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出会うべき時に出会えた本!D.H.ローレンスの「エトルリアの遺跡」

「息子と恋人」や「チャタレイ夫人の恋人」などの英文学作品で有名なD.H.ローレンス

その彼が、1927年に中部イタリアの古代エトルリアの4都市(チェルヴェーテリ、タルクィニア、ヴゥルチ、ヴォルテッラ)を巡り「Etruscan Places(邦題:エトルリアの遺跡)」という紀行文を残しています。

私が読んだのは、イタリア語訳の「Paesi etruschi」

私も、この本を2年程前に読み、エトルリア文明に、さらにハマるきっかけとなりました。

エトルリアは、紀元前8世紀から、紀元前1世紀頃古代ローマに滅ぼされるまで、イタリア中部で栄えていた都市国家群。エトルリア人(エトルスキ)が、イタリア古来の民族なのか、小アジアからやってきたのか、その起源はわかっておらず、また、エトルリア語は全て解読されてないという、謎の多い文明です。

エトルリアは、ギリシア文化を範とした独自の文化を発展させ、その高い建築技術や、宗教、芸術は、古代ローマに受け継がれました。しかしながら、男性優位な古代ギリシアや古代ローマと交流がありながらも、女性の地位を下げなかったことが、今でも残る陶棺や壁画からわかっています。夫婦が仲良く宴席で寄り添っている様子を表わした「夫婦の陶棺」は、有名です。

D.H.ローレンスがまず訪ずれたは、チェルヴェーテリの丘に広がるバンディタッチャの遺跡でした。私も数年前の夏に訪れたところ。ぽこぽことした丸い形がかわいいエトルリア時代のお墓に入り、母親の胎内に戻るような感覚を受けたのを覚えています。すると、大作家も同じ遺跡を訪れて同じように感じていたのです!

D.H.ローレンスが訪れてから100年ほどの月日がたち、車社会は発達し、エトルリアの遺跡も観光地化されましたが(鉄道だけは当時と変わらずとても不便!)、緑に囲まれたエトルリアの大地にて空を見上げてヒバリが飛び立つのを見ると彼と同じように魂が幸福感に包まれるのを感じることができたのです。

この本には、私が上手に言葉で表すことができなかったエトルリアの大地にて感じた自然の包容力が見事に描写されています。

D.H.ローレンスが次に訪れたのは、タルクィニア。ここでは、ネクロポリスに描かれた壁画からエトルリア人の生命力を感じ取っています。この本を読んでいると、作家がこの時代に戻りたい、世界がこの時代に戻ればいいと思っている気持ちが伝わってきます。

大きな帝国に巨大な石造りの建造物をつくる男性的な古代ローマに滅ぼされたエトルリア。古代ギリシャの時代より男性性が支配する世界が今でも続いていますが、農業技術が発達しても、ギリシャ哲学と交流しても、母なる大地を敬い続けたエトルリア。それは、「男性性」と「女性性」のバランスがとれた文明だったのではないかと思います。

それぞれの人間の意識の中や、宇宙のありとあらゆる物の中にある二つの対立するエネルギー「男性性」と「女性性」。中国の思想では陰陽と言われていますが、今日の時代は一個人的にも世界的にも、この2つのエネルギーのバランスがくずれていて、何でも科学で解決できると錯覚していると思います。このくずれたバランスを戻し、心が豊かな社会にするために、エトルリアの社会は参考になるのではと思うのです。

ちなみに、イタリアでエトルリアの遺跡を見たことが、刺激となり、D.H.ローレンスは、「チャタレイ夫人の恋人」を書いたと言われています。



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