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「期待しない」よりも「信頼出来る仲間」を。期待と信頼を明確にし、環境要因を最適化する。

「期待して損した」「期待ハズレ」「期待した自分が馬鹿だった」という言葉に違和感を感じるのは何故だろうかと考えてみた。対人関係を構築する上で両者の間によく起こる、この感情の違いを明確に分けることで対人関係を築くサポートになれば幸いである。

【case1】期待しないことで心を守る上司

まず私が違和感を覚えたきっかけを載せたい。とある上司が放った言葉に強い違和感を覚えた。それは「僕は人に期待しない」という言葉だ。よくよく話を聞いていくと、過去何度も人に期待して裏切られた結果、もう人に期待するのは辞めたのだという。自分の経験に当てはめても、気持ちは分からないではない。ただ、この場合関係性が良くなかった。上司と部下という関係性柄、部下の私はその言葉の意味を「自分は期待されていない」と捉えてしまう。ここで仕事上の関係に大きな溝が出来てしまうのだ。

「期待しない上司を自分の成果で変えてやる!」

と思える崇高な方は素晴らしいが、多くの人にとっては「期待されていない事実に失望してしまう」

特に淡々と仕事をするならばまだしも、チームワークが必要な現場において「期待してないけど上手くやろうぜ」と言われて良い気分はしないものである。これは仕事へのモチベーションを下げる大きな一手となってしまう。

「では、思っていてもそんな言葉言わなければ良いのでは?」

というと、そのような感情は他者へわかってしまうものである。

全てワンピースに例えるのもどうかと思うがルフィが「誰にも期待していない」という言葉をかけて、皆がついていくか?というのを考えてみてもらいたい。

立場が上の人ほど「期待」の取り扱い方について明確にして、双方によい、円滑なコミュニケーションをとっていただきたい。


期待と信頼

ではまず、期待とは一体何か。

期待(きたい、英:expectation)とは、何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと[1]。また、当てにして待つこと[2]。
期待する気持ちのことは「期待感」と言う。期待どおりにならないことを「期待外れ」と言う。
ブリタニカ国際百科事典には、過去の経験あるいは現在の状況に基づき、ある現象や事件などが発生することを待ち続ける状態、行動の準備状態の一種で、大抵の場合は情緒的な緊張をもつ、とする説明文が掲載されている。

wikipediaには上記のような記載がある。

まとめると期待とは「自分の経験に基づく外的環境への理想像」である。自分ではコントロール不可な外的要因に対して自分の基準を設けることで自分の予測を立てる行為だ。

ここで悲しいかな、期待とは全て「自分思考の理想」を自分以外に投影しているという事に気付かなければいけない。

言うなれば「期待ハズレ」とは「勝手に他者へ理想を押し付けて、理想が違った場合に勝手に落ち込んでいる」という現象である。


では信頼はどうだろうか

信頼(しんらい)とは、相手を信用し、頼りにすること。信用とは見返りを求めない事。

こちらは明確だ。他者を頼りにする事だ。見返りを求めていないのだ。


期待は他者を引き上げる事ができる

上記をまとめると外的要因に対して「期待」は理想像を投影し、その上で「見返りを求める」行為である。そして「信頼は頼りにし、見返りを求めない事」である。

似ている言葉だが全く違う。

こう書くと期待は悪い意味に聞こえるが、期待は良い側面もある。

期待は、他者が自分の理想像に達していない時に自分軸まで引き上げる事ができるのだ。

期待をかけられた方は自分の理想像より上の理想像を投影されて心理的に緊張感が生まれる。その結果自分の理想像をアップデートする事ができる。

自分の理想像は自分で育てるより他者からの揺さぶりの方が圧倒的に早くアップデートが可能だ。

ここで「期待されて嫌だ」と想う心境と「期待されて嬉しい」という心境が生まれるのはなぜか考えてみたい。


「信頼」という土台の上でしか「期待」は上手く稼働しない。

その違いは明確で「信頼関係」である。つまり信頼と期待は似ているようで構造的に違う層の話、またはステップの違いがある。

相互関係で信頼のない期待はただの自分勝手な欲求を相手に押し付ける行為になるが、信頼関係の上で期待は素晴らしい燃料材になる。

そしてこれは上下関係のどちらにも言える。

期待する、しないの問題ではなく信頼が出来ていない関係が問題なのだ。

信頼できる人を周りに置いていない環境が根本の課題である。

リーダーがやるべき事

信頼と期待はチームワークに確実に影響するものである。実社会においてリーダーがやるべきことは実務ではなく最優先は①信頼関係の構築→②期待という燃料を注ぐ事だと私は思う。

それは大きなビジョンを持つリーダーであればあるほど。それができない場合はリーダーではなくプレイヤーでいる方が望ましいのではないかとさえ思う。


プレイヤーとして一番能力発揮できた社長像

さて私はプレイヤータイプだったのだが、一番自分の能力が向上した社長像は年配女性の社長だった。社長は特にデザインが優れている訳でも経歴がある訳でもなかったのだが(デザイン会社勤めの時)とても人間らしく一生懸命でちょっとおっちょこちょいな部分があった。社長はカレー作りをしてよく皆に振る舞い笑 静かなオフィスでも冗談を言いつづけて空気を和ませていた。

そういった社長の喜ぶ顔が見たい一心や、一緒に夢を見たい一心で私は自分の能力以上の負荷をかけても心折れる事がなかったし(厳密には激務でよく折れていたが、決定打にならなかった)任せて貰えることで一気に成長できたことは今でも社会経験の財産になっている。

信頼出来る仲間探し、そして期待をかける

現在、求人が良く出されているが、雇う側も雇われる側も金銭で繋がる縁というのはどんどん過去の常識になっていくだろう。両者を結ぶのは「信頼関係」以外ない。どちらも対等な立場で「信頼」を結べるかどうかをお互いが査定しているのだ。期待をしないことで心を守っている方がいれば、信頼と期待を明確に定義し、是非チームワークに活かしていただきたい。


人生幸福度は信頼関係で向上する。

ここまで書いてきて、仕事関連のチームワークの話になったが、これは自分のコミュニティにも言えることである。信頼関係が結べないコミュニティにいる事が問題でありそのコミュニティ内にいるだけで貴方は誰も信頼できない毎日を過ごすことになるだろう。成長は自分を変える事ができるが、信頼は相互間で育むものである。今期待できないという環境にいるならば是非、環境要因の最適化を図ってみてもらいたい。自分が動けば環境は変えられるのだ。

ただ一つだけ釘をさすならば、環境要因を変える時に信頼される人間であり続けるという事を念頭に置いていただきたい。さもなければ自分が最適とする環境に自分が最適化されていないからだ。信頼の査定は相互間で起きている。

その上でこの記事で貴方の心身が落ち着くコミュニティ形成が出来るきっかけになれば幸いだ。


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