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タバコの匂い

先日亡くなった祖母は愛煙家であった。私は小さいころから祖母から五百円玉を持たされ、当時のマイルドセブン(現在はメビウス)をタバコ屋さんで一箱買うおつかいをしていた。今、子供にそれをさせたら怒られる案件であるが、当時はまだゆるかったのだ。マイルドセブンは昔270円で買えた。残りの230円は私のお小遣いになる。小学生の230円はかなり大きい。ちなみに当時の月のお小遣いは400円であった。さらにタバコを買うコツは、祖母からタバコの空いた箱を借りることだ。タバコの種類、とくにマイルドセブンは普通の人では見分けがつかないほど多い。タバコの箱をだして、タバコ屋のおばちゃんに「これと同じものを下さい」という。タスポなんて存在しなかったタバコの自販機でも買えそうなのだが、正直自信ないし、窓口で購入した方がお菓子もらえることもあるのだ。私からしたらタバコのおつかいは割のいいお仕事なのだ。

祖母の家に染み付いたタバコの匂いが好きであった。タバコの匂いが臭いと思ったことがない。こうゆうのは一種の刷り込みなのだ。匂いというものは記憶になり、思い出になる。今でも灯油ストーブの匂いとタバコの匂いが合わさるとどうも祖母がいた部屋を思い出す。禁煙嫌煙が騒がれてる中そんな匂いがかげる機会がないのが少し寂しい。

私の親戚は、祖母をはじめ母方父方どちらもヘビースモーカーが多い。いや、吸わない方が珍しい。なのに癌になる人が少ない。私の家系がタバコの害に耐性があるわけでも、ましてやタバコの煙が実は無害なわけでもない。地域的に高塩分食が根付いているので、癌になる前に脳卒中になって若死にするからだ。祖母は米寿を迎えてから永眠したので、かなりのレアケースに当たる。

私もたまにタバコを吸ってたのだが辞めてしまった。なんでかといえば、タバコを吸い始めた理由が懐かしいタバコの匂いを嗅ぎたかったからなのだと思う。自分から発する匂いというのは嗅覚が慣れてしまってわからないものだ。それでは意味がない。私は、他人にタバコを吸ってもらって初めてタバコに価値がつけられるのだ。