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退屈と孤独は、よく似ている

退屈だから、孤独になるのだろうか?
孤独だから、退屈になるのだろうか?

そんなことを、ふと思った。

   

私自身は、今まであまり「退屈」を感じたことが少なかった。

大抵の場合は、「"孤独"を感じている」と思っていた。

──しかし、この2つはどこか似ている。

意味を調べてみた。

たいくつ【退屈】
相変らずの状態が続くので心が晴れず、あきること。そのさま。

こどく【孤独】
仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。

   

私には、現代においてこの2つは、とても似てるように見える。私だけだろうか?
「退屈≒孤独」だと感じた。

ひとりぼっちになるから、生きることに飽きるのだろうか?
飽きるから、生きてる中でひとりぼっちになるのだろうか?

どちらも"正解"な気がする。
きっと、世の中には前者も後者もいるはずだ。

そしてまた、「退屈」や「孤独」は、「絶望」とも関連しているだろう。

    

いずれにせよ、なるべくなら、苦しみたくはない。

    

ただ、私は「退屈」を感じる方が辛いと思った。

    

なぜか考えてみたら、
きっと、「退屈」の対義語が「熱中」だからだ。
対して、「孤独」の対義語は「連帯」だからだ。

    

つまりは、
孤独な状態でも、熱中することはある。
しかし、退屈な状態で熱中することはない。

逆に言えば、
退屈な状態でも連帯はできるが、
熱中している状態でも、孤独になる。

私は、いずれかを取るなら
「熱中していて、孤独な状態」を取りたい。

    

読んでくれてありがとう、ではまた〜

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