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ヤクーバとライオン【読み聞かせ・読み語り】

深刻な話や、教訓めいた絵本を読むのはあまり好きではない性分だけれど、この本は高学年用のレパートリーとして大事にとっておいている。

アフリカのマサイ族が、立派な背年になった証としてライオンをひとりで仕留める儀式の話、ヤクーバとライオンだ。

読み聞かせの活動を始めたばかりのときに、古典的な作品をいくつか探していたときに見つけたもの。道徳の教科書にも載っているようだ。

なぜこの作品に惹かれたのかというと……ただ、ライオンが好きだから気になったというただそれだけの理由である。しかし、さらっと試し読みをしたとき、電気の走るような衝撃を受けた。

ヤクーバとライオン Ⅰ 勇気 では「本当の勇気とはなにか」について問いかけている。

勇気という言葉から何を連想するか考えてみる。最初に「清水の舞台」が浮かんでくる。清水の舞台から飛び降りるつもりで、何かをやってみるとか、知らないところに飛び込んでいくとか、怖いものに向き合っていくとか。そんな漠然とした、よくある文言やイメージが浮かんだ。

でも、わたしが今年いちばん勇気を振り絞ったのはなんだったか……と考えてみたら「自分を出すこと」だったと思う。

たとえば、自分がおかしいと思ったことや、納得できないことに対して、はっきり意思表示をすること。NOを言うことや、怒りの感情を表現することだ。波風を立てないようにと、人の言うなりになることをやめて、はっきりと自分の意思を伝えること。声が震えようが、言葉に詰まろうが、譲れないことは譲れないと言い、自分や大事な人を守ること。

それだけじゃない。わたしは、自分のおもしろさや滑稽さもはっきり表現できる場所を見つけた。目立たないように、変に注目されないように、おかしいと思われないように擬態して生きてきたところがある。でも、今は自分のばかばかしくておかしいところや、おどけたりふざけたりするさまを、ちゃんと表現していきたいと意図的に思うようになった。

仕事でもそうだった。できない自分、知らない自分を隠さないこと、結果を焦らないこと、起きてもいないことに対して不安にならないこと。

いつも通りの楽なほうを選んでいたら、これら全部無意識にやってしまうんだ。だから、ことあるごとに「自分のままでいけ」「自分にできることだけをやれ」と言い聞かせ続け、慣れない仕事と任されたポジションをやり抜いた。

この絵本は、内戦や飢饉、戦争、いじめなど、重いテーマの象徴とされているように思う。訳者の柳田邦夫さんのあとがきにも、出版された1994年当時の時代背景についてや、日本社会の問題点などに触れられている。もちろん、そのような世界や国を規模とする大きな問題について考えるきっかけにもなるだろう。

でも、副題にある「勇気」が、もっともっと身近な問題に置き換えて考えることのきるヒントになっているんじゃないかな。

波風を立てたくないからと、嘘偽りの言葉を発して、不本意に頭を下げること。自分を殺し、目立たないよう静かに生きて、批判や嘲笑を避けること。それらは「普通にいい人」として、人々から認識されるかもしれない。ある意味それも、承認や賞賛なのだけれど、それはすべて他人の判断である。

おまえがわたしをしとめるのは、やたすいことだろう

ヤクーバとライオンⅠ勇気/ティエリー・デデュー

自分にとって簡単で、楽なことをして、他者から立派だと褒めたたえられても、本当の栄誉にはならない。その甘んじた気持ち、逃げたい気持ちは自分のなかに、ずっと残り続けるんだろうなと思う。

この絵本には「ヤクーバとライオン Ⅱ 信頼」という続編もある。これはまた一段と深い内容になっているので、中学生以上、あるいは大人でもじっくり考えないと深く理解できないのではないかとさえ思う。ある程度の経験を積んでこそ、共感できるストーリーではないだろうか。


ヤクーバとライオン Ⅱ 信頼/ティエリー・デデュー

先月だったかな、6年生のクラスで読んだときのこと。終わって教室を出たところで、担任の先生が追いかけてきてくれた。
「高学年に染み渡る素晴らしい絵本でした。1冊目は教科書にも載っているんですが、だいぶ省略されているし、2冊目があることをも知りませんでした。ありがとうございました」とそんな風にわざわざ声をかけにきてくださって、感無量だった。こちらこそ、ありがとうございました。

わたしはなんとも、気の利いた返事ができず「たのしかったです!」とだけ返した。

来年もまた、この絵本を次に進級してくる子たちに読むのが楽しみだな。本当に今年は、いろいろお疲れさまでした。


ヤクーバとライオン/講談社






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