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嫉妬について―――今日一日、自分を大切にしてみようと思う

最近、何かを羨ましいと思ったことはあるだろうか。


“いいな~”とか、“わたしもあんなふうになりたい”とか。そんな感情は人間誰しもが自然にもつものだと思う。

羨ましさや憧れは、使いようによってはポジティブなエネルギー源となる。
けれど、ネガティブな気持ちに転じてしまうことがあるのが、少しやっかいだ。

例えば、わたしは、結婚していないとき、友人の結婚の報告を聞くたびに、嬉しさと同時にどうしようもなく羨ましかった。報告を聞くのがつらいときさえあった。

結婚したらしたで、妊娠の報告を聞くのがつらいときもあった。家を買ったと聞いたら、自分の現状と比べてしまい焦りのような感情を感じるときもあった。

ライフステージだけではない。
性格や容姿、持っている物、環境。その他色々。自分と同じ人間などいないからこそ、羨ましいという感情が生まれるきっかけは、自分の周りに溢れている。

こういうとき、羨ましさが嫉妬心に変わってしまうのが一番恐ろしい。
嫉妬という感情は、人間の感情の中で最も目も当てられない感情のうちのひとつではないかと思う。


なぜかといえば、嫉妬は「自分を傷つける行為」だからだ。

どういうこと?と思うかもしれない。

確かに、嫉妬して、他者を嫌に思ったり、ときには嫉妬心から他者を傷つけるような行為にいたることは、間違いなく他者を傷つけている。

けれど、その根源をよくよく見ていると、自分と他者との比較によって、自分が傷つき、多くのものを失っていることに気づく。

他者を傷つければ傷つけるほど、他者と自分を比較すればするほど、自分はどうにも浮上できなくなる。
エネルギーを消耗するばかりで、自分に既にある他の素敵なことに目も向けられなくなる。
そうして自分には“なにもない”という感情が残るばかりだ。

“ない”というエネルギーは、消耗しかしない。
他に何も生み出さず、ただただ枯渇していくばかりで、挙句の果てに、他者からエネルギーを奪おうとしたりする。そんなことできるはずもないのに。

では、嫉妬のような感情が生まれたとき、どのように対処するのがいいのだろう。

まず最初に思いつくのは、「ポジティブなエネルギーに変えよう」というものかもしれない。自己啓発本や心理系の本なんかにも、そんなふうに書かれていそうな気がする。

もちろん、「自分もそんなふうになれるよう頑張ろう」とか、そんなふうに自然に思えればいいけれど、それは段階を一つ飛ばしていると最近思うようになった。


羨ましいと感じた時に、一番最初に気を付けることは、たぶん「他者との比較を挟まずに、今の自分と向き合う」ことだ。

例えば、「今自分は幸せか?」と聞いてみる。
住む家があり、今日もよい天気だ。とか。
些細な幸せを幸せだと感じ切ることを忘れていないだろうか。

「今自分は疲れていないか」と聞いてみる。
自分は単純に身体が疲れているのかもしれない。
疲れているのに、休んでいないのは自分自身だ。
まずは、今の自分をいい状態にもっていけるようにしてみる。

自分のことを考えるときに、他者との比較を挟んでは本末転倒だ。自分はどうか、ということをただシンプルに問いかける。

「今自分は自分をないがしろにしていないか」ということを確認すること。それがまず最初のステップだと思う。

つまり、羨ましいという気持ちがネガティブなエネルギーとなってしまうとき、その根本の原因は「今自分が自分を大切にしていない」ことだ。だから、結果として自分を傷つけてしまうような嫉妬心に変わってしまう。その原因に向き合わない限り、いつまでも飢餓感に苛まれてしまう。


自分が自分を大切にする

自分が自分を幸せにする

そういう決意をもち、覚悟をもつことは案外こわいかもしれない。

けれど、そう決めないと何もはじまらないんだろうな。

まずは、今日一日、わたし自身を幸せにしてみよう。