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境界線

「大和人なのに、シマンチュじゃないのに、関係ないのにそんなこと気にするな!!!」
タキヌブイに行くか行かないかで迷っていた時に、おばあに言われた言葉。

先日御嶽上り(タキヌブイ)が島で行われた。
タキヌブイについて少し説明すると、島の山々に4つの拝所があって、年に1度そこに皆で登る伝統的な行事。(それぞれの家で登る御嶽は決まっている。)
おばあたちの時代には皆で歩いて山を登り、拝所前ではお酒を飲みながら三線を弾いたりし宴会が開かれたらしい。
現在は車で途中まで登り、拝所では宴会とまではいかないけど、皆で重箱を広げ、静かに、受け継がれている。

そんなタキヌブイに参加してみたい!!と思っていたけど、シマンチュでもないし、ナイチャーだしで、神聖な行事に参加するのはちょっと気が引けていた。
かつ、私は祖父を今年亡くしているから、祭りごとには参加ができない。

当日、おばあに行ってきなさいって言われたけど、このことをぐちぐち私が言っていると、おばあに
「大和人なのに、シマンチュじゃないのに、関係ないのにそんなこと気にするな!!!」と怒られた。
おばあが言うことは絶対だから、結局御嶽まで登り、うーとーとーして帰ってきた。

おばあに言われた言葉は登っている時も帰ってきてからも頭の中でぐるぐるしていた。

私は沖縄にいるといつも"境界線"を感じる。
ウチナーンチュ/ナイチャー
シマンチュ/シマンチュじゃない
この境界線は決して越えてはいけないし、越えられるものではないと思っている。
それは「日本」が沖縄にしてきた歴史や現在押し付けているものがあるから。
あと、島で生まれ育った人たちへの敬意があるから。
だからこそ、沢山勉強して考えないと、と思うし、沖縄が好きでこの島が好きなら考え続けることが、この境界線に敬意を払うことになると思っていた。

でも、おばあの言葉でモヤモヤする私は、
本当はこの境界線を越えたかったんだ。
と思った。
越えることは決して出来ないし、してはいけないから、この境界線上に立ちたかった。
だから沖縄のことをこの島のことをよく知って考えるナイチャーになろうとした。

「のどかはよく島のことを考えてくれるから」と沢山の話をしてくれるシマンチュがいる。
その一瞬でも認めてもらえたような気がして、境界線の上に立てた気がして、それがとてつもなく嬉しくて、また勉強して考えていた。

でもおばあの言葉で、どれだけ私が考えても勉強しても思いを強めても、私はナイチャーでシマンチュではない。それを突きつけられた。
考えたところで意味がない。
「私はナイチャーでシマンチュではない」
それ以上でもそれ以下でもないのだ。


これだけ突きつけられても考えることをやめくない。これからも勉強して考え続けたい、と思っている。
この葛藤は私がウチナーンチュでもシマンチュでもないから、この立場で生きているからこそうまれるものだ。
またおばあの声が聞こえてきた。
「大和人なのに、シマンチュじゃないのに、関係ないのにそんなこと気にするな!!!」
だからとりあえず言い返しておこう。
「私は大和人で、シマンチュじゃないけどここにいて、今生きているからどうしても関係はしてしまって、だから気になるんだよ!気にさせてよ!無関心で生きるのだけは嫌だ!!!」
って。

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