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私とゆう運命について

私は宗教一家に生まれました。

両親も祖父母も親戚も、関わる大人、ほとんどがある宗教の信者でした。
祖母においては高い位の人で周りからは「先生」と言われてました。
その為、私も「◯◯先生のお孫さん」と持ち上げられ、
少し鼻高々だった事を覚えています。
毎日の朝夕の礼拝や、月イチの参拝は当たり前。
聖地といわれる場所で年越しをするため、紅白は見たことがなかったし
当たり前に「薬は毒だ」と育てられました。
小学校の予防接種も受けたことがありませんし、
家にマキロンすら見た事がありませんでした。

そんな環境でどちらかと言えば裕福に19歳まで過ごしましたが、
父の事業がうまくいかず借金まみれになり父は失踪。
クリスマス・イブのくそ寒い日に一家は夜逃げ。
母は詰めるだけの荷物を車に乗せたため、私と兄は原付きバイクで
知り合いの電気もガスも通っていない空き家に行くことになりました。
3人兄弟の末っ子だった私は当時そんな深刻な状況をちゃんと
説明されておらず、いきなりの夜逃げに若干ドラマみたいだな。
と、冷静に対応している自分が少し笑えました。

そこからの人生はまた後に書こうと思いますが、
人生は何が起きるかわかりません。
だからこそ人生は面白い。。
と言っている場合ではありませんでした。

33歳の頃、色々なストレスを抱えていた私は、ある日電車の中で
急な動機に襲われ、息がうまく吸えなくなり救急車で運ばれました。
点滴をして家に帰宅しましたが、その後も同じような状況に陥り
もう頭がおかしくなるんじゃないかとゆうところまで追い込まれ、
母と精神科に受診した結果、
当時は聞き慣れない「パニック障害」
とゆう診断で、抗うつ剤と抗不安薬を処方されました。

あの日、夜逃げをしてから約15年。
宗教とはかけ離れた生活をしていましたが、「薬は毒」だと育てられた
体は、なかなかその薬を素直に飲む事ができません。
そのため針治療や整体、ヨガや変なセミナーなど50万ほどは
お金を注ぎ込んだと思います。
結果、自分なりにパニック障害と折り合いをつけ、
うまく共存はしているつもりですが
なかなか完治とはいかない厄介な病気です。

そんな私にさらなる運命のいたずらが!
神様はもういないんだとはっきり思い知らされました。

2019年11月、健康診断で肺のレントゲンで影が見つかり
再検査の結果、肺がん。しかもス、ステージ4。。。
自分は癌家系でもないのになぜ私だけ??
なぜ肺がん?なぜ最終ステージ??
もう訳がわかりませんでした。

パニック障害の私が一番怖い事。
それは身動きできない場所に長時間閉じ込められる事。
例えば地震が起きて建物の隙間に閉じ込められたらどうしよう。
エレベーターが故障して動かなくなったらどうしよう。
満員電車で人身事故が起こり、線路上で止まってしまったらどうしよう。
パニック発作で死ぬことはないと言われていますが、
当の本人はそれでも死ぬほど怖いのです。

しかし、そんな私がほぼほぼ癌で死ぬことが確定し、
そう思うと不思議な事にすこし気持ちが楽になりました。
癌で死ぬ事は一番幸せな事だ。とゆう見出しの本を
見たことがありますし、よくよく考えたら心の準備もできますし
温かいベッドで家族に見守られ幸せだ。
そう思うしかなかったのかもしれませんが、癌宣告をされた時は
そんな事を考えていた様に思います。

ステージ4かぁ。。。東京オリンピック見れるかな?
などと思っていましが、あれから5年。
手術、投薬治療を経て、現在抗がん剤治療真っ最中。
完全に毒だと敵対していたお薬で生かされている状態に。
けど何とか生きてます。
そしてまだまだ生きるつもりです!

昔見た白石一文さんの『私とゆう運命について』とゆうドラマが好きで
初投稿につけるタイトルはコレと決めていました。
主演の永作博美さん演じる一人の女性が激動の人生を生き抜いた
ヒューマンラブストーリーです。

私も決して平凡ではない『私とゆう運命について』振りかえり、
その時々に思った事、感じた事などを綴っていきたいと思います。




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