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ダンテが神曲の地獄篇で詠ったヴェネツィアの造船所は世界初のライン生産工場だった

イタリアの海の都ヴェネツィアは、現在でこそ、オーストリア帝国支配下の1846年に開通した鉄道橋と、ムッソリーニによって1933年に開通した長さ3850mの道路橋により、イタリア本土とつながっていますが、もともとは周りを海で囲まれた全部で5.17km²の小さな島の集まりでした。つまり、ヴェネチアの住民は、船がなければ、どこへも行けなかったのです。

食料を自給できないヴェネツィアにとって、交易で生計をたてる上でも、地中海の制海権を維持する上でも、船は欠かせませんでした。そんなヴェネツィアの造船を支えていたのがArsenaleアルセナーレ)と呼ばれる造船所でした。

現在のアルセナーレ

現在、イタリア語でarsenale(アルセナーレ)は、一般的に造船所や兵器工場を指しますが、最初のaを大文字にしてArsenaleと言えば、それはヴェネツィア共和国の造船所を指します。アルセナーレという言葉は、アラビア語で「工業の家」を意味する"daras-sina'ah"に由来します。イスラム世界と商業を行っていたヴェネツィア人にとっては、よく知られた言葉でした。それがヴェネツィア方言の"darzanà"となり、ダンテは神曲で"arzanà"と言う言葉で使っています。

1321年ヴェネツィアを訪れたダンテは、造船所に立ち寄り、ブクブクと煮え立つ真っ黒な瀝青れきせいに漬けられるという、地獄で詐欺師に特別に与えられる罰を思い起こし、神曲の地獄篇で詠ったのでした。

«Quale nell'arzanà de' Viniziani
bolle l'inverno la tenace pece
a rimpalmare i legni lor non sani, […]

ヴェネツィア人の造船所では、
冬の間、傷んだ船体を塗り直すために
ネバネバとした瀝青が煮え立ち、[…]

ダンテ神曲地獄篇 第21歌
対訳 藤谷道夫

アルセナーレは、最初にいつ建造されたか正確にはわかっていませんが、12世紀前半と言われています。(その始まりを第一次十字軍直後の1104年とする説もありますが、それは19世紀につくられた記念メダルの誤った情報によるもののようです。)1220年の歴史資料には、鋸壁を備えた城壁で囲まれ、2列の船台があった様子が描かれています。ヴェネツィアの東端のこの場所が選ばれたのは、アルプスの山から雪解け水で増水した川をくだって運ばれる木材のいかだが到着する地点だったからでした。

それから、アルセナーレは拡張を続け、造船所内には、櫂や索具(ロープ)の製造所、鉄、青銅の鋳造場、黒色火薬の倉庫などもできました。

1457年から1460年に、古代ローマの凱旋門をモデルにつくられた
アルセナーレのporta di Terra(陸の門)もしくは porta Magna(大門)は、
ヴェネツィア初のルネッサンス様式の建築であった。

一番繁栄していた時代には、アルセナーレの面積は、島の15%を占め、「アルセナロッティ」と呼ばれる労働者が1500人から2000人(ピーク時は4500人から5000人)働いていました。当時約10万人であったヴェネツィアの人口の2%~5%に相当する人が、アルセナーレで働いていたことになります。

そして、15世紀には、専門の労働者が組立作業を流れ作業で行うライン生産方式がすでにとられており、1日1隻のガレー船を建造することが可能でした。近代的な工場の概念を数世紀も先取りしていたのです。

1571年のレパントの海戦では、このアルセナーレで建造されたガレー船や大砲を備えたガレアス船により、ヴェネツィアやスペインの連合軍はオスマン帝国艦隊を破りました。

海側のアルセナーレへの入り口

その後、大航海時代に入り、ヴェネツィア共和国の船の優位性は失われていきます。そして、ナポレオンの侵略時には、アルセナーレは略奪され、大砲や武器はフランスに持ち運ばれ、持ち運ばれなかった物は溶解されました。ドージェ(ヴェネツィア共和国総督)専用のガレー船の黄金も溶解され、フランス軍の支払いに使われました。それでもなお、1798年から1805年の最初のオーストリア支配下で、再び整備され、そして、第一次世界大戦中にはまだ単一口径巨砲を備える弩級戦艦を造船していたのです!

ヴェネツィア共和国が崩壊してから、ナポレオン、オーストリア帝国、イタリア王国とヴェネツィアの領土を支配する国家が変わり、中世から近世における長い歴史の中で軍艦が飛躍的に発達したにもかからず、アルセナーレは、ダンテの時代から第一次世界大戦までの7世紀以上もの間にわたり、造船所、兵器工場であり続けたのでした。

現在、アルセナーレは、一部イタリア海軍が所有し、
残りの大部分はがヴェネツィア市の所有で
ヴェネツィア・ビエンナーレの会場としても使われている。
アルセナーレの前面を飾る4体のライオンはすべてギリシアから運ばれてきたものである。
この写真の真ん中のライオンは、ギリシアのデロス島より1700年代初頭に
ヴェネツィアにもってこられた。この中で一番古く紀元前6世紀の作品で
今でもデロス島には、このライオンの仲間でつくられた回廊の遺跡が残っている。
このヴェネツィアのライオンの頭部は偽物である。
前の写真の両端の2体とこのラインオンの像は、
オーストリアと神聖同盟を組んだヴェネツィア共和国が、オスマン帝国と戦った
モレア戦争時の1687年にアテネを攻撃し、戦利品として持ち帰ったもの。
すべて、紀元前4世紀の作品。

参考資料:


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