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リケジョを諦めた話。〜国際女性デーに考えること。

今日は #国際女性デー 。国連が、女性の社会進出を促進するために制定した日。成人したし、女性の生き方について考えることがある。

私は本当はリケジョになりたかったけど、今は後悔してないよという話である。一見、文理選択の話のようで女子の話だったりする。

私は理系に行きたかった。私の高1の時の夢は「管理栄養士になって日本の食を変えていくこと」だったからだ。だからそのためにピッタリな大学を、1学期には見つけていた。物理化学数学を思い切り楽しんで勉強し、成績も良かったらしく、科学の甲子園の選抜メンバーに選ばれたりしていた。だけど、そんな夢も母の一言で諦めることになる。

「短大でもなれる職業に就くために、なんで頭の良いなつがなるの?もったいないからやめなさい」

母は地元の短大から管理栄養士になった人間だった。

当時、理系の他の分野に全く関心がなかった私。残る興味のある学問は、社会学だったので泣く泣く文系に進んだ。文系科目は楽しかったけど、やっぱり数理的思考の面白さが恋しかったし、それを生かしてみたかったりもした。

文系の大学に進み、物凄く後悔した。どんなに頑張っても色々動いても文系の学問では、法学や経営学じゃない限り「ライセンス」や「スキル」を獲得できない。自分が高校まで頑張った結果は「◯◯」という学歴の獲得だけで終わってしまったじゃないかと物凄くがっかりしていた。医学部に進んだり、情報学部でプログラミングを学んだり、建築学部で模型を作ったりしている高校同期が物凄く羨ましくなった。自分も高校時代がんばったのに、なんで文系は社会貢献が見える形でできないんだろうと自暴自棄になったりした。

だけど、留学して考え方が変わった。色んな人と色んな話をして気づいた。

私にできることは「社会を幅広く見て、普通の人が気付かないことに気づき、それを提起することではないか」と。それには悲しいけど、社会的に保証される「ライセンス」はない。だけど、この高度化、複雑化した社会を担う人間としてこういう生き方もあると思えてきた。

こういう選択をさせてくれたのは、母親が私を無理やり(?)文系に進ませたのがあるだろう。母親は、「女の子」だからと将来の可能性を制限するんじゃなくて、むしろ良い意味で広げてくれた。そして今の自分がいる。

「女の子」だと、どうしても将来に関して保守的な意見を受けることが多い。「大学は県内にして」とか「海外ひとりは危ないからやめて」「安定した仕事にしなさい」とか。そして、生きている社会の中で「頭が良くて向上心がある女の子」だと周りから引かれたり、孤独に苦しむことが多い。正直、普通の公立中学に通っていた頃ははもちろん、高3のクラスの女子で、唯一東大志望だった自分は物凄く辛かった。

でも、各々が生きたいような生き方が「みんなの考えている普通」とは違うこともあるし、それが「女だから」と阻害される社会は、もうダメだと日本を出て気づいた。

正直、私も日本にいた時はいかに日本の女子が世界的に見てchallengingだということに気付けなかった。だから、これを見ている人の中では「何言ってんの?」と思う人が多いと思う。
でも.....。

今まで「問題」として提起されてこなかっただけで起きていた事実。それを今考え直す時がきているんだと思う。

そんな思いの、イギリスで迎える20歳の国際女性デーだった。

#エッセイ #女子大生 #国際女性デー #フェミニズム #留学 #あの選択をしたから


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