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「人間」が不便すぎる問題を解決してやる。

2018年も終わりますね。2019年の目標を設定しようかなと考えていたときにふと思ったんですが、人間ってめちゃくちゃ欠陥だらけじゃないですか?自分ひとりでできること少なすぎるし、弱いし、よく考えたらすごい不便。


サイに比べたら圧倒的に細くて弱い。自分の体の限界以上の負担をかけると骨が折れたり血が出たり、翌日から筋肉痛で動けなくなったりする。


脳の容量は最新型パソコンに比べたら圧倒的に少ないし、必要なデータがすぐに思い出せなくて、あれだよ、あれあれ、、なんだっけ?なんてこと、日常茶飯事。そのくせ、自分が傷ついた失恋の記憶や恥ずかしい失敗のことだけ何年たってもしつこく脳内デスクトップに残ってたりする。

ゴミ箱を空にする、なんて便利な機能付いてないから、思いもよらないタイミングでその記憶がプレビューされて落ち込んだりする。


計算の速さは電卓に敵わないし、重過ぎる物は持ち上げられない。寝なかったり食べなかったりしたら使えなくなるし、電気や日光で簡単に充電できない。寒すぎても暑すぎてもダメ、自力で体温調整も無理。


食べ物だってそのまま生の状態で食べれる食材は多くないし、硬すぎたり熱すぎたりしたら口の中が傷だらけになっちゃう。灰汁とか毒にも弱い。同じものばかり食べていたら飽きるし、食べ物の見た目もある程度気を遣う。栄養素のバランスが崩れたら体調崩したりもする。


他の動物に比べて脳は発達したみたいだけれど、何が正しくて何が悪いのかも、法律ってやつが無ければ割と曖昧で、例えばめちゃくちゃ悪いことをした犯罪者に対する死刑制度がどうなんだみたいな話も、ルールとして決めておかなければ結論は出ない。



1人では子孫を残せないから男女が必要だけれど、結婚という制度をつくってみたらそれに合わない人間も出てきちゃった。というか本能的に合ってないのかもしれない。


愛情が足りなかったらなんだか上手くいかないことは何となくわかったけれど、その愛情の正しい使い方は意外と誰も分かってない。


感情は豊かだけれど、豊かになった結果痛みや怒りや悲しみがコントロールしきれなくなって、他人をひどく傷つけたり、自ら死を選んだりする。


寿命があるから機械みたいに、直したり、部品を交換しながらずっと使うこともできない。肌も骨も老朽化していって、最終的に土に還る。



こんな欠陥だらけの人間を、自分を、どうにか愛する方法を考えてみました。人間不便すぎ問題に、終止符を。



大きな動物にパワーで敵わないからこそ、人間の代わりに仕事をする機械が発明されたことで、自分の体を痛めつけることなく、効率よくモノを生み出したり、生活に必要な作業を素早くこなすことができるようになりました。もし洗濯乾燥機がなかったら面倒くさがりの私は服をあまり着なくなっている可能性がある。


脳の容量は最新型パソコンに比べたら圧倒的に少ないけれど、大事なことだけはちゃんと覚えてる。失敗を思い出して凹むこともあるけれど、それを人生の糧にして成長することができる。忘れてしまうからこそ、儚い記憶があることも確かだし、逆にずっと覚えていたいことはこうやって書き残しておけばいい。


電気で充電はできないけれど、他人の力や周囲の環境に頼らなくたって、自分の力で自分のご機嫌を取ることができる。それは大げさな幸せじゃなくたって、日常のちょっとした自分へのご褒美で十分だったりする。わたしだったら、美味しいチョコレート。コンセントは、必要ない。


食べ物のバランスや見た目に気を遣わないといけないけれど、食べることがただ「生きる手段としての栄養摂取」だけの役割にとどまらず、食事の時間だって幸せにつながっていく。誰と、どこで、何を食べるかで毎日の充実感が増す。夜中にシェアハウスのメンバーとコンビニで買うアイスは、生きるための栄養摂取としては過剰だけれど、毎日の充実感にとっては欠かせない存在。


他の動物に比べて脳が発達したからこそ、高度な組織を作り出すことができたし、より面白い「個性」ある人生をひとりひとりが歩んでいくことができる。さらに色々な人の「個性」が組み合わさって、世界はより面白くなっていく。


1人では子孫を残せないから男女が必要だからこそ、恋愛を通じて他者との関わりを学ぶことができる。人間の弱さが、相手との関係を通じて強さになることもある。支え合わないといけないからこそ、1人じゃ見られない素敵な人生の景色を見ることができる。


愛情が足りなかったらなんだか上手くいかないことは何となくわかったけれど、その愛情の正しい使い方は意外と誰も分かってない。でも愛情に溢れた人間は他者を救うことができる。周りの人たちからの愛情に守られていることを実感するとき、私はさらに上を目指すことができる。


感情が豊かになった結果、見ることや聞くことや食べることが生存の為だけでなく娯楽としての機能を果たすようになった。他人の気持ちに共感することだってできるし、自分の楽しみを共有することもできる。怒ったり悲しんだりすることもあるけれど、その結果精神的に成長することもできる。本能だけではない、生き方の選択肢が増える。感動する作品を見たり読んだりして流す涙は、生きる為には必要ないけれど豊かな心のためには絶対必要だと思うんです。


寿命があるから最終的に土に還るけれど、有限な命だからこそ生きることに真剣になれる。


こんな不便で欠陥だらけの人間を、自分を、来年も目一杯好きでいようと思います。2019年もよろしくお願いします。

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熟成下書き

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