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『欲の涙』15

   「さよならを言うのは、少し死ぬことだ」

(『ロング・グッドバイ』 レイモンド・チャンドラー 著)

 取り乱さず、冷静でいること――。 車内で自分に言い聞かせていた。不安要素がここにきて、噴出したんだ。悪いタイミングで出てきた不安感を、制御するのも仕事だ。

 同じ考えが脳内でループする。

 自分に何度も問いかけている。「しなきゃいけない」と「してはいけない」が拮抗(きっこう)している。

 だめだ。

 今は押し殺すしかない。とにかく「演じる」んだ。倫理観で割り切れるたぐいの事件、出来ごとではない。道理やら道徳の物差しはこの業界じゃ通用しない。

 緊張の針が身体中を突き刺す。容赦なく。

 今井による、カオリさん殺害――坂本と秘書にも問い詰めたい気持ちが昂ってきた。車のドアを開けようとした途端、ムダだと気がついたが。

 ここでブレーキ。

 釈然と「しないまま」のほうがいいことも中にはある――知ったがゆえに、精神に異常をきたしたり、人間不信になったり、逆に信用されなくなったり。疑問符を残しておくのが無難な時もあるんだ。 

 裏で糸を引いているのは憎堂一家の組長、三上なハズ。坂本・秘書以外にもヒントを知っているヤツはいるだろう。場合によっては、長野か三上本人の口から話すかもしれない。

 先行きがどうなるか、どんな経緯(いきさつ)だったのか――。

 考えれば考えるほど、文字通り息苦しくなった。車の窓を開けた。外は朝。雨がすっかり上がり、さっきまで降っていた、雨を吸い込んだ砂利が独特の匂いを放っていた。

 乾燥しているが湿っている、湿っているが乾燥している。相対する二つの中間の匂い。 そろそろ長野のところに出向く時間だ。 

 坂本に電話をかけようと思ったものの、秘書と一緒に歩く坂本の姿が視界に入ってきた。妙に距離が近い。なにか深刻なことでも…と、頭によぎった。

 しかし真逆。

 距離が縮まっていたのだろうか、坂本が男道を秘書に説いていた。 
 「いいか、漢にはな、一大勝負があるんだよ。『勝てば官軍負ければ逆賊』ってヤツだ!」
 「はい。男になり…」
 「漢字の漢(かん)で『おとこ』って読む。教えたよな?道を極めるんだ、いいな!」と、坂本の分際で偉そうに、講釈を垂れている。

 笑ってしまいそうになったが、(坂本は根がいいヤツなんだろう。二人の会話を割って、「右翼トリオは?」と訊いた。「今街宣車でここにきている!」と坂本。

 黙って待った。 

 雨が上がったアスファルトと砂利から、朝露のようなものが滲み出ていた。切り替わっていく。晴れが雨に、雨が曇りになり、夜に…上っては沈む。

 その繰り返しだ。

 オレらも根本では変わらないんだろう。移ろいゆく時間の中で動き続けるんだ。

 街宣車は二台でやってきた。最初は疑問に思ったが、坂本には坂本なりの考えがあった。

 「まずよ。一台目は外でブンブン拡声器で騒ぎ散らかしてもらう。中にはAとB。で、二台目。これは何かあった時用。ほら、後援会事務所を車体で塞げれば有利だろう?」 確かに、と坂本のプランに納得。その線でいこう。オレは付け加えた。

 「Cの兄ちゃんよ、先に後援会の会場に行ってくれねえか?音無しでバレないように頼む。あらかじめ様子見しておいてくれ。住所は?」
 「存じております!」と返ってきた。朝から重い。気が参ってきた。  
 「秘書。アンタは大役だからしくじんなよ。A・Bが街宣を回していて『近づいている。逃げて!』と長野に切迫感の詰まった声で言うんだ。設定は事務所に向かう途中。2人が到着する、5分前に。で、長野を非常口から逃げさせろ。お前ももちろん一緒」

 皮肉っぽく「ミスったらラジオでお前の名前が読み上げられるかもな」と、今井の事件報道をそれとなくほのめかした。 今井の件ばかりは二人とも黙り込んでいた。

 坂本も秘書も目を泳がせていた。その気まずい空気の漂う中、Cを呼び出し、到着10分前には街宣予告をすると上手く匂わせるように、と付け足した。Cからの予告と秘書の焦りで、テンパるはずだ。普通の右翼街宣には多少なり慣れているだろう。ここでは変化球勝負。

 話は簡潔に終わらせた。右翼トリオも呑み込んでいる様子。正念場なんだ、本当に。すぐ理解して、すぐ行動し、すぐ長野を確保するしかない。

 ――切羽詰まっている。目的地に近づけば近づくほど、切迫感が増してきた。もうすぐだ。まずはCにワン切り。街宣の予告しておけとの合図を飛ばした。

 Cは言われた通り、事務所に「10分後に街宣に行く」と後援会会館に電話をした。「『日本憂国保守隊』が今から、売国奴の長野を仕留める」と電話をしたそう。明らかな脅迫電話。

