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似て非なる多様性への調和と共生。

時代劇のような昭和の固定観念を脱却し、
令和の父親、令和の夫、令和の大人になれるよう
日々、アップデート中です。


こんばんわ、ナツキのパパです。


会話というのは、
人々が合意し合い、共感し合おうとするもの。

それと対比させる形でいうなら、

対話というのは、
自分と相手がどれだけ異なるかを理解し、受け入れようとするもの。

・・・と言えるかも知れないと、
これは以前にも呟いた事があるんですが、
改めて言葉にしておこうと思います。

この会話と対話の違いとして表現した意図は、
楽曲に例えて言うなら、

互いの個性や特性を1つの曲の中で溶け込ませ美しいハーモニーとして調和させる事はとても素晴らしい。

ただ、調和させるだけが唯一の正解ではなくて、互いの個性や特性の違いを認識し合ったうえで、それぞれを得意な分野のソロ曲として楽しめたならそれも素晴らしい、ということ。

どの曲を聴いても調和されたアルバムは素敵だけど、個性豊かなソロ曲が、多彩なメドレーとして構築されたアルバムも素晴らしい。

ちなみに、多様な個性や特性の中には、他の個性や特性と調和する事が難しいものもある。

そう考えると、これを今の自分が生きる社会に置き換えた時に、多様性を包括する社会の仕組みとしては、それぞれがソロ曲としても楽しめる社会に住みたいな、とボクは思うんだよね。

共存する方法は調和だけじゃない。
共存しつつ尚且つ調和せずとも共生できる社会。

今のボクの力や仕事では、
仮に半径数メートル程度しか影響を及ぼせずとも
少しずつ、身近なところから変えられたなら。
そう思って、しんどいけど頑張ろう。

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多様性を考える

過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。