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石巻の魔鬼女(まきめ)伝説:牧山に登る

牧山とは

日曜日の休日、名取老女研究会のフィールドワークをしてきました。
メンバーと牧山登山をしてきましたが、素晴らしい森でしたよ~。
牧山は、石巻市湊にあり散策するコースがあります。
標高250mくらい

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一皇子神社が目印。

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毎回、動きだすと、不思議な出来事が起こるのですが、
今回もいろんな発見がありました。

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牧山の伝承について、

ここ石巻地方には魔鬼(まき)一族がおり、激しく抵抗して政府軍を苦しめましたが、坂上田村麻呂は、彼らの族長の妻であった魔鬼女
(まきめ=呼び名は確定していない)を倒し、ようやく平定することが
できた
と伝えられています。

詳細は、後ほど書きますので、まずは山散策を~。縄文~海民が上陸して守ってきた森のようで、この日は明るい日差しが注ぐ鳥の声と豊かな森の香りに包まれていました。

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数多くの修験者や信仰深い人々により守られてきた森であり、海に近い山なので海民が上陸した時に、木船を造る必要があり、牧山の森を鎮守として航海していたことを想像します。

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庚申碑

山頂には、零羊崎神社(ひつじさきじんじゃ)があり、
登山入口(一皇子神社)から、神社まで
所要時間約1時間くらいで登ることができます。

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震災の時は、津波で多くの民家などが流されました。
近くに住んでいた方の話しから、
当時は水がなかなか引かなかったので、
牧山の尾根をつたって、神社で1ヶ月ほど過ごしたそうです。

海に近いので昔はこのあたりまで浸食しており、岩盤がすごい。

牧山は、北上山地に続く山で中生代の古い地層で形成。
(魚類・恐竜がいた時代:2億~6600万年前)

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こんな風に岩盤がむき出しています!

神社の裏手。
すごいですね~。
ブラタモリ気分・・・

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さて、社報「まぎやま」より

山頂に生息するモミ、ブナ、イナブナが混成する
自然林があり林の下には一面、スズタケで覆われています。
このような林は、石巻地方では牧山しかみることができません。太平洋側の丘陵地や低山地の自然の姿をそのまま残し、「日本の重要な植物群落」の一つ。

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参道は、数多くの遺跡、社寺の遺構もあり、森も手入れが行き届いてます。定期的に間伐をしているため、明るい森でした。

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牧山の地域は、県立自然公園「硯上山、万石浦」の一部
として指定されています。

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一羽の蝶がひらひら飛んできました。
平地の森林公園内によくみかける蝶なんだそうです。

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ルリタテハ(瑠璃色のため)
水色の帯模様がきれいで目立ってました~。

法泉寺跡の石垣

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江戸時代に上野寛永寺の末寺として建てられた経王山法泉寺であり、建立には伊達綱村も関わったという。建て物は、荘厳なる美を極めたものであったそうですが、1832年に焼失。

参道からちょっとはずれた森の中に、お地蔵様。由緒などは不明ですが赤い頭巾がかわらしい~お地蔵様でした。参道ならでは、ですね!

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神輿を降ろし、やすませた盛り土(画像下)

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現在は、車で山頂まで行くことができますが、
昔は、本参道を歩いてお参りするのが習わしだったので、
春と秋の例大祭では、社殿からの神輿を下まで降ろし、
歩いて湊地区を渡御していたそうです。(昭和38年まで)

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牧山の牧は「マギ」とよばれ、遊牧民の言葉だったと言われます。
牧場の方だと思われますが、
詳しいところまで、わかりません。

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八大竜王碑(ここは龍門山と言われる)

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山頂付近までくると、龍神様が祀られています。とても不思議な空気をかもしており、前日の雨のせいか水かさが増していた小さな池もあり、神秘的な所でした。

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この龍神様は、大東亜戦争中に龍神様のご加護を賜わり、無事に帰ってこれた事により建立されたものです。牧山は龍神との結びつきがあります。

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枕元に龍神様がおりてきて「吾を祀れ」な話しが石碑に書かれてました。

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尾根を歩いて1時間ちょっとでようやく神社の鳥居(二の鳥居)がみえてきました。

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ここには、松尾芭蕉の歌
おくのほそみちの碑があります。

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「袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、
はるかなる堤を行く」

眺めも良いです。
今では津波の浸水があったとは思えないほどに
復興している様子がみられます。

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歌枕「尾ぶち(の牧)」の地は、
旧北上川の東岸の牧山のことだそうですが、このあたりと思われます。

曽良事項日記で、
尾駮(ぶち)御牧。石ノ巻ノ向牧山ト云山有。ソノ下也」とある。

「おくのほそ道」に書かれた「まのゝ萱はら」は
萱原地区とされているそうです。

牧山の零羊崎神社

由来をちょっとご説明。

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ご祭神:豊玉彦命

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安永元年(1772年)の『封内風土記 巻之13』では、
応神天皇の勅によって西国から湊邑竜巻島(現在の牧山)に
鎮座したと述べている。

由緒書によれば、応神天皇2年に、
神功皇后の勅願により「涸満瓊別神(ひみつにさけのかみ)」
という神名を賜り、東奥鎮護の神として牡鹿郡龍巻山に祀られたと伝わる。

ひみつにさけ→ひつじさきと転訛したそうです。

涸満瓊別神は、青島神社(宮崎の日向)にも鎮座します。
御祭神名が豊玉彦命(とよたまひこのみこと)の、
海積神社なので、祀られている神が同じです。

潮涸瓊(しおひるたま)・潮干珠(しおふるたま)のことで、
神代にあったという神宝の一つ。
潮をひかせる効力をもつ玉。
干珠(かんじゅ)。⇔潮満瓊(しおみつたま)
※コトバンクより

『石巻市史 第2巻』によれば、当社は藤原清衡より神宝黄金の竜、
葛西清重より銀竜や神剣など、
葛西清経と葛西清宗からは太刀を寄進
されており、
中世において代々領主の崇敬が篤かったことがうかがわれます。

牧山の零羊崎神社は、室町時代と伝えられ、
坂上田村麻呂と悪玉御前の木像が祀られています。

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(『岩手大陸』の冊子より)

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零羊崎神社境内にある「坂上田村麻呂千年供養碑」

悪玉御前は、玉依姫の意味があり、
おそらく、潮をひかせる効力をもつ玉という神宝に
由来するためでしょう。

牧山観音が坂上田村麻呂によって建立されたとする資料は1698年『雄鹿郡萬御改書上』で、湊町の牧山観音堂の項に「延暦十七年田村麻呂御建立此由・・・」
と、あるのが最初との事。

詳細は、後でまとめて書きますので、
ここでは割愛します。

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もうひとつ、真野にある零羊崎神社も参拝してきました。もう少し、マキメの伝説を。

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