 電話応対した後援会員は「なにがなんだか」といった反応だったようだ。おかしくもない。街宣の音楽も流れていない。それに政治家への迷惑行為はたくさんあるだろう。本当だとしても、今さら感もある。

 とりわけ、このご時世だ。

日本は第2次太平洋戦争で中国に負けた。敗戦国の抱える、コンプレックスと不満から「国粋主義」が台頭していた。同時に反ナショナリズムな先鋭リベラルも勢いづいていた――中間のない日本。両極に分断された日本。

 この状況下で街宣車に萎縮するわけにもいかないのだ。とはいえ、今日の長野は強気な姿勢でいられないだろう――娘が轢き殺されたことを知らないわけはない。過敏になっているからこそ、よくある迷惑行為に対しての感度が上がる。

 Cは先に現地に。事務所から少し離れたところに停めてもらっている。A・Bとオレらが到着し次第、三台で建物を固める作戦。

 次は秘書が電話をかける番。――今日は遅刻してしまった体にしておくこと、どうやら右翼の街宣車が事務所に向かっている様子。危害を与える恐れが多大にあること――この三点を長野に直接、伝えさせた。真実味を持たせるために、右翼が流しそうな音楽を車内でかけていた。

 「長野さん!街宣車が迫っています!長野さんを売国奴と言い、『売国奴は狩るのみ」と!」

 こんなんで騙せるのか、半信半疑だったが。

 長野は、娘のスキャンダルや今井との関係も深掘りされる恐れも抱いて、いつも以上に、用心深くなっていたのだろう、秘書の言うことを信じていた。次の「獲物」が長野本人でもおかしくない。それっぽい状況は作られている――電話で「いかにも」と、思わせる。ここがキーだ。

 「私が着いたら、逃げ道を案内します!お一人で逃げるのは危険ですから!ガードももちろん!長野さんに『何か』があったらやりきれません!」と秘書は迫真の演技で、長野を焦らせていた。いや、本当に「やりきれない」のかもしれない。

 どちらにせよ、長野を憎堂一家の長、三上のとこに連れて行けばいいだけの話。

 目的が達成されれば、オレもこんな面倒ごとから解放される。

 今回の長野の依頼は、カオリさんの捜索だけ。見つけたら長野か秘書に渡すだけ。の、はずだった。フタを空けると憎堂一家にすでに依頼してある案件。オレの命までもが危険にさらされる可能性も、多分にあった。憎堂一家とのトラブルを折込済みで、異常な報酬を支払ったのだろう。あらかじめ知っていたら、額関係なしに断っていた。

 と、出口に停めたアルファードの助手席をリクライニングにして、横になりながら、思いめぐらせていた。待ち時間が長くなる可能性は少ないとみたが、退屈は退屈。そんな時は、考えごとをするのがクセなんだ。推測やら筋道なんかを追ったり、考えたりするようにしている。

 こうやって整理するのが習慣。

 うまく整理できずに精神に異常をきたした、同業のモンたちを何人も見てきた。裏の片隅にしかオレらの居場所はない。そこだけにとどまると、壊れてゆく。

 「坂本さん、そろそろ車から出たら?オレは秘書で体力使い果たしたから今回はよろしく」と言うと、坂本は無言でドアを開け外に。読み通り、長野と秘書は事前に決めていた出口からやってきた――坂本は長野に「そういうこと」と言った。何のことか、何の用なのか、勘づいていそうな長野は、くたびれた様子で従順にアルファードに乗ってきた。

 「ちょっと秘書と話がある」と坂本。特に言うこともないから首を縦に振った。窓を閉めている手前、内容は聞こえないが、秘書の肩を叩き励ましているようだった。

 ――ここでお別れってことか。

 話だけ追うと利用するだけ利用して、利用価値がなくなったら捨てるように思われるかもしれない。ドライだ。

 そうではなく、単純に加被害者とされる人間を増やしたくない。三上が指定したのは「長野」であって秘書ではない。「余計な誰か」がいると怒り狂う。

 坂本の優しさでもあるのだろう、もう巻き込まないようにしたのは。あいにく、秘書は3年後、議員になってすぐさまナイフで刺殺されたんだけど。

 一方のオレは、後部座席に抵抗する様子もなく大人しく座っている長野に向かって「最初っから言えよ、オイ!」と大声を張った。その一言に怯えてしまったのか、三上の事務所に向かう途中、ひと言も話さなかった。

 坂本が戻り、三上のところに行く段取りを整えていた。

 「途中でトリオと別の道を進むように伝えてある。あいつらは組長と関係ないから」
 「ああ。この三人だけでいい」と、オレは後部座席で、長野を拘束しながら「ただ、長野と少しだけ話がしたい。喫茶店に寄らせてくれないか?」
 「思ったより早く済んだもんな。俺は同席しないよ。そっちの話だろう?一応、長野が逃げないよう、喫茶店にCも一緒に行くよう伝える」。坂本は運転に集中。車内のミラーで目線をこちらに送ることなく、淡々と返した。

 ――オレが知りたいのは、なぜ長野が娘の殺害を、憎堂一家に依頼したのか。カオリさんの失踪についても。

 この二つだけ。

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