暑中見舞い

もう私は絵が描けない気がする

絵を描くのが趣味であったが、元々それで食べていく気はさらさらなく、ずっと同じ姿勢で絵を描いてることで生じる肩こりと頭痛を起こしてまで続ける気なんてなくなってしまった。私の絵の変遷とともに、なんで描けなくなったのか突き止めようと思う。

その1

おそらく、絵を描くようになった入口は昔流行っていたお絵かき掲示板であった。そこでCGに出会い、アナログと違って何度でもやり直しができる画材はとても魅力的であった。

その2

中学校時代、中村佑介さんというイラストレーターの絵に一目惚れし、私もこんな絵を描きたいと思った。結果、一時期の私の絵は劣化版の中村佑介みたいだと言われた。萌え絵全盛期の時代でも、目を大きく描くというのがとても苦手で、目をキラキラさせたりすることも凝ったりすることもできなかった。単調な着色も、味だと言って主張した。(上の絵自体は高校卒業後の絵である)

その3

その後、新海誠監督の映画に影響され細部まで鮮やかに描かれた背景と、青春の儚さを切り取った人物像に衝撃を受け、それに似たようなものを描く。

背景まで含んだ絵というのは、線画の時点で死ぬほど描き込むのだ。人物描いててひーひーしてんのに背景も描き込むのだ。ちなみに、背景は自分の撮った写真をトレースして描いている。なので人を描くより、背景描いてた方が頭は使わない。CGのツールの中にある直線機能はあまり使わないので、気に入らない線はリターンを繰り返す。こんな面倒なのが出来るのは、理想の絵(アニメなりイラストレーターの作品なり)が具体的にあるからで、なかったらやらない。つまり、今時点で理想の絵というものがないのだ。

その4

その2の絵に戻ったような気がするが、その2よりも簡単な構図になっている。この絵は割と最近のものだが、長年絵を描いているとは思えない線のがたがたさだ。その3でも、線画がたがたなのだが、描き込んでる線の多さで誤魔化しているからどうにかなってる。なんでこんなになったのか、その3の絵を描くのは、集中力がもたないからだ。

単純な構図でも、線がきれいなら映えるものの、今まで線をきれいに引くことを放棄してたのでこんな惨状が生まれる。私が絵を描くのに必要なのは、絵を描きたいと思える理想がみつけれなくなってしまったこと。それを探す気もないこと。絵に対する熱量がなくなったこと。いままで、おざなりにしてきたものが表面化してきたことだ。

その5

今、絵を描きたいと思ってる方へ。絵に対する熱量があるうちに絵を描いたほうがいいです。描かなきゃうまくはならないです。いつかとおもってたら、いつのまにかお墓の下なんです。理想の作品みつけて、自分の表現したいものができたら、もう絵を描く準備はできてるんです。絵を描きはじめるのは、いつだってできるわけじゃないんです。意欲というのは賞味期限があるんです。絵のいいところは、作品として残せることです。自分がこの世にいた証を絵で証明できるんです。描きたいと思ったら今なんです。