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このたび白桃と同棲しています

旬のフルーツはどれも輝かしいものだけど、中でも白桃はとりわけ特別感がないだろうか。
堂々たるお中元の雄であり、最盛期には八百屋にもスーパーにもごろごろ並ぶ馴染みの味。しかしお手頃価格のものでさえ、どれも白い発泡ネットで守られて、いかにも大事にされている。

わくわくしながら買い求めたら、桃との蜜月が待っている。

ちょっと嫌なことがあっても「まぁ家に帰れば白桃がいるし」と気にならない。
むかつく人に会っても「そんな口をきいていいのか?こちとら自宅で白桃とよろしくやっている身だぞ」と胸の内でふんぞり返る。
戦闘力を求められる現代社会において白桃と同棲することは有効である。

さて流行りに乗ってみたけれど、とびきりのごちそうはそのくらい心躍る楽しみという趣旨に大賛成。
だって冷蔵庫を開けるたび、ついそわそわ気にしてしまう。
日増しに漂う甘い香り。果皮の様子をチラチラ眺め、我慢しきらず細心の注意でそろそろ撫でてみる。跡なんてつかないように。でも食べ頃を逃さぬように。お日様に色づいた桃色の皮、かすかにざらりと産毛が指をくすぐる。迎えたばかりの硬さから、少しずつ、少しずつ、おだやかに熟していく愛しの白桃。

今か今かと時期を待ち、涼やかな朝を迎え、今こそ桃日和と思い立った。

すくっ。ペティナイフが果肉に沈む。桃のお尻の筋に沿い、くるり種に刃を当てて、一周したら両手で掴み、むぎゅっと左右に捻り上げる。毎度この瞬間は緊張する。潰さないよう、でもしっかり実離れするよう、手早さと思い切りが重要だ。
手のひらに滴る果汁さえもったいないのは貧乏性ではなく愛情ゆえだと言い張りたい。
首尾よく両手に半分ずつとなった白桃は白い果肉に繊維を透かし、ほんのり赤く色づく切り口にとろりと果汁をにじませる。むわりと立ち上る香りは強く華やかで、断然甘さを増している。おやおやこれは。緊張感は期待感にすり替わり、むくむくと盛り上がりを見せていく。切ってみたら甘くない、幾度となく繰り返された悲劇ゆえ、どうしても身構えていた気持ちがどこかへ隅へと追いやられる。これは、これはこれは。

はやる気持ちを押さえつけ、重々しく慎重に種つきの半分をまな板へ戻す。種の部分がまあるく凹んだ半分を持ち替えて、ドキドキしながら切り口にぺらりと浮いた赤い皮の端をつまむ。じわ、柔らかい果肉がまた少し雫を浮かす。まったく、なんて繊細な果物だろう。
ぺり、ぺり、ぺりり・・・。とても高度な力加減、めりめり向けていく極薄の皮。ほんの少しの毛羽立ちを残し、真っ白い本体がお目見えした。
降り積もった新雪を前にしたときのような、きらきら輝くシャボン玉の虹色のような、壊れやすい美しいものへの、なんとも抗いがたい衝動。

かぶっ。
切り分けることも忘れ、手の中の半身にかぶりつく。ひんやりじゅわっとほとばしる果汁。あくまで品よく広がる甘さ。鼻を抜けるのはみずみずしくて華やかな、うっとりする香りの強烈さ。喉を滑り落ちていくとろり柔らかい果肉。
おいしい。おいしい。
ごくん、一口目を飲み込むともう夢中。それまでの慎重さや紳士然とした振る舞いなんてかなぐり捨てて、がぶ、じゅるっ、がぶ。待望のよしの合図を自分に許し、野獣の気持ちで口に押し込む。たっぷりと果汁を含んだ果肉をずぶずぶと歯が切り裂いていく。ざわりふわり舌に触れる繊維のかけら。噛むというより飲むようなしぐさ。口から鼻から、肺の中さえ満たされるかぐわしい香り。

はぁ。あっという間に食べ終えて、溜息さえ桃に染められている。
あぁ。美味しかった。ごちそうでした。

夏。猛暑は体にこたえるけれど、桃に心が浮き立つ季節。