思うくらいの混雑なのだ。私が毎日通勤で朝利用していた電車もびっくりするくらい空いていた。
また、一部ではまだ定着していないが「マスク」の着用がほぼ自発的な義務のように皆つけていたり、交差点の信号待ちや銀行の待機列でも6フィート間隔の「ソーシャルディスタンス」など、全員の日常生活に対する「意識」というものも明らかに変化してきてるのが明確になってきている。

【そんな一方で】

私の現在の職場が渋谷にある。そういわずも知れた「若者の街」だ。毎日のように渋谷に勤務しているといい場所でありつつも嫌な一面を見せられるのもしばしば。特にハロウィンや年越しなどのスクランブル交差点で行われる謎のイベントは、通勤者からしたらはた迷惑極まりないものでしかなかった。
そんな渋谷の街が3月中旬くらいから変わってきていた。毎日誰かしら駅前の広場にはいて、ビラ配りや動画配信をしていたのに、徐々に減少していき4月アタマには誰もいない日ですらあったくらいだ。
センター街の人通りも日に日に若者の姿が減っていき、通勤での利用者だけではないかと言わんばかりの光景があった。
そう、『若者の自粛への意識』というものをいち早くこの目で見てきていたのだ。しかし報道ではどうだろう?そんな私の目の前で見てきた光景と真逆の報道がなされている。まるで若者たたきをするかのように。
私は特に前述したとおり若者が多く集まる街で見てきたからこそ、今のメディアに対する不信感や不満は一層強くなったのは言うまでもない。テレビのニュース番組なんてもう久しく見ていない。いや「見たくない」の方が正しいのかもしれない。


​【だからこそ】
これを書いてる今日、私は絶賛の二日酔いでして勢いのままに書いてるので日本語や文章が変になってて読みにくかったらそれは申し訳ない。二日酔いのせいにさせてほしい。

これを通して私がつたえたいのは「情報の取捨選択ははっきりすることが大切」だということなのだ。
マスクの買い占めやアルコール、果てには食料の買い占めで混雑するスーパー等を見てみんなはどう感じただろうか。
「ちょっと考えればわかること」がここ最近あまりにも多く飛び交いすぎている。言われたことや見たものをそのまま鵜呑みにして信じ込んで行動に移してしまう人が多くいる。むろんそれを煽るような発言や報道に関してはもってのほかなのだが。
ニュースや新聞の言ってることが100%正しいと思っている人がまだ一定数いるらしいが、それは現実を知らなすぎると私は思う。
自分の見てきたもの、そしてそれを見て感じたことこそが「何にもまして信ぴょう性の高い情報」なのだから。その情報の正確さ・信ぴょう性を比較して自分の知識として理解する。SNSなど情報発信できるものが多くなってしまった現代だからこそ今まさに求められていることではないかと感じている。
この記事を読んでくれた人には、この最後の節で私が書いてることに少しでも共感してくれたらこの記事を書いた意味があるのかなと感じてる。

「今までの日常」はもう返ってこないかもしれないけど、少しでも「今まで」に戻れる日が一刻も早く来ることを願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?