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進撃の巨人という涙の物語

今年ファイナルシーズンで終幕を迎える、テレビアニメ「進撃の巨人」。3月からその前編が始まるほか、今年で完結予定となっている。既に原作を読んでいる方はこのタイミングで読み直してみようと思うことも多いはず。そして、読み直してみると「あれ?」と意外にも引っかかる部分も多いのではないだろうか(自分はそうだった)。今回は放送前夜(という体)ということで、物語の真髄にも関わるちょっと難しい点を3つピックアップし、分析、考察、振り返りをしていきたいと思う。
【CAUTION!】この先はネタバレを多く含みます。アニメで話を追っている方、もしくは途中までしか読み進めていない方はお控えください!

①「進撃の巨人」の能力

 単行本30巻にて、エレンの保有する「進撃の巨人」の能力が判明した。エレンの父グリシャが発言した中に
「『進撃の巨人』は未来の継承者の記憶をも覗き見ることができる…つまり未来を知ることが可能なのだ」
とある。しかしながら、グリシャがレイス家を惨殺したのち、「なぜ…すべてを見せてくれないんだ…」とあるように、継承者は自らの意思で未来の記憶を視ることはできないようである。即ち正しくは、「継承者が未来を視る」ではなく「未来の継承者は自らの記憶を一方的に現在の継承者に共有する」という能力である。  
 かつての所有者エレン・クルーガーも、当時知らないはずのミカサやアルミンといった名を挙げていた。これは後継のエレンの記憶が、一部だけ共有されていたと言う証なのだろう。
 グリシャはエレンが生まれてから感情や言動が不安定になっていることから、その辺りから未来のエレンは記憶をグリシャに対し送信していたようだ。
グリシャがエレンから得た記憶は、
①真の王家であるレイス家礼拝堂の在処
②レイス家惨殺がエルディアの救済になること
(エレンがエルディアを救う鍵になること→エレンへの能力継承の必要性が発生する)
③(明記はされていないが)エレンが地ならしを起こすこと(「おそろしいことになる」より)
③はエレンが勲章授与で見た景色を、グリシャに共有したのだと考えられる。

グリシャがエレンから得られなかった記憶は、
①845年、超大型巨人により壁が壊されること
②壁が壊される日
③妻カルラの安否
いずれも、エレンが共有しなかった情報であり、①と②は目の当たりにして初めて知ることになる。また③に関しては、先程の発言後、エレンに自らを食わせる為会いに行った時に、エレンの口から知ることになる。

ここでグリシャ視点中心に、時間軸をまとめる。

エレン誕生

未来のエレンから、記憶の一部を見せられる
レイス家虐殺の使命を知る

レイス家礼拝堂を突き止める
(良心の呵責により諦める)

外出後、壁が壊される(845)
(その頃カルラが捕食される→ハンネスによりエレンが船、避難所へ)
礼拝堂へ再び向かい、レイス家と対峙
王フリーダを説得できず
エレンの指示通りレイス家を虐殺、始祖の巨人の能力を奪う

エレンを捜し出し、カルラの死を聞く

エレンに自らを食わせ、巨人の力を継承
(始祖の巨人、進撃の巨人)

エレンは結果的に後継がいないので、彼の死後の世界や物語の結末を知ることはできない。しかし未来のエレンが、彼自身の未来の記憶をグリシャに共有した為に、エレンも自身の行く末を知ることになる。それが、勲章授与式にてヒストリアの手に口付けをした、あの瞬間だった。あの時彼が見たのは、グリシャの記憶。グリシャが未来のエレンに強要されてレイス家を惨殺し、未来のエレンが地ならしを起こすという結末を見てしまったことで彼の記憶として残り、それを継承したエレンはグリシャの記憶を通して自分の未来を知った。彼は勲章授与の時点で既に進撃と始祖の能力を持っており、九つの巨人の継承をしている為、過去の継承者の記憶を引き継げる。恐らくフリーダと間接的に血が繋がっているヒストリアに接触したことで、その記憶が鮮明に呼び出されるトリガーとなったと考えるのが妥当だろうか。実際に、ロッド・レイスが巨人化する前、エレンが礼拝堂で拘束されていた時、エレンの背にヒストリアとロッドが触れたことでグリシャの記憶を呼び起こしたことから、血縁関係のある誰かに接触することが詳細かつ鮮明に記憶を見ることができるようである。
 ちなみに、グリシャがレイス家を襲撃した際に、進撃の巨人の能力をフリーダが知らなかったのは、その能力が未来の継承者からの作用で、これまでに能力を他言しなかったからだと考えられる。進撃の巨人を持つ者にしかその能力は知れ渡らず、ずっと秘密裏にされてきたのだろう。当初大陸側で残っていたにもかかわらずその力をマーレに奪われなかったのは、マーレの人々ですらその能力を知らなかった為なのかもしれない。

