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したいこと、色々。|明けましておめでとうございます

我が家のトラ猫を年賀ジャケにお送りしております。トラもネコちゃんだから実質猫年だと思ってる。にゃおんにゃんにゃん!

2022ね


一昨年の秋にわかに赤ワインの美味しさに目覚め、赤ワインの飲み比べに終始した2020年でした(と書くとまるで酒豪のようですが、全然量が飲めない体質なので1年通算で飲んだ本数は十数本程度だと思います)。

赤ワインブーム到来から満1年という頃、ついに出会ったこの1本!…というか、銘柄! オーストラリア産 Carlo Rossi、税込600円程度の格安ワインですがこーれが美味しい。安くて美味しいなんて最高。フェアなトレードが為されているのかどうかがちょっと心配ですが、まあたぶん大丈夫でしょうオーストラリアなら。たぶん。

で、Carlo Rossi の赤と白をちびちびやりながらひとり機嫌よく穏やかに年越しをし、元日(今日)はぐーすかと昼近くまでのんびり寝て起き、今またオメデタク紅白ワインをやっております。

もーね、帆立の貝柱薫製と白ワインの相性の良さったら。


最近の呟き

年末年始とは特に関係ありませんが、最近なんとなく書き留めていた呟きたちをここにまとめておこうと思い立ちました。


2021年12月22日|学習能力

生きてると「こいつマジむかつく」とか、不快に思うことって色々ある。問題はその先、

A.「むかつくむかつくむかつくむかつくむかつく…!」と不快感とイライラに支配される

B.「この不快感を処理して快適に生きていくにはどうしたら良いか」と考える

…「学習能力」って、Bができる人のことだと思う。


2021年12月21日|多様性

同世代が打ち解けやすいし共通言語が多いのは当たり前、だけど、だからこそ同世代でばっかり固まってるとそれはそれで生産性の低さや硬直になる、アッサリなる。


2021年12月15日|良いものを作る

「良いもの作る」って大変よねー。

「ただ大変なだけ」なら頑張ればいいけど、何が良くて何がダメなのかがわからない状態で「良いもの作らなきゃ」って迫られたら、暗闇でバット振るみたいな話になるんだから、経験とか判断材料って大事だ。

この世にまだ無いものを生み出す人は皆、経験も判断材料も無い状態で体当たりで試し続けて良いものを創り出そうとしている。

巨人の肩に乗る者は皆その分け前で生きてる。

分け前を掻き集めて生きてるだけなのに、偉そうに振る舞う人間にはなりたくないな。


2021年11月22日|出典くらい付けろクソ野郎

なんかねえ。。。

人が(私が)全力で取材して編集して送り出した記事を「補足資料」ではなくほとんどそのまま素材に使って作られてる他媒体の記事を見つけちゃうと、普通にイラッとするんですよね。

インタビュイーさん(取材相手)のことは基本的にいつも応援の気持ちで相対しているので、いろんな媒体で取り上げられること自体は良いことだと思ってる。

でもその、取り上げる側の媒体の姿勢が悪い(悪い意味で適当、悪い意味でいい加減)だと「やるなら本気でやれ、一体自分が何者のつもりでその記事を世の中にリリースしてるんだ!!」と言いたくなる。言わないけど(そんな労力使っていられない)。

バレないと思ってるんでしょう。バレるっつーの。私はその記事の生みの親だぞ。だったらせめて出典くらい付けろクソ野郎。


そして今日、2022年元日の呟き

いかにして余分な力みを無くしていけるかなんだな、と最近よく思う。


昨日ちょっとだけ見たNHK紅白

一昔前はもっと、天下のNHKだ、紅白だ、一世一代の大舞台だとド緊張して音を外しちゃう歌手がけっこういた気がするけど、今もうそういう雰囲気全然無いなぁと感心してしまった。ちょっと(4〜5組)しか見てないので、見当外れな感想かもしれませんが。


その少し前のフィギュアスケート全日本

クワッドアクセルに挑戦している羽生選手の、4回転ジャンプの安定感。その上を行こうとしている人にとっては当たり前というか、自然のなりゆきくらいの話なのかもしれないけど、4回転があんなに楽々跳べるって…

一昔前には4回転自体が「人類の進化」と呼ばれていた難度だったのに、あんなに楽々跳べるだなんて。研鑽された技術と研鑽に値するだけの努力の上に成り立っているものというのは前提だとしても、必要以上の力みが無い身体の何と伸びやかなことだろうかと、ただただ感嘆の一幕だった。


自分の仕事の関係で

まだまだ若輩ながら、今はちょっと指導的な立場での仕事を進行中。で、上記12/15の呟き前半は、プレイヤーの皆さんを眺めていて感じたこと。

大掃除の時、終わった案件の資料を整理しながら自分自身のここしばらくの仕事を振り返ってみて、これは良い仕事ができたなと思えるものもあれば、自分の想いに囚われすぎて伝わらない表現をしちゃってたな、と反省するものもあった。

個人的な反省とはまた別件で、最近、私の文章に対して「ここ、ちょっと見慣れない表現ですけど」と違和感を呈してきた同僚がいた。

確かにその一文はあまり一般的とは言えない言い回しで、でも意味合いとしては間違っているものではないから、まあヨシとして書いたものだった。逆に、その程度の考えだったからこだわりも無し。

だから「意味合いが変わらなければ他の表現に変えてもらって大丈夫ですよ」ときちんと返事をしたんだけど、結局そこはそのまんま。

まあ、良いんだけどさ(その文自体にこだわりは無いので)。

今、社内では文章の仕事に関しては池田さん、という図式が定着してしまっているところがあって、これもひとつの「力み」だなと見ている。一般的に言い換えれば「組織の膠着」。

変えていきたい。


周りの人々を眺めていて

辛そうな人、しんどそうな人がやっぱり多い。今こんな世の中だもの、とか、理由は色々(いくらでも)見つけることはできるんだけど、心の強張りを解くだけでもきっとすごく楽になるのに…と思うことも、たくさんある。

楽に、楽にやろうよ。
(でも、それが難しいんですよね)

何年か前に、お付き合いでちょっと顔を出した意識高い系のセミナーで「たのしい」を「楽しい」と書くのはダメだ、「愉しい」と書くべきだ、なぜなら「楽(ラク)」してたのしいのは本物じゃない、「心」のある「愉」こそが本物のたのしさだ!という主張をしておったのですよね、講師さんが。

まあこれは講話の部分切り出しであって、核心の部分では別に変なことは言ってはいなかったのだけれども、常に心が踊りまくっているような愉しさ(ハイな状態)よりも、余分な力みを脱ぎ捨てて「楽に」生きていけることの方が、人生の幸福度は高いんじゃないのと思った私がいました。

ハイな愉しさは祭りの時だけで良いのよ。
人生の90%以上は「日常」よ?


力みを無くして、楽々、のびのび、生き生きと。
そんな1年にしていけたら幸せだなと思います。

この新しい年が
すべての方によい一年となりますように。

本年もよろしくお願い申し上げます。


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