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ワンシーンワンカット

「一旦シーン14の撮影を中断します。撮影再開は一時間後になりますのでそれまでにスタジオに戻って来てください」

 助監督がセットの前でこう呼びかけるとそれまで向かいに並べてある椅子に座っていた出演者たちは一斉に立ち上がった。そして彼らはスタジオから出ようとしたが、出てゆく際監督のメガホンを叩きつける音が響いたので立ち止まってセットの方を見た。セットの中ではどなりちらしている監督とそれに対して泣きながら相槌を打っている主演女優を見て痛ましい気持ちになった。

「あれ、なんとかならないのかよ。監督の奴今日はずっとあの人叱り飛ばしてるじゃないか」

「ホントにそうだよ。ワンシーンワンカットとか変なこだわりしてさ。普通にカット入れて撮影すりゃNGなんて起こんねえだろうに。ホントに主演の女優さんが可哀想だよ。芸術かぶれのバカ監督に無理難題押し付けられてさ」

「でも、実はあの監督と主演の女優さんって夫婦らしいよ。まぁ公表はしてないんだけどね」

「うげえ、あんなのとよく結婚できるな。家でもあんな感じで無茶苦茶怒鳴られてるんか?」

「だろうな。女の中には何故かDV男に惹かれる奴がいるからな。彼女もそのタイプかも知んないよ。ホントに気の毒に」

 セットの前で自分用のチェアーに座った監督はメガホンで女優の座っている椅子のパイプを叩きながら相変わらず怒鳴り散らしていた。

「テメエ、演技舐めてんのかよ!このシーンは俺の映画の中で一番大事なとこなんだぞ!ちゃんと俺がカットって言うまで演じ切ってみろよ!ここは学芸会のお披露目の場じゃねえんだぞ!」

「ごめんなさい!次は必ず演じてみせますから!」

「ごめんなさいごめんなさいって、お前それさっきも言ったよな?お前は台詞以外にそれしか喋れねえのかぁ⁉」

 女優はもう涙をポロポロ流して監督に誓った。この光景を見たスタジオの人間は女優を本気で心配した。


 さて、一時間の休憩の後、皆の心配は杞憂に終わり、撮影は意外にも何事もなく終わった。監督によって徹底的に絞られた主演女優は奮起して非常に素晴らしい演技を見せたし、他の役者もこれ以上監督に彼女を責めさせまいと先程より力をこめて演技をした。その結果テイク15にしてやっとこのワンシーンワンカットの撮影が終わったのである。だが監督は自分のために見事演じた役者の健闘を讃えもせず、また女優を呼びつけて怒鳴りつけた。

「このゴミが!散々てこずらせやがって!おかげでどんだけ時間ロスしたと思っているんだよ!お前女優だろ?なんでワンシーンワンカットの演技にこんだけ手間かかるんだよ!おまえコスメだの、グルメだの、ダイエットだのしている暇があったらちゃんと演技の勉強しろよ!」

「監督もうその辺でやめた方が……」

「ああん⁉ 今俺はこのゴミ女優と話してんだよ!関係ねえ奴が首突っ込んでくるんじゃねえよ!」

 監督は女優をかばおうとした共演者の男優までも怒鳴り散らした。男優はこれにカチンときて「ちょっとそんな言い方はないでしょ」と食って掛かろうとしたが、その時女優が二人の間に入り涙ながらにこう言った。

「私を庇わなくていいんです!監督の言っていることは全部正しいんです!役者は舞台が終わっても演技をしていなくちゃいけないのに、コスメにかまけたりして!全部、ろくに演技の出来ない私が悪いんですから!」

 こう言うと女優はあふれ出ていた涙をぬぐおうともせず、出口へと駆けて行った。しかし監督はそれでもまだ女優に文句を垂れていた。それを見て他の役者たちはこのDV男と結婚しているらしい女優が本当に気の毒になった。


 監督は撮影スタッフと明日の撮影のミーティングをしてから家路についた。自宅のマンションの玄関に入った途端、ヒヤッとした風が足元を通り過ぎた。彼は足首が痛むほどの冷たさを感じて思わず震えた。そして部屋のドアを開けようとしてドアノブを握ったのだが、その途端手が静電気に襲われた。監督は思わず手を放し、もう一度今度はゆっくりとドアを開けた。

「あなたおかえりなさい」

 と、さっきの女優、いや監督の妻が玄関まで出迎えに来た。その妻を見て彼は先ほどの威勢はどこへやら怯えたウサギみたいになって縮こまってしまった。

「たたたたたたたたたた、ただいま!」

 女優の妻はドアに貼りついて怯えた目で自分を見ている監督に向かって無表情でこう言った。

「はい、やり直し。あなたさっき私に対して偉そうに怒鳴りつけていたけど、自分は何?あなた監督のくせに理想の旦那を演じることも出来ないの?いつも言ってるでしょ!帰ってきたらさわやかな顔で只今って言いなさいって!はい、もう一度マンションの玄関まで戻って演技しなおしてきなさい!今度という今度はベッドの中までしっかりと理想の旦那を演じてもらいますからね!玄関、キッチン、ベッドの三シーン全部ワンシーンワンカットで完璧に演じ切らなきゃ旦那役は首にしますからね!」

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