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第2話.小説の書き方を忘れてしまった君へ……

ケモ耳スキーの民の皆さん、フォックスハロー🦊
唐突だが、またもや記事とは関係のないところから語っていこうと思う。
1行目の「ケモ耳スキーの民」と言うのは何か?
それは今まさにこの記事に目を通しているあなたのことだ。

前回の記事を読んで「ケモ耳スキーの民」とはなんぞや?と思った方々がいるかもしれないと私の胸の奥底に居候する老婆心がこの少々恥ずかしい解説をさせている。
私は私のファンのことを分け隔てなく「ケモ耳スキーの民」と呼ぶ。
皆でケモ耳を愛で、慈しみ、集まって語らえば、ネットであろうがリアルであろうが常に心に余裕と安らぎ、そして癒しを保つことができるのではないか?いや、そうでありたい……そんな願いを込めて付けたファンへの愛称だ。
ここまで読んでくれたあなたも間違いなく、ケモ耳好きの心優しい人なのだろう。
私はそう信じたい──以上、解説終わり。

では本題へ入ろう。
小説書き方を忘れた。いや、もっと的確なのは「小説の書き方が分からない」が正しい。
本末転倒。自分で企画をしておいてこれはないだろう。
確かに小説のようなものは書いてきたが、果たしてそれらは小説だったのだろうかと今になって不安になったのだ。

初めて小説……と言うよりは「物語」を描いたのは5歳の頃だったと記憶している。
母が読んでくれる絵本がべらぼうに好きだった幼女の私は咄嗟に「自分の描いた絵本を母に読んでもらったら私も母も楽しいのでは?」と考えた。
大きならくがき帳に「鉛筆で描くと消しゴムで消えちゃうから、いつまでも消えないように」と子供ながらに工夫し、不慣れなボールペンを握って悪戦苦闘した記憶があるような、ないような?
そして、初のオリジナル絵本──「心臓くんと肝臓くん」は完成した。
どうしてそんなグロい登場人物にしたのか?
何故、臓器が些細なことから殴り合いの喧嘩に発展し、離れてみて初めての友人の大切さを知り、仲直りをするまでの熱い友情ストーリーにしたのか?
子供の発想とは分からないものである。

満を辞して自信作を母に見せれば、飛び上がって喜んでくれた。本当に飛び上がったのでビックリして覚えている。
それから母は家族から親戚、はたまた職場の同僚にまで私の絵本を見せて自慢した。
正真正銘の親バカである。
その様子が嬉しくて、気を良くした私はしばらく絵本執筆中毒者になった。
懐かしい──遠い日々の思い出だ。
その「毒」が今も微かに残っているから小説を書きたいなどと言い出したのだろう。

待て待て、現実に意識を戻そう。
そうだ。私は「小説の書き方が分からない」ことを語りたかったのだ。
すぐ脱線してしまうのは勘弁してほしい。
かと言って、ネットで調べても「小説の書き方」なる書籍を購入し、隅々まで読んで付箋まで貼ってもいまいちピンとこない。
どうしてなのか?
しばらく答えは見つからなかった。
それこそ、年単位で見つからなかった。

だが、その日は突然訪れた。
それはある人物との会話でだった。
詳細は省くし多少脚色もするが、ある時、ある場所で遊び半分の自作小説発表会をしたことがある。
ある人物は「面白そう」と言う理由で途中参加してきた。
そしてチャラそうな見た目とは裏腹に(申し訳ないが、当時の私は本当にそう思った。こう言った偏見はまっこと良くない)見事な手作りの短編集冊子を持参した。
ストーリーから表装まで何もかもが完璧だった。
執筆期間は1週間とかなり短かったのにだ。

私は尋ねた。
大して仲がいいわけでもなく、接点もほぼなかったその人にまるで縋り付くようにだ。
私はとにかく必死だった。
どうやってこんな素晴らしい冊子を書いたのか?
やはり、ネタ出しをして付箋を線で繋いでいるのか?
やはり、プロットをしっかり書いているのか?
あとどこで髪切ってますか?
たばこは何番かってるんですか?
怒涛の質問攻めをされたその人はニコリと笑いながらこう言った。

「え〜。1番書きたい所を書いて、あとは頭とお尻をくっつけただけだよ〜。じゃないとモチベ続かないじゃん?」

雷に打たれる──程度では済まない衝撃が私の身体中を駆け巡った。
ゆる〜い感じの言葉の中に全てがあった。
目から鱗が落ちるどころか、マーライオン状態だ。
ピンと来なくて当たり前だった。
ある人は答えを教えてくれた。
ネットの情報も書籍もあくまで他人の「書き方」だったからだ。
書き方は十人十色──。
書き方は千差万別──。
自分だけの書き方を見つけなければ、小説は書けないのだ。
私はまだ見つけていないのだ。
私だけの「書き方」を──。

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