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遺書No.675 パターナリズム。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.5.13
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相変わらずの週末の雨に、
いい加減に苛立ちが募ってきました。
いい加減といえば、
髪の毛もマジでそろそろ切らないと、
ぼちぼちムッシュかまやつ化してきてる。


こんばんわ、みーくんです。


最近ニュースを見ても思うのだが、
事件性のある少年犯罪や青年犯罪の、
何と多い事か。

別に事件的ニュースに限らなくても、
ニートやモラトリアム世代といった、
社会的特徴としての問題は多い。

おそらく根本的な原因を探ろうとすれば、
教育システムや家庭環境など、
複雑に絡み合う様々な要因が列挙され、
何か決定的な一要素を限定するには
ちょっと無理がありそうに思う。

だけどその大きな要因の一つに、
最近パターナリズムがあるんじゃないか?
と思うようになってきた。

パターナリズムっていうのは、
「父親主義」とか「温情主義」とか、
「父親的温情主義」とか言われるモノで、
元々は半人前の子供の為に色々と世話を焼く父親の事をさす。

古くから使われる極端な言い方をすれば、

・未熟な子供の進路を親が決めてやる
・頭の悪い女の身のふり方を男が決めてやる
・無知な患者の代わりに医者が決めてやる
・しもじもの国民の為にお上が決めてやる
・遅れた開発途上国の為に大国が決めてやる
・モノを知らない素人の為に専門家が決めてやる

といったようなモノだ。

実際は自分の利益に関係なく当事者にとって最善の方法を選ぶのではなく、相手に充分な情報・判断材料・機会を与えずに相手の為と言いながらも、当事者の真の利益より、実は自分にとって利益になる方法を選んでしまう、つま「は「おためごかし」や「大きなお世話」とでも言えるような代物が多いって事ね。

こうなっちまったら、
悪質な父親的温情主義の押し付けに過ぎない。


そこには当事者を「劣った者」と見る、
差別観・強者の奢りがチラついている。

自分で決めずに誰かに決めてもらう、
そんなオマカセ態度も、
パターナリズム容認として俎上にのぼる。

そのパターナリズムに対して、
「個人の意志決定尊重」がある。

医療におけるインフォームドコンセント、
つまり行政での情報公開など、
充分な情報を与えた上で行われる、
当事者本人の自己決定を尊重する事が求められているんだ。

そんな中、若年層の犯罪が増えているよに感じる原因の1つは、もちろんインターネットで単に情報が触れやすくなったからてのもあると思うけど、実際問題として、時代背景に即さない学校教育の変化への鈍さというか、学校教育というシステム的な不備が担う責任も大きいのは事実じゃないかと思う。

端から見てるだけでも、子供の生活態度や遡行の悪さの責任を盲目的にに学校へ責任転嫁する家庭が多いよな印象を受けるのは、火のないところに煙たたずの法則が当て嵌まるのではないかと思う。

どちらがどうのと言う訳ではないが、
ちょっとね。
ふと思ったので書いてみただけ。

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2022.4.30
毎日遺書を書き始めた当時675日目の投稿内容。
16年前の当時の自分は、独身で子どもも居ないけどなんか最近の自分が思うよな事を当時から書いてたり考えてたりしてて驚く事があるね。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。