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仕事の愚痴を控えたら、身軽になった話

不満が何一つない職場は、そうそう無いと思います。
自分自身もこれまで働いてきて、ここは何一つ不満に思うことはない、パーフェクト!というところはありませんでした。

職場の愚痴を言って、その場でスッキリ感を味わっていた

20代の頃は思い出してみると色々と大変なことが多かったなと思います。
やる気はあるけれど、経験が少なく分からないことが多い。
ほかのケースや一般的にどうか、ということを知らないので、なんだか自分の環境がとても悪いように思えてくる。
そんな時期でした。

そして、不安を含めた不満を、パートナーや家族に愚痴っていました。
「ねぇ聞いて、こんなことがあったんだ」
と職場の人の名前を出して、〇〇さんがこう言ってた、こうしてた、などを事細かに話し、「それは大変だったね」「それはひどいね」という相槌に救われていました。
私の視点しか話していないので、もちろん私の味方になってくれます。
聞いてもらって、味方になってもらうことで心のモヤモヤが少し晴れて、また来週も仕事行くか、という気持ちを保っていました。
今考えても、受け止めてくれてありがとう!です。

人や状況が変わったときに感じた違和感

愚痴を言っていたとしても、状況は変わっていくことがあります。
なんとなく、そこまで気にならなくなった。
人の出入りがあって状況が変わった。
別の状況が発生したのでそれどころではない。
など、理由は様々です。

あるとき状況が変わって、「こんなことがあったんだ」とパートナーに話そうとしたとき、自分の中にすごく違和感があることに気づきました。

そういえば、私は愚痴は言ってたけれど後日談はあまり話していなかったな。
何か大きなきっかけがあったわけではないけれど、自分の中ではもう大したことは無くなってた・・・ということを伝えてないな。
話を聞いてくれていたパートナーの中では、以前私が話した、職場の〇〇さんってこんな人(ネガティブ)、というところで話が止まっていました。

そんなときに、自分が批判していた〇〇さんの良い面について今更話すことは、あれだけ私の味方になってくれていたパートナーを裏切っていることになるのではないか、という変な気持ちになったのです。

一貫性を保とうとしてしまう

人は無意識のうちに一貫性を保とうとするそうです。

私は、パートナーの前でかつて自分が批判していた〇〇さんについて、「いやいや、やっぱり今はそんなことないんだよ」と言いたいときになぜかとても言い訳がましくなってしまい、状況をまっすぐに伝えるのが難しいと感じました。
かつて自分が No と言っていたことに対して Yes と意見を翻すということについても、抵抗がありました。
「批判していたのに、今さら何なの?」と思われたくない、という気持ちもあったと思います。
素直な気持ちを話したいのに、今までの自分の発言内容と方向性が違うことをとても言いづらく感じました。

仕事の愚痴を控えたらどうなったか

愚痴を聞いてもらうのはとても支えになる一方で、自分にとっては諸刃の剣と気づき、よし、これからは職場の愚痴は控えようと決めました。
すると、思っても見ない効果がありました。

  • 愚痴を言いたくなるような環境の自分への影響を最小限に抑えることができる(愚痴を言うことで、同じことを追体験するような形になり、ネガティブな感情が増殖していたことに気づいた)

  • 話を聞いてもらう人との大切な時間をポジティブ・心地よい内容のやりとりに使う割合が増えた

  • 自分の意見や感情が変わるとき、誰に引け目を感じることなく素直に自分に従えるようになった = とても身軽になった!

時にはどうしても話したいこともあるので、「こんなヘンテコなことがあった!」というエピソードは話すことはありますが、単発で伝えるようにしています。

まとめ

愚痴を言うことが悪ということではありません。
自分の感情を吐き出すことで救われたりバランスを保つということは大事です。
ただ、誰かに何かを伝えると、無意識のうちに一貫性を保とうとしてしまうことがあり、その後の自分の気持ちや言動を知らず知らずのうちに縛り付けてしまう可能性があります

これをうまく使うと、自分の目標を周囲に宣言することで、一貫性を保とうとそこに向かって努力を続け目標を達成していく、ということに繋がります。

一方で私にとっては愚痴を言うことが自分のその後の言動を縛っていることに気づきました。
そのことに気づいてからは、特に一番身近なパートナーや家族には仕事の愚痴は言わないように心がけていて、それによって私は身軽になったと感じています。



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