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パンク系酒農家に私はなる!

寒い寒い佐比内での2度目の冬を越し、やっと明るい春がやってきました。
突然ですがここで宣言させてください。

「パンク系酒農家に私はなる!」

約4ヶ月の冬眠期間を経てたどり着いた答えがこれ。

パンク系酒農家、、、
え??なにそれ??
って感じですよね。私が勝手に名乗っているだけ。というかこれから名乗っていきたいと思っています。


昨年から畑にいる時間が増え、忙しくも充実した毎日を送っていました。
ところが冬が来て農閑期に入った途端、畑仕事というやることがなくなり、なんだかぽっかりと穴が空いてしまったように自分のペースがガタガタと崩れていく感覚を味わいました。
冬のはじめに、自分のこれまでとこれからを考え直すあるきっかけもあり、、。
農閑期に入ってからとても調子の悪かった私の冬の葛藤の物語をここに残しておこうと思います。

運命のXデー


去年の暮れ、買ったばかりの愛車で事故って72万円の借金を背負った。

あれは忘れもしない、今年2回目の大雪が降った12月中旬の朝。
少し早く出勤しようと家を出たが、ゴミ捨てをしてたら何だかんだいつもの時間に。
1ヶ月前に買ったばかりの軽トラ、スーパーキャリィに乗って雪道を急いだ。
急ぐべきでなかった。
カーブの手前でスピードを落とすためブレーキを少し踏んだその瞬間、スリップしてあしが取られ、何も積んでいなかった軽い荷台が大きく左右に振れた。ハンドル操作が効かなくなり、対向車線を走る車を見て焦りに焦った。対向車から逃げるように歩道側にハンドルをきったのだろうか…。衝撃と共に、ガードレールに真正面からぶつかった。その後のことはよく覚えていない。気がつくと車は進行方向と逆を向き、縁石に乗り上げて止まっていた。
ビーーー
いろんな警告灯がついて、変な音が鳴っている。しばらく頭が状況を理解できずに放心状態だった。一旦車を降りてみると、いとしのキャリィの顔面が破壊していた。そして道路の反対側には折れたポールが、、、。
あれは私が折ったのか。
横を見るとぐにゃっと曲がったガードレール。
これも私が曲げたのか。
その後は、親、保険屋、警察、JAF等々、各所に連絡して指示を待った。その日の朝は県内で事故が多発していたようで、レッカー車がやってくるのに2時間ほどかかった。雪が降り続く中、ひたすら各所に連絡しながらレッカー車を待った。
諸々が済みようやく家に戻ってくると、どっと疲労と後悔と不安が押し寄せた。買ったばかりのキャリィ。まだまだ、まだまだローンも残っているのに、、。修理にいくらかかるんだろうか。そもそも直るのだろうか。もっと早く家を出ればよかった。あんなにスピードを出さなければ、、、。時よ、今日の朝に戻ってくれ。夢であってくれ。
考えたってどうにもならない後悔と不安で頭がいっぱいになり、意味もないのに自分を責め続けた。

それから数週間後のクリスマスイブ。
修理代の見積もり72万円という現実が突きつけられた、、、。


いとしのキャリィ(紫波里山ノクラシ12か月冬のzine2022より)


落ち込み沼にハマってしまった


それからしばらく、2ヶ月くらいは落ち込んでいた気がする。基本的に自己肯定感の高い私は自分のことを嫌いになったことなんてほぼなかったけれど、この時ばかりは自分の嫌な面ばかり見えてどうしようもなかった。
私はなんでこうなんだろう。ここ数年頑張ってきたことすら、なんの意味があったのかと否定し、自分を責め続けた。自分を否定すると、自分がどんどん薄くなって自信も無くなって動けなくなる。何も話せなくなる。
いいアイディアなんてひとつも出てこないし、ワクワクする気持ちも好きなものに対する気持ちも忘れてしまっていた。
気づいた時にはそんな状態で、沼の底に沈んでしまいそうになっていた。

そんな中、何ヶ月か前から企画していた、東京恵比寿での協力隊4人の展示会の日がやってきた。


はっ、私は今こころが元気じゃない!日々楽しめていない!


