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『希望の青空』

【それは突然】


 僕はこれから、いくつの「死」を迎えるのだろう。
時に落ち込みがちに、対峙するであろう「とき」のことを、考えてしまいます。

 三十余年とはいえ、知りうる限りで、5人ほどは身近な人たちを失いました。こちらの耳に入っていない訃報を含めたら5人以上かもしれません。

 思いがけぬ、「突然」のタイミングに、それは訪れます。看取れていないケースがほとんど。「最後会った時は、元気だったのに…」と驚くしかできないのです。

 驚くことで死去を「拒絶」してしまいがちです。
 死を前に、溢れる涙は「受け入れたくない」思いから、流れ出てくるのかもしれません。

驚きのあまり、言葉を失う。これが死を受けた時の、即座の反応でしょう。--おそらく、目を背けたくなる事実を前に、そう反応するように遺伝に組み込まれているのかもしれません。人間の防衛本能のようなものでしょうか。

 生物学的なことは、いっさい分からないのですが。

 次に進むステージについてーー。

 「まさか…」が現実と認知した時は少し大変かもしれません。防衛から直面に移行するときの、ひずみのようなもの、感情がくすぶるのです。

 悲しみの温度差をどうしても気にしてしまいがち。自分の悲しみと、他人のそれとをどうしても比べてしまいがちです。--神経質になるがあまり衝突することも。

 隠れていた「怒り」が、ひょっこり顔を出すのです。表に出さないよう、グッと堪(こら)えていたのかもしれませんね。

 --残念なことに、天に上られた「*****(くん/さん)」への悲しみの結晶より先に、怒りが勝ってしまうのです。本当に皮肉なものです。

 熱っぽい体温が下がり、平熱になる。つまり、神経質だった時から、平熱に戻ると、ドッと疲労に襲われます。「憤り」のエネルギーはとてつもなく、大きいのです。

 事実を受けての悲しみが最後にやってきます。

 そこでようやく現実だと「受容」できるのです。まるで悲しみの渦に、呑み込まれるかのように、自分の居場所すらなくなってしまうように、思えることも。いきなり、受け入れるというのも、無理難題。

 現実と直面にする前に、いくつかのステップがあるのは、実体験を踏まえ、お伝えできることです(すべての方に当てはまるわけではないとも添えさせていただきます)。

 ご注意いただきたいのは「(自分)は生きていていいのだろうか?」--このように、自分の「存在」を否定してしまうこと。

 いいのです。生きましょう。

 大袈裟ですし、偉そうですが、生きるのは、残された方がたに課された義務と思えます。がっしりとした心構えを大切にしていただきたいのです。

【見ているよ】


 他方で、いつまで「この悲しみは…」と、悲観が長続きすることもあります。いいのです。涙がこぼれるのなら、自分に素直に向き合い、気が済むまで泣いて、泣いて、一生分と思えるほど、泣いていいのです。

 流した涙の数だけ、悲しみは浄化されてゆくのです。悲しみを乗り越えた、逞(たくま)しさが、心を強くするのだと思えます。「弱い自分」を隠すままだと、その弱さは心の隅に残ってしまいます。

 「素直になれる自分は強い」--まわりが励ますことがなくても、悲しみに暮れている、読者の方がたを僕は励ましたいです(余計なお世話かもしれませんね)。

 とある日、です。

 涙で湿っていた道はどこまで続くのか…と絶望しそうになっていても、光がみえる時が訪れます。ふと舞い降りてきたかのように。突然のことで、「」となってしまいます。その「」にすら微笑む余裕ができるのです。

 空を見上げる。

 その時に「悲しんでいる自分の姿をみて、天の****(くん/さん)は悲しんでいるだろうか」と、死者の不在が「存在」に。自分以上に、****(くん/さん)は悲しまれているのでは…などなど。そう考えるようになれると「まだつながれている」のだと悟れます。

 立ち止まれない。進むだけ。むしろ天から、エールをもらえた錯覚を覚えます。「亡くなった****(くん/さん)の分まで『生きよう』」--長い道のりでしたが、絶望から希望へと、切り開かれてゆきます。

 天から見守ってくれているのです。

 きっと、いいことも悪いことも、お見通しでしょう(笑)。と、天に向かって微笑むタイミングで、「悲しみと決別」できるのかと思います。もちろん、命日が近づいたりすると胸が締め付けられる思いがします。

 その時に、です。

 「そっち(天)に昇る日まで『生きる』から待っててな」なんて、キザったいことを言えたら、悲しみの空は快晴なはずです。

           ***

【さいごに】


 やや無責任とも思える内容でもあります。自分のものさしで「死」を語ると、それが押しつけになってしまう可能性、いや、危なっかしさすらはらんでいます。
 冒頭のとおり、5人ほど失っての僕なりの見解です。見方は十人十色。あくまで、そのうちの一人・一つとだけ、念頭に置いていただけますよう、よろしくお願いします。

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