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ティ―チング→コーチング→ラーニング

昨日は朝ZOOM。
その中でティーチング・コーチングではなく、ラーニングだよね、という話がでました。かなり私の中でヒットしたキーワードでした。

ティーチングすることの喜び

私はこれまでサークルや色々な勉強会で学んできました。クラスを見事にまとめ、子どもの笑顔や力を引き出す先生に憧れて、自分も近づきたいと努力してきたものです。「みんな一緒に」とか「団結・協力」とか「揃えること」に重きをおいてきました。学級の空気を作ることが、一人一人の成長につながると思っていたように思います。

こちらの声掛けで子どもが動く、変わるというのは教師としてはうれしいし、そこに喜びを感じるわけですが・・・、それはもしかしたら子どもの学びやすさというよりは、教師の教えやすさからの理想像だったのかもしれないと思うようになりました。
そして、教師は何か「教えたい」と思う人種のようで、もちろん私もその一人なのですが、授業で子どもに任せるというのは、なかなかハードルが高いのが本音のところです。

コーチングで答えを引き出す

私はかれこれ15年以上コーチングを学んでいます。
某スクールでコーチの資格も取りました。今も定期的にコーチングの勉強会に参加しています。
子ども達との関わりの中で、子ども達自身に気づかせていきたいという思いから学び始めたコーチングですが、気づきをうながすコーチングの手法は子どもだけでなく、同僚との関係作り、そして自分自身との対話する上でも大事だと感じています。

コーチングには話の聞き方、質問の仕方、色々なスキルがありますが、大切なのは、相手の成長を信じること、そして、自分自身を信じることなのではないかと思っています。

コーチングはクライアントに寄り添いますが、立場としてはやはりコーチが上でクライアントは気づきをもらう、みたいな上下の関係があるように感じています。

目指すはラーニング!

zoomの中である方が森のようちえんのエピソードを話していたのですが、そのようちえんでは、口出しをせず、全部自分で考えて動いていたのですが、小学校に入ると全てお膳立てしてくれるから「楽」と答えたそうです。

失敗しないように、効率よく教えるために・・・とか良かれと思ってやっていることが、もしかしたら子どもの学ぼうという気持ちを奪っているのではないかと思いました。
体験や遊びを通して気づきを得て成長する幼稚園教育に学びのヒントがあるかもしれないと思ったエピソードでした。



とはいえ、「よい授業とはこういうもの」「先生はこうあるべき」というのが先生も子どもも染みついているように思います。
私もまだ葛藤や迷いがあってモヤモヤしている感じですが、自身の授業観や教師観を見直してみようと思います。

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