久しぶりに紫波を離れて東京に来て、そんな風に自分のことを少し遠くから見れた。一緒に協力隊をやっている3人の心強い先輩方ともなんだか久しぶりにゆっくり話した気がした。東京の人混みに紛れて、仲間たちと話して、知らない人や久しぶりに会った友人に自分のやっていることを聞いてもらって、少しずつ自信と元の自分を取り戻してきた。
私がなぜ今紫波にいるのか、なぜ農業をやっているのか、
自分のことをお客さんに話しているうちに、色々と思い出してきた。
ワクワクする気持ちも。


初めて自分で欲しいと思って、初めてのローンを組んで買った車だった。ローンで既に120万の借金がある状態で追い打ちをかけるように72万の修理代の借金を背負った。返していかなければならない金額が具体的に決まったことで、ある意味稼いでいく目的ができた。もう後には引けない。自分で、稼いで返すしかない。「稼ぐ」ということと「お金」に真剣に考え向き合うようになった。これまでのお金の使い方も見直して地道な節約と貯金も始めた。
そして、ゆっくり、これまでのやってきたこととこれからやっていくことを整理して考え直した。

私はどうして農業で稼いで生きていきたいんだっけ?
どうして今やるんだっけ?
私の本当の核の部分にあるもの。それは、私なりの反骨心、パンク精神だった。

私が”今”農業をやる理由


高校三年生の夏、農家になりたいという思いに気づき、向き合い、農業を生業とする人生を歩もうと決めた夏。
農家になるにはどうしたらいいのか、当時の私なりに調べて考えた結果、高校を卒業したらりんご農家の祖父母の家に行って数年修行をしようと思い立った。思い立ったらいても経ってもいられず、すぐに両親と担任の先生に相談した。
私の通っていた高校は生徒のほぼ100%が大学に進学する自称進学校。両親はいいのではと言ってくれたが、先生にはしっかり止められた。

農業は大変な仕事だよ。やめた方がいい。まずは大学を出た方がいい。

結局実家から通える距離の大学の農学部に進学したが、農学部の中でさえ「農家になりたい!」という思いを堂々と言える環境ではなく、共有できる人もあまりいなかった。私が勝手にそう感じていただけかもしれないが。

就活しないってこと?一度どこかに就職してからでもいいんじゃない?老後にやったら?大学出て農家なんて、もったいないね。

農業の現場あってこその農学だしその他農業分野などの広がりであるはずなのに、農業を職業選択の一つとしては見えていないように感じた。その環境がすごく居心地が悪く、農業に対する周りの認識と、やりたい気持ちを抑えられることに対してもやもやとの間で静かな苛立ちを感じていた。大きな声で叫ぶことはなかったが、いつも心の中で「農業はかっこいい仕事なんだ!それに憧れて、なりたいと夢を語って、何が悪い!」と反抗していた。
周りのみんなが言うように、一度どこかに就職して、定年退職しおばあちゃんになってから農業を始めたっていい。でも、私には今やることにとても意味がある。だから今紫波にいるのかもしれない。

私が高校生の頃から感じていた小さな怒りと反抗心。夢を語ることはかなり勇気が必要だが、思い切って「農業をやりたい」という夢を語ると、ほとんどの場合否定されたり、違う道を勧められた。大変な仕事で、稼いでいくことが難しいということは言われなくてもわかっていたし、でも実際どうなのかはよく分かっていなかったし、そう言うみんなも大してわかってないはず。どこがどう大変なのか、やってみなきゃわからないじゃないか。とはいえ人の話を全く聞いていない訳ではない。自分の中だけではわからなくなって、学校の先生だけでなく、とにかくいろんな大人の話を聞いてみようと思い立った。バイト先の先輩、お店のお客さん、行きつけのお店の店主、ライブハウスにいる人、バーで隣に座っていたおじさん、旅先で出会ったお店の人、そして紫波町の人々…。人に夢を語るのは体力が必要だけど、とにかくいろんな人に自分のやりたいをぶつけてみた。人に自分のやりたいことや好きなことを言葉にして伝えているうちに、自分で自分に暗示をかけているかのようにやりたいことがより具体化してきた。中には、情熱ややりたいことがあるってかっこいいと肯定してくれる人もいた。
やりたいことと、それに続く道が見えかけているのに、違う道に行くと言う選択肢は自分の中にはなかったから最初から答えは自分の中で決まっていたはずだった。いろんな余計なものを取り払って、頭をシンプルにできた時それに気がついた。
何かに悩んだ時は原点の本当にシンプルな核の部分を思い出すと、
なんだそんな悩むことじゃなかったじゃないか。
と気がつくものだ。
私は紫波に通っていた一年で、ぐるぐるいろんなことを考えて余分な脂肪をたくさんつけては核の部分が見えにくくなって、だんだんと削ぎ落としてシンプルになってくるとまた核が見えてきて原点を思い出すという作業をしていたように思う。
そして紫波には夢を応援してくれる大人がたくさんいた。やりたいことを語ると、色々話をつなげてくれてどんどん現実になっていく感覚があった。
長々と書いてしまったが、私が”今”農業をやる意味は、特に同世代に向けて
「農業はカッコよくて夢のある仕事だよ」
ということを伝えたい。
そして私と同じように、何かやってみたいという思いを持っている人には、農業に限らず、
「自分の気持ちに正直になっていいんだよ」
と背中を押したいという思いがある。
社会に、周りに、自分が憧れているものを否定される気持ち、今に見てろよ私はやってやるんだという反骨心。
それが私が今農業をやる理由の根本にある。
パンク精神が原動力なのだ。

