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あのころ

つい最近、大好きなアーティストがサブスクで全曲配信をはじめた。
そのニュースはわたしにとって、涙がぽろっと溢れてしまうくらいに嬉しいことだった。
機械音痴なわたしはウォークマンが壊れてからというものの、あいちゅーんずの使い方もわからず、ずっと曲を聞けずにいたから。

嬉しくて嬉しくて、ファーストシングルから現在まで、余すところなく曲を聞く。
ああ、これ、久しぶりに聞いた曲だ。
初期のころのカップリング曲だから、YouTubeで探してもなかったんだよなあ。
限定生産のシングルもある。買うのに苦労したっけ、懐かしい。町中、いや、色んな場所に出掛ける度に、その地域のCDショップを何度も何度も探し回ってやっと手に入れたんだよなあ。
入手困難だったCDの曲も、今はこんなに簡単に聞けてしまうのか。

便利になることは良いことだ。不便さが恋しいわけではない。
ただ、10代のころ、好きなアーティストのために全力疾走していた日々が何よりも尊く思えた。

新曲の情報が出たらTSUTAYAに予約しに行って、必ず発売日前日にフラゲして。
インタビューや新曲情報が掲載されている音楽雑誌ひとつひとつを手にとって、買っていいのはどれか一冊だけ!一冊だけ!と必死に吟味。
アルバイトで貯めたお金は全部、ライブの遠征やCD代のために貯めていた。

いまやCDなんて買わなくても新曲は聞ける。あのころの音楽雑誌はほとんど休刊だ。

好きなアーティストがサブスク解禁をするたびに心の底から喜んでいるのは本当だし、これからもっともっとたくさんアーティストの曲が気軽に聞けるようになればいいと思っている。だから、便利になることが嫌だなんて、これっぽっちも思ってはいない。

けれどあのころ、CD一枚一枚、一曲一曲をひたすらに追いかけていたことは、決して面倒くさくなんてなかったし、無駄なことなんてもちろんなかった。そうすること自体が、好きだった。それが愛の形だと思っていた。

少しずつ新しい時代がきて、アーティストもファンも少しずつ変わっていく。
好きの形や、愛の表し方は、変わるのかなあ。これから変わっていくのかなあ。

#まいにち日記部 #9月毎日note更新部 #日記 #エッセイ #ポエム

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