■進撃の巨人

「九つの巨人」の一つで、エレンが保有している能力。他の巨人と同様、過去の継承者の記憶を引き継ぐ一方、鎧の巨人などのような特異的な能力は分かっていなかった。30巻にて遂に判明。いついかなる時代も自由の為に戦った巨人であるとされる。

②「不戦の契り」と始祖ユミル

 単行本22巻にて、ハンジの発言の中に次のようなものがある。
「『始祖の巨人』がその真価を発揮する条件は王家の血を引く者がその力を宿すこと しかし王家の血を引く者が『始祖の巨人』を宿しても145代目の王の思想に捕らわれ残される選択肢は自死の道のみとなる おそらくそれが『不戦の契り』」
 ここで、エレンらが生まれるはるか過去の、巨人という存在が誕生してからの歴史を振り返る。

古代エルディア帝国(大陸側にできたと推測)
・ユミル・フリッツという少女(以下、始祖ユミル)が当時、初代フリッツ王の奴隷として働いていた

・家畜を逃した犯人としてとばっちりをくらい逃亡

・逃亡先の大木のうろで「大地の悪魔」と会う。
その正体はハルキゲニアの様な風貌をした原初の存在。生命の本質である「増える」ことだけを目的とするとされる

・始祖ユミルが当時抱いていた死への恐怖と苦しみ、即ち生命の本質に反する感情に反応し、彼女に巨人という不死身の力を与えた

・強大な力を手にしたユミルはその能力でエルディアを発展させ、初代フリッツ王との間に3人の子を儲ける(マリア、ローゼ、シーナ)

・巨人の力により大国マーレをも滅ぼす

・ある時フリッツ王が奇襲に遭うが、
 始祖ユミルが王を庇い死亡。
 不死身を手に入れたはずの始祖ユミルが奇襲で命を落としたのは、生きたいという希望を失ったためだと考えられる。始祖ユミルはフリッツ王を愛していた一方で、王からすれば所詮発展のための道具でしかなかった。ユミルに槍が刺さっても彼の発言に愛は無く、ユミルは死を選択する

・ユミル死後、死体をマリア、ローゼ、シーナに食べさせることで巨人の力が3つに分岐。
その後もさらに分岐し、特異的な能力を持つ「九つの巨人」となる。
 ユミルの意志は死後も精神世界である「道」の座標で残っており、王家の命令に従順に、巨人の肉体を生成し続けることになる

・九つの巨人の力を手にしたエルディア帝国は、数多の民族、文化、歴史を淘汰する。
現生の人口の3倍以上もの人々の命が巨人によって奪われたとされる

・世界を支配したエルディア帝国は、その後同族同士で争うようになる(巨人大戦)

・マーレ人へーロスが巧みな情報操作で同族同士を戦わせる
(マーレ人の間では英雄とされる)

・およそ100年前、145代目カール・フリッツがタイバー家と結託し、醜い同族戦争を終わらせようとする。
フリッツは迫害を受けていたマーレ人に心を痛め、へーロスを英雄と仕立て大戦を終わらせる

・巨人大戦後、不戦を望んだフリッツ王は「安息を脅かせば幾千の巨人で報復する」と残し、エルディア人を引き連れパラディ島へと逃亡、三重の壁を築いて100年の平和を享受させる。
しかしながら実際フリッツ王には戦意はなく、むしろマーレが望むならエルディア人の滅亡をも受け入れ、それまでの僅かな間で壁の中に平和な楽園を築くという思想を持つ(不戦の契り)。不戦の契りは王家の血を引く者にのみ効力を発揮し、始祖の巨人の継承者に不戦の契りの思想も引き継がせることで、「記憶改竄」を除く始祖の能力を使えない様に操作した。また、壁内人類の記憶を改竄し、壁外人類はいないと思い込ませた

