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感傷にひたるとき

帰宅してシャワーを浴び、スマホを開くといくつかnoteの通知が来ていた。
「○○さんがあなたをフォローしました」
お、と思いそのひとの名前をタップして開く。プロフィールを見ると高校生だった。きっと彼女はわたしのフォロワーさんの中で最年少。

高校生か。髪も乾かさずスキンケアもそこそこにいくつか記事を読んだ。
青葉みたいなみずみずしさが溢れる文章に、でも目を凝らすとしっかり芯のようなものが見える気がした。扉を開けたばかりの空気が入る。新芽のにおい。雨音に混ざる虫の鳴き声。

高校生だって。もう十年以上も前のことになろうとしている。わたし、どんなんだったっけ。必死で思い出そうとする。思い出せたのは、あの頃には巨大な建物に見えた大きな校舎と、自転車のペダルを踏んだ足のうらの感覚と、ぐったり重かったリュック、街をどんどん外れていく電車。その車窓。隣にいたMちゃん。「ユウちゃんとの思い出はいつも電車の中なんだよね」大人になって、Mちゃんはわたしにそう言った。ひそひそ笑って、わたしたちは何を話していたんだろう。大きなリュックを抱いて、ふたりでひとつみたいに座って、単語帳を開けながらお互いの参考書に小さな絵を描いていた。「またMちゃん犬描いとー」「ちがうよ、猫って言っとうやん。そろそろ覚えりー」高い建物が少なくなるころ、Mちゃんが先に降りた。「ばいばい。またね」またね、っていつまでもあると思ってたよね。夕暮れと一緒に、あれ錯覚だったの?

noteって不思議だな。こうやっていろいろなひとが生きていることを、スマホアプリの中で思う。たしかに生きているんだろう。まやかしを信じられるほどわたしはまだ大人じゃない。

夜、さまざまな光に照らされた桜はちょっと不気味だった。
山の中に帰りたいって思わないのかな、桜たち。生き延びることがつらくありませんように。わたしもみんなも。

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