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【小説】 ながれ

忙しない日々を過ごしていると、帰りの電車で眺める媒体が限られてくる。
ツイッターだのINSTAGRAMだのTIKTOKだの。
どこもキラキラしていて素敵。だなんて目移りしても、なんだかんだツイッターに戻ってきてしまう自分がいる。あ、もうツイッターって言わないのか。Xか。
分かってはいるのについ、ツイッターという言葉を使ってしまう。きっと、ガラケーを使うお年寄りと変わらない理由で。馴染みから離れられないのだ。
「陰であなたの悪口言うような奴は放っておいていいんだよ。実際、その人たちにとってあなたが脅威だってだけなんだから」
という言葉がさーっとスクロールした画面に流れてきて読んだ。
川のように流れていく情報の中に、時折こうして自分にとっての花筏のようなものがある。そしてそれは思いがけず、欲しい言葉だったりするから面白い。そう、落ち込んでいる時なんか特に。

巷には他にも色々なまとめが掲載されている。
「優しそうに見えて実は腹黒く見える人の特徴」
「縁を切った方がいい人の話し方」
「あなたを陥れようとしている人の行動⚪︎選」
などなど、見出したらキリがない。キリがないのに、見てしまっている。
これがマーケティング戦略か。
なんて思いながら、流されていく。ゆらりゆらりと時間が流れて、気がついたら終点ですと看板が目に入る。一斉に降りてエスカレーターに並ぶ列に自分も加わると、自動的に上がってく。私の気持ちもスイッチ一つで上がればいいのに。

こうして流されていたらいつか、どこかにたどり着くだろうか。
いや、どこにも辿りつかないのだ。
流されていたら流されたまま過ごしてしまい、何も進歩しない。
だからこそ、何か動くべきなんだと声がする。
分かってる。そうするのが正しいと。それでも。
疲れ切った身体を流されるまま乗せて次のバスへ乗り継ぐくらいしか、今の自分にはできない。
なんて、できない自分に酔っているのか。
そんな気もする。
ただ、誰かの言葉に救われる瞬間があったのは本当で。
それだけでも、ありがとうと言いたくなる気持ちくらい持っている。
それがいいね機能だということも。
携帯の画面越しの誰かもわからない人に思いを寄せながら、視線をずらすと、暗闇の中にぽつりぽつりと街灯が光った。バスはごとごと揺れていく。目的のバス停へ降り立つと、不思議と寒くなかった。
帰り道にふと見上げた木には、ちらほらと花が咲き始めていて、美しかった。

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