 マーレが戦士を送り込んでパラディ島へと侵攻していたのは、表向きは「島に眠る地下資源を手に入れるため」であり、巨人にも対抗できる兵器が作られ始めたために巨人の時代は終わりを迎えつつあると、マガトは言う。始祖を奪還し、王家の血を引く者(ジークなど)に食わせれば、その力で島の巨人や勢力を無力化し、地下資源を手に入れやすくなる。エルディア人でありながらマーレの戦士として活躍していたライナー、アニ、ベルトルトらは、単にエルディア人がかつて大罪を起こしたと教え込まれ、マーレの真意を知らないまま始祖の奪還を目的に動いていたといえる。
 しかし本来レイス家が継承し、「不戦の契り」で無力化されていた始祖の能力が、グリシャを通してエレンへと渡ったことで事態が急変する。王家の血を引かないエレンは「不戦の契り」の対象から外れるため、王家の血を引く者と接触すれば始祖の巨人の力を簡単に発動できてしまうということだ。世界やマーレは危機感を覚え、エレンが地ならしを発動させる前に一刻も早い始祖の奪還を目指す様になる。
 単行本30巻のパラディ島奇襲作戦編でガビがエレンの首を発砲した際に、エレンはジークと接触したことで始祖の能力が発動し、精神世界である「道」に辿り着いた。ジークはそこで「気の遠くなる時間をかけて『不戦の契り』の無力化に成功した」と話すが、実際は恐らくエレンと接触してからエレンが意識を取り戻すまでの僅かな間を指していると思われる。王家の血を引きながら、始祖の巨人を有したことがないジークは、初代王の破滅思想に囚われぬまま道へと到達し、主人の奴隷になり続けている始祖ユミルに不戦の契りを破棄するよう命令した。そもそもカール・フリッツが独断で交わした契りなので、その思想にさえ染まらなければ破棄することも容易いのかもしれない。
 ジークの望みはエルディア人の安楽死。始祖の能力を使うことで巨人化できる体を持つ「ユミルの民」が生殖能力を失い、大半を占めるエルディア人が根絶すれば、長い戦いに終止符を打てると考えたのである。ユミルの民として生まれ、幼き頃に迫害を受けていた父グリシャはエルディア復権を願ったため、ジークはグリシャに嫌悪を抱いている。それと同時に、エレンはグリシャの思想に染まった被害者だと考え、説得しグリシャの思想から助け出そうとする。
 一方でエレンの望みは敵を駆逐すること。それは父の思想によるものなどではなく、「生まれたときからずっとこうだった」。敵に自由を奪われるくらいなら、そいつから自由を奪うといったように、対立する相手を皆殺しにするまで進み続けるという目的があった。
 始祖ユミルの願いは道、座標からの解放。座標にいる限り、王家の者の望む通りに働き続けなければならないため、2,000年もの間座標で自分を解放してくれる誰かを待っていた。それはエレンと同様に、不自由への抵抗の表れであった。そして、フリッツ王に対する執着にも似た愛からの解放。フリッツ王の抱いた我が世を終わらせることこそが、その二つの柵を解放する術であり、それが地ならしであったといえる。

③世界を救う鍵はミカサなのか

 地ならしを開始し、壁外の全てを平らにならしていく超大型巨人。壁外の技術をもってしても阻止することは不可能であり、だからこそ世界は恐れ慄いた。
 勲章式で未来を見てしまったエレンは単独行動に出るが、その理由はいくつか考えられる。
①エレンがあの場で始祖の力を口にすれば、王家であるヒストリアは間違いなく食べられることになると考えたため。
②自分の算段を言うと、これまで口外してこなかった進撃の巨人の能力で未来を視たことを伝えることになり、知れ渡ると良くないと考えたため。
 そして単行本34巻最終話で漸く、アルミンと話ができる。そこでエレンは始祖ユミルがフリッツ王への愛の苦しみから解放され、自由になることを求め誰かを待ち続けていたことを告げ、さらにはその誰かとはミカサだと断言した。エレンはずっと、直接は言わなかったもののミカサの好意に気づいていた。しかしそれは、自分への執着とも重なるものであり、始祖ユミルと同様に不自由なのだと考えた。「ミカサの選択がもたらす結果 すべて…その結果に行き着くためだけに オレは… 進み続けた」とあるように、ミカサが何を選択するのかが、未来を決めたという。エレンにはミカサの選択が何かは分からず、グリシャの記憶を覗いて知った結果だけしか分からなかったのである。
 ここでいうミカサの選択とは恐らく、単行本31巻でエレンが尋ねた質問の答えのことだろう。
「ミカサ…お前はどうして…オレのこと気にかけてくれるんだ?子供の頃オレに助けられたからか?それとも…オレは家族だからか?オレは…お前の何だ?」
 ミカサはここで、苦し紛れに家族だと答える。もしここで違う選択をしていたら、別の世界線があったのかもしれない。
 例えば、単行本34巻のように。
 エレンとミカサ2人で遠くまで逃げ、残り4年を静かに暮らすという世界線が、あったのかもしれない。
 だとしたら、ミカサの選択は間違っていたのだろうか。パラディ島の仲間たちを守るために、世界の8割もの人口を絶やして報復すらできないようにさせ、自分が悪となって、敵となってミカサらを英雄に仕立てた、まるで「ないたあかおに」のようなエレンの死が、間違っていたのか。
 結果として世界から、巨人の力が消え去ったことは確かである。しかし巨人の力が消えたところで、争いは無くならない。世界がパラディ島の人々を「島の悪魔」と呼んだように、誰しも人の心に「悪魔」がいる限り、戦争が絶えることはない。
 進撃の巨人はダークファンタジー調の物語でありながら、テーマが戦争、愛、自由、希望、はたまた人間の特性を突いたものであり、その真髄は現世に生きる私たちにも共通する、寓話的な話だと思った。だからこそ誰が悪い、誰が加害者と決めつけるのは難しい話で、進撃の巨人という物語が奥深いものになっている。ストーリーをただなぞるのも面白いし、現実と重ね合わせながら読むのも面白いし、至る所に張られた伏線を見つけていくのも、諫山氏が遊び心で入れた効果音を探すのも面白い。読めば読むほど味が濃くなる、スルメ漫画だといえよう。

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