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【日曜小劇場3】“作家の妻”~直木賞作家・常盤新平氏の文学のミューズとの思い出

作家の妻は立派な職業であると感じたのは、小説「ボディ・クラッシュ」(河出書房新社)刊行後に、「遠いアメリカ」で直木賞を受賞した常盤新平さんの元奥さんの牧子さんが経営する銀座のスナック「パイ」で週3回ほどバイトしてからのことだった。

銀座8丁目にあったスナック「パイ」は雑居ビルの確か4階だったと記憶する)。エレベーターはなく、狭い階段を登った先にある小さな店はカウンター席8席に、テーブル席が3つ。20人ぐらいで満席になった。
牧子ママの青学の同級生が始めた「パイ」をママが手伝い、その同級生ががんで急死してからかママが引き継いだという。

作家の妻は“ミューズ”だった


「遠いアメリカ」のモデルになった牧子ママは、作家のミューズのような存在だったことに私はすぐに気づいた。
物事の本質を見極めることはもちろん、
作品の題材をつかみ取る、つまり目の付け所を的確に指摘してくれた。
河出書房で刊行した私の小説は、男のDVで苦しむ女性自衛官が真実の愛を探し求めるというストーリーだったが、私の稚拙な性愛小説を牧子ママは「構成が良くできているわね。作家は構成が苦手な人もいるのよ」と褒めてくれてから、「これをいつか純愛小説として書きないしなさい!」と新しい視点を提案してくれた。
当時の私はただただ感嘆しただけ。牧子ママが文学性を持つ「作家の妻」と命名したいほどの“才能”を感じたのは、常盤さんが来店した時のことだった。

牧子ママの父親は新聞記者で、母親は百貨店勤務。華やかさは母親譲りで、牧子ママは新劇の女優として舞台に立ち、常盤さんと結婚する前は、後に著名となった作詞家とつきあうなど、若い頃から“文学”や言葉で表現する世界に近いところにいた。常盤さんと別れた後に牧子ママは短歌の世界で数々の賞を受賞し、その才能をめきめきと発揮していた。

常盤さんは別れた妻が、言葉で表現する世界(文学)で新しい才能を開花しているのを歓迎していたのだろうか。
ミューズだった元妻のことを、フクザツな気持ちでとらえていたのではないか。
その一方で
彼女が持っている文学性が衰えていないことを心のどこかで歓迎していたのではないか。
だからこそ
かつてのミューズに、救いを求めにやってきたのではないだろうか。

しょんぼりとした背中を向けていた男性が、まさかの直木賞作家だった


その夜、私が来店すると、店のカウンターの隅に一人の中年男性がしょんぼりと座っていた。
今まで見たことのない暗い背中が、ぽつん、と浮かび上がっている。
牧子ママが、目で「テーブル席へ」と合図する。まるで私と背中が暗い中年男性と会わせまいとするかのように。
テーブル席は食品メーカーの社員で満席だったので、私は水や氷、おつまみの追加など、接客に追われていた。
忙しさが一段落した頃、ふとカウンターに目をやると、あの暗い中年男性がいなくなっていた。ぽっかりと空いた端っこの席は、男性がいなくなっても、妙に暗い存在感を放っている。
閉店してから、牧子ママに聞いてみた。
「カウンターの男性はどなたですか」
するとママがぼそっと呟いた・
「常盤さんなのよ」

あの暗い背中の男性が直木賞作家とはーーー
ショックだったのは、元夫がママを尋ねていたということよりも、
暗くて疲れてしょぼくれていたその背中には、“絶望”が色濃く刻まれていたことだ。

「そうなのよ。あの人は文壇をリストラされるかもしれないって。書けないって。何とかしてくれって。
店にやってきて、私に会ったことが奥さんにバレると私たち、常盤さんの奥さんから爆弾ようなものを投げつけられるかもしれないのに」。

話を整理すると、
常盤さんの妻に、常盤さんが前妻の牧子ママさんに会ったとバレただけで、
常盤さんも牧子ママも、常盤さんの妻から酷い仕返しがあるかもしれないというのだ。
「殺されかねないわ」とため息交じりのママの言葉には妙に信ぴょう性が漂っていた。今の妻の嫉妬の炎を想像すると、少し怖くなる。
常盤さんがその危険を冒してまで、前妻に会いに来たのは
小説のネタをもらいたいからだという。
想像力が枯れ果ててしまったかもしれないとママに訴えながら…

「だからある女友達からの手紙を渡したわ。家中を探して、今、あなたに与えられるネタはこれしかないって」。

常盤さんは受け取ってからすぐに、ひっそりと帰っていったという。

「あなたに気づかなくて、よかったわよ。あなた、常盤さんに嫉妬されていたかもよ」。
私は牧子ママに可愛がられている作家の卵というだけで、
直木賞作家の常盤さんに嫉妬されるのだという。
そんなことって、ありなの?

嘘とも冗談ともいえない話だが
牧子ママは率直な人だ。
牧子ママならではのビビットなニュアンスがそこに潜んでいた。
それは私に対する気遣いというより
自分が今、可愛がっている作家の卵が私である、ということを常盤さんに諭されたくなかったのだろう。
それこそ常盤さんに対するすごい愛情だと思った。

作家の妻として生きるより、文学のニューズとして存在し続ける


「ママは、今でも常盤さんのことが好きなのですか?」

愚問かもしれないが、私は思わず質問をした。
すると牧子ママさんは、ふっと笑って
「好きとか嫌いとか、もうそんな次元じゃないのね。
書けないから助けてくれ、と言われたら、断れないのよ」。

牧子ママさんは、常盤さんの正真正銘の文学の女神(ミューズ)。
別れても尚…
それは牧子ママ以外に
代わりのミューズがこの世にいないということだ。
だから今の妻が嫉妬する。たぶん、きっと。

常盤さんと別れ、一人娘も再婚して家を出て、
青学時代の友達と一緒に銀座の「パイ」で働き、友達亡き後も一人で銀座で店を経営していた牧子ママは、途中からリアルな“作家の妻”ではなかったが、“作家のミューズ”として生き続けた。
妻でなくても、一人の男性作家に大きな影響を与えた女性だった。

牧子夫人は06年、喉頭がんで逝去。7年後に常盤さんも永眠。

私に「小説を書き続けなさい」と
あの熱の籠もった目で励ましてくれた牧子ママのことを
私は今でも覚えている。
情熱をかきたて、やる気を喚起させるような、あの熱いまなざしを。


※横浜NOWに牧子夫人の思い出のエッセイを執筆しています。よろしければころらもお読みください!
直木賞作家の元妻の銀座ママと、老舗高級スーパー・明治屋さんの「ある蜜月」
https://yokohama-now.jp/home/?p=16201

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