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理系学部の「女子枠」問題

きちんとした国立大学で、理系学部に女子枠を創設する動きが強まってきている。
これに対して、男子を逆差別している、不公平だ、とか、女子枠で入った人だね、というスティグマにされる可能性を危惧するなどの否定的意見が根強いらしい。

私としては、本格的な理系の学部において、女性の数を増やすことは大いに意義があると思っている。女子枠創設に基本的に賛成である。

まず、大学というところは、教育研究をして、学問の最先端を切り拓いていくことがその本質であると考える。
そうであるならば、多様な視点から学問的吟味が加えられることは良いことであるはずだ。
メンバーが基本的な基礎学力を持っているのならば、多様性に富んだ研究チームのほうが、より大きな成果を出せる蓋然性が高まるであろう、というのが私の意見だ。

この制度に反対する人たちの気持ちも分かる。
「研究者を目指して成果を出す人は、そんな優遇された制度を活用するだろうか?」
という疑問はもっともだ。
つまり、十分実力のある人は、ハンデをもらわなくてもいいはずじゃないか、というわけだ。

しかし、それでも私は、女子枠を作るべきだと思う。
それだけ、学問研究の場において、多様性があること(性別、国籍、専門分野)はかなり必要性が高いことだと確信している。
したがって、ふたつしかない性別であれば、それなりの数の女性はいなければならない。少なすぎると裾野が広がらないからだ。

ところが、人々の思い込み・刷り込まれたイメージを打ち壊すのはかなり時間やエネルギーといったコストがかかるので、
それよりは強制的に女性が居る、という状況を作ることの方が早く・コストも割安に問題解決に資すると思う。

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こういった刷り込まれたイメージというものは、無意識のうちにかなり多くの部分について我々を侵食している。
たとえば、選挙でえらばれる議員。
議員は「どっしりした男性がやるもの」という先入観があるので、「公正な」選挙をしたとしても、女性には不利になるという。
議員というのは、広く人々に意見を議会で取り上げることが仕事であるので、多様性を確保する観点から、
女性を少なくとも25%にする「クォーター制」が是認される根拠となっている。
つまり、「公正な」選挙は、実は公正でないとみなされているわけだ。

大学に女性が入学することだって、かつてはそんなに当然というものでもなかった。
1913年に東北帝大に3人の女性が入学したのが日本で初めての女子大学生らしい。
大学に女性が入ってくることについて、当時は根強い反対運動があり、東北帝大の学生の何人かが、抗議して退学したというほどだ。

あとになって、「当たり前」が覆されることはちょくちょくある。
さて、
思い込み・先入観が、真の意味での平等や適正さを損ねているという事例は、他にもないだろうか?

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