プロローグ 自分は警官になるのだと思っていた。 悪を取り締まる正義の光に憧れた身として、その職を目指すことは至極自然なことで、あえて逆らうまでもないと、そう思っていた。 しかし、人生、どうしても叶わないこともあるわけで、それが自分にとっては、幸か不幸か、警官になることだったらしい。 —Mary ロゼさん、ロゼさん今若者の間で人気の「メローペ」ってご存知ですか ーミチ 学校で、女子が話してた気がする ーMary ミチオには聞いてない -3時はおやつの時
人は弱い。 だから、こんなカードにまで縋ってしまう。 日が暮れ、街ゆく人の顔が薄暗いベールに包まれる時間帯。 私は家路に急ぐ人混みの中で、どこか所在なさげな後ろ姿に声をかけた。 「お兄サン、そうそこのあなた。最近上手くいってないことばかり、違いますか」 ふらっと私の前に腰掛けるものは皆、びっくりするほどに顔色が悪い。 この世に疲れ切った表情は、 微笑さえもままならないらしい。 それでも、彼らは、占いだと言えば、聞いていないことまでペラペラと個人情報を話し出す
パリッとした空気に、一面の青。 こんないい天気見たことないよと、私はアホみたいにぼーっと空を見上げる。 立ちこめる香りは一様で、ちょっと良い線香も、煙になればみな同じかと、そんなことを考える。 そして、私はまたあなたに目を向けて、手のひらをぴたりとくっつける。 祈り、それは生者のための慰め__ 私はふといつかはくる逃れられない終わりに気がついた夜の事を思い出す。 泣きじゃくった私は、眠りにつこうとしていた両親を長い間留めおいた。 人は不思議だ。 続き得る限
物心ついたときにはもう、染み付いていた。 出張から帰ってきた父に群がる兄妹。 私は必ず一歩引いて立っていた。 それでも父は必ず言うのだ。 「おみやげは杏樹から選びなさい」と。 末っ子で、最初に選ぶ権利があるんだと、他の兄弟を説き伏せる父。 文句を言いながらも、私のことをじっと見つめる兄妹の瞳。 私はいつも姉さんや兄さんが欲しくなさそうなものを選んでいた。それは私にとって無意識だった。 * 「杏樹、おはよう」 自席に座っている私に声をかけたのは、美玲だった。
あ、またいる。 最近、本屋で見かける男の子。 ああやって参考書のコーナーで、長いこと立ち読みをしている事が多い。 ここ数日よく見かけるが、受験生なのだろうか。 まぁ、ただのアルバイトの私が知る由もないけれど。 「美奈ちゃん先輩」 声をかけられ、振り返える。そこには、年下のアルバイトである吉岡さんがいた。 「吉岡さん、おはよう」 「おはようございまーす」 彼女は軽快に語尾を伸ばした。 仕事柄切り揃えられた短い爪は、それでもほんのりとしたワンカラーのネイルが彩って
私は気持ちを貯金している。 今日あった嬉しかったこと、悲しかったこと、ムカついたこと、 自分の心の揺らぎを感じては、紙に想いを記して、この真っ黒な手のひらサイズの貯金箱に"貯金"するのだ。 何故だか分からないが、この貯金箱に気持ちを預けると、心がスッとする。 「みかちゃん、ちょっと太った?」 「やだ、マリアちゃんやめなよ」 マリアちゃんの取り巻きの女がクスクスと笑う。 私は冬休み明けの学校にうんざりしていた。 相変わらず、マリアちゃんは意地が悪いし、クラス
元旦。 「起きて」 と言われて、リビングに行くと、おせち料理にお雑煮が湯気を立てる。 自分一人が寝巻きで、 いつもはそんなことないのに、朝早く着替えを済ませた両親に囲まれ、ちょっぴり不思議な気持ちになる。 そして、窓から差し込む柔らかな陽光を背に受けて、私はそわそわとする。 「まつり、明けましておめでとう」 「待ってました!」 私は、寝ぼけ眼を擦って、お年玉の額を確認する。 これだけあれば、欲しかったゲーム機が買える!と、内心ガッツポーズをした私。 あとは
学生だった時、社会人になることは人生の終わりだと思っていた。 自由な時間が奪われて、自分のわがままも通らなくなる。 待っているのは、コンプライアンスとかいう、よくわからない横文字の規制だけ__そう思ってたんだけどな。 駅のホーム、薄い透明な壁で仕切られた待合室のスペース。 俺は、隣で一時もじっとしていることのない筒井くんに目をやった。 「うわぁ、駅の待合室にわざわざ入ったのボクはじめてデス! 壁一枚なのに意外とあったかいんですね。あ、あそこに百円玉落ちています!」
