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第14回 「我を通す」こと、「人を立てる」こと

誰にでも「我」ってありますよね。

我を通すと言えば、私はアメリカ合衆国の大統領、ドナルド・トランプさんが思い浮かびます。

トランプさんは、周りの意見に流される事なく、自分の意見を主張する事ができます。

物事を決め、動かして行くときには、「自分みたいなものが…」と謙遜してばかりではいられません。

自分の意見をはっきり主張して、人を巻き込んで動かして行く、思いの強さが必要になるのです。

これは何も、特別な事ではありません。皆さんも自分の意見を主張したり、何かを決める事は日常茶飯事だと思います。思いを通すということは、誰でもやっている事なんです。

しかし、トランプさんはちょっとばかり、過激ですよね。

あまりにも自分の意見が過ぎて、人の言うことを聞かなくなると、周りは自分の意見が通らずに、しんどくなってしまう。「我が強い」人だ、となってしまうんです。

人と上手く付き合うためには、自分の思いを通してばかりではなく、人の思いを尊重してあげる事も必要になります。

これが人を「立てる」という側面です。

「立てる」とは、自分の意見よりも相手を尊重し、相手に合わせる事。我を出すことの対極です。

何事も相手を立てて、合わせて通ることはとても大切。お互いに我を出さず、相手を立て合うと、物事がとてもスムーズに進みます。

ただ、これも過ぎると逆効果で、人任せになってしまったり、人の顔色を伺って生きるようになると、自分の思いを出せずに、苦しくなってしまう。

つまり「我を通す」ことと、「相手を立てる」ことは、二つで一つ。どちらが欠けても、人間関係が上手く行かなくなります。

今日は、このバランスを取るにはどうしたらいいか、考えてみたいと思います。

わたしがとある先生に、悩み事を相談した時の話です。

私はその時、人に悪く言われた事を恨みに思い、イライラが取れず、苦しい思いをしていました。自分に力が足りない事は十分分かっていましたが、とてもくやしかったのです。

それをとある天理教の先生に相談したところ、「あなたは本当に優しくて、良い人なの。私はあなたを、素晴らしい人間だと思っているよ。あなたにそんなひどい事を言う、その相手がおかしいんだから、安心したらいいんだよ。」と、私の言うことを全部認めて、許して下さったんです。

わたしはこの時、実感として、物凄く嬉しかったんですね。

実はその先生、何百人という方が、その人を慕ってやって来る、大変実力のある方なんです。

先生からすれば、わたしの悩み事なんてちっぽけなことで、わたしの話から人間としての未熟さが手に取るように分かったと思います。

しかしその先生は、説教のような事は一切せず、わたしの言うことを全部肯定して、褒めて、「立てて」下さった事が、とても印象的だったのです。

わたしはそういう人にあまりお会いしたことがありませんでしたので、驚きました。

心理学では、会話の基本は「傾聴の精神」だと言います。

傾聴の精神とは、あなたの言うことは面白いですよ、あなたの言うことは正しいですよ、という、相手の言うことに寄り添うような聞き方のことです。

つまらなそうに聞く人や、言い返して来るような、「我」を出してくる人に相談しようとは誰も思いません。

そうではなく、許してくれて、認めてくれて、肯定してくれる。人が思いやりを持って、自分を「立てて」くれる事が、こんなに嬉しいことなんだと、これこそが傾聴の精神というものだと、その先生から学ばせて頂きました。

その後も、お食事をご一緒させて頂いたり、お話させて頂くたびに、その場にいる人のいい所を褒めたり、労をねぎらったり、とにかく相手が喜ぶように、株が上がるように、さり気なく人を「立てて」おられる事に、気が付きました。

そういう姿を見て、自分の思いを通して行く方法は、わがままを言って、我を通すこととは全く逆の所にあるんだ、

普段から人を認めて、喜ばせて、尊重してあげているからこそ、味方になってくれる。自分がいざ物事を成す時に、協力してくれるのだと思うようになったのです。

今日のキーワードは、「身近な人を立てる」という事です。

とある先生は「家族を神様のように立てると、上手くいく」といいます。

これは、自分の「我」が一番出るのが、家族の間だからなんです。

私たちは、初めて会った人とは、気を使い合い、立て合う事ができます。

しかし家族のように、人との距離が近くなり、関係が深くなるにつれ、楽な方に流れたり、お互いにあらが見えるようになります。

知らず知らずの内に、我を出し合ってしまうのです。

とある先生は、「私たちは人に沢山の恩があるのや。それなのに我が強いから、自分の事ばっかりで、恩返しするということが出来ていない」と仰るんです。

実際に、先程例に出した先生は、自分がうまく行かなかった時、親に厳しい言葉を出したり、兄弟に腹を立てたり、本当に我が強かったそうです。

そのため家族との関係をとことん見直して、まずは「親を立てる」ことから始めたと聞かせて頂きました。

私はこの話を聞いて、親孝行をしているつもりにはなっているけど、本当の意味で家族を立てて通った事など、あるだろうか。あれはいけないとか、こうした方がいいとか、自分の我を出してばかりなんじゃないか、と考えるようになりました。

と、いうことで、早速「親を立てる」ことの実践を始めたんです。

現在は、朝起きた時と、夜寝る前には手をついて挨拶をする、マッサージをさせてもらう、記念日にはプレゼントを送るという、3つの事を実践すると共に、「親の言うことは全部肯定する」という事を心がけています。

親を「立てる」という事を、とことんやろうと思っているんです。

立てよう、と言う視点に立った時、これまで自分が親にしてもらってばかりで、わがまま放題だった事がはっきりわかりました。実践を続ける今も、積み重ねてきた関係は中々変えることが出来ないと感じています。

しかし、これを始めてから、明らかに親との関係が変わり、自分がいくら言っても聞いてもらえなかった事が、ぽんと聞いてもらえる様になって来たのです。親の思いをとことん通させて頂く事を意識していたら、私の思いが通るようになってきたんです。

周りの人との接し方も変わって来ました。日常的な会話であっても、おたすけの悩み相談であっても、先の先生が私にやってくれたように、自然と人を認めて、褒めて、許して、立てて、喜ばせる事が出来るようになり、話してスッキリしたと言ってくれる方が増えてきました。

さらに、私が親にマッサージをしたり、親の言うことを肯定したりする姿を見て、嫁が私を肯定して、元気づけてくれたり、マッサージをしてくれるという、嬉しい状況も起きてきました。

自分が人を立てる努力をしていたら、周りが私を立ててくれるようになり、自分の思いが通るようになって来たんです。

何事も、自分の思い通りになると言うのは、嬉しいことです。華やかで、気持ちがスッキリします。これを「陽」の側面だとしたら、人の思いを通して、立ててあげるのは、地味で目立たない、「陰」の側面です。

何でも自分の思い通りにしようと、自分の思いを人に押し付けてばかりでは、周りはしんどくなってしまいます。これは自分が作り上げてきた信用をすり減らしているようなものです。

対して、人を立てて、「相手の思いを通してあげる」事は一見損をするように見えますが、陰で徳を積むようなもので、人を思いやって、してあげた分は必ず自分に返ってくるのです。

まずは、身近な家族から。「立てる」という事を意識して通りましょう。

出来る限り人の言う事を「そうですね」「すごいですね」と認めて、肯定してあげることから始めましょう。

身近な人の思いを通してあげることが、思い通りの人生を歩むための第一歩です。

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