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努力が苦手だからこそ気がついた戦略

僕は努力することが得意ではない。

努力する才能が無いとも言えるだろう。

もし、努力する才能があったなら人生は大きく変わっていたのかもしれない。

ただし、努力する才能があるからと言って、人生が良い方にだけ変わるかと言えば決してそうは思えない。

この世の中には、とにかく努力する事を美徳であると考える風潮がある。

僕も一時期まではそのように考えていた。

サラリーマンで仕事がつまらないのも、給料が上がらないのも、全部自分の努力が足りないからだと思っていた事もあった。

努力すれば仕事も面白くなるし、誰かが認めてくれて給料だってきっと上がるだろうと信じていた。

既にわかっていると思うが、会社の組織で働く以上、大半の人は努力の有無に関わらずほとんど給料は変わらない。

せいぜいボーナスが少し増えるとか、残業代がもらえるとかその程度のものだ。

仕事すればするほど、管理する会社側の人間はその人を有能な労働力として気に入るから、気分も良いだろう。

すると、努力した本人もやった気になってその場では満足できる。

でも考えてみてほしい。

その努力した先にある結果は明るい未来だろうか。

何も考えずに労働して、自動的に明るい未来になるのなら、これほどまでに会社に行くことを嫌がる人は多くならないだろう。

とにかく努力することを美徳とするのは、会社などの個人よりも大きな存在が個人を洗脳しやすいからだ。

日本の教育を真っ当に受けることで、良い労働者が産まれるように出来ているのと同じだろう。

できるだけ何も考えずに手を動かしてくれる従順な労働者を育てるのにあたっても、努力を美徳だと教育すればいいのだ。

学校で教えてくれる大半は、世の中を渡って行く術を教えるのでなく、より良い労働者であり続けるために価値観を植え付けているだけだ。

その全てが悪いわけでは無いのは事実だが、いくら従順に努力信仰を守っても、僕のように努力する才能が無く、組織で働くことが得意ではない人間もいる。

個人になって働いてまで「努力そして努力だ」と急かされるのは、正直なところ辛い。

だからこそ大切になるのが、「努力しないで済むための戦略」である。

努力できること自体が才能であるのと同じように、誰しも何かの才能がある。

大切な事はそれに自分が気がついて、仕事にできれば良いのだ。

これは努力してると感じない仕事を見つけることであり、それを見つける事が「努力しないで済むための戦略」の一部である。

簡単に言えば得意で好きな分野を仕事にできれば良いのだ。

それほど簡単な事ではないのは重々承知だが、「努力しないで済むための戦略」をきちんと考える事だけには、僕のように努力する才能が無く人間だからこそ汗水を流す価値がある。

「努力、努力」と言う他人の言葉に疲れた人は、一旦逃げて自分なりの戦略を考える時間を設けてみてはどうだろうか。

僕は不要な努力を積極的に捨てる事に決めた。

【本日の参考図書】

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