加藤紗里の妊娠発表によせて今更

タレント(便宜上この表現が便利なのでこう表現する)の「加藤紗里」嬢が、結婚直後に配偶者に1億円貢がせて旦那の会社の経営が傾きスピード離婚、更には妊娠が発覚して養育費を請求。更に自身のyoutubeで謝罪と、SNS利用者にとってはこの上ない酒のアテを提供してくださっている。

考えなしにホイホイ女に貢いだ挙句、ポケットマネーどころか自社の経営をも危うくする男の頭の悪さにあまり言及されていないのが不思議なところだが、加藤紗里の妊娠発覚において、本人のファーストリアクションが「やっべ、やっちまった」的な感じだったのが個人的には最高に面白かった。29歳の発想ではない。と思ったが、私も恐らく同じ立場になったら似たような感想を持つだろうと考えて絶望した。来年にはアラフォーに差しかかるというのに発想が16歳ギャルより未熟であるというのは反省の一言に尽きる。

とはいえ、個人的な意見として、私は、今のところ「子供を産みたいと思わない」から、ある意味しょうがねえだろと開き直らざるを得ない。

「遺伝子を残す」ということは「生まれてくる子供の人生に少なからず自分の要素が入ってくることを肯定する」ということだと思うが、私はマジでこれが出来ない。自分に似て欲しいと感じる部分がいくら考えても出てこないどころか、似てしまったらあまりにも痛ましいと思う部分しかない。本当にない。むしろ今ですら「何故作った?」と親に意見したくなる瞬間すらある万年反抗期野郎だ。

それでも、生まれて来られたことは良かったと思える部分もある。寿司は美味いし、鬼滅の刃は面白いし、酒は美味いかどうかは別として酩酊できてキモチいいし、何より来週からスペリオールにあの『ら〜めん才遊記』が帰ってくるのだ。しかも実写化までするという。芹沢さんに再び会えるのだ。生きててよかったと言うしかない。

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話が逸れたが、子供が親のコピーではなく、唯一無二の単一個体であることは百も承知だ。個人の性質というのも大いに影響してくるのだろう。しかしそれゆえに、ネガティブな遺伝子の発現があったら無茶苦茶申し訳ない。ネガティブかどうかは本人が決めることだろうし余計なお世話なのかもしれないが、子供が己の一部ではなく、「別個体」であることが揺るぎようのない事実である以上「わざわざクソを握らせて世界に放つ必要があるのか?」とどうしても思ってしまう。

わかってる。まずクソを持っていない可能性だってあるし、クソどころか「RTといいねで抽選プレゼント」できちゃう量のiPadを両手いっぱい抱えてくる可能性もあるし、よしんばクソを握っていたとしてもそのクソが「別個体」である子供にとってみれば「黄金」たりえる可能性もあるんでしょう(ダブルミーニング)。

それでもクソのクソたる所以が大きいほど、そしてそのクソによって今現在に到るまで、なんなら現在進行形で悩みを抱える身としては、どうしても心配になってしまうのだ。

「(染色体にかかわらずジェンダーとして)女として生まれてきたのに顔面がドブスである私に似てしまった上に、その子が長じた時まだ女性に求められる価値に『ルックス』のウエイトが大きかったらどうしよう」

「私に似て鈍臭く、運動芸術勉学面におけるどの才能においても『10点中よくて3』を叩き出し、努力をする才能もなく、コミュニケーション能力にも劣り、みんなにデクノボーと呼ばれ、褒められもせず苦にもされず…どうしよう」

自分ではなく「他者」にそれを背負わせる可能性があるなんて、どう考えても怖い。

子供を構成する遺伝子が全て夫であればまだマシだが、それならまさに夫自身がいるのだし、「何かを育てたい欲求」みたいなものは猫で満足した。

勿論、どんな手札を持ってしても、育て方次第である程度どうにでもなるということは『プリンセスメーカー』『子育てクイズ マイエンジェル』などで学習はした。しかし今後私の出自が「実は大富豪の娘だった」とかが発覚しない以上、子供はひとまずプリンセスにもエンジェルにもならない。しかしプリンセスSRくらいは引いておかないとマジで今後の高齢温暖うなぎ全滅社会では生存が厳しそうだ。