止まない雨はないとはよく言ったものだ。 でも、僕は、この振り続ける雪だけは、永遠に続くような気がした。 「ユキフカシか」 ミチルは、僕の電報を取り上げて言った。 「まぁ、また来年頑張れば良いじゃない」 「君はそうやって簡単に言うけど、僕はまたあの地獄の日々を繰り返すのかと思うと、吐きそうだ」 深夜まで、ファミレスでドリンクバーひとつで居座り、勉強。 店員に煙たい顔をされながら、ときに同級生が推薦で決まり遊び呆けるのを横目に、それでも頑張れたのは__彼女と同じ大学に
俺は冷たい人間だと思う。 昔からおおよそ情緒というものを持ち合わせていない。 目の前の事態に対処をし、措置を行う。 ただそれだけを、繰り返している。 ある時、実習生が俺に聞いた。 命を扱うことの重さに押しつぶされることはありませんか、僕はこの先、救えなかった命と対面した時に、自分の精神が持つか不安です、と。 俺はそいつを優しいやつだなと思った。 そして同時にこの仕事に向いてないなとも思った。 命を扱う仕事に就くものには、優しさが必要だと言うものもいる。しかし
「真くんって、いつもその服だよね」 電車でたまたま乗り合わせた、同じ学部の女子が言った。 「あぁ……変かな?」 俺は、白いTシャツに黒いデニムを合わせた自分の姿に目をやり、聞いた。 「そういうわけではないけど、せっかく何でも似合いそうなのにもったいないなって」 そう言って、こちらを伺う彼女は、いつ学校で会っても隙のないオシャレコーデで身を固めている。 「まぁ、何着ても似合うから、別になんでもいいやって。ほら、俺かっこいいし」 すると、彼女は少し機嫌を損ねたのか、ブス
昔から、女子といる方が気が楽だった。 外で泥に塗れてサッカーをするよりも、内でシール交換をしている方が楽しかったし、下世話な話で盛り上がるより、恋バナをしたかった。 でも、好きになるのはいつだって。 「わぁ、今日も玲央のお弁当可愛いね」 香澄は、私のお弁当を見て、目を輝かせて言った。 「ふふっ、今日も朝早起きして、頑張っちゃった」 「唐揚げ、ちょーだい」
近所の可愛いお姉さんが連れているトイプードルが、私を噛んだ。 私はびっくりした。 お姉さんと負けず劣らずキュートな顔をしている仔犬の獰猛さと豹変ぶりに。 でも、申し訳なさそうにオロオロと謝るお姉さんを見て、私は「全然大丈夫です」と格好をつけてその場を後にした。 実際、そのときは痛みも何も感じなかった。 けれど、一人になってみると、噛まれた右の手のひらがジンジンと疼く。 傷口は、歯形がぽつぽつと二つ、まるで吸血鬼に噛まれた痕かのように残り、赤くなっていた。
俺が大学で一番に信頼をおいている友達は、農家の一人息子だ。 穏やかで、全く怒らないそいつのことを、俺は密かに春の陽の光のようなやつだと思ってる。 「春彦、お前、最近どうよ?」 一限の必修、言語の講義を終えて、俺らはまだひっそりとした街中を闊歩していた。 「どうって言われてもなぁ。あ、この間、雑誌の懸賞が当たったんだ」 「へぇ、何が当たったんだ?」 「最新ゲーム機」 「そりゃあ、すごい! お前ん家ゲームなくて、ずっとあれば良いなって思ってたんだよ。今度一緒にやろうぜって、
来店のベルがカランコロンと鳴る。 カウンターから、入り口に移動をすると、そこには鮮やかな青色を纏った初老の女性が佇んでいた。 「いらっしゃいませ」 私は女性を席へと案内すると、いつも通りの定型文を述べた。 「当店、HAZAMAでは、お客様の願いを叶える一杯をご提供いたします。あなたの願いは__?」 すると女性は迷いなく言った。 「あなたとお茶をする時間が欲しい」 私はそんなことを言われたのは初めてで動揺をした。しかし「二人分のコーヒーを」とお客様に言われ、とりあえず
「お前はこの先の人生、ずっと幸せになれねぇよ」 小学校低学年の時、ただ同じマンションに住んでいるという接点しかない男の子にそう言われた。 なるほど、たしかにそうかもしれない。 無駄に年月を重ねて、私に残ったものといえば、図太い神経とこの世への不満だけ。 おおよそ不幸な私の人生。 でも世間は、そう口にすることさえ、許してくれないらしい。 口にすれば返ってくる言葉は大抵、「世界にはもっと辛い人がいる」だ。 うるせぇ、黙ってくれ。 私の不幸は私だけのものだ。誰