「さよならミニスカート」と潜在的恐怖心について

*漫画「さよならミニスカート」のネタバレを含んでいます。

牧野あおいさんの「さよならミニスカート」1巻・2巻を読みました。
すごかった。今の日本で生きる女性達が感じている問題と真正面から向き合っている。それでいて、漫画としても面白い。
これが「りぼん」で連載されている。そして、多くの人に共感されている。そのことに希望を覚えました。

人によって刺さるシーンは様々だと思うのですが、私が一番衝撃を受けたのは、主人公仁那の味方になってくれる男の子、光に、友人のまさきが言った台詞でした。
「お前が男なかぎり 女はいつも怯えてる」
本当にびっくりしました。こんなことを思っていたのが自分以外にもいたんだと。

私は過去に男に暴力を受けたことがあるので、普通の女性と違って考えが偏っているのだと思っていました。こんなこと思ってはいけないのだと。
始めはアプリで読んでいたので(その後紙で購入し直しました)他の人の感想コメントが読めました。すると、この言葉に共感したというコメントが多くついていたのです。それにもびっくりしました。
他にも同じように感じている女性がいるんだ。そう思っていいんだ。
驚きと同時に、自分の持つ「恐怖心」を肯定してもらえた気がしました。

ただ、この事実は男性からすると不快なものであるという想像はつきます。
「なぜ男性であるというだけで恐怖感を覚えられなければならないんだ」という怒りの感情を持つ人も多いだろうと思います。実際そういった意見を見たこともあります。

この感覚を理解してもらうにはどうやって伝えればいいのだろうか。
そもそもこの恐怖感はどこから来ているのか。
色々と考えて、思い至ったのは「性別による体格差」でした。

まさきがこの台詞を言った時、不意打ちで光の喉元に鉛筆をつきつけています。
また「信頼関係があろうと、絶対に力で勝てない相手は怖いんだよ」と言っています。

ほとんどの成人女性は、ほとんどの成人男性に、力で勝つことができません。
もし取っ組み合いになったら、負けてしまいます。
当たり前のことだけど、この事実は大きいのではないかと思いました。

もしあなたが男性なら、少しだけ想像してみてください。
外出して、人混みを歩いている時、自分以外の半分の人が、自分より体格が良く、背が高く、取っ組み合いになったら勝てないような、ムキムキの相手だったら。
その人達のほとんどが善良な人だとわかっていても、なんだかうっすらと怖くありませんか?
夜道を歩いていて、後ろから歩いてくる人がそのムキムキの相手だったら。
自分の容姿とか、その人の内面とか、それらは関係なく、少しは警戒心がわきませんか?

大げさだ、と思うかもしれません。
でも、男女の体格差は思った以上に大きいのです。
私に暴力を振るった男は、痩せ型でしたが全く歯が立ちませんでした。
女性に暴力を振るう男は一部かもしれない。
でも、私たちは「絶対に力で勝てない相手」の中の、誰がその一部の人間なのか、判断することができません。
結果として「力で勝てない相手」=男性に恐怖感を覚えてしまう。

だからなんだ、どうしろというんだ、という気持ちが湧くかもしれない。
だけど、まずは想像してみてほしい。そして知って欲しい。
私たちが、被害妄想で男性を攻撃したいわけではないのだと。
ありもしない「恐怖心」で嘘をついているのではないのだと。

善良な男性に対する、「悪意」から警戒心を抱くのではなく。
「敵意」から恐怖心を抱くのではないのだということを。

「さよならミニスカート」、決して軽く読める内容ではないけれど、こうして自分の中の違和感について改めて考えるきっかけをくれた作品。
今は休止中のようですが、最後まで見届けることができるよう祈っています。

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