このようにビビり散らかした結果、私は「『積極的には』子供を作らない」選択をした。老後の面倒がとかは次元の違う話になりそうだし、いざという時は「金」でなんとかなると聞いたことがあるのでひとまず経済活動を頑張ろう。

と、このように思っていた。

して、加藤紗里嬢のYoutubeでの妊娠発表に話を戻したい。この一件、賛否両論が大きく別れているように見えるが特に否の方が目立つ。その為、発表についての動画を敢えて「見ていない」人も多いようだが、個人的にはなかなか趣深かったので敢えてリンクを貼らせていただきたい。

https://youtu.be/ZmTNm1nX-mw

完全に「ヤベー」という顔をしているし、タネの出所についても夫だけでなく、複数思い当たる節があるようだ。手放しで喜んでいるようには、決して見えない。

しかし「産まない」という選択肢を一切提示していない。

検査薬でを使用してから婦人科の検査にかかるまでの間、かかっている間、結果をまつ間、結果をもらい病院からカメラの待つ車内に戻る間、様々な葛藤があっただろうしえげつないほど思考を巡らしたと思う。しかし、車の中で男性カメラマン(またこのカメラマンが若干チョけた感じで攻めてくるのだがそれに対し「命の話なんでふざけるのはやめてください」と注意している辺りで加藤氏の好感度が上がった)にインタビューを受けるときっぱり「産む」と宣言する。

私ならこう思う。「5年待ってください」。その間にもう保育園だ。

マジでどうしよう、の雰囲気を出しつつも、決断。その時点で尊敬に値するし、反面、いざとなったら皆そうなるのかもなとも思う。性行為がある以上、妊娠の可能性はゼロではないのである。できてしまった以上決めなければならないし、待ってくれと思っている間にも細胞分裂は進む進む。何かしらの決断を、しなければならないのである。

当然、そこで諸々の事情により「産まない」選択肢を選ぶことはまったく罪ではないと思う。経済面であれ、キャリア面であれ、私が上述したような理由であれ、責められる筋合いは無いだろう。私には幸いにも「生まれてよかった」と思えることがあった。が「生きていることの理不尽」を感じることも多くある。トータル「死ぬまでではない」か「死ねない理由がある」ので生命活動を続けているわけだが、本当に何の喜びも見出せずに終わる人生だってあるのだから、そうなってしまう、させてしまう可能性を感じるのなら途中で終わらせることも立派な決断だと思う。

と同時に、だからこそ、加藤氏はじめ「想定外の妊娠が発覚した時に『産む』決断をした人間の胆力」は半端ねえなとも思った。人生計画をいったん反故にして、ひとりの「個体」をこの世に送り出し、かつ、ソイツが死ぬまでの数十年間に責任を負う。負うことにしました。という判断。単純に凄い。全員に対して尊敬の念しか持てないのだ。先程、私だったら5年待たせると書いたが、待ってくれるなら10年でも待たせたい。それを長くて2ヶ月かそこらで決めてしまうのだ。決めざるを得なかったにせよ、決めてしまったのだ。「おめでとうございます」そりゃ言うだろう。

環境や責任感、今までの人生で構築された倫理観、そういった全ての葛藤を通り抜けてその決断に至る最後の一押しとはなんなのだろう。もしかしたら各々自分自身の「生まれてよかった」という体験だったりすることも、あるのだろうか。

だとすれば、今後万が一、私が身ごもった時、「こいつに一目芹沢さんの顔を……」とか決断する日も来ないとも限らないのかもしれない。

加藤紗里嬢の妊娠発表動画を観て、そんなことを考えた。



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