sake農家

去年から始めた「なつかのおつまみ畑」。この畑は、将来おつまみにして美味しいお酒と食べるという最高の未来を想像しながら種を蒔き、育てる畑だ。
はじめた理由はとても直感的で単純。自分がお酒が好きで、ある日近所の畑で採れた野菜をおつまみにお酒を飲んだら最高で、おつまみを育てる畑を作ってそこでみんなでビアガーデン?酒ガーデン?ビア畑?したらめちゃくちゃ楽しそうじゃんと思ったのがきっかけ。
野菜が採れるようになって、お酒と食べてもらう場として酒場も始めた。
そうしたら、お酒を楽しむイベントでおつまみを提供させてもらったり、料理が好きな方とコラボして一日限定小料理屋をオープンしたり、、、。
他にもたくさんのことに挑戦することができ、たくさんの方と出会い、今に繋がっている。
このおつまみ畑をはじめて、改めて気づいたことがある。
それは、酒と農業は繋がっているということ。
私がやりたい農業のスタイルは、酒場が見える畑。そして畑が見える酒場。

畑は人工的な場所で、農業はビジネスだということはだんだん分かってきた。
でもその中に、個人的なモチベーションや情熱は必要だと思う。そのモチベーションや情熱が私の場合は「酒」なのだと思う。

私は数年後、ぶどう農家になる予定。そして将来的には、自分のぶどうでワインを作る、ワイン農家になりたいと思っている。
どんな味のワインを作りたいのか、どんな場面で、どんな人に飲んで欲しいのか。
どんな品種を、どのくらいの面積で作りたいのか。
その答えを探る一年にしたい。そのために、とにかくいろんな人が、いろんな場所で、品種で、作ったワインを飲んでみたい!そのため、この春から新たな挑戦を始めた。

やさいとワイン酒場natsuka-hatakeはじめました。

ということで、昨年の出張酒場をパワーアップし、さらに遠くに出張して酒場を始めました!
今年から、盛岡材木町で毎週土曜日に開催されている、よ市に出店しています。
国内外でぶどうの栽培からワインの醸造まで行っているワイン農家のワインを中心としたワイン酒場。
日々の農作業、ぶどう畑の様子も伝えつつ、私自身ワインを勉強しながらみなさんと一緒に楽しみたいと思っています。
野菜が採れ始めたらおつまみ畑のやさいたちも連れていきます。

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やさいとワイン酒場natsuka-hatake
  毎週土曜日 15時10分〜18時30分
  盛岡材木町よ市にて
  ぶどう農家のワイン、ぶどうジュース、季節の野菜、ミニおつまみ、、、
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やさいとワイン酒場 natsuka-hatake


そんなこんなで、パンク系酒農家目指して今年も突っ走ります。笑
春がやってきて、一気にメキメキとやる気と元気が湧き上がってくるのを感じています。
今年の活動については、長くなってしまったのでまた後で書こうと思います。
みなさん、ぜひ畑にもよ市にも遊びにきてください〜!

そして、密かにnatsuka-hatakeオリジナルグッズを作っています。
売上はいとしのキャリィちゃんの修理代に充てさせていただきます…。
気になる方はぜひチェックしてみてください。


最後までお読みいただきありがとうございます。