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低評価でも芯ある歌をつくりたいと思った話 [日記と短歌]23,7,13



つちくれのかがやきは夜露へみちる草のいぶきを知っていること/夏野ネコ


深水遊脚さんよりThreadsに歌の評をいただきました。本当に心底うれしくて感動し、また逆に考えてもしまったので書きます。
この歌は「うたの日」自由詠に出詠、評価は♩が2つ、でも自分の中では手応えがあったぶん余計にがっかりしたものでした。
これです。

ブランコを漕いで宇宙へ飛んでこう宇宙いくから学校休み / 夏野ネコ

そんな感じだったので、「この歌は良い歌ではないのかも(そうだ!)」「自分はマジで才能がないのでは(その通り!)」と気落ちして、Twitterへのシェアを躊躇ってしまった、もっと言えば「なかったこと」にしたくなった。だって完成度の低い評価されない作品を改めて出したくないでしょう。

で、考えて、でもまぁ本音は好きだからいいか、とシェアしたんですよね。以下のメッセージとともに。

それでかどうか、翌日この歌を深水遊脚さんのThreadsで評とともにご紹介頂いた時はだから、めっちゃくちゃ嬉しかったんですよ。深水さん、本当にありがとうござます。ものすごい救いだったのです。細やかに読んで下さり、ほんとうに!

それで思ったんですね。
やっぱり自分のうたは最後まで愛してあげなくてはいけないな、と。

うたの日のような不特定多数が自由に出入りする歌会の場合、参加者を主催がコントロールできません。評価も、たまたま居合わせた人の感覚という偶然にかなり左右されるから、成績の良いうたは「良歌である蓋然性が高い」のであって、一方で振るわない歌のレベルが低いか、というとそれも確かではない。

とはいえ評価が視覚化される仕組みの中で定量的なその数が指標になっていくのはやむを得ません。Twitterでシェアするときも❤️がいくつとかの情報、結構つけますよね。

参加者が既にそのような文化を共有している場で、別の指標を自分に持つのは、これはこれで結構しんどくて、評価の多寡を気にして歌から離れて行ったり、モチベーションを失っていったり、そのような歌人の方も見てきました。

でもそれってもったいないですよね、って話です。

偶然の場で下された評価はそれはそれで尊重するとして、でも自分が「良い」と思ったから出した作品なのだから、パーソナリティや特定の嗜好が定まった選者からならいざ知らず、その場その場で形成される集合からの好悪に自分の価値観を合わせる必要って、ありますか?

自分の価値は自分で決めるし、ガラスの靴は自分で選ぶ。少しくらいしんどくても、自分で自分の指標を、芯をつくって(そしてそれに厳しく)いきたいなと思った、これは出来事なのでした。

実をいうと「うたの日」で振るわなかった作品のシェアを躊躇ったのはこれが初めてではありませんし実際シェアしていないもの、結構あります。

少しづつ掘り起こしていこうかな、と思いました。まあそれでも駄目なものはたくさんあるんだろうけど、伸び代のある景には別の光をあげて推敲もしてあげたい…。
そのためにも、自分のちいさな気位から今回の作品を葬ろうとした事は、だからずっと覚えておこうと、そう思いました。

あ!それとそれと!
うたの評って、うたも人もこれほどに救うので、いつまでも苦手とか言ってないでやれる範囲で心の動いたうたにはコメントしようと思いました!


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