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「誰のための仕事」/読書感想

生産性や効率性を求める労働主義の価値観が余暇に流れてきていることを初めて意識することができた。⁡
⁡休みの日でも意味のある・価値のあること(ボランティアや自己学習)や充実感のあること(ゲームや旅行)を義務的に追い続けてしまう私たち。⁡
⁡じゃあ、何をすればいいのだとまで思ってしまうほど消費社会に飲み込まれてしまっているんだなと感じた。⁡⁡⁡
⁡⁡
⁡覚えておきたいこと。
結論、未来のために現在を犠牲にする前のめりなものではなく、同時的な私自身の変容に目を向けようってことなのか。⁡
⁡なにかに向かっているという感触が、仕事に充実感やときめきを与えるのか。⁡
⁡移行の感覚が今という道草や遠回りにも意味を与えるのだろう。⁡
⁡なにかに向かうということは高度消費社会の青い鳥幻想と表裏一体であるが、今を犠牲にする前のめりの精神ではないということに注意したい。

最後の方の自己とは何かという話に関して思ったことがあった。

人間は自己を、存在として把握するよりはむしろ、自己であると同時に自己でないものを乗り越えようとする意志として、つまり、自己がかかわっている、ないしはかかわらされていると感じてはいるが、自己を満足させてくれない現実、自己が一体となろうとしている渇望にふさわしくない現実を乗り越えようとする意志として把握するのだ。私はあるではなく、私は超えてあるである。

ガブリエル・マルセルのこの言葉は私が前に投稿したものと似た考え方をしていて驚いた。
人間は自己でないものを乗り越えようする意志を自己と捉えており、私という存在は「ある」ではなく、「超えてある」ということである。

まさに同じ。


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