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田んぼのない田舎に住む私が考えていること

私が大学を卒業してから住んだ土地に共通点がある。
それは、ど田舎なのに田んぼがない、ところ。

まだ数年だけど、そんな田舎で暮らしてきた私の
今の心の中で感じていることを少し言語化して書きたいと思う。

まずはその前に色々と振り返っていきたい。

私はあまり都会に縁がないのか、実家も田畑に囲まれた田舎にあったし、大学も田舎にあった。私の中で、日本に住むなら田舎以外住む選択肢はなかった。

特にそう確信したのが、大学3年生の時に「村・留学」に参加してからだ。

日本の中山間地域や離島に滞在(留学)し、暮らしに根付いた知恵や伝統、郷土料理、山仕事、土作りなど実際に関わる村の方々の日々の暮らしそのものを、見て、聞いて、体験して 、持続可能社会のため、これからの暮らしと社会を考える。
そんなプログラムだった。

私が滞在したのは、京都の久多という地域。
京都の山奥にある里山。

そこは、包み込まれてしまいそうな神秘的な森林が生い茂り、川が流れ、大自然の中にあった。
そこで暮らす人たちは、人間の暮らしと、原生自然を分けるように、田畑を耕したり、自然にあるものを活かし、自らの手で何かを作っていた。伝統的なお祭りも、自然への敬畏を感じられた。


自然の一部を管理しているという言葉では物足りないような、飼い慣らしていると言った方があっているような気がした。
これが本来あるべき姿だなぁぁ、、と感銘を受けたのを覚えている。

そんな経験もあったから、就活中はとりあえず田舎で働けるところを探していた。都会で住むことは全く考えていなかった。


そこで見つけたのが、公益財団法人福武財団。
瀬戸内海の島々でアートを通じてよりよい地域にしていくことを目指し、国内外から観光客を呼び寄せることに成功している。

アートにすごく興味があったわけではないけど、

「日本の近代化の流れの中で行われてきた破壊と創造の繰り返しを見直し、「在るものを活かし、無いものを創る」を信条に、人々がよりよく生きる地域をつくること、お年寄りの笑顔が素晴らしい地域をつくることを目指し活動していきます。」

公益財団法人福武財団

という言葉に、ここだぁ!と思い選んだ。

そして私が担当したのは「直島コメプロジェクト」だった。

荒れ果てた休耕田を再び田んぼに戻し、お米を収穫するだけでなく、知識や感覚を学び、実作業を通して暮らしや生き方を考え、島の文化を見つめなおす――。というもの。

直島で現在田んぼがあるのは、このプロジェクトをしているところだけ。
昔は田畑が広がっていた。しかし直島にできた製錬所による煙害で森林農作物は被害を受け、その後、近代化が進むにつれ、田んぼで米を作らなくても良い便利な時代になった。
いつのまにか直島の田んぼと米作りから生まれるモノは淘汰されてしまった。

そんな直島で今、米作りをするのは、なんとも滑稽な姿だった。
機械化が進んでいない頃に作られた田んぼは、機械を入れるのも一苦労。

農薬はほぼ使えないから、真夏の暑い中毎日、毎日、2人で草抜きをする。

稲ができても、ヌートリアやイノシシにやられるし、稲は病気になる。

イベントはするものの、孤立して田んぼを作っているから、地域との繋がりがめちゃくちゃあるわけではない。

真似事をしているような感覚にもなったが、それでも稲は育つから毎日草抜きをし、動物被害対策をする。水の調整に苦戦し、住民に助けられながらなんとかやっていた。
色々思うことはあったけど、私の人生の中で1番自然と向き合った時間だった。

田舎は田舎でも、特殊なところだったと思う。島の中に製錬所があり、アート事業を運営する組織があり、観光客がたくさん来る。第一次産業に頼らなくても、自然を管理しなくても、
生きていける田舎だった。


そして今、私が住んでいるのが沖縄県座間味島だ。そう、ここもド田舎だが田んぼはない。畑はあるが個人の小さなもの。
昔は第一次産業が盛んで、鰹業や慶良間瓜が有名だったらしい。
今60代ぐらいの人に、自分たちが小さな時はまだ田んぼがここにはあって、、と時々話を聞く。
この島も近代化により人口の流出、そしてその後観光業が盛んになり、第一次産業で暮らさなくてもよくなり、田んぼで米なんか作らなくてもスーパーで手に入るようになった。

この島に住んでいて、自然の美しさや、壮大さに息をのみ感動することが多々ある。自然がすぐ近くにありパワーをもらえる気がする。
ただ、大学時代、京都の久多で感じたものを感じることはない。


久多で感じた人間が自然の一部を飼い慣らし、境界線を作っていく姿、
この島でそれがゼロではないのは確かだけど
大自然と人間の暮らしの境界線があやふやになっている気がする。

あやふやになると何の問題があるのか。
境界線、すなわち里山なるものがなくなると自然環境や人の暮らしに問題が出てくるのは色んな方が声をあげている。

それもふまえて、もっと感覚的に、
境界線がなくなると、なんかダメな気がする。


自然と自分を区別するために
人間が 人間であるために
行う営みは、自然を飼い慣らす姿は
自然界の中、人間として生きる上で とても大切なことではないかと、
漠然とした思いが私の中に生まれている。

久多で感じたのは、あの境界線で人間のあらゆるもの生まれていたような気がした。知恵も、信仰も、文化も、人の繋がりも。

直島でやってきた仕事は、周りから見たら滑稽だったかもしれないけど、真似事のようなものだったかもしれないけど、短い時間で何か大切なことを私は得ていたのではないかな、と思うようになった。

自然が溢れているこの座間味島が大好きだけど、
大好きだからこそ、
まず自分のために、耕したいとおもう。
田んぼを復活させるのは厳しいから、畑だけでもやりたいと思う。
里山でもない、真似事のようななんとも滑稽な姿かもしれない。飼い慣らすには程遠い、ごくごく一部になると思う。
でも、ごく一部でも、これだけは、私が管理している自然で、目の前に広がる原生自然とは違うという境界線を作る。その過程を体と心と頭に経験させる。
その先にもしかしたら時間をかければ何か生まれることもあるかもしれない。となんとなく信じている。

最近は、休耕地で再び田畑を耕し始めている人も多いと思う。無農薬、自給自足、持続可能な暮らし、、色んな目的で。
もちろん私もそれを目指したいけど、それよりももっと根本的になぜやりたいかと聞かれると、
自然を飼い慣らして、原生自然と人間の境界線を作りたいから、と答えると思う。ちょっとわけが分からない。笑

そう、だからどうなるのか、は分からない。

京都の久多で感じたものを私が畑をすることで得られるとも思わない。

でも田んぼのない田舎で暮らしている、今の私の答えだと思う。
そして自然に心動かされる私の、私のために今やるべきことだと思う。

自分のペースでやっていくから、温かく見守ってて下さい。いつでもお手伝いはお待ちしてます。笑

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