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好きを言語化&好きで終わらせない。

肥満レベルの上昇曲線が危険極まりないので、何とか筋トレとジョギングをしようと心掛けてはいるのですが、膝や尾骨まわり(変形性膝関節症&仙腸関節痛)の痛み、そして副次的なモノと思われる腰痛が酷くて思うよに最低限の運動の時間の確保も難しい状態が続いています。

うん、万人にとってどーでもいい話ですね。
こんにちわ、みーくんです。

さて、今日は Climbers2021 秋 に登壇したつんく♂氏の言葉(厳密にはそれを文字起こししたweb記事の内容)から、心に留まった事です。

自分が凡人かどうかは重要ではない

メディアで目に留まるのは凄い人ばかりだから、その人と比べて自分なんて・・となったりするけど、周りを見渡したら多分実際にはそこまでじゃない凡人ばかり。
みんなどんぐりの背比べ。
だからこそ大事なのは、周りが凡人だらけの状況を踏まえて、「どうせ俺は頑張っても無理」と思うか、「頑張れば頭1つ抜け出せるんじゃね?」って思うか。

Climbers2021 秋 つんく♂氏の言葉より一部抜粋


文章は意訳してるけど、他人と比べて焦ったり自分を卑下しても意味ないよね。

実際に周りにいる人との差なんてそこまでじゃないし、どんぐりの背比べとあるけど、そもそも比べる事も重要じゃないんだよね。

周りと比較して頑張る事や歩みを止めてしまうのか、考え方を変えて前向きにもう一歩を踏み出すかどうか。

自分が輝ける場所を見つけるためには「好きなことからはじめる」

あまり他人は意識せず、自分の目標をしっかり持って、「キラキラしたい!」と思うことが大事。

Climbers2021 秋 つんく♂氏の言葉より一部抜粋


「周りと同じことが同じように出来ること」が重視された時代はもうとっくに終わっていて、今は自分に出来ること、得意な事を磨くこと、尖ることの方が、より価値があるというか生きる場所が見つけやすいよね。

「オタク」という言葉にネガティブな印象がもはや無くなり、武器の代名詞とさえ言える今、何かのオタクであるほど、マニアックな得意分野を持つ人ほど生きてく場所があると思うし、それがチャンスを生む。

自分の「好き」を言語化できれば、誰かに合わせる必要はない

大事なのは「誰かに合わせる必要はない」ということ。
難しく考えず、本当にオタク的に好きなこと。
それが何かを自分でわかっておくこと。
周りにどう言われようと自分の「好き」を正当化できること。
自分の「好き」を言語化できれば勝ち。
ただ、なんとなく「好き」で終わらせないことだけ心掛ける。

Climbers2021 秋 つんく♂氏の言葉より一部抜粋


同じような言葉、ニュアンスの言葉は、教育関連は元よりビジネス界隈や研究者や様々な場所で、一線で活躍されている方の言葉に見つけられると思います。

最近の学びの場でも思ったけれど、結局のところ、今大事なことは、やった方が良い・選ぶといい道は、自分の得意なこと、やりたい事、自分がワクワクすること、キラキラできること、熱中すること、没頭できることなんだよね。

で、その為に今ボクに大事なのは、自分が大切にしている事、自分が本当にしたいこと、好きなこと、やりたいこと、自分を突き動かすポイント、譲れないモノ、自分の深いところ、自分の中心にあるコアの部分を知ること、探ること、そうして自分を理解すること、向き合うこと。

周りがどうとか他人がどうではなくて、自分の想いの深い部分を見つけてそれに従って動くこと。

そこに本気で向き合うこと。

ずっと長い間、道が見つけられずに迷ってるけど、頑張ろう。

不登校の子ども達も一緒。

それとボクには不登校の長男、不登校が間近に迫る行き渋りの次男&長女がいるけど、もちろん彼らにも同じことが言えるよね。

だからこそ、学校に行かないこと自体は、ネガティブな感情を持つ必要はないと思ってる。

あとは彼らの中にある彼らが大事にしたいモノ、得意なコト、そういう部分を見つけられるように、観察し応援して行こうと思う。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。